第10話:(前編)大和撫子な「爆弾」と、女狐の正体
夜が、明けた。
街道を昼間のように照らし出していたクラリス様の巨大な神聖結界が、朝日とともにゆっくりと霧散していく。
壊れた馬車の残骸の横で、僕は人生で最も「心休まらない」一夜を過ごし、這いずるようにして毛布から這い出した。
(……生きてる。僕、まだ五体満足で生きてる……!)
自分の手足を確かめ、安堵の吐息を漏らしたその瞬間だった。
目の前の地面に、音もなく「影」が落ちた。
「……おはようございます、我が主様。昨夜はよくお休みになられましたでしょうか?」
透き通るような、けれど脳の芯まで熱で溶かすような、鈴の鳴るような声。
僕が顔を上げると、そこには昨夜、結界の外の闇で僕を見つめていた「あの少女」がいた。
燃えるような鮮やかな赤髪を後ろで一つに結び、凛とした美貌に、古風な和装。彼女は僕の数歩手前で、流れるような所作で地面に膝をつき、両手を揃えて三つ指をついた。
「……恐れながら、一言。申し上げたく存じます。……不束者ではございますが、今日より影として、アルト様にお仕えさせていただきます。……何卒、末永く、影を舐めるように可愛がっていただければ幸いです」
「ひ、ひぎぃぃっ……!? か、影を舐める……!?」
三つ指をついてうつむく彼女の仕草は、どこからどう見ても慎ましやかな「大和撫子」そのものだ。
けれど、口から出ている言葉が、控えめに言って「狂気」の沙汰だった。
影を舐める? 影を可愛がる?
(……やっぱり。一味違う食べられ方(呪い)をされるんだ……。昨夜、闇の中からハート型の目で僕を見ていたのは、幻覚じゃなかったんだ……!)
恐怖で腰を抜かす僕の横から、凄まじい「熱」が割り込んできた。
「ちょっと貴女! 誰がアルト様の『影』になるって言ったのよ! そんな化けて出るような真似して……この、和装女狐があああ!!」
クラリス様が顔を真っ赤にして叫び、聖剣の鞘をバチンと鳴らす。
彼女の内心は、もはや朝の爽やかな空気を一瞬で焼き尽くさんばかりの音圧だった。
((((((なああああああああああああああああああああああああにあの和装雌狐えええええええええええ!! 三つ指!? 謙虚なフリして一番エロいわよおおお!! 影を舐める!? 私だって、私だってアルト様の影を掃除して差し上げたいわよおおお!! 万死! 爆発しろおおお!!))))))
ドォォォォォン!!
朝一番の爆音。宿場町まで届きそうな音圧に、まだ眠っていたフェリスが「……にゃ。……うるさい」と僕の胸元で身を捩る。
左隣では、リリスが不敵な、けれど瞳に冷たい光を宿して鼻で笑った。
「あら、クラリス様。狐さんには狐さんなりの礼儀があるんじゃない? ……でも、ダーリンの隣に座るのは、百年早いわよ。……ねぇ、女狐さん?」
リリスの挑発を受け、三つ指をついていた少女が、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、周囲の温度が物理的に数度上がった。陽炎が立ち、彼女の周囲の草木が、微かな熱にあてられたように萎れていく。
「……聖女様、魔族様。恐れながら、一言訂正をさせていただきます」
彼女は、乱れた一筋の髪を耳にかけ、穏やかに微笑んだ。
だが、その瞳のハイライトは、ドロドロとした狂愛を象徴するように、真っ赤な**「ハートマーク」**に染まっている。
「……それに私は、狐ではございません。……獄炎を司る始祖の獅子、テオと申します。……狐ごときと一緒にされるのは、些か心外にございます」
「獅子って言った!? ……ひ、ひぃぃ! 狐よりずっと強そうなんだけどぉぉ!」
僕は絶叫した。
大和撫子の格好をした獅子が、僕の影を舐めようとしているのだ。これはもう、生存確率はゼロに近いのではないだろうか。
「(((((( 強いじゃない! あの猫だけでも面倒なのに、今度は獅子女!? 負けないわ! アルト様とのハネムーンは、私が守り抜くんだからあああ!!))))))
