第11話:活気の商都と、意図せぬ「聖臨」
地獄の夜を越え、屋根も床もボロボロになった「元」豪華馬車は、ついに辺境最大の商都『グランバザール』の巨大な城門をくぐり抜けた。
門兵たちは、現れた馬車のあまりに無惨な姿に一瞬槍を構えたが、その中から降りてきた僕の姿を見た瞬間、まるで雷に打たれたように硬直した。
無理もない。昨夜の四重包囲による精神的拷問の末、僕はついに「解脱」という名の彼岸へ辿り着いていたのだ。
(あぁ……空が青い。風が心地よい。……いつ食べられても、いつミンチにされてもいい。僕はただの肉なのだから……)
一切の邪念を捨て、全ての運命を受け入れた僕の表情は、自分でも気づかないうちに、後光すら差しそうなほど清らかで、慈愛に満ちた「聖者の微笑み」へと昇華されていた。
十年間、孤独の中で熟成され続けた僕の【魅力】が、その悟りと共鳴し、目に見えない神々しい波動となって商都の広場へと広がっていく。
「……っ!? な、なんだ、この清らかな気配は……」
「見てろ、あのお方の顔を。……なんて尊いんだ。まるで神話の聖者が現世に降臨されたみたいだぞ……!」
広場にいた商人や買い物客たちが、一人、また一人と足を止め、吸い寄せられるように僕の元へ集まってくる。
ざわめきは瞬く間に伝播し、気づけば数百人の群衆が、僕の行く手に跪き、祈りを捧げ始めていた。
「救世主様だ! 救世主様が、この欲深い商都に光を届けに来てくださったんだ!」
「あぁ、あのお方の微笑みを見ただけで、去年の大赤字がどうでもよくなってきた……。命、捧げちゃおうかな……」
熱狂。まさに、意図せぬ「聖人パレード」の始まりだった。
僕は花の絨毯を敷き詰めようとする市民たちを見て、ぼんやりと空を仰いだ。
(……あはは。みんな、僕を天国へ送るための葬列の準備かな。ありがたいなぁ。……でも、そんなに派手に見送らなくてもいいのに……)
悟りすぎた僕の思考は、もはや現実を正しく認識することを放棄していた。
だが、僕の周囲を固める「四人の守護者」たちは、この状況を断じて許してはいなかった。
「ちょっと! どきなさいよ有象無象ども! アルト様の御姿をそんな汚い眼差しで拝むなんて、万死に値するわよ!」
右隣で、クラリス様が顔を真っ赤にして叫んだ。彼女の周囲だけ、嫉妬の魔力で気温が急上昇し、陽炎が立っている。
((((((勝手に拝むなあ! 拝んでいいのは私だけなのよおおお!! 私だけのアルト様を見せ物にするなあ! 全員結界に閉じ込めて、一生光を遮断してやろうかあああ!!))))))
ドォォォォン!!
