第三話 さよなら彼女⑤
「薺さん、ごちそうさまでした!」
「お粗末様です。」
元気な声と共に、洗い場に食器を運びに来てくれた大地に、薺はふふ、と笑みを零す。大地から食器を受け取り、それを流しに置いた。
あの後、何やら緊張しているらしい結良と共にはじめてのおつかいに向かった。対人関係の経験はまだ少ないが、普段からスーパーの安売りのチェックはしているし、いい食材の選び方はインプットされている為、買い物は問題なく遂行できた。おかげで結良と泉、大地、咲菜の分の食材を揃えることが出来た。
今日のメニューは野菜炒めと肉じゃが、ほうれん草のおひたしだ。大地は箸が進むと言って、ご飯を大盛三杯もおかわりしていた。
「薺さんの飯、本当上手いよな。いいなぁ、結良。毎日こんなん食えてさ。」
「頻繁に食いに来てるんだから別にいいじゃん。」
大地の後ろから同じように食器を運んできた結良がやっかみの視線を向けられ、煩わしそうに眉根を寄せた。気やすい2人のやり取りに薺はクスクスと、笑う。
「お2人はご兄弟みたいですね。」
「そこは俺が兄だな。」
「大地みたいな兄を持つと弟はしっかりするんだ。」
「おいこら、そりゃどういう意味だ。」
「そのまんまだ。」
「はいはい、洗い物の邪魔だからあっち行ってなさいね。」
結良の後ろからやってきた咲菜が彼の手から食器を取り上げる。
大地がやんちゃな兄で結良が少し気弱な弟なら、咲菜はしっかり者の姉、といったところだろう。なんて、3人のやりとりを見つめて思う。そこに加われない事が少し寂しい。
果たして、自分は結良にとって何になるのだろう。
薺にとって結良は自分が生まれるきっかけを作った生みの親のような存在だ。だから、目覚めた時から感情なんてわからなくても、最初から結良は特別だった。今は、もっと特別だ。でも、結良にとってはどうだろう…。
「薺さん?」
ぼんやり考え込んでいると、咲菜が不思議そうに顔を覗き込んできた。はっと我に返れば、洗い物が全く進んでいない。
「すみません、考え事をしていました。」
「ううん。それより、私こっち代わるから、薺さんは食器を拭いてください。」
咲菜の提案の理由がわからず、首を傾げる。言葉にせずとも言いたいことは伝わったらしく、咲菜が眉根を下げて笑う。
「だってずっと水洗いしてたら手が冷たくなるし、荒れてしまうもの。」
「大丈夫です。温度は感じませんし、皮膚は特殊なものを使っているので、荒れたり、濡れて劣化することもありません。咲菜様も結良様たちと一緒に休んでいてください。」
淡々とそう言えば、咲菜は少し悲し気に瞳を揺らした。何か自分の発言に問題があっただろうか、と水を止めて、薺は咲菜を見つめ返す。
「何でもない。じゃあ、私が食器を拭くね。」
手伝うことは決定事項であるらしい。断ってもきっと彼女は譲らないだろうと、ここ最近の彼女の様子から行動を予測し、お願いします、と頭を下げた。
役割分担が決まったところで、蛇口をひねり、再び水を出して洗い物を再開した。
「なんだか、結良のお家に集まってこうしてご飯が食べられるなんて夢みたい。」
ぽつり、と洗い終えた食器の水分を丁寧に拭き取りながら、咲菜がぽつり、と呟いた。
「咲菜様は、今も結良様が好きなのですか?」
「え!?……う、ん。そうだね、好き。……そんな事言える資格、ないんだけどね。」
眉尻を下げ、苦笑いを浮かべる咲菜に薺はなんと言葉をかければいいのかわからなかった。
各々に理由はあれど、彼女の想いが彼らの関係を歪めたきっかけではあるだろう。だから咲菜が、結良を想う資格がないと思い込むのも無理はない。
「想いを寄せるのは、自由です。」
薺の言葉に、咲菜は驚いたように瞳を見開き、やがて淡く微笑んだ。
「ありがとう。」
今はこんなことしか言えない。まだ、結良も大地も咲菜も、傷は癒えていない。昔と同じように過ごしているように見えて、まだお互いに傷つけないように探っている時がある。でも、傷はいつか癒えるものだ。傷痕は残っても、いつかきっと、その傷でさえ愛おしめる時がくる。その為の一歩を彼らは進めたのだから。
その輪の中に、自分は入ることはない。浮かんだ自分の思考に、ずくん、と胸が締め付けられるように痛んだ。
「薺さんが羨ましいな。その真っ直ぐさが、嘘のない言葉が、私たちや結良を救ってくれる。……羨ましい。」
結良に信頼されるあなたが羨ましいと、咲菜は感謝と羨望の入り交じった視線で薺を見る。
「私は、咲菜様が羨ましい。」
気づけば、そんな言葉を発していた。そんな風に言われるとは思わなかったのだろう。きょとん、と咲菜が瞳を瞬かせた。
「羨ましい?私が?」
不思議そうに首を傾げる咲菜に、何でもないです、と淡く微笑んだ。
言葉にして初めて気づく。自分が咲菜を羨んでいた事。彼女や大地の様に、結良の大事にするものの中に加わりたいと思っていた事。入っている彼らを羨んでいた事。そして……。
ギシリ。ふいに感じた違和感に、薺は一瞬、咲菜に気づかれない様に、本当に一瞬だけ、左腕の間接に視線を向けた。見た目にはなんの以上もない。素知らぬふりをして、再び洗い物を再開した。
咲菜や大地が羨ましい。結良に大事にされていて羨ましい。知らない過去を共にしていて羨ましい。……同じ時を刻めることが、羨ましい。




