3-4
「家に、帰りたくない」
少年は片手をおろし、半分だが、ようやく目をぬぐうのをやめた。赤く充血した子供の瞳は、出たばかりの涙で潤っていて、その若さを存分に際立たせていた。
「お父さんが怖いの?」
コータローの問いに、再び少年は素早く頭を振って否定した。
「お父さんは、怖くない」
それから、元々話好きな面もあるとみえ、「お母さんはあんまり帰ってこないけど、優しい」と、よくわからないことまで口にした。
迷子でもなく、両親との問題でもない。じゃあ、兄弟姉妹、祖父母、あるいは親戚との関係か、と考えたとき、少年は何か気づいたように足元の枯れ枝を一本拾い上げた。その枝は我々が囲む小さな空間の隅で、軽く浮いたり落ちたりを繰り返していて、ずいぶん手に取りやすそうだった。
子供は、ええと、とか、うんしょ、とか、その場の音声を切らさず、すでに心得ているらしい図柄を地面に描き始めた。少年が口走る場つなぎ言葉は外国人におかしく聞こえるだろうか、と、私はトゥクトゥクの男を横目で見てみた。すると、男は我々と全く同じ格好でしゃがみ、出来つつある少年の絵をまじまじとのぞき込んでいて、こちらが少し笑いそうになった。
完成した少年の絵は、次のようなものだった【図1】。
Ⅼ字型に丸くカーブしたパイプらしきものの先に、家が取り付けられている。最初、当然家が地面に接していて、太いパイプが煙突の役割をしつつ、なぜか横に伸びている、のだと思った。だが、そうではなく、パイプの長い方の辺が地面に垂直なのだという。
少年の説明によると、「家についてるパイプが回るから、遠心力で家の『床』に立っていられるんだ」
小さい彼は言いながら、枝を宙でくるくる回し、家の回転方向をおおまかに示した。
「え、どうやって中に入るの?」コータローが当然浮かぶ疑問を口にする。それに対し少年が、やや口をとがらせながら、「パイプの下に入り口がある」と答えた。
つまり、こういうことだろうか。回転するⅬ字パイプの先に家がついていて、そのつけ根部分に入り口があり、住人はタイミングを見計らってその内部に入る。きっとパイプの内側に梯子か何かがついているはずである【図2】。
コータローが「それは住みづらいね」と言うと、少年は「住みづらくはない」と答えたので、二人(あるいは三人)とも、言うべき言葉を失ってしまった。
「遠心力は慣れれば平気なんだけど、」
私はそこまで聞いて、宇宙飛行士か、と言いかけたが、少年の言葉を途切れさせないため、黙っていた。
「家は金具でパイプにくっついていて」
「うん、金具でついてるだろうね」コータローが相槌を打つ。
そう。この構造の場合、家は金具か何らかの部品により、パイプに固定されているのだろう【図2】。
「その金具がたまに外れて、家が吹っ飛ぶんだ」
少年の告白が一瞬、時を止め、その後コータローが「そりゃ、帰りたくないわな」と一言つぶやいた。
彼が泣いていた原因はこれでわかったのだが、金具を修理してもらう、もしくは、普通の家を建ててもらう、どちらが正しい提案なのか、私にはわからなかった。




