シーン4 @その頃の美佳の部屋
美佳はピアノを弾く手を止めて、一つため息をついた。心を落ち着けようとピアノを弾き始めたのだが、やはりどうしても集中できなかったのだ。
今は自分にできる事はない。ウォルフたち三人が、妄想界で情報を集めてくれているのを待つことだけだ。
彼らがいつ戻ってきてもいいように、美佳は三つの携帯を譜面台に並べて置いていた。
「ふぇ~、しんど。おう、お嬢様、今帰ったぞー」
「あ、おかえり! ホーキくん」
最初に戻ったのはホーキングだ。智恵の携帯画面から顔を出してきょろきょろと見回す。
「なんだよあいつらまだ帰ってねえのか。おっせえーーなぁ」
「……悪かったな」
「お嬢様、ただいま戻りました」
声とともに、弧次郎とウォルフの映像が浮かび上がった。
「お嬢様。今回の首謀者がわかりました。
先日現れたディスベアー幹部の一人、孫悟空。彼が配下の者を従えて、現世界に来ているようです」
「まぁ幹部って言うからには部下もいるだろうけどな」
ホーキングがまぜっかえすように言って、あわてて付け加えた。
「まぁ前回は幹部が直接魔獣使って攻めて来てたわけだから、部下を引き連れて来てる今回はガチで来てるって事だろうな」
ホーキングのフォローに弧次郎はうなずいた。
「それから、妄想界で闇の力の増大が加速している。今回の事件の影響かも知れない」
「そうですね。彼らも本腰を入れて来たという事でしょう」
ウォルフたちの情報に、美佳は不安が湧き上がってくるのを抑えられなかった。
「私たちだけで、助けられるのかな……?」
「お嬢様、具体的な作戦に関わる情報は、ホーキングが担当してくれています。彼ならきっと……」
「……で? アイテムの詳細はわかったのか?」
皆の視線がホーキングに集まる。ホーキングは大きくうなずき、話し始めた。
「あぁ。色々とわかった。
まず、今回人が消えた原因だが……これは、紫金紅葫蘆ってやつだな」
「しきん……?」
美佳には聞き覚えのない言葉だった。だが、何かが美佳の心に引っかかっていた。
聞いたことはない。そのはずなのに、それが何か知っているような不思議な感覚……。
「紫金紅葫蘆。まぁ、簡単に言えば、紅いひょうたんだ」
「そっか……。このストラップが、その……しきん……」
美佳は改めてストラップをもう一度眺めた。油性マジックで顔を書いた紅いひょうたん。
これが全ての元凶だったなんて……。
「しかし……このストラップはずっとお嬢様が持っておられました。
大量失踪事件と関係があるとは思えないのですが……」
ウォルフが美佳をかばうように言った。もしこのストラップが元凶なのだとしたら、美佳のいない所で大量失踪事件など起きるはずがない。
だがホーキングは静かに首を横に振った。というより、ホウキである全身ごと、顔を左右に振った。
「確かにこのストラップは大量失踪事件には関係ねえ。こいつは多分、コピーだ」
「どういう事だ……?」
「紫金紅葫蘆ってのは、西遊記の中に出てくるアイテムだ。本物はこんなに小さくねえ。
お嬢さんは聞いたことあるんじゃねえか? 名前を呼ばれて返事をすると吸い込まれるひょうたんの話」
美佳の中に渦巻いていた違和感。聞いたことがないはずなのに知っているような感覚の正体が、今はっきりと分かった。
「あ、うん、小さい頃に絵本で読んだ!
金角と銀角が持ってて、孫悟空が吸い込まれちゃうんだよね?
