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第5章「対局開始:盤上のメキシカン・スタンドオフ」

「それでは、ゲームを始めようか」


天井に設置されたスピーカーから、ノイズ混じりのくぐもった男の声が響いた。 続いて、冷酷な『絶対のルール』が読み上げられる。


『ルールは極めてシンプルだ。ゲームは東風戦を一回。誰かがアガリを宣言した時点で即終了となる。勝者はただ一人。その者の『すべて』の望みを叶えよう。……ただし、誰もアガれずに流局(引き分け)となった場合、お前たちは全員敗者となり、永遠に地獄を這いずることになる』


それを合図に、部屋の中央に鎮座する全自動麻雀卓が、低く重たいモーター音を立てて稼働を始める。中央のサイコロが跳ね、四人の前にそれぞれ二段に積まれた牌の山――壁牌ピーパイがせり上がった。


東家(起家)はシオリ。南家はアヤ。西家はルリ。北家はマナ。


四人の女たちは、震える手で自らの配牌を理牌リーパイし――そして、全員が息を呑んだ。


(……信じられない。こんな確率、あり得るはずがない) シオリは、自分の手牌に整然と並んだ十三種類の么九牌(一九字牌)を見つめ、冷静なはずの思考がショートするのを感じていた。 『国士無双13面待ち』。 第一ツモで么九牌の何を引こうと、あるいは誰が捨てようと、その瞬間にアガリとなる絶対無敵の配牌。教師である彼女の数学的知識が、これが天文学的な奇跡であることを告げている。


(勝てる。この勝負に勝って、あの学園から悪意を根絶やしにする……!)


「私の、ツモ」


シオリの静かな声が、コンクリートの部屋に響いた。 右手を伸ばし、山の端から第一ツモを引き寄せる。指先に触れた感触で、それが字牌ではないと分かった。 引いてきたのは『四索』。 シオリは小さく息を吐き、そのまま四索をに捨てた。


続く南家、アヤのツモ。 (ここで終わらせる。私の借金も、あの底辺の生活も!) アヤは派手なネイルの指で牌を引く。しかし、引いてきたのは『七萬』。彼女は舌打ちを堪え、それをツモ切りした。


西家、ルリのツモ。 (お父様……私、自分の力で自由を勝ち取ります……っ) 祈るように両手を胸元で握り締めながら引いた牌は『三筒』。ツモ切り。


北家、マナのツモ。 (これで映画に……テレビに出られるんだ……!) すがるように引いた牌は『六索』。ツモ切り。


全員が第一巡目を終え、卓の中央には中張牌(数牌の2〜8)が四枚転がった。


「くくっ……ひはははは!」


別室のモニターの前では、ワイングラスを手にした主催者の男たちが、腹を抱えて笑い転げていた。


「見ろよあの女たちの顔! 全員、自分が圧倒的に有利だと思ってやがる!」

「当たり前だ、配牌で国士13面待ちなんてテンパイが入っていれば、誰だって『もらった』と思うさ。……自分が、絶対にアガれない呪いにかかっているとも知らずにな」


男たちは、画面越しの無知な獲物たちをねぶるように見つめ、下劣な笑い声を響かせた。


卓上の異変は、三巡目を過ぎたあたりから徐々に輪郭を持ち始めた。

シオリのツモは『二筒』。アヤのツモは『五萬』。ルリのツモは『八索』。マナのツモは『三萬』。 五巡目。 六巡目。 七巡目。


部屋の中には、牌を引いては捨てる乾いた音と、全自動卓の微かな駆動音だけが響いている。 誰も、ポンやチーといった鳴きの声を上げない。 そして何より――四人のには、ただの一枚も『端牌』や『字牌』が捨てられていなかった。


(……おかしい)


八巡目のツモ『四萬』を捨てながら、数学教師であるシオリの背筋に、冷たい汗が伝った。 麻雀において、序盤に不要な字牌や端牌が捨てられるのは定石中の定石だ。しかし、この卓では2〜8の数字しか場に出ていない。まるで、四人全員が極端なチャンタ(端牌と字牌を絡めた役)や国士無双を狙っているかのような、あまりにも不自然な捨て牌の偏り。


シオリの鋭い視線が、他の三人の顔をなめるように動く。 アヤは苛立ちを隠せない様子で貧乏ゆすりを始めている。ルリは顔面を蒼白にし、マナは泣き出しそうな顔で自分の手牌と山を交互に見つめている。 彼女たちの目は、間違いなく『たった一枚のアガリ牌』を血眼になって探す、テンパイ者の目だった。


(全員が、テンパイしている? だから誰も手牌の端牌を崩さない?)


シオリの脳内で、恐るべき計算式が組み上がっていく。 麻雀牌は全部で136枚。そのうち、国士無双に必要な么九牌(一九字牌)は13種類×4枚で、合計『52枚』。


(もし……もし、この三人も、私と同じ手牌だとしたら……?)


シオリの思考が、一つの残酷な真実に到達した。 配牌の時点で、一人あたり13枚。それが四人。 13枚×4人 = 52枚。


――このゲームが始まった瞬間、世界に存在する52枚の么九牌は、すべて四人の手牌の中に吸収されている。


(山の中に、アガリ牌なんて一枚も残っていない……っ!)


シオリは愕然とし、卓の中央にある王牌(ドラ表示牌の山)を見つめた。 今、自分たちが必死に引いているあの山は、2から8の数字しか入っていない『死の山』なのだ。どんなに祈っても、誰一人として永遠にアガることはできない。


では、どうなるのか。 誰もアガれず、山が尽きれば「流局」となる。 冒頭で告げられたルール。勝者なしの引き分けは、つまり「全員の敗北」を意味する。このままツモ切りを続ければ、四人全員が元の地獄へ引きずり戻されるのだ。


ならば、待ちを変えるか? 自分が助かるために、手牌の中にある『白』や『一萬』などの么九牌を捨て、別の役を狙うのか?


(……だめだ。それをやれば、死ぬ)


シオリは自分の手牌にある純白の『白』を見つめ、絶望に唇を噛んだ。 もし今、自分がこの手牌から么九牌を一枚でも場に捨てたら。 その瞬間、同じく国士無双13面待ちで張っている他の三人全員から「ロン」の声がかかる。 ダブル役満のトリプルロン。致死量の点数を奪われ、たった一人で億単位の負債を背負わされ、見せしめとして社会の裏側に沈められる。


(これはゲームじゃない。最初から誰も助からないように作られた、悪意の処刑装置だ)


自分が助かるために手牌を崩せば、三人から喰い殺される。 かといってこのまま沈黙を保てば、四人全員が地獄へ戻される。 互いに銃口を突きつけ合い、誰かが引き金を引く(牌を捨てる)のを待つだけの、盤上のメキシカン・スタンドオフ。


十一巡目。 「ねえ……あんたたち、まさか……」 ついにアヤが異変に気づき、震える声で顔を上げた。ルリも、マナも、シオリの顔を絶望的な目で見つめ返している。


彼女たちも気づいたのだ。 自分たちが今、決して出ることのない幻の牌を待ちながら、地獄の釜の底で踊らされているだけだということに。


監視カメラの赤いランプが、四人の絶望をせせら笑うかのように、無機質に点滅を続けていた。


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