【In Productive Mountain /後編】
聖都イグニア:イベント
9/24診断結果『【白兵戦】[辛勝]内部分裂、戦意高揚、裏切り者』
彼の隊は、イグニア・アグリア両軍が姿を見せる前から、傾斜のついた茂みの中でじっと息をひそめていた。
騎馬の足音は徐々に大きくなり、まず先に平地へ飛び出してきたのは、白鎧の一団だ。
「おや……」
端のひき攣れた口からは落胆とも感嘆ともつかない息が漏れた。紅玉の瞳が見据える先で、イグニア軍は特に乱れた様子もなく進軍を続けている。
「カスパル様。斥候より報告です。……予定していた内応は」
「うん、見ればわかるよ。陽動にすらならなかったみたいだね。まぁそのイグニアの上級騎士、話を聞いただけでも仕事できそうな感じじゃなかったし。仕方ないよねえ」
逆方向から味方の黒鎧も確認できた。白と黒は止まることなく接近し、衝突した。
「僕達の予定は変更なしだ。もともと本命は『こっち』なわけだしね」
アグリアの上級騎士、カスパル・グレッツナーは、飄々と言い放ってドラゴンの手綱を引いた。じっと伏せていた暁色のドラゴンが待っていましたとばかりに身を起こす。
カスパル自身もパートナーのヒューゲルも、平均的な規格より大きくたくましく、それ以上に、静かながら圧倒的な覇気を身にまとっている。その後ろに控える騎士達もまた、この作戦のため特に選ばれた精鋭だ。多少のことで慌てふためくような輩はここにはいない。
「さて、もうそろそろかな?」
「! カスパル様!」
不意に緊張の声が上がった。カスパルのかたわらの女騎士が空を示す。もう空中戦も始まっているというのに、1頭のドラゴンが戦線を離れて飛行している。
小ぶりな山脈ドラゴンだ。なぜか騎乗者はいないように見える。ただ、それは確実にこちらへ向かってきていた。
「落としますか」
「うーん。少しだけ様子を見てみようか」
下手に攻撃をかければこちらの存在に気づかれる。もっともすでにばれているとしたら即刻対処をする必要がある。その見極めのため、飛翔するドラゴンを目で追いかけた。
その時。
ビィィィィィィィィィィィィィッ
喧噪を裂いて笛の音が鳴り響いた。地上だ。しかもかなり近い。
カスパルは動いた。
「ヒューゲル」
「おう!」
立木を強引になぎ払い、ヒューゲルは音のした方へ突進する。
「そこか」
カスパルの合図で長い尾が弧を描いた。強力なひと振りに木立の外まではじき飛ばされた影が、地面にたたきつけられて転がった。
小柄な青年だった。革鎧のみの軽装だが、白い隊服はイグニアのもの。
敵だ。
「あのドラゴンの騎乗者かな? こんなところで何をしてたか知らないけど、運の悪い子だね」
ちらと空を見れば、例のドラゴンは異常に気づいたらしく、ひと声啼いて身をひるがえす。本隊に報せに行ったとすれば賢明だ。イグニアの青年はもう、うつ伏せに倒れたまま動かない。
「どのみち頃合いだ。出よう。あの白い横腹を食い破ってみせようじゃないか」
隊は茂みを出てざらりとした砂地の上に姿を見せた。イグニアにその存在を気取らせないよう、自軍の大半にさえ徹底して伏せていた隠し球だ。その数20騎、全員が地上戦に特化した火口ドラゴンに騎乗している。
「ああ君、それ、念のため片づけておいて」
その中でも年若い騎士に、カスパルはイグニアの青年を示した。「了解です!」と敬礼を返され、戦場に意識を戻す。
「じゃあ行こうか。前進――」
「ぐあぁッ!!」
鋭い悲鳴。カスパルは反射的にふり返った。
その目に映ったのは、首から血飛沫を上げドラゴンから落下する年少騎士の姿だった。
「……あれれ?」
入れ替わりに白い隊服がドラゴンの背に上る。彼は、ふと顔を上げた。
目が合った。右目は長く伸ばした前髪に隠れている。くすんだ緑色の左目だけが、こちらを見てわずかに細まった。
――笑った?
