シーン5 黄雪姫……?
その頃、螺旋階段を降りきった美佳は、少しホッとしていた。
「あ~良かった、楽譜も見つかったし、演奏にも間に合いそう……!」
「良かったですねー!」
彼女が履いている靴も安堵の声を上げる。
「うん! 私がピアノ弾けば……ウォルフさんだって気付いてくれるはずだもん!」
「ウォルフさんって……?」
靴は何度も聞こうとしていた質問をようやく口にした。美佳が何度も口にしていた『ウォルフさん』が何者なのか、気にかかっていたのだ。
美佳は下を向き、靴を眺めながら答えた。
「うん、私のパートナー。
塔に上ってる時に考えてたんだけど……無闇に探すより、演奏を成功させて見つけてもらった方が確実だって思って!」
「信頼してるんですねー!」
「もちろんっ」
美佳が笑顔でそう言った時、美佳のスマホが鳴った。
急いでスマホを見ると、ウォルフのいない待ち受け画面にメッセージ着信の通知が表示されていた。
「あ、メッセージ! ……智恵ちゃんからだ!」
メッセージアプリを開くと、そこには衝撃的な内容が記されていた。
「……えっ!? ホーキくんが……消えちゃった……?
じゃあ、ウォルフさんも……?
うそ……ウォルフさん……」
信じられない気持ちと、智恵の言う事なら間違いないはずだという気持ちがないまぜになって、混乱する美佳。靴は美佳を落ち着かせようとして尋ねた。
「あの……。そのウォルフさんってどんな人だったんですか?」
「……ウォルフさんは、ミケランジェロとダヴィンチと、モーツァルトを……」
そこまで答えて、美佳はハッと口をつぐんだ。
そして、ようやく何かに気付いたように、消え入りそうな声で呟いた。
「そっか……。私……自分の好きな芸術家を寄せ集めてただけだったんだ……。
そんなんじゃ、ウォルフさんも嫌になって当然だよ……。
消えちゃって……当然……」
美佳の大きな目に涙が溜まっていた。
その涙がこぼれ落ちそうになった瞬間――。
「あはははははー! 呼んだー?」
どこからともなく現れるモーツァルト。心から面白がっている顔で、モーツァルトは大笑いしていた。
「あなた……モーツァルトさん……!」
「そ。君が大好きなモーツァルトさん。
君の言ってたウォルフさんってさ、僕みたいなんだよね?」
「え……? 全然違う……」
美佳は首を振った。服装はもちろん、性格が全然違う。
それは、ウォルフという存在が、美佳の理想を反映してねじ曲げられたモーツァルト像だからなのだろう。
目の前のモーツァルトは面白そうに大笑いした。
「じゃあ、それは完全に偽物だね!あはははははー!
ミケランジェロやダヴィンチがどんな奴だったか知らないけど、知らない人を勝手につぎはぎしたって、ねえ?」
モーツァルトの追及は美佳の心を刺し貫いていた。
その通りなのだと認めるしかないのに、認めたくない。なんとか食い下がる糸口を、美佳は必死で探していた。
「でも、ウォルフさんは……」
「そんな偽物に、僕の名前つけるなんて、失礼にも程があるよね」
美佳を遮って、モーツァルトは美佳を糾弾する。美佳は何も言い返す言葉がなかった。
「ごめん……なさい……」
美佳はうつむいた。涙が膨れ上がる。自分がウォルフさんを傷つけたのに、消してしまったのに。こんな時でもウォルフさんがいてくれたら……と思ってしまう自分が許せなかった。
「ほら、僕はこんな奴だからさ、今度そのウォルフさん? っての妄想するときは、僕みたいな人にしてよね。
あはははははー!」
「でも……でも……っ」
本物のモーツァルトさん。神の音楽を聴き記した天才。憧れの原点が彼だった。それは美佳の心も認めている。だが……。
「それにさ、僕みたいな人の方が楽しいだろ?」
モーツァルトがスッと美佳のそばに寄る。美佳の心は引き裂かれそうだった。
「私は……」
その時、のんびりと緊張感を欠く声が廊下の向こうから聞こえて来た。
「えー、おいしいリンゴはいらないかえー。
おいしいリンゴー。毒なんか塗ってないんだからねー」
りんごカゴを下げ、フードを被った老婆風の仙狸だ。
「あはははははー!
毒なんか塗ってないってさ!
赤ずきんの次は白雪姫?」
モーツァルトが大笑いすると、老婆風仙狸は頬を膨らませて抗議した。
「しかたないでしょー? なんかそう言う空気の夢なんだもん。
あたし、空気読める子だもん!」
だがモーツァルトは、そんな抗議を聞きもせず、カゴからリンゴを一つとって美佳に差し出した。
「さ、リンゴでも食べない?落ち込んでる場合じゃないでしょ。
腹ごしらえして、僕みたいなウォルフさん、妄想してよ」
――この人たちは、私を騙そうとしている。
美佳は確信をもってそう悟った。
だがそれは、ウォルフに関する問題から逃げ、別の事に思考を集中しようという、防衛本能だったのかも知れない。
「そんな事言われても、だまされません!
……毒リンゴに決まってるもん。」
「仕方ないなぁ……。
じゃあ、毒塗ってないメロンは?」
「食べません」
「じゃあ、毒塗ってないイチゴ」
「食べませんってば」
「毒塗ってないさくらんぼ」
「何持ってきても食べません!」
強固な意志を持って断り続けると、遂に仙狸は諦めたように、老婆コスプレを脱ぎ去った。
「ですよねー。
あー、もういいやー。あたしもお腹空いてきたー!
一緒にトンポーローまん、食べない?」
仙狸はそう言って、カゴの隙間から、ほっかほかのトンポーローマンを取り出した。
「トンポーローまん? それなら……うん」
確かに美佳自身、お腹が空いて来てもいた。そこへ大好物を見せられ、美佳は頷いてしまった。
果物ではなかった事が、警戒心を薄れさせたのかも知れない。
「へー、あんたもトンポーローまん好きなんだ? 実はあたしもー!
はい、こっちあげる」
仙狸はトンポーローまんを半分に割り、その片方を美佳に差し出した。
「ありがとう……」
美佳はトンポーローまんを受け取って、口に運ぶ。
次の瞬間、美佳の顔から血の気が引いた。
「……うっ……!」
くぐもったうめき声を漏らし、美佳は崩れ落ちるように倒れた。
「え? え? 美佳さん!?」
焦る靴。仙狸はお構いなくバンザイして飛び跳ねた。
「やったー! 毒トンポーローまん作戦、成功!」
「あはははははー!
結構あっさり引っかかったね~!」
そう、なんとモーツァルトは仙狸の味方だったのだ。
多分それに気付いていなかったのは、読者も含めて誰もいないだろう。美佳と、この靴を除いて。
「そんな、鬼畜な……っ!」
だが靴に何ができるというわけでもなく。
モーツァルトは美佳の身体を抱き上げた。
「さーて、これで一丁上がり~!」
「やったー!」
はしゃぐ仙狸。モーツァルトは美佳を抱きかかえたまま、仙狸を見下ろした。
「ねえねえ、後でこのお姫様、キスで起こしていい?」
「ダメに決まってるでしょー? 折角倒したのにー!」
仙狸はモーツァルトの背中をバシッと叩いた。
「もぉ!! いったいなぁ~」
モーツァルトは不平を言いながら歩き始める。
「わぁぁ、どうしよう……」
美佳の足で靴が嘆く中、モーツァルトはふと立ち止まった。
「ねえ、どっちに行けばいいの?」




