シーン3 あかりの場合
その夜。
あかりは庭に出て、特訓をしていた。日課にしている一時間の特訓だったが、今日はいつもよりさらに気合の入ったものになっていた。
家に帰ってすぐに着替えて庭に出た。そこからもう四時間が経過している。
正拳。肘打ち。貫手。裏拳。猿臂。
上段。中段。下段。逆突き。順突き。掬い突き。
前蹴り。横蹴り。後ろ蹴り。
ロー。ミドル。ハイ。
汗が飛び散り、ポニーテイルが揺れる。
基本動作、そして連携技。あかりは飽きることなく、愚直に訓練を続けていた。
鍛えて、鍛えて、鍛えて。強くなって悪の組織からみんなを守るんだ。
マスクドガイ雷牙みたいに。弧次郎さんみたいに。
一心に身体を動かしていたあかりが、ゆっくりと動きを止め、縁側に立てておいた携帯に向き直る。
待ち受け画面では弧次郎が、あかりの動きを観察していた。
「……どうですかっ? 弧次郎さんっ!」
頬にはりつく髪から滴り落ちる汗を気にすることもなく、あかりは真剣な目で弧次郎を見つめる。
画面内の弧次郎は、視線を落として一つ息を吐くと、あかりに目を向けた。
「スジはいい……。だが、お前の動きは実戦の動きではない。
……そのままでは、あの連中に勝つことは出来ない」
弧次郎の声は静かだったが、有無を言わせぬ響きがあった。まぎれもなく、弧次郎は真実を語っていた。
「そ、そんな……! あたし、どうしたら……!」
一瞬、あかりの目の前が真っ暗になった。憧れて、目標にしていたマスクドガイ雷牙。その人が目の前で、彼女に落第を突き付けたのだ。
……でも! あたしが! やらなきゃ!
あかりの瞳に炎が宿った。どんな時もくじけない、そのヒーロー魂が、あかりの最大の美点だろう。
弧次郎はそのあかりの顔を見て、少し笑みを浮かべてうなずいた。
「俺が鍛えてやる。だが、それでも間に合うかどうか……」
「弧次郎さん! あたし、どんな特訓にも耐えます!
崖下で、上から大きな岩を落としてもらって拳で打ち砕く特訓とか!
滝壺で、上から大木を落としてもらって手刀で切り裂く特訓とか!
北極の海で、崩れてくる氷河を気の力で蒸発させる特訓とか……」
勢い込んで指折り数えるあかり。子供の頃見ていた『マスクドガイ雷牙』の中で、弧次郎が行っていた特訓だ。
雷牙がその特訓の末、どんな強敵にも打ち勝ってきた姿は、あかりにとって、バイブルだったのである。
弧次郎は慌ててあかりの言葉を遮った。
「……待て。死ぬぞ」
あまりにも当然の指摘。だが怯むあかりではない。
「でもでも! 悪を倒すためには! 今の自分を超えなきゃ!」
携帯電話を掴んで叫ぶあかり。
今のあかりは焦っている。弧次郎にはそれが見えていた。
初めての戦闘、そして弧次郎の出現。
もちろん焦りだけではないだろう。自分がヒーローになれるという高揚感。それらがないまぜになり、今のあかりは不安定になっているのだ。
あかりの妄想から生まれた弧次郎だからこそ、あかりの深層に気付き、危険を感じていた。
「……落ち着けあかり。慌てても何にも得られるわけではない!」
「だって!」
なおも言い募るあかりに冷水を浴びせるがごとく、弧次郎はあかりに大きな声をぶつけた。
「だから!!」
「は……はいっ?」
弧次郎の突然の剣幕に、あかりの背筋が伸びる。一瞬、あかりの中にあった全ての感情、考えが吹き飛んだ。
「……だから、俺がいる」
空っぽになった頭に、落ち着いた弧次郎の声が染み込む。あかりの身体から、余計な力が抜けた。
「……はいっ」
「変身すれば俺の力がお前に宿る。お前は俺の動きにシンクロする事に集中すればいい。
そうすれば……お前自身の力も鍛えられるはずだ」
「はい!」
返事をするあかりの表情は輝いていた。
これから厳しい闘いが始まる事は間違いない。今の自分たちでは何もできないのかも知れない。
だが、どこか自分たちにも何かできそうな、そんな希望をあかりは確かに感じていた。
「後は、基礎的な身体能力の訓練と、イメージトレーニングだ。俺の動きをイメージにすり込み、完全に再現する。
完璧にイメージできた動きなら、鍛えれば必ず出来るはずだ」
細かくうなずきながら聞いていたあかりは、最後に一つ大きくうなずいた。
「イメージ出来た動きは絶対に出来る……出来るはず!!
わかりました! くぅぅ~~!! 燃えて来た!!!
ええと、じゃ、ご飯食べたら稽古、再開します!
イメージトレーニングは……そうだ! 寝てるときに夢の中で!
弧次郎さん、あたしの妄想から生まれたんだから、夢にも出てこられるんでしょ?」
ハイテンションで喋りまくるあかり。わかっていたとは言え、弧次郎は少したじろいだ。
「……まぁ、お前の夢に出てくるマスクドガイ雷牙は、俺だが……」
「じゃあ、決まりですね!
夢の中なら、崖下の特訓も、滝壺の特訓も、北極の特訓もできそうだし!」
マスクドガイ雷牙と同じ特訓ができる……。あかりは、遠足か修学旅行前のようにうきうきしていた。
「……その特訓は……きついぞ……?」
「うん! 弧次郎さんがやった特訓だもん、あたしも頑張ります!」
これは自分が難易度の調整を含めたサポートをしなければならないだろうな、と弧次郎は苦笑した。
「ま、まぁ、段階を踏んでな……?」
そして弧次郎は、表情を引き締めて言った。
「それから、その前にもう一つ……」
つられてあかりも真剣な表情になる。
これから戦い抜いていくためのアドバイスだろうか。
あかりは唾を飲み込んだ。
「もう一つ……ですか……?」