クラリス様の爆音は止まらない。
そんな中、御者の聖騎士さんが、予備の車輪を持って宿場から戻ってきた。
「お、お待ちかねです、皆様! 馬車の応急修理が完了しました! ……って、え、なんで美少女が増えてるんですか!?」
腰を抜かす聖騎士さんを無視して、一行は出発の準備を始めた。
側面を板張りにし、屋根を布で覆っただけの「走る粗大ゴミ」と化した馬車が、再び街道に据えられる。
「……テオ、さんも。……その。……よかったら、乗って、いいよ(震え声)」
僕は、彼女に襲われるのを少しでも遅らせるために、精一杯の「おもてなし」――もとい、命乞いとしての提案をした。
「……恐れ入ります。アルト様のお情け、痛み入ります」
テオは再び三つ指をつき、深く頭を下げた。
「……ですが、私は『影』。……主様と同じ座席に座るなど、滅相もございません。……三歩下がって、お仕えさせていただきます」
「え、三歩下がるって……。馬車の後ろを、歩いて付いてくるの……?」
王都から離れるほど、僕の周りの人たちの「常識」が壊れていく。
だが、テオは微笑んだまま、馬車に乗り込んだ。
そして、彼女は座席に座るのではなく――僕が座る位置から正確に「三歩下がった」場所。
すなわち、馬車の床板の上に、音もなく正座して控えたのだ。
「……ここが、私の指定席にございます。……あぁ、アルト様の御足が、こんなに近くに……」
彼女の瞳のハートマークが、カチカチと音を立てるように激しく回転し始めた。
彼女が座った場所の床板が、漏れ出す熱(愛)によって、静かに青い炎を上げ始めている。
「((((((なあああああああああにあの献身! 私だって、私だってアルト様の影を掃除して差し上げたいわよおおお!! 足元!? 足元って! 最高のご褒美じゃないのよおおお!!))))))
出発前から、馬車の中は臨界点突破の熱気に包まれた。
左には誘惑の死神(魔族)、右には爆音の処刑人(聖女)、胸元には居座る爆弾(亜神)、そして足元には、僕の影を狙う丁寧なストーカー(神獅子)。
(……神様。僕、いつの間にか、地獄の特等席に招待されてたみたいです……)
僕はボロボロの馬車の隅で、膝を抱えて小さく丸まった。
僕を巡る四重の包囲網。
逃げ場のない狂気の行軍が、今、再び幕を開けるのだった。
■新キャラクター:テオの正体について
彼女の真の姿は、古の時代より伝承に刻まれる【獄炎を司る始祖の獅子】です。
本作における「獅子」とは、いわゆる野生動物としてのライオンの王者たる風格を持ちつつ、神仏の守護を担う「狛犬」のような神聖さと、全てを灰にする霊力を兼ね備えた最高位の神獣を指します。
■「和装」と「獄炎」のギャップについて
テオが和装を纏い、三歩下がって歩く「大和撫子」のような振る舞いを見せるのは、彼女なりの『王』に対する絶対的な忠誠心と、古風な礼節の表れです。
しかし、その控えめな外見とは裏腹に、内面には「触れるもの全てを焼き尽くす獄炎(狂愛)」を秘めています。彼女が歩いた跡に青い炎が揺らめくのは、抑えきれない情熱が漏れ出している証拠です。
■アルトの視点での脅威
アルトは彼女を「しとやかな和風美女」だと思って油断しかけましたが、その正体が「百獣の王の始祖」であると知り、「逃げ場のない物理的強者」に見初められた絶望を深めています。狐のように化かしてくるのではなく、「三歩下がって確実に仕留めに来る肉食獣」としてのプレッシャーが、四重包囲の新たな恐怖となっています。




