第17話 市場の現実
五日後。
ユッコに連絡すると、すぐに繋がった。
「ミレイユ!」
「ユッコ!母上が来てくれた!」
「知ってる!」
ユッコが笑いながら答えた。
「お母様から連絡があったの」
「そうなんだ?」
「新製品の話、聞いたわ」
ミレイユが送付した提案書をユッコが見せた。
「ニャグネム・ピュアスキンオイル」
「うん!」
「完璧な戦略ね!
この提案書もとてもいい出来!」
ユッコが目を輝かせた。
「ルミナス・キャトレールにすぐ提案するよ」
「ほんと?ありがとう!」
「それと、CGTにも話を通すわ」
「うん、お願い!」
「任せて!」
ユッコが力強く頷いた。
「絶対に成功させるから!」
「本当に頼りにしてる!」
ユッコは笑顔をみせて手を振りながら頷くと、そのまま通信が切れた。
◇◇◇
それから二週間後。
両社から、ほぼ同時に「前向きに検討する」との回答があった。
後は経営会での承認のみだが、間違いなく通るだろうから、その前に先行着手で準備に取り掛かってほしい。
――そんな内容だった。
「よし」
母が拍手した。
「これで、準備完了ね」
「はい!」
ミレイユも笑顔で頷いて返事した。
「あとは実行するだけ」
それに続くように、ヴァルが力強く付け加えた。
「ミャルシード・パームの採取は、すぐに始められる」
父が資料を整理しながら補足した。
「抽出設備も手配済みだ」
母が三人を見た。
「よし、じゃあ――みんな、頑張りましょう!」
「はい!」
四人で拳を合わせた。
温かい。
家族の絆。
そして――新しい戦いが始まる。
(ありがとう、母上)
心の中で呟いた。
(私――絶対に成功させるから!)
拳を握りしめた。
窓の外に輝く星々、その先の――帝都。
そして最大のライバル、アロマティーク・ニャルディアに想いを馳せる。
母が道を示してくれたから、もう怖くない。
家族が支えてくれている。
(今度こそ勝つ……負ける訳がない!)
心の中で誓った。
◇◇◇
さらに一週間後。
ミャルシード・パームの採取が、熱帯雨林のあちこちで始まった。
「すごい量だな」
ヴァルが報告書を見ている。
「ええ。大量に自生しているので、栽培コストがほとんどかかりません。
抽出設備も完成しました」
父が嬉しそうに応じた。
「順調ですね」
ミレイユも心から安堵した。
これらの事業は母の指揮下で、全てが効率的に進んでいる。
「レイシア、さすがだな」
父が感心した顔をした。
「あはは、私はヒントを言っただけよ」
母が照れくさそうに笑った。
執務室の窓から熱帯雨林が見える。
緑の樹海。
その中で、たくさんの人々が働き、ミャルシード・パームを採取している。
(みんな、私たちのために頑張ってくれてる)
胸が熱くなった。
抽出施設、新しく建設された工場。
これらは母が設計から関わった。
「じゃあ、初バッチいくわよ」
母が技術者に指示した。
「はい!」
機械が静かに動き始めた。
ミャルシード・パームの種子。
それがコンベアで運ばれる。
粉砕。
加熱。
抽出。
精製。
全部自動化されている。
見ているだけでわくわくしてしまう。
「すごい……」
ミレイユは見とれていた。
「効率的でしょ?」
「はい」
「でも品質は妥協しないわ」
母がモニターを確認した。
温度。
圧力。
純度。
全部完璧にコントロールされている。
「出来た……!」
技術者が小瓶を掲げた。
透明な液体、淡い金色で美しい。
《ニャグネム・ピュアスキンオイル》
「香りは?」
技術者が小瓶を開け、母が確認する。
ミレイユも鼻を近づけた。
「……」
無香。
完全に無香。
何の香りもしない。
「完璧ね」
母が満足そうに頷いた。
「肌に塗ってみて」
ミレイユは少量を手に取った。
肌に馴染ませる。
すっと浸透する。
ベタつかない。
すぐに乾く。
なのに内側だけしっとりしている気がした。
「これ……すごい」
「でしょ?」
母がニヤリと笑った。
「ミャルシード・パーム、優秀なのよ」
「はい……」
素直に感動した。
(これ、絶ぇっ対に売れる!)