爆音。商都の広場に並ぶ露店の商品が、その音圧でガタガタと崩れ落ちる。
けれど、僕の耳には「……消えろ。……寄るな。……お前たちの魂ごと、聖なる炎で焼き尽くしてやる……」という、相変わらずの「お掃除宣告」にしか聞こえない。
「リリス。……掃除、手伝う。……こいつら、邪魔」
左隣では、フェリスが僕の腕にしがみついたまま、ジト目で周囲を威嚇していた。彼女の放つ「亜神の威圧」に当てられた野良犬たちが、悲鳴を上げて逃げ出していく。
「そうね、フェリスちゃん。ダーリンは『鑑賞用』じゃないのよ。……さあ、道を開けなさい。塵になりたい奴から前に出るといいわ」
リリスが妖艶な、けれど絶対的な捕食者の笑みを浮かべ、指先からどす黒い魔力を放つ。
そして、僕の背後。
カチ、カチ……。
喧騒の中でもはっきりと聞こえる、下駄の音。
テオは言葉を発しない。ただ、僕の後ろから正確に「三歩下がった位置」を死守し、静かに付き従っている。
だが、彼女が通った後の地面――市民たちが敷き詰めた色鮮やかな花の絨毯は、彼女が踏みしめるたびに、音もなく「青い炎」に包まれ、一瞬で真っ白な灰へと変わっていた。
「……あ。……花、燃えてる。……綺麗だなぁ……」
僕は、足元で音もなく広がる青い火線を見つめて、うっとりと呟いた。
テオは三歩後ろで、僕の影を愛おしそうに見つめながら、その瞳の中の**ハートマーク**をカチカチと高速回転させている。彼女にとって、僕以外の人間は、踏み潰すべき灰でしかないのだ。
「聖人様! どうか我が商会に祝福を!」
「私を弟子にしてください!」
群衆はさらに膨れ上がり、ついには商都の衛兵たちが駆け出す事態にまで発展した。
僕は悟りを開いたまま、熱狂する群衆の中をゆっくりと進む。
右には「独占」のために町を壊しかねない聖女。
左には「排除」のために爪を研ぐ魔族。
胸元には「拒絶」を撒き散らす神様。
そして背後には、無言で僕の「軌跡」を焼き払うストーカー獅子。
「……あはは。……賑やかなお葬式だなぁ。……これなら、寂しくないや……」
商都『グランバザール』。
富と欲望が渦巻くこの町に、一人の「無自覚な災厄(聖人)」が降り立ったことで、平和だった商都の秩序は、今まさに音を立てて崩壊しようとしていた。
僕は花の香りと、青い炎の熱気に包まれながら、さらなる混沌の渦中へと足を踏み入れていくのだった。
花の絨毯を踏みしめ、熱狂する群衆の中を進む僕の前に、突如として鉄の壁が立ちはだかった。
それは、銀色に輝く重装備の鎧を纏った、三十人近い私兵の集団だった。彼らは手にした槍で強引に民衆を掻き分け、僕たちの行く手を遮るように陣取った。
「道を開けろ! これより、我が主君……この商都の支配者、ガルドス会頭がお通りになる!」
傲慢な声が響き、群衆の波が左右に割れる。
現れたのは、金糸の刺繍をふんだんに施した豪華な法衣に身を包み、宝石を散りばめた杖を持った、恰幅のいい中年男性だった。彼は僕の姿を見た瞬間、脂ぎった顔を卑卑しく歪め、値踏みするように目を細めた。
「ほほう、これが噂の『歩く聖者』か。……なるほど、その顔、その魔力。これはいい『商品』になりそうだ」
商品。
その言葉が、僕の耳に届いた。
悟りを開き、すべてを諦めていたはずの僕の心に、冷たい風が吹き抜ける。
(あぁ、やっぱりそうだ。僕は人間じゃないんだ。聖女様には『肉』として扱われ、この人には『商品』として扱われる。……僕は、ただの物なんだ……)
悲しみすら感じないほど深く、僕の絶望は純化されていった。
ガルドスと名乗った商人は、僕の返事も待たずに、汚れた手袋をはめた手で僕の顎を掬い上げようとした。
「おい、小僧。我が商会に入れ。お前のその面を拝ませるだけで、金貨の山が築ける。……横にいる女たちも、なかなかの掘り出し物だ。まとめて『競り』にかけてやろう」
その瞬間、世界から音が消えた。
いや、音が消えたのではない。周囲の温度が、一気に「絶対零度」と「数千度」の二つに引き裂かれたのだ。
「……今、この方を、なんと呼びましたか?」
クラリス様の声が、極限まで圧縮された氷のように響いた。
彼女の周囲だけ、地面に霜が降り、空気が白く凍りつく。だが、彼女の内心は、真夏の太陽さえも一瞬で蒸発させるほどの狂熱を帯びていた。
((((((商品!? 私のアルト様を商品と呼んだわねえええ!! 値段がつけられるわけないでしょ! 全宇宙の財宝を積み上げても、あの方の睫毛一本にすら届かないわよおおお!! 万死! 万死! 今すぐその指を切り落として、聖域の肥やしにしてやろうかあああ!!))))))
