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1-5

「スープを運ぶときは、いまだに困るんです」西松があるところで立ち止まり、振り返った。

 通路の入り口から見た「ゆがみ」の前で、私は立ちすくんだ。


 こんなことが、一体何が。

 「ゆがみ」を境にして、通路の上下がひっくり返っている。つまり、床が天井、天井が床に切り変わっている。


「ここから重力が反転します。通るときコツがいるので、注意してください」

 西松は言うと、いかにも慣れた身のこなしで、まず上体を「ゆがみ」に差し入れた。そして、こちら側の床を蹴り、側宙(そくちゅう)のようにして器用に向こうの床へと着地した。


 あまりにも奇妙な状態ができあがった。

 こちらからすると、西松は天井に足をつけ、(さか)さまでいながら私の目を見ている。そのくせ、ソバージュヘアは(こちらから見て)下向きに垂れず、あくまでそれまでの形を保持している。しかも、目の前の境界は波打つ水面のようで、逆向きの西松の像はいつまでも揺らぎ、安定しない。


「今私がしたようにして、こちらに来てみてください」

 西松は(天井から)ぶら下がりながら、目で「さあ、怖がらずに」とも訴えている。


 相手の思惑による力と、引き返したい衝動がぶつかり合い、当然ながら私はためらった。しかし、体裁(ていさい)もあり、未知の領域への恐怖が残りながらも、進む以外の選択肢はないと感じた。

 西松と同じようにして、前のめりで「ゆがみ」に突っ込み、そこから半回転する。ところが、そんな動作の練習などしたことがなく、体が半分以上向こうへ移ったところで、主に頭部が「下向き」に引っ張られた。


「頭から落ちる」と思った瞬間、西松にうまく抱えられ、さらに、胸と脚に加えてもらった回転により、なんとか両手をつきながら「降り立つ」ことができた。


 私は体勢を整えながら、通路の先と元来た方を交互に眺めた。そうせざるを得なかった。「ゆがみ」のフィルターを通して、今度はそれまでいた店の上下逆になった様子を見て取れる。ぐらぐらする三半規管をなだめつつ、床に落ちてこないテーブルや椅子にしばらく目を据えた。


「真っすぐな棒の中心を」突如、そう言ってきた西松に視線をうつす。「この境目においたとしましょう。どうなるか想像できますか」


 まだふらつく頭をどうにかしようとする間に、店長みずから答えた。「そのとき、棒はその場でぐるぐる回り出します。ただ回転するのではなく、加速しながら回転を続けます。これは一種の永久機関であり、エネルギーを無限に取り出せることを意味します。つまり、私が何を言いたいかというと」

 西松は(きびす)を返した。「この状況は自然には存在しない、そこに作為(さくい)的な何かがある、ということです。それでは、先へ行きましょう」


 私の返答は待たれなかった。底気味悪い店長の確信を持った足取りについてゆくしかなかった。


 反転した通路の片側にはガラスが(しつら)えられていて、そこから十分なあかりが取り込まれている。窓の外は、植物が生い茂るに任せてある庭で、どちらかというとのどかな印象を与えた。しかし、その境界もまた定かでなく、通行人の姿を確認しようとしても無駄であった。

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