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駅のホームで着物の女が踊っている。風に舞う花を表しているようで、いかにも気品にあふれている。ただし、手には扇子ではなく、金色の銃を持っている。
まだ、あの水銀のような液体に蝕まれる感覚が、体のいたるところに残っている。ボックス席で、一応靴も靴下も脱ぎ、足の裏を調べてみた。
傷跡は特に見あたらない。
「我々は遅延しても」車掌だろうか。男の声で車内アナウンスが響いた。「謝りません。あなた方が大事な会議に遅れるとしても、決して謝りません。殴りたければ、ご自由になさってください。それが起きた途端、我々は『殴られた側』として、あなた方を『殴った側』とみなします」
西松の声ではない。奴と比べるとだいぶ低く、長く続いた仕事にうんざりしている印象を受ける。
前方で、ごんっ、と音がし、私は何事か見えるよう、とっさに首を伸ばした。
ロングシートのさらに向こうであり、よく見えなかったが、着物の女が窓に頭を打ちつけているのがわかった。
頭をこすりつけている?
私は立ち上がり、相手に認識されない距離を保ちつつ、限界まで近づいてみた。
女は足元に置いたバケツに頭を突っ込んでから、髪を振り乱して、何度も窓に頭をぶつけている。
バケツに入っているのは、墨汁だろうか。女が頭を持ち上げるたび、髪から黒い液がぼたぼたと垂れ落ちる。しかし、化粧のせいか顔面で黒液は弾かれ、白く塗られた無表情の顔ははっきりと見てとれた。
「謝りません」車内アナウンスがまだ鳴っている。
ホームを見ると、女が持っていた銃がゴミ箱近くに放り出されていて、再び拾われる気配はない。
また女は、ごんっ、と窓に頭を押しつけ、そこから髪で拭くようにして首と体を動かした。
何かを書いているのか。
端から見ると、窓に電光表示で「いってらっ」と、いびつな文字が浮き上がっていた。女はなおも、筆の頭をガラスに押し当てている。次は「し」。
そうか。納得などしないが、ある点では納得した。女が頭でなぞった跡が、窓に光って映るのである。
次は小さい「や」。女はほとんど正面まで来てしまったが、私はそこにとどまり、踊り子(?)の動きを見届けた。
「あなた方が会議に遅れても」と、疲れた車掌の声。
最後の文字は、もちろん「い」。
「いってらっしゃい」と、ここで女の文字は完成した。
「墨汁の意味ないだろ」私は思わず一人でつぶやいた。それから、私の声に重なって「謝りません」と車掌のアナウンス。
間もなく電車が揺れ、ゆっくりと動き出した。女は文字を書き終えたホーム上で、何にも焦点を当てず、ずっと同じ姿勢で立っている。
遠ざかる女の姿を眺めていると、ふいに用事を思い出し、ポケットからスマートフォンを取り出した。
俺にはすることがある。時刻は15:11。完全に遅刻が決まった。
頭を抱えたくなったが、そのうち時刻表示は逆行し、14:59まで戻った。そこからさらに、「13:パンダ」となり、ついに「螟蛾斐♀縺縺?」と文字化けし、判読できなくなった。