◇◇◇
数日後。
通信会議の画面に、二つの顔が映っている。
一つは、ルミナス・キャトレールの担当者で、もう一つはCGTの担当者。
ユッコもそこにいる。
「それでは契約を」
母が資料を示した。
「ルミナス・キャトレール様は、一本一本ていねいに精製することで付加価値を付けて高級路線で」
「はい」
担当者が頷いた。
「帝都の百貨店、高級専門店で販売します」
「価格帯は?」
「一瓶、これくらいで」
画面に数字が映る。
高い――でも、高級品として想定内だ。
「了解しました」
「CGT様は平民路線で」
母がユッコを見た。
「はい!」
ユッコが元気よく答えた。
「スーパー、ドラッグストア、オンラインで販売します!」
「価格帯は?」
「一瓶、これくらい」
こちらは大量生産する過程で、少しだけ純度が落ちる。
でも、効能は十分。
その分だけ価格を抑えて、ルミナス・キャトレールの半額以下。
「これなら平民でも買えます」
ユッコが自信満々に言った。
「オッケー!」
母が応じて微笑んだ。
「では、電子署名を」
画面上で契約書が表示される。
三者が署名する。
正式な契約だ。
「よろしくお願いします」
全員で頭を下げ合った。
今後の計画や手続き、展望を打ち合わせたあと、通信が切れた。
「やったわね」
母がミレイユを見た。
「はい!」
ミレイユも笑顔で返した。
興奮がおさまらない。
(これで動き出す!)
◇◇◇
二週間後の初回出荷。
帝都へ商品が届いた。
ルミナス・キャトレールの高級店。
CGTのスーパーやドラッグストア。
両方に並んだ。
《ニャグネム・ピュアスキンオイル》
美しいパッケージ。
淡い金色のボトル。
シンプルだけど高級感がある。
ミレイユはSNSをチェックした。
反応が出始めている。
『ニャグネム・ピュアスキンオイル、買ってみた』
『無香だから、好きな香水が使える!』
『ミャルティカと併用してる』
『肌の調子、めっちゃ良い感じ』
そのほとんどが好意的な投稿だ。
確かに一定の効果はある。
無香で選択肢がある。
その魅力を理解してくれる人がいる。
胸の奥がじんわりあたたかくなる。
「良い反応ね」
母がミレイユの隣に来た。
「はい!」
でも――母の表情が少し複雑だった。
なにか未来を知っている人の顔。
「母上?」
「ミレイユ」
母がミレイユを優しい目で見た。
「覚悟はできてる?」
「覚悟……?」
「二ヶ月後のお楽しみっ!」
◇◇◇
二ヶ月後。
市場データが出て、ユッコが分析してくれた。
「ミレイユ、見て」
通信画面にグラフが映る。
《ニャグネム・ブルーム・オイル》
シェア:50%。
まだ、圧倒的なトップ。
《ニャグネム・ピュアスキンオイル》
シェア:15%。
じわじわ、伸びている。
でも――。
「ブルームには全然勝ててない……」
「うん」
ユッコが頷いた。
(15%……?)
