第6話:(前編)壊れた馬車と、注がれる羨望の視線
王都を出て数時間。僕――アルトを乗せた豪華馬車は、もはや「豪華」という言葉が虚しく響くほどの無惨な姿で街道を爆走していた。
原因は、空から降ってきた二体目の美少女モンスター……もとい、亜神であるケット・シーのフェリスだ。彼女が空間を強引にこじ開けて着弾した衝撃で、馬車の屋根は見る影もなく吹き飛んでいる。
オープンカーと言えば聞こえはいいが、実際は吹き曝しの車内で、三人の美女(?)に囲まれて座るという公開処刑の場だった。
「……ふ。アルト、あったかい。……ここ、最高」
膝の上では、フェリスが当たり前のように丸まって喉を鳴らしている。
柔らかい猫耳が僕の顎に触れ、しなやかな尻尾が僕の腕に巻き付く。その感触は驚くほど心地よく、僕は恐怖の合間に「あ、これちょっと癒やされるかも……」という、禁断の思考が芽生え始めている自分に気づき、慌てて首を振った。
いけない。相手は神殿の屋根さえ容易く粉砕する亜神だ。いつ僕をマタタビの代わりにかじり出すか分かったもんじゃない。
「……ちょっと、フェリス。いつまでそこに居座るつもりよ。ダーリンの膝は世界で最も神聖な場所なんだから、いい加減にどきなさい」
左隣から、リリスの鋭い声が飛ぶ。彼女はフェリスの尻尾を引っ張ろうと手を伸ばすが、フェリスは目も開けずに「……シャー」と短く威嚇するだけで、僕の服をぎゅっと握りしめて離さない。
「なっ……!? この猫、私に牙を剥いたわね!?」
そして右隣では、聖女クラリス様が限界を突破した表情でプルプルと震えていた。
屋根がなくなったことで、彼女の放つ魔法的な衝撃波――いわゆる『爆音の内心』は、遮るものなく青空へと吸い込まれていく。
((((((私がアルトの膝の上に乗るはずだったのにいいい! あの猫、あとで聖水で百回くらい洗ってやるううう!! アルト様の膝! 私の、私の聖域があああああ!!))))))
ドォォォォン!! という音圧が馬車を揺らす。
相変わらずの絶叫。けれど、その震える指先が僕の袖を恐る恐る掴んでいるのを見て、僕はふと思った。
(……あれ? もしかしてクラリス様、怒ってるんじゃなくて……ただ、すごく悔しがってるだけなのかな?)
これまで「死の宣告」にしか聞こえなかった彼女の言葉。けれど、今隣で発せられた「……殺す。……沈める。……聖域の肥やしにして、二度と浮かばせない……」という低く冷徹な呟きも、どこか子供の拗ねた声のように聞こえなくもない。
いや、やっぱり怖いんだけど。でも、刺されるよりは、睨まれているだけの方がまだマシかもしれない。
「……あ、あの、クラリス様。フェリスちゃん、重くないので大丈夫ですよ?」
「……ッ! 甘やかしてはなりません! そのような……不浄な……愛玩動物は……(※実際は:あぁぁぁ! 優しい! 優しいアルト様最高! 結婚してえええ!!)」
爆音。馬車の後方を飛んでいた小鳥たちが、その音圧に驚いて墜落していく。
御者の聖騎士さんは、もはや前だけを見つめて「私は何も聞いていない、私は機械だ……」とブツブツ呟きながら馬を走らせていた。
◇
夕暮れ時。屋根のないボロボロの馬車が、最初の宿場町へと滑り込んだ。
王都からそう遠くないこの町は、巡礼者や商人で賑わっていたが、僕たちが広場に入った瞬間、すべての喧騒が止まった。
白銀の甲冑を纏った絶世の聖女。
妖艶な紫の魔力を漂わせる美女。
そして、その膝の上で丸まったままの猫耳少女。
そんな規格外の三人に囲まれた、疲れ果てた少年――僕。
僕から漏れ出す「十年の熟成を経た魅力」が、遮蔽物のない馬車から町中に霧散していく。
「……え」
「……あの子、なに……? 神様?」
通りかかる人々が、手に持っていた荷物を落とし、一斉にフリーズした。
ある者は跪き、ある者は頬を赤らめて天を仰ぐ。
町中の視線が、熱病のように僕へと集まってくる。
「……ひっ。やっぱり、みんな僕の処刑を見届けに来たんだ……!」
少しだけ和らいでいた僕の心臓が、再び激しく鼓動を打つ。
町の人たちのうっとりとした、どこか狂信的なまでの羨望の視線。それが僕には、「逃がさないぞ」という無言の圧力にしか感じられなかった。
「アルト様、安心してください。……誰も、一歩も近づけさせませんから」
クラリス様が剣の柄に手をかけ、氷のような冷徹な視線で群衆を射抜く。
リリスもまた、不敵な笑みを浮かべて僕の腰を引き寄せた。
「そうね。ダーリンの顔を見ていいのは、選ばれた者だけよ。……さあ、さっさと宿に入りましょうか」
こうして、屋根のない馬車での地獄の行軍は終わり、舞台はさらに密閉された空間――宿の一室へと移ることになった。
そこでは、馬車の中よりもさらに過酷な「場所取り」の戦争が待っているとも知らずに、僕はただ、ふかふかの布団で一人で眠れることだけを願っていた。




