シーン1 @常世の国
「……ふむ。今回はなかなか順調に進んでいるようだな、悟空」
悟空から進捗報告を聞いた卑弥呼は、上機嫌であった。だが、悟空の顔色は悪い。
「う……うん……。いや、はい……卑弥呼……さま」
苦し気に息を弾ませる悟空に、アラジンは訝し気な視線を向けた。
「む……? どうした? 小僧」
「は……腹が……。ひ、卑弥呼さま、何か食ってもいい……?」
アラジンに目もくれず、悟空は必死な表情で卑弥呼に訴えかける。『悪魔ポイズン』の効果がまだ消えていないのだ。
悟空のその姿に、事情を知らぬアラジンは目をむいて激昂した。
「小僧! 卑弥呼様の御前だ、無礼だぞ!」
「アラジン、悟空のことは……」
卑弥呼が慌てて手を上げ、アラジンの怒声を抑えようとした時、卑弥呼の言葉を遮って、女の声が響いた。
「あぁら、こちらシブイ色男さんねぇ……?」
妖艶な声、そして官能的な姿態。
しなだれかかるようにアラジンに身を寄せたのは狐仙だった。
アラジンは、狐仙の身から発する淫靡な香りにめまいがして、頭を軽く振る。
「む……むぅ……? い、いや、まぁ……」
ぞくりとするような快美感に身を震わせながら、動揺を押し隠すアラジン。
狐仙はするりと身体を離し、ガラリと口調を変えた。
「……いくらいい男でも、大聖様にそんな口きかせないよ……?
第一、大聖様をこんなにしちまったのは、そこの小むす……卑・弥・呼・さ・ま! じゃないか!」
「ぬ……ぅ」
鼻白むアラジン。だが狐仙の視線は卑弥呼を見据えていた。そもそもアラジンは眼中にもなかったのだろう。棘を含んだ狐仙の声音、瞳。
狐仙にとって卑弥呼とは、ぽっと出の小娘に過ぎなかった。自分が心酔し敬愛している孫悟空がかしずく相手だからこそ、配下に加わっているだけだ。
だが狐仙には見えていなかった。卑弥呼の内に秘める強大な力が。
その力をはっきり認識している悟空やアラジンと、見えていない狐仙。そこが狐仙の限界でもあったのだろう。
悟空は狐仙に厳しい視線を向けた。
「狐仙、お前は……黙ってろ……。卑弥呼……さま、ごめん……」
殊勝に頭を下げる悟空。卑弥呼は申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうに痛んでいた。
「悟空、何が……食べたい……? 今すぐには用意できないが……」
卑弥呼の優しい声音には謝罪の響きが混じっていた。だが素直に謝ることが出来なかったのは、自分がディスペアーを束ねる者である事への自覚と、狐仙に対する対抗心があったのだろう。立場が違うのだ、と。
そんな卑弥呼の心を知ってか知らずか、悟空は卑弥呼の言葉に目を輝かせた。
「食って良いの……?」
「……うん」
素直にこくりとうなずく卑弥呼を見て、悟空と狐仙の空気がさっと変わる。
「では大聖様、北京ダックをご用意致しましたので、お持ちいたしますわン」
くるりと踵を返し、足早に歩き去る狐仙の背中に、悟空は声を投げた。
「急げ! ……まぁ、チーズフォンデュの気分だったけどな」
悟空たちの豹変と手際に、少しあっけにとられる卑弥呼。だが、狐仙がワゴンに載せて運んできた北京ダックを悟空が食べ始めるのを見て、卑弥呼は気を取り直した。
「……して、悟空、首尾はどうなのだ?」
甲斐甲斐しく給仕する狐仙の姿に何となく反感を覚え、卑弥呼の口調は必要以上に事務的になってしまう。
悟空は狐仙が薄餅で巻いた北京ダックを次々と頬張りながら、報告を始めた。
「えーっと、今ひょうたんの中には……」
「8万2千832人」
すかさず狐仙が正確な数字を補足する。悟空は一つうなずいて報告を続けた。
「……が入ってて、その中にはあのMSガールズってののうち二人も入ってる。
あと一人を捕らえちまえば、もう終わりって感じ」
「フン……。その油断が足元をすくわぬと良いがな」
アラジンが鼻で笑い、悟空を揶揄するような視線で見下ろした。
無論、狐仙が黙っているはずもない。
狐仙はアラジンの視線に割って入り、強烈な流し目をくれた。
「あらホーント、憎たらしい色男だねェ。もしかしてヤキモチかい……?」
「そ、そんなわけが、な、なかろう……!」
「男の嫉妬は……みっともないよ!」
たじたじとなるアラジンに追撃を加えてやり込める狐仙。
悟空はもぐもぐと北京ダックを咀嚼しながら、狐仙をたしなめた。
「うっせえぞ狐仙。お前ペットなんだからおとなしくしてろ」
その言葉に驚愕するアラジン。
このような、色気の塊みたいな女を、この小僧は……!
