表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/15

不敵な年下くん1


 気まずい沈黙が流れる中、アリアドネは震える手で、布に包まれた剣をセリアスへと差し出した。

 セリアスはそれを無言で受け取ると、ゆっくりと剣を抜く。


 その瞬間、工房内の空気が一変した。柄に編み込まれた銀糸がセリアスの魔力に呼応し、まるで呼吸するように青白く脈動する。

 だが、セリアスはその完成度に息を呑みながらも、抜身の刃を凝視したまま、低く冷めた声で呟いた。 


「……素晴らしいな。さすがは、ボクをただの『仕事仲間』と割り切っている職人の仕事だ」


「ヴェ、ヴェントゥス様……」


「理想の年上の君なら、この剣で君をどこへ連れて行くだろうね。あいにくボクが向かうのは、死地だが」


 そう言ってセリアスが剣を鞘に納めようとした、その時だった。

 剣を支えるアリアドネの指先が、赤く腫れ、蜘蛛糸に切り裂かれ細かな傷が刻まれているのが彼の目に留まる。

 荒々しく剣を台座に置くと、その傷ついた両手をそっとすくい上げた。


「……手が、こんなに傷ついているじゃないか」


「お気になさらないでください。これくらい、仕事の……」


「仕事だからって、こんなに傷ついていいわけがないだろう!」


 絞り出すような叱責。セリアスは、自分のせいで彼女の美しい指を汚してしまった後悔に顔を歪めた。

 彼は、アリアドネが息を呑むのも構わず、裂けた指先の傷に、祈るように静かに唇を落とす。

 熱い唇が冷えた指先に触れ、アリアドネの心臓が跳ね上がる。


「……ヴェントゥス様……っ」


「……すまない。こんな無茶をさせたボクを、呪ってもいい」


 セリアスは、そのまま彼女の手を離さず、額をその甲に預けた。先ほどまでの傲慢な公爵はどこにもいない。


「……ありがとう。アリアドネさんがこの手で思いを込めた剣で、必ず竜を討ち、戻ってくる」


 彼は最後にもう一度、愛おしそうに彼女の指先に口付けると、何も言わずに部屋を去っていった。


 残された室内で、アリアドネは唇が触れた場所の熱さを感じながら、ただ立ち尽くしていた。背後で隠れるように見ていたリゼットが、重い溜息をつきながら歩み寄ってくる。


「……ねぇ、アリー姉さん。さすがに、こんなに大切に思われてるのに『年下くん』は、言い過ぎだったんじゃない?」


 リゼットの言葉に、アリアドネは赤くなった顔を隠すように、傷ついた手を胸元でぎゅっと握りしめた。




* * *




 半月後、王宮主催の舞踏会が開かれた。

 かつては借金の工面に追われ、型落ちのドレスを繕って出席していたアリアドネとリゼット。だが今夜、二人は初めて自分たちの意志で選んだ、最高の一着に身を包んでいた。


 アリアドネが選んだのは、月光に濡れた冬の湖を思わせるシルバーブルーのドレス。

 一見すると清楚で上品なデザインだが、その裾や裏地には、彼女自身の魔力が込められた緻密な加護が施されている。


 リゼットもまた、自身が調合した香水のイメージに合わせた薄瑠璃色のドレスを纏い、姉の隣で誇らしげに胸を張っている。


「アリー姉さん、本当に綺麗。……ふふ。今日の主役は、間違いなく私たちだわ!」


「ありがとう、リゼット。貴女も、その香りに負けないくらい素敵よ。ね、カル兄様?」


 アリアドネが横に立つ兄を振り返ると、正装に身を包んだカリアンは、眼鏡の奥の瞳をわずかに泳がせた。

 普段は事務処理や交渉で冷静沈着な彼も、見違えるほど美しくなった自慢の妹たちを前に、感極まったように頬を染める。


「あ、あぁ……。二人とも、本当によく似合っている。あまりに綺麗すぎて、兄として誇らしいのを通り越して、悪い虫がつかないか心配で落ち着かない」


 少し照れたように、けれど慈愛に満ちた笑みを浮かべるカリアン。

 三人が揃って会場へ足を踏み入れた瞬間、それまでの騒がしい喧騒が嘘のように静まり返った。


 月光を纏ったようなシルバーブルーのアリアドネ、瑞々しい薄瑠璃色のリゼット、そして二人を護衛するように立つ端正な佇まいのカリアン。


 かつて「貧乏伯爵」と指差し、嘲笑っていた貴族たちは、候爵を承ったアリアドネたちの圧倒的な威厳に気圧され、言葉を失った。彼らは道を開け、新たな時代の主役たちの登壇を静かに見送った。


