第6話 少年少女の意地
高坂は、水の上に立っていた。水への適性があるのはもちろんだが、その力故にウンディーネに愛されているのも彼の自由さを後押ししていた。その証拠に、雨雲が出来ては消えを繰り返していた。
「で、お前はどういう原理で水に浮いてるんだ?凍結か?それとも────」
「結界だ。血濡れた足で海を汚すわけにはいかないんでな」
惜しげも無く、湊は答えた。
「へぇ。神様って言うのはそんなにも人間の真似事が好きなのか?」
「俺は、素晴らしい事は生い立ち関係なく取り入れるのが良いと思っている」
湊は舌戦でも心がぶれることはなかった。ここで、高坂は動いた。
「人の二番煎じ野郎であるお前が、人を超えられる訳ねぇだろ!!!」
距離を詰めてきた高坂と共に、水の弾丸が湊を襲う。弾丸は普通の雨とは違い、重力による影響は少ないためスピードが段違いだ。湊は落ち着いた様子で足下の結界の範囲を引き延ばした。
「地は、此方も作りだせる」
逆境であればあるほど湊は強い。結界によって、弾丸は急速に勢いを失った。だが、まだ次の手が残されているはずだ。そう湊には思えて仕方がなかった。だからこそ、ここでコイツを使う。
「断」
湊は神凪を用いた袈裟切りで応戦した。突然の刀に高坂は面食らった。
「はぁ~っ。またそれかよ。いちいちうざってえなぁっ!!!」
まるで演舞のように、斬撃による雨を繰り出してきた。これでは、否が応でも意識を分散せざるを得ない。結界の範囲を広げるスピードと、雨が結界を浸食するスピードでは後者の方が圧倒的に有利であった。
「次だ」
口数は減らさずに、湊も刀で応戦する。何分経っただろうか。斬撃の雨が止んだ一瞬、高坂は大技に打って出た。
「見せてやるよ。流麗の雨」
炎のような猛々しさを纏いつつも、その動きは美しい。重力を無視した雨の杭は、仇なす者へむけて容赦ない連撃を浴びせていく。自分の位置を限定さえしてしまえば、対処は容易であった。湊はそれを神凪によって冷静に全弾叩き落とした。
「マジかよ」
ブラフ程度に考えていた先程の弾丸や雨とは違う、正真正銘の範囲攻撃。海という圧倒的有利な場所でこうもやられるとは。
「傷つくぜ…。これは」
「せっかくなら、海水と塩を分離でもして、塩の柱でも作った方がまだ良かったんじゃ無いのか?」
高坂は、かつて所属していた教会が祭っている神への信仰心は薄い。ただ尊敬する人が神父であり、睦の父であっただけだ。
ただ、その人が大切にしようとしている物ならば、高坂も大切にしたいと思った。
「俺を舐めているのか?」
「本気で来いよ。人間の底力はそんなもんじゃ無いだろう?」
「良いぜ、やってやるよ!!!お前には天罰が似合うモンなあ?なあ、湊ぉぉぉぉっっっ!!!」
高坂は海面に接着した足から、もの凄いスピードで水を吸収していった。湊の目には彼の身体内部が映し出されていた。魔力で作った淡水と吸い込んだ海水を体内で混ぜあわせ、浸透圧を用いて電離する。莫大なエネルギーが彼の中心部分に集約されつつあった。
これは、塩分濃度を利用した浸透圧発電…!!!いや、だとしたら塩の結晶化はどうやって…。その疑問に答えるかのように、高坂の周りを水が覆い、急速に回転し始めた。まるで台風の目の様にそれは空気を引き寄せていった。水に潜んでいたウンディーネはそんな高坂を慈愛に満ちた目でただ見つめて居るだけであった。
これだけの作業を一工程に纏めるとは。正直に言えば、彼が羨ましかった。与えられた物では無く、己自身が切り開いた力。それであそこまでの領域に辿り着いているのだ。人であった頃の自分では到底追いつけない程の領域。だが、今は違う。誰にでも勝てる力を秘めているからこそ、負けるわけには行かない。
エネルギーが魔力へと変換されていく。水に内包された全てが彼の思い通りであった。
湊は結界を最低限の範囲に絞り、今一度刀の切っ先を高坂へと向けた。
「うおおおおおおおっっっ!!!!!!!!!!!」
魔力がこもった塩の柱が放たれる。だが、代行者の意地は、無慈悲にも砕かれた。
「どう…して…?俺の、最大の…技を、こんなにも…」
ここまでとは思っていなかったという驚きと術による疲労で、高坂は意識を保つのが厳しくなってきていた。
「言っただろ。海を傷つける訳にはいかない、と」
刀を向けた湊が何をするのか。杖は、酷く喚いていた。
「この一撃で終わりにしよう、高坂。忘却の刹那」