「ぺ……ペット……?」
思わずつぶやくアラジンの前で、狐仙は悟空に密着し、北京ダックを悟空の口の前に差し出して見せる。
あきらかにアラジンや卑弥呼に見せつけている仕草だ。
「はぁい、大聖様ン。仰せのままに」
「だから! その呼び方やめろって言っただろ」
「はぁい。悟空様ン」
アラジンの脳裏に、良からぬ妄想がよぎった。いや、脳を埋め尽くしていた。
このような女をペットにするというのは、どういう事なのか。いやどういう事になるのか。
目の前で悟空に身体を密着させている狐仙を眺めまわしながら、アラジンは言葉を失っていた。
悟空たちの密着を見かねて卑弥呼が咳ばらいすると、アラジンがハッと我に返る。咳ばらいを向けられた当の狐仙は、卑弥呼に視線を向け、ふっと笑って見せた。
「……悟空、お前を信じる。くれぐれも油断せぬようにな」
冷静さを保った卑弥呼の言葉に、悟空は北京ダックを飲み下しながら、うんとうなずいた。
「わかった、ねえちゃ……卑弥呼様。
ところで……この腹減るの、いつまで続くんだ……?」
『とってもお腹がすく』効果は、既に丸一日以上持続していた。作戦遂行への影響は軽微かも知れないが、それはともかく苦しいし、食料の準備に割かなければならない手間も馬鹿にならない。
もっとも、狐仙は悟空の食事の支度を嬉々として行っていて、むしろ役得と考えている節もあったのだが。
「……すまぬ。効果も持続時間も、本当に未知数で、我にもわからぬのだ……」
申し訳なさそうに頭を下げる卑弥呼。
そもそも悟空へのお仕置きはとばっちりなのだ。
「えーーーー……マジかぁ……」
「その代わり……お前が勝利して帰って来るのを……。
我が、その……チーズフォンデュ、とやらを作って、待ってるから……」
卑弥呼がもじもじしながらそう言うと、悟空は北京ダックを咀嚼しながらさっと顔色を変えた。
「え!? あ、あー……。
いや、あのっ、ねえちゃ……卑弥呼様の手料理は……う、嬉しいんだけどっ!
も、もったいないから遠慮しておく……!
こ、狐仙! 現世界にいくぞ! 弁当用意しとけ!」
「はぁい、悟空様ン」
あたふたと残りの北京ダックを口に詰め込んで境界の穴へ飛び込む悟空の背中に、狐仙は甘ったるい声で返事をすると、勝ち誇った表情で卑弥呼に向き直った。
「では卑弥呼様、ごきげんよう……うふふふっ」
大仰にお辞儀をすると、狐仙は優雅に踵を返し、悟空を追って境界の穴へ飛び去った。
残された卑弥呼とアラジンは、毒気を抜かれてしばらくぽかんとしていたが、卑弥呼はふと、去り際の悟空の態度が気になって、首を傾げた。
「……なんで……? 我の料理では不満なのか……? 悟空は……」
「いえ、そのような事は……」
アラジンが慌てて否定すると、卑弥呼はアラジンに視線を向けて、微笑みかけた。
「そうか。ではアラジン、お前に……」
「え!!」
思わず声が出たアラジンは必死な表情で目を泳がせる。
「い、いえ……。あ、あの、も、もったいのうございます故……。
で、では失礼をば!」
言うが早いか、アラジンも境界の穴へ逃げ去った。
「……?」
残された卑弥呼は、ひとり考え込んでいた。
二人とも、遠慮なんかしなくて良いのに。