思ったより低い。
いや、低すぎる。
ミレイユの中では、もう帝都中の女の子がピュアスキンを持っている予定だったのに。
「でもね、面白いデータがあるの」
画面が切り替わる。
市場のセグメント分析。
【こだわり派】
香水を3本以上持ってる
香りにこだわりがある
自分で選びたい
……こういう層には、ピュアスキンの支持率:70%。
【時短・簡単派】
香水は1本以下
こだわりは特にない
考えるのが面倒
……逆にこちらは、ブルーム支持率:80%。
「……!」
ミレイユは画面を見入るようにして驚いた。
「市場が分断されてる」
ユッコが説明した。
「こだわり派はピュアスキンを選ぶ」
「……」
「でも、時短派はブルームを選ぶ」
ユッコがデータを見せた。
ブルームのキャンペーン。
大物インフルエンサーたちが一斉に投稿している。
『考えるのって面倒くさくない?』
『忙しい貴女に美容と香りをセット』
『朝の準備が劇的に改善』
何百万人ものフォロワーに届いている。
「大金で雇われたインフルエンサーの効果……」
ミレイユは眉をしかめながら呟いた。
「うん」
ユッコが申し訳なさそうに言った。
「やっぱり大きいね」
画面に詳細データが映る。
ブルームの認知度:85%
ピュアスキンの認知度:30%
「認知度が全然違う……」
「そう」
ユッコがグラフを指差した。
「香りにこだわりの無い層には、選べる自由は訴求しない」
「……」
(確かに。
選択肢が多いことは、必ずしも良いことじゃない)
選ぶのが面倒な人もいる。
忙しい人。
こだわりがない人。
そういう人には――全部セットの方が、楽。
「それに――」
ユッコが続けた。
「大物インフルエンサーの影響力は、絶大」
データが示している。
有名インフルエンサー一人の投稿。
それだけで数万本が売れる。
「つまり……」
「うん」
ユッコが申し訳なさそうに言った。
「正直……完全勝利は難しい」
その言葉が胸に刺さった。
◇◇◇
執務室。
母に報告した。
「そう」
母がデータを見た。
表情は全く変わらない。
「想定の範囲内ね。むしろ、上出来なくらい」
「想定……?上出来?」
ミレイユは母のその余裕と楽観に驚いた。
「ええ」
母が微笑んで、その余裕の種明かしを行った。
「最初から、完全勝利は目指してないの」
「え?」
「ミレイユ――私たちが目指しているのは……。
市場の一部を確実に取る」
母が各データを指さしながら、落ち着いて説明した。
「こだわり派、香水好き」
「……」
「この層はロイヤリティが高い」
別のデータを見せた。
「一度ファンになったら、ずっと使ってくれる」
グラフが示している。
ミレイユのピュアスキンのリピート率:85%
ライバルのブルームのリピート率:40%
「……!」
「ブルームはブーム頼み」
母が分析した。
「大物インフルエンサーが推薦してるから売れてる」
「……」
「でも、ブームは永遠じゃない」
母が力強く言った。
「いつか飽きられる」
「飽きられる……?」
「そう」
母が頷いた。
「同じ香りを、ずっと使い続ける人は少ない」
データが映し出される。
平均使用継続期間:平均3ヶ月
「……!」
「アロマティークのブルームは3ヶ月後対策が必要なの」
一瞬だけ間を置いて焦らした。
「ブームが去れば、シェアが落ちる」
「そうか……」
「でも、私たちのピュアスキンは違う」
母がミレイユを見つめ、力強い口調で続けた。
「本当に必要な人が、使ってくれる」
「……」
「だからずっと安定する」
「安定……」
「そう」
母が頷いた。
「派手じゃないけど、確実」
「……」
「それに――」
母がそこでニヤリと笑った。
「こだわり派は、お金を使うのよ」
データが映し出される。
こだわり派の平均購買額:ブルーム派の3倍
「……!」
母が説明を続ける。
「人数は少なくても、売上は大きい。
しかも、長く使ってくれる」
「そうか……」
ミレイユは理解した。
シェアが全てじゃない。
大事なのは――。
本当に必要としてくれる人に、届けること。
「ありがとうございます、母上」
ミレイユは深々と頭を下げた。
「どういたしまして」
母が優しく微笑んだ。
「でも、ミレイユ」
「はい」
「まだ、終わりじゃないわよ」
母がニヤリと笑った。
「次の手があるから」
「次の手……?」
「ええ」
母が頷いた。
「でも、それはまた今度ね」




