第二話 トラウマ
本日より、第二話に入ります!
薺がやってきてからもうすぐひと月。変わったことは色々あった。まず、いつまでも好きなだけ寝ていたのが、8時にはけたたましいノック音で起こされる。
ドンドンドン!連打されるノック音は、けたたましく鳴る目覚まし時計以上だ。
「うるっさいな!起きるよ!」
「あ、よかったです。あと1分遅かったら引きずり起こそうかと。」
「怖いよ!」
ドアからひょっこり顔を出す少女はこてり、と首を傾げる。あどけなく見えるが、あれでアンドロイドだ。力では結良は敵わない。それは、この生活が始まってすぐに知った。
家具の移動を1人で軽々としたり、力の入れ方を誤ってコップを砕いたり…。そんな薺にベッドから引きずり起こされるなんて、恐怖でしかない。
「朝食、出来ていますよ。」
「今行くっつーの。」
「では、下でお待ちしています。」
ぺこり、とお辞儀をして部屋を出ていく薺は、相変わらず固い。言葉も固いし、表情も硬い。本人はそんなつもりはないだろうが、堅苦しくてしょうがない。
どうすれば、初めて名前を呼んだあの時の様に、笑ってくれるだろうか。
「感情を教えるったって、どうすればいいんだよ。」
感情なんて、言葉で説明できるものじゃない。たぶん、笑えって言えば、薺は笑う。無感情に、無感動に、顔だけを変化させる。そうじゃない。それでは意味がないんだ。
うーん、と頭を悩ませながら部屋を出て、リビングに入る。すでに、テーブルの上には結良の分の食事が用意されていた。けれど、もう一人分の用意がない。
「なあ、泉さんは?」
「泉様はもう仕事に行かれましたよ。」
「あれ?泉さんって今日仕事の日だっけ?」
「休みだったけど、呼び出されたと怒っていらっしゃいました。」
「まあ、あの人、あれでも主任だからなぁ。」
ぶつぶつ文句を言いながらいそいそと出勤していく泉の姿が容易に想像できて、結良は苦笑いを浮かべる。
母方の叔母にあたる泉は、30代半ばと若いが、かなり優秀な研究員だと母が自慢げに話していたのを覚えている。両親がいない今、かなり頼られる立場にいるのだろう。
「結良様の本日のご予定は?」
「予定なんて別にないけど…。父さんの部屋に籠って本読むくらいかな。」
「今さらですが、学校、という所には行かれないのですか?」
純粋な疑問だっただろう言葉に、結良はびくり、と肩を揺らし、箸を落としてしまった。
「あ、やべ…。」
床に転がってしまった箸を追いかけ、手を伸ばせば、別の手がそれを拾った。
いつの間に台所から移動してきたのか、薺がいつもの無表情で箸を人拭いしてから、差し出す。それを受け取り、食事を再開させようとして、視線が突き刺さるのを感じる。
「何だよ。」
「学校、行かれないのですか?」
感情はないが知識だけは豊富らしいこのアンドロイドは、自分の知識と違うことが起きると追及せずにはいられないらしい。
「高校は義務教育じゃないの。だから行かなくたっていいんだよ。」
「では、結良様は中卒なのですね。」
「その言い方胸に痛いな…。」
事実だけれど、言葉に出されるとなんか痛い。
「お、お前、中卒だからってバカにするなよ。」
「バカにしていません。ただ、学校に行っていないのなら働いているのでは?」
またぐさり、と胸に刺さる。気づかいというものが全くないので、直接胸を抉ってくる。
「結良様はニートですか?」
「ねえ、その質問攻めやめない?もう俺のライフやばいんだけど…。」
「どうしたんですか?」
本気で言っている。自分の言葉にへこんでいるとは微塵も思っていないのだろう。
「はいはい。俺は引きこもりで、ニートですよー。」
やけくそ気味に自分で言った言葉にさらにへこむ。言葉にするとなんて情けない。
「結良様は何かやりたいことがあるのでは?」