……あ!」
美佳と同時に、弧次郎とウォルフも今回の事件の真相に気付いた。
「そうか……。ディスペアーの幹部、孫悟空……」
「なるほど……。彼が首謀者であるのなら、この作戦も理解できる話です……」
ホーキングは三人の顔を見回して、うなずいた。
「……だろうな。で、西遊記によるとー……、そのひょうたんは、実名じゃなくても、呼ばれて返事をしたら吸い込まれちまうって話だ」
「なるほど……」
ウォルフの中で、すとんと胸落ちするものがあった。あかりと智恵、そして水上教師が消えたのは、呼ばれて返事をした後だった。ならその他の失踪事件も同様の事が起きていたに違いない。
後京ドームでの大量失踪事件も、誰かが一人でもストラップをつけていれば、もしくは会場のどこかに置いておけば、コール&レスポンスで吸い込むことができるはずだ。
ウォルフは悟空の作戦の見事さに、恐怖すら感じていた。
「脱出方法はないのか? 孫悟空は、吸い込まれたときどうやって……?」
弧次郎が美佳に投げかけた質問。美佳は読んだ絵本を思い出そうと考え込んだ。
「ええっと確か……。
……あれ? どうやって逃げ出したんだっけ……?」
「お嬢様……思い出して下さい……! その方法さえわかれば……!」
「う、うん……だけど……全然そのシーンが思い出せないの……」
美佳は必死だった。脱出方法さえわかれば、みんなを助ける方法だってわかるのだ。
しかし、美佳の記憶の中からその情報は発見できなかった。
孫悟空は、金角銀角の策略によって何回かひょうたんに吸い込まれていたはずだった。
しかし脱出方法はおろか、そのあとどうやって勝ったのかすら記憶に残っていなかった。
確かに読んで、知ってる話のはずなのに……。
「そんなに難しい方法なのか……?」
「いや、フタ開けてる間に飛び出しただけ」
弧次郎が腕組みして考え込もうとした瞬間、ホーキングがあっさり答えた。
「な……っ」
そのあまりの単純さに、弧次郎は衝撃を受けて絶句する。
「そんな簡単な方法だったっけ……?」
「なんの工夫もひねりもない単純な方法……。それではお嬢様の印象に残らなかったのも当然です……」
ウォルフが少し呆れて言った。しかし、ホーキングの表情は固い。
「おめえらなぁ……。
簡単だの単純だの言ってっけどよ、人間は空飛べねえんだぞ。脱出は不可能って事なんだよ!」
三人の表情に緊張が走った。
飛んで出るだけ。だが人間は飛ぶことが出来ない。
単純な理屈だからこそ、事態は深刻なのだ。
「む……。そうか……!」
「どうしよう……」
美佳の顔は青ざめている。
「とりあえず……中に人間がみっちり詰まってる、ホンモノを奪うしかねえだろうな」
確かにホーキングの言う通りだった。中にいる人間に脱出方法がない以上、紫金紅葫蘆の本体を奪う以外に手段はない。
「でも……どこにあるのかな……?」
「敵もそう簡単に奪わせてはくれるまい。作戦が必要だな……」
「当たり前だ。あんまり余裕もねえからな」
ホーキングの表情はさらに険しくなっていた。
「ホーキング、それはどういう意味です?」
「あのひょうたん、『急急如律令』の札を貼ると……。
……中に吸い込まれた者たちは溶けちまうんだとさ!」
「そんな……!」
取り乱しそうになるのを必死で堪える美佳。弧次郎は少し考えてから口を開いた。
「俺とホーキングが吸い込まれれば、中の二人に変身させることが出来るはずだ。
このストラップでも吸い込まれることは出来るのだろう。なら……」
だが話の途中でホーキングが割り込んだ。
「何万人も中にいるんだぞ? 携帯電話二つ放り込んで、うまくあいつらの手に渡ると思うか?
誰かに踏みつぶされるのがオチだろが」
「そうですね……」
ウォルフは静かに考えながら、ホーキングの意見に同意した。
弧次郎の感情が膨れ上がった。
確かにホーキングの意見は正しい。正しいが、それだけだ。
時間の余裕はないはずだ。なぜ落ち着いていられる?
「なら! どうやって!」
「だから! それを考えてんだろーが!」
焦りからヒートアップする弧次郎とホーキング。
美佳は俯いて、小さく呟いた。
「私……何も出来ない……。
ごめんね……あかりちゃん、智恵ちゃん……」
「お嬢様……」
目の前で弧次郎とホーキングが言い争っている。それが辛かった。
絶望的な状況、あかりや智恵、先生たちが苦しい思いをして、危険に晒されている。もちろんそれも辛い。
だが、みんなを助けようと協力する仲間が争うのは見たくなかった。こんな事をしていては、みんなを助ける事もできなくなってしまう……。
美佳はそっと鍵盤に指をのせた。
静かに、ピアノの音色が響く……。
「この曲は……」
ウォルフが呟く。
【ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331 第1楽章】
かの天才、モーツァルトの曲である。
「これは……」
「あぁ……」
弧次郎とホーキングが同時に息を吐く。
「ごめんね……。
ウォルフさん達にも……私、こんな事しか……」
「お嬢様……」
美佳の心を乗せて響く音色。
その音を浴びているだけで、嘘のように心が静かに、穏やかになっていくのがわかる。
「いや……すまなかった……」
「ちみっと焦りすぎてたな、俺様たちも……」
頭を下げる二人に、ウォルフは頷いた。
「落ちついて考えましょう。その方が良い考えも浮かぶでしょう?」
と、その時。
「そーーーぅでございますよーーーぅ?
おーーーーちついてーーーーぇ、かーーーーんがえましょーーーぅ?」
のんびりと間延びした、少しイラッとする喋り方の……今まで全く聞いたことのない声が響いた。




