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2-3

 電車の速度が落ちたとき、ドア上部の電光案内に何事かが表示された。しかし、これも「蠑セ蜃コ繧繝ウ」と何がいいたいのか、人間にはわからない。そして、このときに限ってアナウンスはなされず、行き先を告げる意思を全く感じさせなかった。


 私は、降りる、そのまま乗る、これら二つを数秒で天秤(てんびん)にかけた。それから、ボックス席の鞄を取ったあと、開いたドアをくぐることにした。自らの脚で動いた方が、まだ元の世界に戻れるチャンスは増えるように思えた。


 凹凸(おうとつ)の目立つホームのアスファルトは、精気の枯れた秘境駅のそれを思い起こさせる。()びに侵された駅名標にも「蠑セ蜃コ繧繝ウ」と記されていて、この看板を作った人はどんな思いだったのか、としばらく慄然(りつぜん)として眺めた。


 電車はとっくに行ってしまい、左右に目を向けても、後続が来る気配はない。

 何両編成だっただろうか、そもそもここに地名はあるのか、と徒労にもかかわらず考えを巡らせた。そのうち、十歩ほど離れたところに備え付けられた古階段から、ごつごつと音が響いてきた。


 足音ではない。どうやら、何か重いものが転がり落ちてくる、らしい。

 事態を見定めるため(そんなことができるとは思えなかったが)、視線は動かさず、その場に立ったままでいた。


 横倒しでホームに転がってきたものをじっと拝むことで、ようやくその輪郭をとらえることができた。


 銅像だ。誰の?


 台座に半身像が据えられた、よく見かける銅像であり、他に危険がないか注意を払いつつ、足を踏み出した。

 健康そうに膨らんだ胸板が背広の上からもはっきりとわかる。短髪の若い男で、その表情は凛々(りり)しく、ファイナンシャル何とかいう、よくわからない名刺を出してきそうではある。


 像はちょうど横を向いていて、今のところ目前以外に脅威はないと判断した私は、かがんでそれを詳しく検分してみた。

 見覚えがある、と思った瞬間、像の顔と先ほどのレストランでの記憶が重なった。


 「ミス日本」を口説いていた、あの男だ。


 正確には、「コンビニ店員をミス日本だと思って口説いていた」男である。

 頭が少しホームからはみ出ていて、電車とぶつかったらまずい、と手を伸ばそうとしたが、すぐに引っ込めた。これも近寄るにつれて気づいていたのだが、像の表面がぬらぬらした粘液にまみれていて、さらに全体に赤い点が無数に付着しているのである。それらはビー玉よりも二回りほど小さく、少なくとも玩具でないことだけはわかった。


 台座の金のプレートには「賞味期限切れのイクラを使用しています」とある。この場合の「使用」とは何か、と哲学的な疑問が浮かんだが、もちろん答えは出そうになかった。


 それでも、像を内側にどかさなければ、と我慢して両手でつかみ、体重を後ろにかけて引っ張ってみた。ぬめりで手は滑りかけたが、指先に力を込めて、何とか電車と接触しない位置までずらすことはできた。


 手を洗いたい。

 鞄を拾い、トイレを探そうと、像が落ちてきた階段を上がった。何かが再び転がってくる心配はなさそうだった。しかし、像に付いていたのと同じだろうか、階段にももれなく粘液が塗られていて、何度も転びそうになった。


 手すりにつかまり、どうにか登りきると、そこは行き止まりだった。改札へと続く跨線橋(こせんきょう)もなければ、像を落とした人物の姿(あるいは仕掛け)もない。がらんどうで途方に暮れても(らち)が明かず、依然足を滑らすリスクは残っていて、あきらめて引き返すしかなかった。

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