 しばらくすると、楽団の演奏が荘厳な曲調に変わり、会場の正面扉が重厚な音を立ててゆっくりと開かれた。

 姿を現したのは、国王陛下にエスコートされたイザベラ王妃、そして凛々しい礼装に身を包んだエシュリオン王子だった。

 会場にいた誰もが、王妃の姿に息を呑む。


「まさか!」「そんなことが……」


 会場のあちこちから、抑えきれない声が漏れ聞こえた。

 アリアドネが最後に王宮で会った時は、その一歩さえも危うかった王妃。しかし今、彼女は自らの足でしっかりと床を踏みしめ、国王の隣で誇らしげに、そして慈愛に満ちた穏やかな微笑みで歩いている。


「皆のもの、今宵はよく集まってくれた」 


 国王の威厳ある声がホールに響き渡る。


「まずは、わが最愛の妻に再び歩む力を与えてくれた、シルフィード候爵家の愛娘たちに感謝を。アリアドネ、リゼット。貴女たちの献身と類まれなる技術こそ、この国の至宝である」


 王妃が優しくアリアドネとリゼットを見つめ、そっと頷く。国王は傍らに控えていた従者に命じ、銀のトレイに乗せられた「褒賞」を運ばせた。


「アリアドネ、リゼット。貴女たちの功績に対し、王家より褒賞を贈る。……アリアドネには、太古の聖樹から紡がれた『極光の魔糸』を。リゼットには、北の霊峰にのみ咲くという伝説の『冬待草』の種を。貴女たちの手にあってこそ、真に価値を発揮するだろう」


 かつての貧乏生活では夢に見ることさえ叶わなかった、国宝級の素材。

 アリアドネは、トレイの上で虹色に瞬く魔糸を見つめ、職人としての高揚に指先がわずかに震えるのを感じた。


「……身に余る光栄に存じます、陛下。この糸に恥じぬ仕事をいたしますわ」


 アリアドネが深々とカーテシーを捧げると、会場の貴族たちからも、今度は嫉妬ではなく純粋な感服の拍手が贈られた。


「そして、騎士諸君。北の霊峰へと向かう君たちの勇気に、心からの敬意を捧ぐ。……風の精霊王エアリーナ様の加護が、この国を守る若き獅子たちにあらんことを!」


 その言葉と共に、騎士たちが一斉に抜剣し、剣先を天へと向ける。


「「「精霊王エアリーナ様の加護があらんことを!!」」」


 ホールを揺るがす騎士たちの雄叫び。それは3日後、死地へと向かう者たちの覚悟の証明だった。


 国王の合図で宴が始まると、アリアドネとリゼットの周りには、瞬く間に若い貴族子弟たちの人だかりができた。   


「アリアドネ嬢、私と一曲願えませんか!」


「リゼット様、ぜひその香水についてお話を……!」


 次々と差し出される手、重なるダンスの申し込み。その波を食い止めようと、兄のカリアンが必死に二人の前に立ちはだかった。


「す、すまないが、妹たちは仕事で疲れているんだ。今日は……ああっ、押さないでくれ!」


 普段は冷静なカリアンも、四方八方から押し寄せる求婚者たちの勢いには勝ち目がない。カリアンが揉みくちゃにされ、「悪い虫」を払いきれなくなるのは時間の問題だった。


(……このままでは、三人とも押しつぶされてしまうわ)


 アリアドネは、隣で困り顔のリゼットと一瞬だけ視線を交わした。妹の「先に逃げて!」という目配せを受け取ると、アリアドネはさりげなく人混みの死角へと後退する。


(ごめんさい、二人とも。……でも、私がいなくなれば、カル兄様はリズをしっかり守れるはずだわ)


