第9章「反撃:絶対ルールの牙」
「な、なんだと……!?」
最上階のVIPルーム。モニターに映し出された信じがたい光景に、名門女子校の理事長が持っていたクリスタルグラスが床に落ち、無惨に砕け散った。 先ほどまでの下劣な笑い声は完全に消え失せ、部屋には死者のような沈黙が降りていた。
「三家和……だと? ばかな、なぜあの女は当たり牌だと分かっていながら『白』を打った!? 自分が数億の負債を抱えることになるんだぞ!」
悪徳芸能プロダクションの社長が、額に脂汗を浮かべてモニターにすがりつく。
「くそっ、あの教師、自ら生贄になりやがった!」
アヤの事務所のオーナーが葉巻を灰皿に叩きつけた。
「だが、結果的に敗者はあの女一人に決まった! 放銃した親の総支払いは19万2千点。残りの三人が同点でトップということになる。……おい、どうする!? 三人の望みを全部叶えるのか!?」
「落ち着きなさい」
怒号が飛び交う中、51歳の投資家だけが、忌々しげにネクタイを緩めながら冷たく言い放った。
「たかだか小娘三人の願いです。アヤの借金をチャラにし、マナに三流映画の役を与え、ルリの政略結婚を白紙に戻してやればいい。どうせ痛くも痒くもない。それよりも、私たちにこれほどの煮え湯を飲ませたあの教師には、徹底的に『教育』をしてやる必要がありますね……」
男たちは互いに顔を見合わせ、邪悪に口角を上げた。 そうだ。痛手でも何でもない。むしろ、反逆を企てたあの小賢しい教師を永遠に地下室へ閉じ込め、その絶望の顔を眺めるという最高の余興が残っている。
理事長がマイクのスイッチを入れ、地下室へ向けてスピーカー越しに語りかけた。
『……見事だ。よもや自己犠牲というバグを見せつけられるとは思わなかったよ。シオリ先生、君はこれで正真正銘、私たちの所有物だ』
地下室に、ノイズ混じりの傲慢な声が響き渡る。
『アガった三人よ、約束通りお前たちの望みを叶えてやろう! 借金の帳消しでも、政略結婚の白紙撤回でも、好きなように言え。ただし、そこにいる敗者の教師だけは――』
「ええ、私の望みを言わせてもらうわ」
男の言葉を遮ったのは、南家のアヤだった。 彼女は席から立ち上がり、天井の監視カメラ――その向こうにいる自分を食い物にしたオーナーたちを、殺意すら籠った鋭い目で見据えた。
「私の望みは……**『敗者であるシオリの負債をすべてチャラにし、彼女をここから無傷で解放すること』**よ!」
『――なっ!?』 VIPルームのスピーカーから、息を呑む音が漏れた。 「お、お前、自分の借金はどうする気だ!?」
「私の分は、この子が叶えてくれるわよ」
アヤが視線を送ると、西家のルリが静かに立ち上がった。 あどけない16歳の令嬢。つい数時間前まで、51歳の男の毒牙から逃れるためにバルコニーから身を投げようとしていた少女は、今はもう震えていなかった。 ルリは古風なワンピースの胸元にスッと手を当て、カメラの向こうにいる『権力者たち』へ向けて、毅然と言い放った。
「私の望みは……**『私たち四人を苦しめたあなたたち全員の全財産を没収し、社会的に完全に抹殺すること』**です!」
『き、貴様ぁっ!!』 モニター越しに、51歳の投資家の激昂する声が響く。 『ふざけるな! お前のような小娘が、私に向かって何を――!』
「最後は、私ですっ!!」
北家のマナが、椅子を蹴るようにして立ち上がった。 田舎から出てきたばかりの、大人の悪意に怯えていたはずの少女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔に、今までで一番輝くアイドルのような笑顔を浮かべて叫んだ。
「私の望みは……**『これからの私たち四人の人生を、あなたたちみたいなクズに絶対に邪魔されない、最高の笑顔で生きていくこと』**です!!」
三人の宣言が、地下室に響き渡る。 それぞれがバラバラの『一つの望み』を口にするのではなく、三人で一つの『完璧な防壁と槍』を作り上げたのだ。
シオリを守り、加害者を罰し、自分たちの未来を確約する。
VIPルームはパニックに陥っていた。
『ば、ばかな! そんな望みが通るわけがないだろう! 誰がそんなバカげた要求を――』
「ルールはルールよ、おじさんたち?」
アヤが、自分の鋭い赤いネイルをカメラに向け、鼻で笑った。
「『勝った者が”すべて”の望みを叶える』。絶対のルールなんでしょ? 自分たちで作った誓約書じゃない。まさか、三人分の役満のツケを払えないなんて、ダサいこと言わないわよね?」
痛いところを突かれ、男たちは押し黙った。 彼らは裏社会でも「契約」を絶対とする世界で生きている。自分たちが録音し、誓約させたルールを自分たちで破れば、それこそ彼ら自身の組織内での立場が消滅する。
何より、自分たちが「絶対に誰も勝てない」とタカをくくって設定した『すべてを叶える』という無制限のルールが、ここにきて完全に自分たちの首を絞める絞首刑の縄に変わってしまったのだ。
「あ、あああ……俺の金が……!」
芸能プロダクションの社長が頭を抱えて崩れ落ちた。 モニターの向こうから聞こえてくる男たちの醜い阿鼻叫喚を聞きながら、コンクリートの部屋に、初めて女たちの笑い声が響いた。
アヤが笑い、マナが飛び跳ねて喜び、ルリが安堵の涙をこぼす。 そして、その中心に座る起家のシオリは、驚きで目を丸くしていたが、やがて呆れたように、そして心底嬉しそうに微笑み、三人の頭を順番に優しく撫でた。
「……本当に、あなたたちは悪い生徒ね」
盤上の『白』は、彼女たちのこれから始まる、誰にも汚されない純白の未来を暗示するように、静かに、そして誇り高く光を反射していた。




