シーン4 なぜか春川
後京ドームには、7万人の観客が詰めかけていた。社会現象とまで言われた国民的アイドル、姫咲ゆうきのライブコンサートが行われるのである。
入口付近に人待ち顔の女子高校生が立っていた。開演まであと10分。ギリギリの時間だ。
そわそわと周囲を見回していた彼女が、突然ぱっと顔を輝かせて大きく手を振った。待ち合わせの相手が現れたのだ。
「春川せんぱーい! もう始まっちゃいますよ、早くー!」
そう叫びながら彼女が駆け寄った相手は、春川純。あかり達のクラスメートだ。
彼は名前もよく覚えていない後輩女子に誘われて、このライブに来ていた。
「ねえねえ春川先輩、今日は、一緒に来て下さって、ありがとうございました!」
一学年下の彼女は、憧れていた春川とのデートに、こぼれんばかりの笑顔だった。
声をかける勇気もなく、ただ遠くから見つめているだけだった彼女。
彼女は、ようやく手に入れた姫咲ゆうきのプラチナチケットに背中を押され、デートに誘う事が出来たのだ。
せっかくデートできたんだから、手をつなぎたい。できれば、腕なんかも組んじゃいたい。
彼女は春川に触れる隙を伺っていたが、春川はいつも持ち歩いている折り畳み式の鏡で自分の顔を映し、前髪をいじっていて、彼の手を取る隙が全く無い。そして……春川は彼女のそばにいながら、一言も言葉を発していなかった。
「春川先輩……?」
不安になった彼女が声をかけて顔を見上げる。だが春川は彼女の声を聞いていなかった。
「先輩!!! 鏡ばっかり見てないで、こっちも見て下さい!」
「え? あ、うん? ……何?」
彼女が大声を出すと、春川はようやく気が付いて返事をした。それもそのはず、彼の耳にはイヤホンが付けられ、コードがポケットまで伸びている。
「何、じゃないですよ! 先輩、ライブ来てるのに、イヤホン付けて何聞いてるんですか!」
「だって、まだ始まってないじゃん?」
当たり前のように彼女の抗議をいなす春川。ライブにも、彼女にも、全く興味がないのだ。
「もー! そういう事じゃ……。あ、もう! だから鏡はいいでしょっ!」
一瞬も彼女に顔を向ける事なく春川は鏡を見続けている。苛立った彼女は、春川の手から鏡を奪い取った。
「あ! 返してよ!」
「だって先輩……」
「返せ!!」
「えっ……あ……」
あまりの剣幕に彼女が怯む。その隙に、春川は鏡を奪い返した。
そして、何事もなかったように鏡を見つめる。
春川が彼女を見たのはその一瞬。鏡を取り返すためだけだった。
彼女は、小さくため息をついた。
「はぁ……。もういいです」
ドームの中はこれから始まるライブの期待に、熱く盛り上がっていた。