思わず眉をひそめた矢先、イグニアの青年は、通常護身用にすぎない短刀を大きく振り上げた。
* * *
部隊長らしき男と目が合ったが、かまわず上腕の長さのダガーを振り上げる。あまりいい得物でないのは仕方ない。ドラゴンの尾にはじかれたせいで槍は手から離れてしまった。
首のうしろから力を込めて突き立て、鱗の奥まで押し込んで強引に横に引き切った。大仰な悲鳴と共にぐらりと足下が傾く。不安定な足場を蹴って降りると、半ばまで切断されたドラゴンの首から赤色が飛散し、頬を汚した。
「……っはは……」
体の芯がじんと痺れた。エリアスは、恍惚と微笑した。
諸々がまったくの偶然だっただけに、今この瞬間はどこか高いところ、高い者へ感謝してもいいと思えた。あの時視界の隅でちらりと光が動いたこと。それが自然のものかと疑ったこと。ある程度距離を詰めて『それ』がアグリアの伏兵と確認できるまで、相手に悟られずにすんだこと。
結果、こうして単身で敵ドラゴンと向かい合っていること。なんという幸運だろう。
味方の援護が来るとしても、まだしばらくかかるはずだ。笛の合図でゲアマーテルが引き返すのが見えたから時間の問題ではあるだろうが――それまでの間なら。
「邪魔は入らない。好きにやれる……!」
肌を刺す殺気に思いきり横へ跳んだ。一瞬前まで足を置いていた場所に複数の槍が刺さる。遅い。その間に次の獲物を見定める。
地面を這うように駆けて灰色のドラゴンの側面に回った。強く踏み込んで急角度で進路を変え、脇に構えたダガーで突きかかる――
その刃が届く寸前、ぞくりと背筋が凍った。
反射的に身を沈めると、頭上を猛烈な勢いでウイングドスピアが通りすぎた。直撃はしなかったはずがひどい衝撃に頭を殴られ、たまらず地面を転がって距離をとる。
「『前進』。指揮は頼むよミーガン君。僕も後から行くけど……タイミングを逃しちゃったかもしれない。無理そうだったら早めに退却していいから」
苦く笑いながら槍を構える巨漢の、まったく笑っていない深紅の視線がエリアスを縫いつけた。
他のドラゴン達が戦塵に向かっていく。――獲物が逃げる。それを視界に収めていながら、動けない。下手に動けば即座に潰されそうな、そんな気配だった。
「ふうん。理性ふっ飛んでるかと思ったら意外とそうでもないのかな。だけど君、あんまりイグニア騎士っぽくないね。さっきドラゴンを殺した時だって欠片もためらわなかったしねえ」
ドラゴンを尊び、崇め、あるいは友として並び立つ。それはイグニアが、ドラゴンを道具として扱うアグリアと決して相容れない部分で、戦う理由そのものだ。
そんなイグニアにあって自分が異端であることなど、最初から知っている。知っているから、異端の部分を隠すことができる。
「……いけませんか」
「ん? いや別に。ところで、その徽章って中級騎士だよね。何か情報持ってたりするかな。さすがにないかな?」
彼の騎乗するドラゴンがぐっと脚に力を込めた。火口ドラゴンのようだが通常よりも体が大きい。5メートル近くありそうだ。
「まあいいや。1人くらいは手みやげに持って帰ろうか」
「……ボクも」
「うおっ!?」
ヒューゲルが声を上げてたたらを踏む。エリアスは強化した脚力で一気に至近距離へ飛び込んでいた。
「ほしい――そのドラゴンの心臓がほしい」
下から突き上げたダガーはしかし、胴の鱗を数枚剥がしたのみで、半ばから折れた。
「痛ってぇ!!」
「ヒューゲル!」