ドォォォォォォン!!
爆音。商都の石畳が、その音圧に耐えきれずピシピシと音を立てて割れ始める。
けれど、僕の耳に届く彼女の言葉は、慈悲なき「在庫処分」の宣告だった。
「……汚らわしい。……消えろ。……その汚い手を、これ以上近づけるなら……塵すら残さず、消滅させてやる……!」
「ひ、ひぃっ……! あ、あはは……。ごめんなさい、僕のせいで、聖女様を怒らせちゃった……」
僕は震える膝を抱え、その場に跪いた。
だが、怒りに震えているのは聖女様だけではなかった。
「……あら。私の旦那様を値踏みするなんて、随分と度胸があるじゃない?」
リリスが、どす黒い魔力を全身から立ち昇らせ、ガルドスの目の前に立った。
彼女の背後には、魔界の深淵を思わせる巨大な影がうごめいている。
「私のエサを勝手に商品登録しないでくれる? ……ねぇ、死ぬ前に、どれだけ自分が愚かだったか教えてあげるわ。……じっくりと、千年くらいかけてね」
さらに、僕の胸元に潜り込んでいたフェリスが、鬱陶しそうに顔を出した。
彼女の瞳には、亜神としての冷徹な拒絶が宿っている。
「……アルト、私の。……邪魔。……消す」
三人のヒロインが放つ、破壊的なまでのプレッシャー。
そして、最後の一人が動いた。
カチ、カチ……。
テオが、僕の三歩後ろから、静かに一歩を踏み出した。
彼女は一言も発しない。ただ、三つ指をつくような丁寧な仕草で、地面に手を触れた。
その瞬間、彼女が触れた場所から、音もなく『青い炎』が噴き出した。
それは爆発ではなかった。
ただ、彼女の怒りに触れた全ての物質が、その「熱量」に耐えきれず、一瞬で原子レベルで灰へと変わったのだ。
「な、なんだ!? 火事だ! ひっ、聖女! 魔族! 何なんだお前たちはぁぁ!」
ガルドスが腰を抜かし、私兵たちが武器を投げ捨てて逃げ出そうとする。
だが、逃げ場などなかった。
クラリス様の爆音、リリスの魔圧、そしてテオの獄炎。
三つの「愛という名の災厄」が同時に炸裂し、ガルドス会頭が誇っていた豪奢な商館の門は、一瞬で更地へと変わった。
「……ぁぁ。……また、壊れた」
僕は、灰が舞い落ちる商都の空を見上げた。
ガルドスや私兵たちは、もはや影も形もない――いや、真っ黒に焦げて転がっていた。
周囲の民衆は、さっきまでの熱狂を忘れ、恐怖でガタガタと震えながら僕たちを見つめている。
(……そうだ。僕は、平和な町を壊す死神なんだ。聖人なんて嘘だ。僕がいるだけで、人が死に、建物が壊れる……)
僕は、悟りという名の「絶望」をさらに深めた。
僕が生きているだけで、彼女たちは世界を焼き尽くそうとする。
「アルト様。……安心してください。……不浄なものは、すべて私が……払い(消し)ましたから……」
「((((((アルト様ああああ! 怖かったわよね! 今すぐこの私が、折れるほど抱きしめて温めてあげたいのにいいいい!!))))))
クラリス様が真っ赤な顔で僕を抱き寄せようとするが、その腕は僕にとって、逃げ場のない「絞首台」のようにしか見えなかった。
「……あはは。……どこまで行っても、僕は……呪われてるんだ……」
僕は一切の抵抗をやめ、彼女たちの腕の中で、静かに目を閉じた。
商都『グランバザール』に、救いなどなかった。
ただ、一人の無自覚な災厄と、彼を愛でる四人の怪物が、廃墟となった広場に立ち尽くしているだけだった。
こうして、商都での「パレード」は惨劇へと変わり、一行はさらなる辺境へ――あるいは、世界の終焉へと向かって、再び歩き出すことになるのだった。




