シーン2 その頃の常世の国
闇に包まれた常世の国。だがその中にも、光のさす場所は存在する。
その庵は月明かりに照らされた藪の中にあった。
細い獣道を少し入ると突然視界が広がり、開けた空間に出る。広々とした空間に、庵と言うには豪奢な作りの草庵がそこに立っていた。
月明かりに照らされて幻想的な空間に、微かな水音、そして女性の鼻歌が響いている。
気分よく水浴びしているその裸体は、月の光を弾いて、その淫らと呼ぶに相応しい傾城傾国のボディラインを怪しく浮かび上がらせていた。
ふと、鼻歌が止まった。続いて激しい水音に混じって女の声。
「……っ!! 誰だい!?」
警戒心を纏ったその声に、恐怖の響きはない。年のころなら30歳に満たない若い女を思わせるその声音には、真の強者が持つ威圧感があった。
その声が、もう一度誰何する。
「……誰だい! この狐仙姐さんの行水を覗くたぁ、ずいぶんな心臓だねェ……。
とっとと姿を見せねェか! 命存えるなんて甘い考え……」
「へー、ペットの癖に、ずいぶんな口聞くじゃん?」
狐仙と名乗る女の声を遮ったのは、少年の声。孫悟空だ。行儀の悪い事に、大きな饅頭を頬張りながらの登場である。
狐仙は一気に満面の笑みに変わり、猫なで声を出した。
「あ……あらまぁこれは大聖様ぁ。こんな所にお越しになるなんて……いやですわぁん」
この変わり身のはやさは、狐の妖怪の面目躍如である。
「その呼び方はやめろって。悟空でいい。
別に狐の行水なんか見たって面白くもねーよ。急ぎの用があんだ」
悟空は口の中の饅頭を咀嚼しながら言った。
「なぁるほどぉ……。だからお食事中においでなのですわね?」
「いや、これは……違うんだけどな」
饅頭をごくりと飲み下して苦笑する。
悪魔ポイズンの効果がまだ切れていないのだ。悟空は慌てて次の饅頭にかぶりついた。
「んもぉ……。言ってくださればあたくしがお食事をこしらえさせて頂きましたのに……。
次は何をお召し上がりになります? 蟠桃園の桃……かしらやっぱり?」
「……パストラミベーグル」
「あ……らあら、それはそれは……」
狐仙はちょっと意外過ぎるチョイスに目を白黒させたが、すぐに気を取り直して表情を引き締めた。
「で……あたくしにご用って、なんですの? この狐仙、悟空様の頼みとあらば、なんなりと……」
そう。悟空は『急ぎの用』と言っていたのだ。悟空の腹心としては、手柄を上げるチャンスを逃すわけにはいかなかった。
悟空は一口で饅頭の半分を食いちぎり、狐仙に視線を向けた。
「……現世界に行ってくれ」
その言葉は狐仙を狂喜させた。現世界への出撃。それはディスペアーにとって最重要な任務だ。手柄を立てるチャンスはいくらでも転がっているだろう。
「現世界に……! あたくしに出番を下さるのですわね!
悟空様、うれしゅうございますわぁん」
狐仙は悟空に飛びついてほおずりした。
「お、おい! 抱きつくな! ってか、服着ろ!
見た目は裸の女でも、後で狐の毛が大変なんだぞ!」
もがく悟空。狐仙はすっと身体を離した。このあたりが狐仙の抜け目ないところだ。
「あぁら、ごめんあさぁせ……。
……でも、聞くところに寄りますと、強化されたバクを倒した人間がいるとか……」
「まぁな、でもたかがバクと言っても、現世界のただの人間に倒せるわけがねえ。
妄想界の力を使って戦う人間が現れたってわけだ」
「なるほど……。それであたくしに出番が回ってきたと……言うことですわね」
狐仙は眉をひそめて言った。
妄想界の力を使う人間など信じられない話だが、事実なのだろう。ならば、気を引き締めてかかる必要がある。
悟空は饅頭の最後の一口を放り込むと、軽くうなずいた。
「そ。単にあいつら倒すだけじゃなくて、こっちの力を増大させるために、人間に闇の妄想力出してもらわなきゃいけねーしな。
俺の作戦と、お前の能力があれば、簡単だろ?」
「それはもう……全力をあげさせて頂きますわぁん。
で……その作戦とは……?」
「これだ」
悟空はもぐもぐと口を動かしながら、腰につけていたものを狐仙の目の前に差し出した。
「それは……ひょうたん?」
悟空の手に握られた紐の先にぶら下がっているのは、真っ赤なひょうたんだ。既に容器に加工されていて、口には栓がしてある。
悟空はごくりと饅頭を飲み下してうなずいた。
「そ、ひょうたん。って……あああああ! 食うもんなくなった!
あああああ! 腹減ったぁぁぁ!!!!」
苦しみだす悟空。狐仙はおろおろしながら必死で悟空をなだめた。
「ご……悟空様? い、今すぐ何かこしらえますわ!
何か召し上がりたい物はありますか? 果物でも、パストラミベーグルでも……」
「じゃあ、ビーフストロガノフ」