カスパルの声と合わせてヒューゲルが体をひねり、エリアスを踏みつぶそうと足を上げた。それをバックステップでかわしてから横へ体を倒す。先ほど殺したアグリア兵の体をまたぎながら剣を抜き取り、また駆ける。
「身体強化魔法か。そういえば最初のあれで骨の5、6本もイってないのはおかしいね」
「っくしょ、イキのいい野郎だな! 気に入ったぜ!」
「――連続攻撃」
ヒューゲルが大きく口を開けて威嚇し、尾をふるう。一撃がとてつもなく重いのは身をもって知っている。受けるという選択肢はない。小刻みに方向を変え、攻撃をかわしながらひた走る。できるだけ体の近く。隙を見ては細かく斬りつける。そのたびに鱗が飛んできらきらと舞った。
「くっそ、速ぇ」
「焦るな。強化魔法はいつまでも持続するものじゃない」
カスパルの声に「その通りだ」と淡く苦笑し、エリアスはダンッと地面を踏んだ。
もうそろそろ限界が近い。多少の賭けはやむを得ない。
「先に……騎手を」
跳躍。それまでの動きと違ったからか、ドラゴンが一瞬戸惑うようにした隙に、背に乗ることができた。その勢いのまま騎乗者に切っ先を。ふり向いた首筋に狙いを定めた。
――瞬間。
「か、はッ……!」
息が詰まった。
後ろ手に槍の石突きでのど元を突かれたのだと、理解した時には仰向けに組み敷かれていた。
「おいカスパル!?」
「問題ないよ」
なお上げかけた右腕を強く踏まれ、剣が手から落ちた。首をつかむごつごつとした大きな手に、じわじわ、力がこもってくる。
「捕まえた。……まあ残念ながら、こっちはそろそろ撤退のようだ。だからこのまま、一緒に行こうか」
大勢は決したらしい。イグニア軍の勝利。ただ、この状況では喜べない。
「は、な……せ……ッ」
「暴れても無駄だよ。苦しいだけだと思うよ?」
呼吸がままならず徐々に朦朧としてくる。
そんな中でふとあることに思い至り、戦慄した。
「うん。イグニア軍にここを気づかれる前にちゃんと撤収するから、安心してね」
見透かしたようにカスパルが言った。
読み違えた。エリアスはそもそも、当初の命令と大きくはずれた行動をとっていた。さらに自分でも想定しなかった状況から、この場所にいるのは完全なイレギュラーだ。いくらゲアマーテルが知っているとはいえ、まだ完全には終わっていない戦いのさなか、中級騎士一人に人数を裂いて助けをよこすなど――
「おっと」
かろうじて動く左手でカスパルの腕に爪を立てる。急に動いたせいだろう、頸部の圧迫がなお強まった。
「おとなしくしなさいって……加減間違って殺しちゃうよ」
「……が……しだ」
捕まるのはいやだ。自由がきかなくなるのはいやだ。
もしそうなるくらいなら。
「死んだ方が、ましだ……!!」
――――ドンッ
突然、平衡感覚が狂った。
気づくと宙に投げ出されていて、すぐに地面と激突した。強化魔法は切れていたため全身に激痛が走った。
「竜弩!?」
「……空からだ。やられたね」
激しく咳き込みながらなんとか目を上げる。ヒューゲルのすぐ近く、地面に突き刺さっている大振りの矢。その特殊な矢羽根に見覚えがあった。
「ヴェルナー……さん……?」
「行くぞヒューゲル」
ドラゴンが身をひるがえし、その上からカスパルが一瞥を投げていった。
エリアスはごろりと仰向けになった。どうやら助かったらしい。
果たして幸運だったのか――不運だったのか。
「……あははははは」
意味もなく乾いた笑いが漏れた。その耳に小型ドラゴンの羽音が聞こえたのは、それからすぐのことだった。
END
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