第三話 さよなら彼女⑥
「結良様、お出かけしませんか?」
ある日の日中。ベッドに寝転がりながら本を読んでいる結良の下へ薺が尋ねてきた。珍しい申し出に、結良はきょとん、と瞳を瞬かせながら、本に向けていた視線を薺に向けた。
「どうしたの、突然。」
「風が気持ちいいので。」
「ああ…。」
夏の日差しが少しずつ弱まってきた今日この頃。時折、心地よい風も吹いていて、そんな日はエアコンよりも窓を開けた方が心地良い。今日はそんな日だった。
「時間が経ってんだって感じるね。」
「……。」
「薺?」
「そうですね。」
反応のない薺に声を掛ければ、彼女ははっとしたように返事をして、微笑んだ。いつもと同じ笑顔。でも、違和感を感じるのは気のせいだろうか。
「薺、何かあった?」
「いいえ。どうしてですか?」
「あ、いや…。特に理由はないんだけど…、なんか、元気がなさそうだったから。」
「……ねえ、結良様。」
「ん?」
呼びかける薺に首を傾げれば、彼女からはもう、笑顔が消えていた。真剣な表情で、何処か思いつめた様子で結良をじっと見つめている。
「薺?」
「もし、もしも…、私が壊れてしまったら、結良様は悲しんで下さいますか?」
「何、それ…。」
呆然と呟くような声が出た。だって、そんな事を聞かれるとは思わなかったから。頭が混乱する。焦りが胸に沸き上がり、気が付けば、ドアの前に立っている薺の両肩に手を置いていた。
「何処か悪いのか!?」
「い、いえ…。」
「薺!」
「……動きが、悪くなっているんです。」
問い詰めるように名を呼ぶ結良に、薺は観念したように言った。両手を持ち上げ、ゆっくりと握って、開いての動作を繰り返す。結良には変わらずに見えるが、薺には違和感があるのだろう。グッと眉根を寄せ、じっと自分の手を見つめている。
「それって、治るのか?」
「おそらくメンテナンス不良だと思うので、ご両親の研究室でいじれば大丈夫だと思います。」
心配そうに自分を見ている結良に、薺は安心させるように微笑んだ。その笑みに結良はほっとしたように、息を吐き、薺の肩から手を離し、その場に座り込んだ。
「結良様?」
「焦らせんなよ、マジで。」
「焦ったんですか?」
「焦るよ!薺がいなくなるなんて、絶対嫌だからな!」
見下ろして来る薺をキッと睨みあげれば、驚いたように、元々大きな瞳をさらにまん丸にしたかと思えば、やがて、眉尻を下げて笑った。
「薺?」
「主人にそう言って頂けるなんて、ロボットとして、光栄の極みですね。」
おどけたように言う薺の腕を掴んで、引き寄せた。普段はバカ力の薺だが、不意打ちには対応できなかったらしい。引かれるがままに傾いたからだが、ほとんど重みも感じさせないままに結良の腕の中に納まった。
「結良様?」
「薺をただのロボットなんて思ってない。俺がお前の主人になりたいわけじゃない。」
「でも、私の主人は結良様で、私はアンドロイドというロボットで…。」
「違うよ!薺は俺の、大事な人だよ!俺の特別だ!!」
薺の頬を包み込み、じっと瞳を見つめて告げる。ずっと自分の中に燻っていた想い。
家族との大切な思い出を取り戻してくれた。誰かと過ごすことの楽しさを思い出させてくれた。閉じこもろうとした自分に、厳しい言葉をかけながら、それでも寄り添ってくれた。大切な幼馴染との絆を取り戻すチャンスをくれた。
優しさをくれた。優しくしたい気持ちをくれた。笑いかけてくれた。支えてくれた。勇気をくれた。ずっと、傍にいてくれた。
「好きだよ、薺。」
大地や咲菜の気持ちがわかった気がする。誰のかの特別になりたいという気持ち。想いを伝えたくなる気持ち。感情が爆発するように、気づけば言葉にしていた。
「それは、どういう…。」
「大地が咲菜に、咲菜が俺に受けてくれてたのと同じ気持ち。」
「私は、人じゃなくて…。」
「そんなの関係ない。俺は、薺だから好きなんだ。」
「……それは、勘違いでは、ないですか?」
「え?」
薺の瞳がすっと冷えていくのが感じられた。いつもの彼女じゃない。
「薺?」
「たまたま、結良様の感情が大きく揺れ動くときに私が傍にいたから、勘違いしているのでは?支えることが出来たのなら光栄ですが、あくまで主人とそのロボットという間柄だからこその絶対的服従の結果でしかありません。」
機械的な言葉の羅列。こんなに冷え切った薺の声を結良は初めて聞いた。薺の頬に触れていた手が、彼女の手によって引きはがされる。
「あなたは人で、私はロボットです。交わることなど、あるはずがないのです。」
「……っ。」
何も言えなくて。冷え切った彼女の瞳をこれ以上見ていることが出来なくて、結良は握られた手を振り払い、部屋を飛び出した。
だから、知らない。部屋に取り残された薺が、泣き出しそうに顔を歪めていた事を。