 彼女はシルバーブルーのドレスに合わせ、腕にかけていた薄手のストールを素早く肩に羽織った。

 そのストールの縁には、彼女が昨夜、念のためにと縫い込んでおいた「目眩ましの加護」が施されている。

 アリアドネが羽織ると、ストールの刺繍が微かに瞬き、周囲の光を歪ませた。


「あれ……アリアドネ様は?」


「おかしいな、今そこに……カリアン殿! 妹君はどちらへ!?」


 混乱する男たちの間を、アリアドネは浮遊の加護で音もなく、滑るように通り抜ける。


 熱気渦巻く広間から逃げ出し、冷たい夜風が吹き抜けるテラスへと滑り込んだ。ようやく一息つき、火照った頬を夜露に晒した。


「……ふう。やっぱり、こういう場所は苦手。そして、またここに来るのね私ったら」


 一応テラスから逃げ出せるか確認しておこうかと、アリアドネが柵から下を覗いた瞬間だった。


「――おやおや。主役がこんなところで迷子かな?いや、逃亡か」


 テラスの影から、シルバーグレーの髪を揺らして現れた影があった。


 糸のように細められた瞳。優雅でいてどこか底の知れない微笑。騎士の正装を完璧に着こなしたセリアスが、手にしたグラスを掲げて、驚くアリアドネを静かに見つめていた。


「加護を縫ったストールで隠れんぼとは。……いかにも君らしい、可愛らしい逃走劇だね」


 セリアスは手にしたグラスを傾け、テラスに背を預けたまま、意地の悪い笑みを深くした。


「そんなに逃げ回って良いのかい? 髪を長く伸ばした、落ち着きのある『年上さん』が、あの人混みの中にいたかもしれないのに」


 相変わらずの皮肉。アリアドネは、あの日からずっと尾を引いている彼の執念深さに、思わず溜息をつく。


「……ヴェントゥス様。意地悪を仰るために待ち伏せていたのですか?」


「まさか。ボクはただ、仕事仲間の安否を確認しに来ただけだよ」


 軽口を叩きながら、セリアスは不意にアリアドネへと歩み寄った。彼は彼女の返事も待たず、ドレスの布地から覗く白く細い手を、有無を言わさぬ動作で取り上げる。


 糸に切り裂かれていた指先。


 そこにはもう、あの日見たような生々しい傷跡はなかった。セリアスはその手を月光に透かすようにして、愛おしげに、そして安堵したように細めた瞳で見つめる。


「……良くなったね。あんなに酷かったのに」


「……はい。ヴェントゥス様が贈ってくださった、大量の薬のおかげですわ。毎日、使い切れないほどの種類が届くものですから」


「そうか。……なら、少しは役に立ったかな」


 セリアスの声が、先ほどまでの刺々しさを嘘のように消し、低く甘い響きを帯びた。

 彼はそのままアリアドネの手を口元へと引き寄せ、逃げられないように指を絡める。


 ――チュ、と。


 静かなテラスに、情熱的なリップ音が小さく、けれど鮮明に響いた。

 アリアドネの指先に落とされた、熱く深い口付け。


「な……っ!?」


「嫌なら振りほどけばいい。……ボクは仕事仲間として、大切な道具手の手入れを確認しているだけだからね」


 唇を離してもなお、セリアスはその手を離そうとしなかった。絡めた指に力を込め、トパーズ色の瞳でアリアドネを真っ直ぐに見つめる。


 あまりの至近距離に、アリアドネの鼓動がドレスの裏地の加護さえ乱さんばかりに跳ね上がる。

 呼吸さえ忘れて彼を見つめ返していた、その時。


「あーっ! セリアス、ずるい! 独り占めしてる!!」


 テラスの入り口から、頬を膨らませたエシュリオン王子がずかずかと足音を立ててやってくる。


「エシュリオン様……!?」


 アリアドネが慌てて手を引こうとするが、セリアスは不敵な笑みを浮かべたまま、すぐにはその指を離さない。エシュリオンはセリアスを指差し、勝ち誇ったように告げる。


「セリアス、君の『上司』が探していたよ。騎士団の最終確認をしたいって!」


「……あの堅物は。よりによってこんな時に」


 セリアスはあからさまに嫌そうな顔をしたが、流石に公務を放り出すわけにもいかない。彼はアリアドネの手を最後に一度だけ強く握ると、その耳元に顔を寄せた。


