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楽しい日々

「あ、そういえば」

 オレは、熊野さんに聞かなくてはいけないことを思い出した。

「情報屋の情報って何だったの?」


「えっ?」

 熊野さんの表情が硬ばった。

「えっと、それは……ご、ごめんなさい!」

 いきなり頭を下げて、また、謝られた。


「私、古井戸くんをストーカーしていました……」

「はあ?」

「ええとね、つまり、日比野くんが見ていないところで古井戸くんがこんな事をしていましたって、まあ、報告というか、告げ口というか……」


「え? オレ、何かしていた?」

 おいおいおい、ちょっと待ってよ。勘弁してくれ。


「いや、そんな大したことは……ええとね、例えば……古井戸くんって、以前からこまめに落ちているゴミを拾っていたよね? でね、ゴミ箱に捨てた後に必ず指差し確認をする、とか。その時のポーズとか、指の角度とか、そういう、たわいのないことを……」

 オレは両手で顔を覆った。そんな恥ずかしいところを見られていたなんて……


「ほ、他には?」

 両手で顔を覆ったまま聞いた。


「あの……言い訳にしかならないんだけど、日比野くんも私も古井戸くんのファンなのよ。古井戸くんの何気ない行動が、私たちの笑顔を誘うというか……うん、だから、つまり私が日比野くんと話せる様になったのは古井戸くんのおかげなの。古井戸くんがいなかったら、私はここまで日比野くんに評価されなかったもん」


 オレは両手を顔から離した。熊野さんと目が合った。

「ず、ずるいよ! そんな風に言われたら文句言えないじゃん」


「えへへー」

 熊野さんが史也の真似をして笑った。

「ありがとう」


 こんなに真っ正面から他人に褒められたのも感謝されたのも、初めてだった。

「史也の真似しても駄目だからね」

 そう言いながら、オレもつい、笑ってしまった。


 エサキモンキツノカメムシを木陰の草むらに放した。

 最後の最後で、エサキモンキツノカメムシの機嫌を損ねたらしく、敵認定されたオレの手のひらには『カメムシ臭』のお礼が残された。


 その強烈な臭いを嗅いでもやはり、熊野さんは『嫌いな臭いじゃない』と笑っていた。史也とは違う意味で、いろいろ変わった人だなと思った。


 そして、掃除に戻ったオレ達は、皆に「カメムシ臭い」と怒られ、おやつのスイカもオレ達は、「カメムシ臭いから、こっちに来るな!」と、近づけてもらえなかった。


 離れたところにいたオレ達に、ひとりのおばあちゃんがスイカを持って来てくれた。

 そして、「カメムシの臭いには、油がいいんだ」と言って、カメムシを乗せていたオレの手に食用油を乗せてくれた。

 ゴシゴシ擦って川の水で流すと、確かにさっきまでの刺激臭が治まったような気がする。さすが、おばあちゃんの知恵袋だ。


 川の水はとても綺麗でお日様の光が当たってキラキラ輝いているし、冷たくて気持ちよかった。

 その川は、大きな岩がごろごろしているところに浅い流れがさらさらと流れていて、川底にはいろんな色の細かい石が敷き詰められていた。


 ああ、ここにごろんと横たわったら、きっと気持ち良いだろうなあと考え始めたら、もう止まれなかった。

 頭の片隅で、きっと先生に怒られるなーとか思いながら、朝からモヤモヤしていたオレは、そのまま川の中にザブザブ入って、ばったり仰向けに倒れた。


「わあ、古井戸くん! 大丈夫?」

 オレは、そのままの状態で左手だけを少し持ち上げてヒラヒラさせて言った。

「水、冷たくて気持ちいいよー。熊野さんもどう?」


 すっかり開放的な気分になっていたオレは、絶対やらないだろうと思いながら、熊野さんを誘った。

 予想外に、熊野さんは「えー」とか言いながら、オレより少し下流で一緒に川に浸かってしまった。

「ふわーっ、気持ちいいねえ! 服を着たままこんなことしちゃうのなんて、初めてだあ」


 そして、そのまま雲ひとつない一面に広がる青い空を見上げて、ボーッとしていた。


 冷たい川の水が、服の中に入り込んでオレの上を通り過ぎていく。


 岩に当たって跳ねた水が、顔にかかるのが気持ちイイ。水の音が耳元を塞いで、皆の笑い声が遠くに聞こえる。汗でベタベタだったTシャツも、汗臭いのも、カメムシ臭いのも、あの紙を隠したのが史也だったことも、もうどうでも良くなって何か開放された気分になっていた。