「……やりたいことがあったらニートしてねえよ。」
やりたいことがあったとしても、外には出たくないけど。心の中で呟きつつ、食事を再開する。とにかく早く食べて引きこもろう。
「でも、やりたいことがあるから本を読んでいるのでは?」
「暇だからだよ。」
「あんなに難解な本を?」
不思議。薺の瞳は純粋にそう言っていた。大きな黒い瞳を丸くして、結良をじっと見つめている。純真すぎるその瞳に、結良はふっ、と吐息をこぼして笑った。
「結良様?」
「確かに、暇つぶしで読むような本ではないかもな。でも、面白いよ。知らないことを知るのってさ。」
「面白い……。」
やっぱり薺は不思議そうに首を傾げた。知識は豊富だけど、感情の伴わない彼女には、面白い、という気持ちがわからないのだろう。もったいない、と思う。
「っていっても、薺に知らないことなんてあるのか?」
「どう、でしょう…。私は自分が何を知っていて、知らないのかがわかりませんから。」
「だよな~。」
そう言いつつ、ちらり、と窓の外に目を向ける。
本当はわかっている。薺が知らない事。彼女は家の外の事を知らない。知識はあっても、海の冷たさや、風の心地よさ、地面の暑さ…。そう言ったものを知らない。外には、知識だけではわからない沢山のものが溢れている。
外に連れ出せれば…。でもそれは、結良にはとても、とても困難なことだった。
朝食後、宣言通り父親の部屋に籠って、まだ手を付けていなかった本に没頭した。
この部屋にあるのは、科学者である両親が参考資料にと集めたものや彼らが書いたものが集められている。なので、普通なら理解できないような難解な本ばかりだ。それでも、幼いころからそれを読んできた結良にはそう難しいものでもなかった。知らないことは辞書で調べ、新たな知識にする。その作業すら楽しかった。
「結良様、昼食の準備が出来ましたよ。」
「お~…。ちょっと、待って。今キリが悪い。」
「そう言うと思ったので、おにぎりとスープにしました。」
ここに置いておきますね、という薺に本に視線と意識の大半を向けたまま返事をし、再び全意識を本に集中させる。
それからどれくらいの間、本に集中していたのだろう。ようやく一息ついて、意識が浮上すると、急速に空腹感を覚えた。そして視界に端におにぎりとスープが映る。
「なず……。」
名を呼ぼうとして、視線を彷徨わせた先で、言葉を止めた。午後の日差しの差し込む窓際で、薺はじっと何かを見つめていた。やがて結良の視線に気づいたらしく、窓の外からこちらに視線を向ける。
「キリ、よくなりましたか?」
「あ、うん。」
「長くなりそうだったので、ラップをしておきました。……スープ、温めなおしてきますね。」
結良の傍まで歩み寄り、腰を落として、スープカップを手に取ろうとした薺の手を結良が掴む。きょとん、とした瞳に間近で覗き込まれる。それにドキッとしつつ、尋ねた。
「何を熱心に見てたんだ?」
「ああ、海を…。」
「海?」
「太陽の光を受けてキラキラしていて…。こういうのを綺麗っていうんだろうな、と。」
掴まれた手はそのままに、首を捻って、薺の視線が再び、窓の向こうに向けられる。
もったいない事をした、と思った。「綺麗」と、自分が実感させてやりたかった。せめて、一緒にその瞬間を見たかった。
だからかもしれない。気が付けば、自分でも信じられないような事を言っていた。
「この町の海は、夕暮れ時が一番綺麗なんだ。」
「夕暮れ…。」
「行くぞ!」
「え?」
驚き声を上げる薺の声を無視して、その自分より一回り小さな手を握りしめ、結良は部屋を飛び出し、玄関まで行くと、久方ぶりに靴を履いた。薺にも適当に泉の靴を履かせ、2人一緒に家を出た。
傾きかけた太陽。夕暮れに変わるまで、もう少し。
「走るぞ、薺!」
君と一緒に、見たい景色があるから。




