第18話 本命は香水
【帝都 アロマティーク・ニャルディア本社】
アロマティークの専務執行役であるレオナルドが、目を凝らしながらデータを見つめていた。
《ニャグネム・ピュアスキンオイル》
シェアはまだ小さく、取るに足らない。
たったの15%。
脅威にはならない――はずだった。
でも、不穏な傾向をグラフが示している。
「じわじわと伸びている……」
緩やかだけど確実に、しっかりと見て取れた。
おそらく特定の層で強く支持されている。
こだわり派。
香水好き。
しかも――。
「リピート率が高いな……」
目を凝らしてデータを見つめた。
ブルームのリピート率:40%
ピュアスキンのリピート率:85%
「これは厄介だな……」
レオナルドが眉をしかめて呟く。
この層はブルームでは取れない。
ブルームの訴求ポイントは「時短」、「簡単」。
ブルーム自体は大物インフルエンサーの力で認知度が上がっている。
でも、こだわり派はそれを求めていない。
彼らが求めているのは――“選べる自由”。
そして――“本物”。
「大物インフルエンサーに頼りすぎたか……」
レオナルドが唸るように吐き捨てた。
派手なキャンペーン。
大金を投じた宣伝。
それでシェアは取れた。
でも本当のファンはほとんど増えていなかった。
「どうする……?」
レオナルドが顎に手を当てながら考え込んだ。
「このまま放置すれば、じわじわと侵食される。
ブームが去ればシェアが落ちるかも知れない」
だけど打つ手が思いつかず、小さく舌打ちした。
「くそ……」
◇◇◇
【ミレイユの部屋】
ミレイユは窓の外を見ながら母の言葉を思い出す。
(完全勝利じゃない……
でも本当に必要な人が使ってくれてる)
「そうだ!」
ミレイユは唐突に叫んで、部屋で掃除をしていたメイドが一瞬驚くが、何事もなかったかのように、そのまま掃除を再開する。
(大事なのはシェアじゃない。
派手な数字じゃない。
必要としてくれる人に届けること。
その人たちに喜んでもらうこと。
そして――長く愛してもらうこと)
「それでいいんだ!」
再びメイドが驚く。
ミレイユは拳を握りしめた。
(確かにブルームには勝てていない。
大物インフルエンサーの力は絶大だった。
認知度も売上も圧倒的に向こうが上。
でも――。
私たちには確実なファンがいる。
本当に必要としてくれる人たちが!)
そして、母が言った“次の手がある”という言葉。
(何だろう……?)
窓の外の星々が瞬いている。
その先に帝都がある。
そして――何か新しい可能性がある。
(まだ戦いは続くんだ!
私たちは確実に前に進んでる。
母上を信じて絶対に諦めない)
心の中で誓った。
赤い空が少しずつ暗くなっていき、まもなく夜が来る。
でも、明日は――新しい朝は必ず来る。
(むうううう!頑張るぞ!!)
ミレイユは気合を入れて、踏ん張った姿勢のまま握った拳を頭上に突き上げた。
「ふんぬ!!」
メイドがそれを見ながら心配そうな顔をした。
そして――明日への準備を始めた。
◇◇◇
翌日。
執務室でミレイユは資料を整理していた。
市場データ。
ピュアスキンオイルの売上。
(ジワジワ伸びてる。順調……)
でも、完全勝利には程遠い。
ブルームの壁は厚い。
「ミレイユ」
唐突にヴァルの声がした。
顔を上げると――ヴァルがいつもより近くに立っていた。
「は、はい」
近くで目が合って少しドキッとした。
「最近、ゆっくり話す時間がなかったな」
「え?」
「海賊討伐、オイルの開発……ずっと忙しかったからね」
ヴァルがミレイユのすぐ隣に腰掛ける。
(近い!?)
いつもより少しだけ――近い。
「そうですね……ドタバタしてたと思います」
心臓が早鐘を打つ。
「だから、今日は――」
ヴァルが、ミレイユの手に手を重ねた。
(あぁ、温かい……)
「二人でゆっくり……」
その時――。
ピピピピピ!
通信端末が鳴った。
「……」
ヴァルが固まったのがわかる。
ミレイユが端末の画面を見ると――。
『母上』
「あ?!す、すみません!」
ミレイユは慌てて応答した。
おろおろしている母のホログラフが現れた。
「もしもし、母上?」
「あ、ミレイユ!」
いつも母の声。
「この伯爵家の邸宅は広すぎるわ」
「え?」
「迷子になったから迎えにきて」
「えー?もう!しっかりしてよ」
ミレイユは思わず声を上げた。
(今?!今ようやくヴァルとの距離が縮まりそうだったのに!
なんでよりによってこのタイミング!?)
心の中で叫んだ。
「そんな嫌がらないでよ」
母が軽く言った。
「完全勝利する方法を考えてきたんだから」
「え?」
ミレイユは目を丸くして驚いた。
「完全勝利できないんじゃないの?」
「できるわよ」
母が自信満々に言った。
「え、えぇ!?分かった!すぐ行く!」
ミレイユは急いで立ち上がった。
「ヴァル、ごめんなさい!
あとで必ず時間を作ります!」
「あ、ああ……」
ヴァルが呆然としている。
ミレイユは部屋を飛び出した。
残されたヴァル。
一人、執務室に。
「……」
しばらく固まっていた。
ゆっくりと窓の外を見た。
そして――彼が小さな声で呟いた。
「また、義母上に盗られた……」
深い、ため息をした後、さっきまでミレイユの手を握っていた手を見つめた。
「……仕方ない」
ヴァルは立ち上がった。
「大事な話なんだろう」
自分に言い聞かせる。
ヴァルの胸の奥に寂しさが残った。
◇◇◇
邸宅の廊下、母が困った顔で立っていた。
「母上!」
ミレイユは駆け寄った。
「あ、ミレイユ」
母が笑顔で手を振った。
「本当に迷子になったんですか?」
「うん、まあ……」
母が照れくさそうに笑った。
「それより話があるの」
母が周りを見渡した。
「ここじゃダメね。執務室に行きましょう」
「え、さっきまで執務室に居たんだけど」
「あら?ごめんね。早く間取り覚えなきゃね」
(迷わずきてくれてたら少しはヴァルとの時間が作れたのに。)
母は天才と天然が同居している。
策士なのにお茶目で少し抜けてる。
そんな矛盾だらけのところが、誰からも愛される理由だ。
数分後の執務室。
ヴァル、父、母、そしてミレイユ。
四人が揃う。
「さて」
母がホワイトボードに向かう。
「完全勝利できなかったんじゃないの?」
思わず前のめりにミレイユが問いかける。
「えぇ、オイルで完全勝利は難しいわね」
母が頷いた。
「どういう意味ですか?」
ヴァルが聞いた。
「ミレイユ」
母がミレイユを見た。
「あなたの原点、忘れたの?」
「原点……?」
「そう」
母が微笑んだ。
「香水でしょ?」
その一言が胸に刺さった。