『水に流す』とは、こういうことか。


 すいかを食べ終わった連中がオレ達を見つけて、「オレも、オレも」と皆で川遊びになってしまった。

 それを見つけた神宮司先生が慌ててこっちに走って来て、「こら、お前たち!」と大きな声を上げた。皆でビクッと体を起こして神宮司先生を振り返った。


 ヤバイ、怒られる。


「こんな小さな川で溺れることもあるし、足を滑らせれば頭を打つし、人間は簡単に死んじゃうんだぞ! だから、遊ぶときは本気で、真剣に遊べよ! 自然と遊ぶ時は常に真剣勝負だ! 分かったか!」

 予想とだいぶ違うことを言われたので、びっくりして皆できょとんとしていると、もう一度聞かれた。


「だから、ふざけて遊ぶと危ないぞって言っているの。分かった?」

「は、はーい!」


「先生、遊んでいていいの?」

「ああ、もう掃除も大体終わったし、風呂の時間まで今日は遊んでいていいよ。岩が苔で滑るから気をつけろよ! とにかく、大きなケガをしないようにな」


 神宮司先生は腰に手を当てて大きなため息をひとつついて、ニコニコしていた。

「まったく、こんなに早く好き勝手に遊び始めるとは思わなかったよ。まあ、多少のケガは良い経験だけどね」


 神宮司先生は変わった先生だ。


 今までの学校生活は、あれやっちゃ駄目これやっちゃ駄目で、何かに興味を引かれて横道にそれると、怒られるのが当たり前だった。だけど、神宮司先生はそれを良い方向に解釈して、肯定してしまうのだ。

 このメンバーでそんな扱いをしてしまって、大丈夫? と、余計な心配をしてしまう……まあ、最初に川に入ったオレが、心配できる立場ではないんだけど。


 お風呂に入ってさっぱりしてご飯を食べた後は、寝る支度。古民家には網戸が無いので、蚊帳を吊る。

 蚊帳とは、寝ている時に蚊に刺されないようにするために、布団の敷いてある上の空間に網状の布で囲いを作って、蚊を入り込ませないようにするものだ。

 知ったかぶりをしてはいるが、オレも今日、初めて知った。


 4つの部屋に4つの蚊帳。そして、蚊取り線香の良い匂い。

 ちなみに蚊取り線香は、植物の除虫菊を使った昔ながらのもので、化学物質が使われていないので身体にも優しいらしい。

 これも手作りなので、そのうち作り方も教えてくれるそうだ。楽しみだ。


 というわけで。いつもの日常とはまた更に違う、異空間が出来上がった。


「出入りするときに、一緒に蚊が入らないように素早くささっと動くのがコツだぞ」と、神宮司先生に言われた矢先に、トイレから戻った平君が大きな蚊と一緒に入って来た。


「お前は、ホンットにドン臭いなあ!」

 かけちゃんが平君の尻に蹴りを入れた。布団に倒れこんだ平君を、みんなで蹴り蹴りする。


「しょーがねーだろ、勝手に入って来たんだよ!」

 蹴られながら、笑っている。しまいには、「やめてー」と、泣きが入った。泣きが入ったところで、オレの目の前に大きな蚊が姿を現した。素早い動きでパチンと手を叩き、手のひらを確認すると、そこには哀れな蚊の潰れた姿があった。


「かけちゃん、退治した」

 手のひらを見せながら報告すると、「よし、よくやった」と、かけちゃんは頷いて、平君は解放された。

「た、助かったぜハカセ……サンキューな……」

 笑いすぎて痛いおなかをおさえた平君に、感謝されてしまった。びっくりした。


 オレは、ティッシュで手を拭いたあと、やっぱり何か気持ち悪かったので手を洗いに蚊帳を出た。

 戻る時は細心の注意を払って、蚊帳の下にまず頭を入れて、そのまま余計な空間を作らずにするりと中に体を滑り込ませた。

 完璧だ、と、思った瞬間、オレの体にくっついていたらしい蚊が、プーンとオレから離れていった。

 しかも、しましまのやぶ蚊だった。


「お前もか! この、ポンコツ!」

 平くんがオレの尻に蹴りを入れた。ヒドイ。もう、一同大爆笑だ。

 布団に倒れこんだオレに、みんなで蹴り蹴りしてくる。


「う、裏切り者~」

 もう、オレも笑っちゃっておなかが痛い。


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