第10話:(後編)三歩下がって、影(足跡)を愛でる。
ガタゴトと、応急修理された馬車が街道を軋ませて走り出す。
側面を板張りにして補強し、屋根を布で覆っただけの無骨な姿となった馬車は、もはや貴族の乗り物というよりは、猛獣を運ぶための檻のようだった。そしてその檻の中には、実際にこの世界の理を覆すほどの『猛獣』たちが四人も詰め込まれている。
「……あ。あの、テオさん? 本当に、そこに座るの……?」
僕は、自分の足元を恐る恐る見下ろした。
豪華な革張りの座席。右にクラリス様、左にリリス。胸元にはフェリス。そんな「死の包囲網」の真ん中で、僕の足元の『床板』には、一人の和装美少女が音もなく正座していた。
「はい。アルト様。……恐れながら、私は影。……主様の歩まれる軌跡を見守るのが、私の定め、そして……至上の喜びにございます」
獄炎を司る始祖の獅子、テオ。
彼女は三つ指をついて、深く頭を下げたまま動かない。だが、その位置は僕の足首からわずか数センチ。僕が少しでも足を動かせば、彼女の整った鼻先に触れてしまうほどの至近距離だった。
「……あぁ。アルト様の御足が、こんなに近くに……。……残り香が、魂を焼くようでございます……」
テオが、うっとりと僕の影に頬を寄せた。
その瞬間、彼女の瞳のハイライトが、カチカチと音を立てるように激しく回転し始めた。真っ赤に燃えるような瞳の中に浮かぶのは、ドロドロとした狂愛を象徴する**「ハートマーク」**だ。
じわじわと、僕の足元から熱気が立ち上る。
彼女が秘めた『獄炎』の霊力が、漏れ出す情熱に当てられて、木製の床板を静かに焦がし始めていた。
「ひ、ひぃっ! あ、足元から煙が出てる!? これ、直火焼きの準備!? 僕、下からじっくり炙られるの!?」
「滅相もございません。……ただ、私の愛が、少々溢れてしまっただけにございます。……あぁ、アルト様。……そのまま、私を影として踏みつけて歩んでくださいませ……」
丁寧な言葉遣い。慎ましやかな所作。
けれど、その言っている内容は、これまでの誰よりも異常で、重かった。
「((((((なあああああああああああああああああにあの献身! 床に正座!? 上目遣いでアルト様の足元を独占!? 計算高すぎるわよおおお!! 私だって、私だってアルト様の靴を磨いて、その影を毎日掃除して差し上げたいわよおおお!!))))))
ドォォォォォン!!
右隣から、クラリス様の爆音内心が炸裂した。
狭い車内では、その衝撃波は逃げ場を失い、僕の鼓膜を直接揺らす。
彼女は顔を真っ赤にしてガタガタと震え、手にした聖典をギリギリと鳴らしていた。
「不潔です! 不浄です! その……アルト様の足元に跪くなんて、卑怯千万です! ……離れなさい、この、和装ライ……じゃなかった、獅子女!」
「あらあら、聖女様。随分とお熱いわね」
左隣では、リリスが不敵な笑みを浮かべて、僕の腕にさらに深く絡みついてきた。
「新参者のテオさん、随分と謙虚な場所がお似合いね。……でも、ダーリンの『中身』まで味わうのは、私たちの方が先よ? 影だけ舐めて満足していなさいな」
「……魔族様。お言葉ですが、影を知らぬ者に、光を語る資格はございません。……私は三歩下がるからこそ、あの方の全てを、その背中の震えまで独占できるのです」
テオは微笑みを絶やさない。だが、彼女が座る床板は、もはや真っ黒に炭化し始めていた。
聖女の爆音。魔族の誘惑。そして床下からの殺人的な熱。
その三重の攻防に、僕の胸元で寝ていたフェリスが、鬱陶しそうに尻尾をパタパタと振った。
「……うるさい。……定員オーバー。……みんな、外に捨てる……」
「「「なんですって(ですって)!?」」」
火花が散る。物理的に馬車がミシミシと軋み、御者の聖騎士さんが「助けてくれ、誰か助けてくれ……」と泣きながら馬を急がせているのが聞こえた。
◇
数時間後。
阿鼻叫喚の車内に、僕はついに一切の思考を放棄するに至った。
右を見れば、嫉妬で結界を漏らしかけている聖女。
左を見れば、僕を捕食することしか考えていない死神。
胸には、僕をクッション扱いする神様。
足元には、僕の影を愛でる大和撫子なライオン。
(……あ、そうか。もう、何をしても無駄なんだ)
僕が怯えても、喜んでも、謝っても、彼女たちの『愛(殺意)』は加速するだけだ。
十年間、誰からも魔力を認められず、孤独に耐えてきた僕が、今、これほどの怪物たちに奪い合われている。
この状況はもはや、僕の小さな頭で処理できる範疇を、とうの昔に超えていた。
僕は、すぅ……と静かに息を吐き、虚空を見つめた。
一切の抵抗をやめ、全ての運命を神に(神は目の前にいるけど)委ねることにしたのだ。
悟りを開いた仏のような、清らかで透明な表情。
(僕は肉だ。ただの、最高級の肉なんだ。……いつ、誰に、どう調理されてもいい。……もう、どうにでもして……)
その瞬間、僕から漏れ出していた【十年の熟成を経た魅力】が、僕の「悟り」と共鳴し、かつてないほど清浄で、神々しい輝きを放ち始めた。
「「「「…………っ!?!?!?!?」」」」
車内の空気が、一瞬で凍りついた。
四人が同時に息を呑み、僕の顔を凝視する。
((((((神々しいいいい! アルト様が光り輝いているわあああ! 聖人!? 天使!? もう今すぐこの場でひれ伏して一生の忠誠を誓いながら抱きつきたいんだけどおおおお!!))))))
ドゴォォォォォォン!!
宿場町一つを吹き飛ばしかねないほどの爆音。
だが、今の僕にはそれさえも、遠くの波の音のように心地よく聞こえた。
「……あ。……見て。……町、見えた」
フェリスの声に、僕はゆっくりと視線を前方へ向けた。
街道の先に、巨大な石壁に囲まれた商都が見えてくる。そこは、辺境への旅における最後の大きな補給拠点。
悟りの境地に達した僕。
そして、その僕を見て、さらに独占欲を臨界点まで高めた四人の美女。
「……アルト様。……次の町でも、私はあなたを、離しません(※訳:私がずっと守ります!)」
「((((((今夜こそ! 今夜こそ個室で二人きりよおおおお!!))))))
馬車は、もはや崩壊寸前の音を立てながら、次なるカオスの舞台へと突っ込んでいく。
「……あはは。……天国が見える気がする……」
僕は微笑んだ。
四重の包囲網。逃げ場のない狂愛の馬車旅は、僕の精神を「解脱」という名の彼岸へと押し流しながら、さらなる絶望の深淵へと続いていくのだった。