「……続きはまた、後で。逃げようとしても無駄だよ。君のストールの術式、ボクには丸見えだからね」


 そう言い残し、セリアスは不機嫌そうなオーラを隠そうともせず広間へと戻っていった。


 入れ替わるように、広間からは優雅なワルツの旋律が流れ始める。エシュリオンはアリアドネの前に立ち、大人びた所作で右手を差し出した。


「お姉さん、一曲踊ってくれる? ……あんな性格の悪い男より、僕の方がずっとエスコートが上手だよ」


「あら。私でよろしいのですか?」


「もちろん!どうぞお手をレディー」


 アリアドネは苦笑しながらも、その小さな手を取った。

 会場に戻ると、二人のダンスは瞬く間に周囲の視線を集めた。アリアドネのドレスが、浮遊の加護を受けて蝶のように軽やかに舞う。


 その時、ふと視界の端に、可憐なピンク色のドレスを纏った少女が映った。


 ふわりと巻かれた金髪、妖精のように愛らしい容姿。彼女は羨望と少しの不安が混じった桃色の瞳で、アリアドネと踊る王子を見つめている。


 アリアドネは、ダンスのステップに合わせ、エシュリオンに小声で尋ねた。


「……エシュリオン様。あちらの可愛らしい方は、お友達ですか?」


 エシュリオンはチラリとその少女に視線を送り、さも興味がなさそうに、けれどどこか確信犯的な笑みを浮かべて答える。


「あぁ、まぁね。……僕の『婚約者候補』の令嬢かな。うるさくて困っちゃうよ」


 エシュリオンのその言葉に、アリアドネは思わず目を丸くした。八歳の少年が口にするにはあまりに慣れた台詞。   

 彼もまた、セリアスとは別の意味で末恐ろしい王族であることを、アリアドネは改めて思い知らされることになった。


 ダンスが終わると、エシュリオンの周りには待ち構えていた同世代の令嬢たちが一斉に集まった。王子としての華やかな社交に引き戻される彼を横目に、アリアドネは「今のうちに」とそっと輪から外れる。


 再び目眩ましの加護が宿るストールを肩に羽織ろうとした時だった。


「……あの、お待ちになって」


 鈴を転がすような、けれどどこか切羽詰まった声に呼び止められた。


 振り返ると、そこに立っていたのは先ほどダンスの最中に目が合った、ピンク色のドレスの少女だった。ふわりと巻かれた金髪を揺らし、潤んだ大きな瞳でアリアドネを見上げている。


「……はい、何か私に御用でしょうか?」


 アリアドネがストールの魔力を解いて問いかけると、少女はドレスの裾をぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で口を開いた。


「わ、私……羨ましくて。エシュリオン様があんなに楽しそうに踊るのを、初めて見ましたわ」


 少女の頬は、ドレスの色と同じくらい赤く染まっている。アリアドネは、彼女が先ほど王子が言っていた「婚約者候補」の令嬢であることを思い出す。


「私は……ミリアーヌと申します。貴女は、エシュリオン様にとって特別な方なのですか?」


 不安と憧れが入り混じった純粋な視線。その真っ直ぐな想いに、アリアドネはかつて自分が忘れていた「恋心」というものの眩しさを感じて、思わず苦笑してしまう。 


「私は、ただの少し便利な仕立て屋ですよ」


 アリアドネはそう言って、緊張で固くなっている少女に穏やかな笑みを向けた。


 ミリアーヌの、純粋すぎるがゆえに臆病になっている恋心。アリアドネは手元の小さなポーチから、一つの中身を取り出した。


「では、ミリアーヌ様に勇気の出る加護を」 


 アリアドネがポーチから取り出したのは、リゼットの調合した香料を、彼女自身が今日の夜会を乗り切るために「自信」の加護を込めて縫い上げた、とっておきの匂い袋だった。


「これを持っていると、背筋が少しだけ伸びるはずです。さあ、深呼吸をして」


「……あ、ありがとうございます……!」


 ミリアーヌが宝物のように匂い袋を胸に抱き、再び王子のもとへ駆け出していく後ろ姿をそっと見届けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