世界が停止した────。
ひどく優しい声がした。一歩を踏みしめる度に、結界が高坂の元へと伸びてゆく。やがて、彼の前に人造神が到達した。刀身に神力が込められ、振るわれる。防御不可、必殺の一閃。止まった時の中では、固体も液体も意味をなさなかった。刃が高坂の首に到達し、死という事象がこの世界に記録される。
「結人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!」
動き出した時間の中で少女の声が少年の脳内に響き渡る。その声は、躊躇いを誘発させるには遅すぎた。
「結人、結人っ!!ねぇ、返事してよ」
生首だけとなり、ピクリともしない結人の元へ睦が現れた。
「あなたは…」
「白々しい演技は辞めろ。呪いを通じて俺のすることを知っているんだろう?」
「でも…」
睦には迷いがあった。
「憎しみを引き受けるのは俺だけで良い」
淡々とした言い方であった。
「待って!!私、罠とかじゃ無くて湊君の事を本当にあ────」
彼女の言葉を聞き終える前に湊は忘却の刹那を発動し、彼女の意識はそこで事切れる事となった。
「さようなら」
死が二人を別つ事は無かった。むしろ、その絆を強固にしてしまった。置いて行かれたのは、湊の方だった。
あっけない最後であった。相手がいくら特別であろうとも、負けることは絶対に許されない。存在価値は否定させない。それが、俺が生きている理由だ。
「これで良かったんだ。これで良いんだよ!!!」杖に向かって必死に湊は喚いた。
「どうせ感情を消したって、目の前の出来事から逃げているだけだ。自分の感情に嘘をつくのは駄目だ。それでは、死んでいるのと同じじゃ無いか!!!」
二人の死骸が海に浮いている。これで、二人は僕のものだ。俺の物じゃない。大切な物は僕が持って行く。だから、俺は戦えよ。バラバラになった自分に責められる。俺は、僕じゃ無い。僕は僕をもう、愛せない。
杖は杖らしくそう言った。それに湊はこう返す。
「大切な者は居ない方が良い。邪魔になるから。代わりに、俺がとびっきりの天国に送ってやるよ」
少年の涙は水に流されていた。
東京にある退魔師教会日本支部では、職員達が固唾を飲んで戦いの行方を見守っていた。祈る物、泣いている物、呆然とする物。建物中が阿鼻叫喚の渦に巻き込まれていた。
そんな中、退魔師協会の上層部達は部下に中継とは別の使い魔を放たせ、その様子を伺っていた。
「あ、あの野郎首を刎ねやがった!!!」
「忌々しいガキ共ではあったが、あの力は目を見張るものがあった。それがこうもあっさりと…」
「だが、これで我々の邪魔者はいなくなった。これでより退魔師としての繋がりは強固なものとなり────」
「おい」
蹴破られたドアと共に、魔女の格好をした女のどす黒い怒りが上層部の面々の背筋を撫でた。
「おお、環奈殿。これはどのような要件で?」
黒く大きな顎髭を蓄えた男が嫌みったらしく受け答えた。
「どうもこうもあるか!!あなたたちが結人君と睦を冷遇していたのは知って居る。そこまでして、アイツらが邪魔だったというの!!!」
彼女も上層部の偏向ぶりは知って居たが、まさかここまで腐っているとは考えもしなかった。
「ああ、邪魔ですね。我々は、神のご意志によって存在する身です。精霊や、悪魔と言った存在は邪魔なのですよ。あんなの退魔師の風上にも置けぬ」
「我々は志さえ同じであれば、力の源はどうでも良かったのでは無かったのか?先代もそうおっしゃっていた!!!それをこんな…」
「あの老いぼれに何が出来た?そんな事を言うから、我らが神のご威光がますます衰えていくと言うのだ。あの神父が蒔いた種が広がるのは嫌なのでね」
退魔師は一神教のグループが上位を担っていた。その中でも、派閥争いに勝利した物が上層部にいるのだ。ここまでこじらせておいて八百万の神々やギリシャ神話、陰陽系統とは折り合いが悪いのは当然であった。それでも、先代退魔局長はそうした醜い争いの中で生まれたとは思えないほど至極まっとうな人であった。彼は魔を打つという志によって我らを一つに導き、それ故に退魔師教会はここまで秩序を保っていたというのに…。
「世界最高の魔術師というあなたも、神の力から離れられない。あの二人だけが特別だ。だからこそ、殺す必要があった。そして、それは我々の目論見どおり彼がやってくれた」
「…」
「人であるから死ねる。それはなんて素晴らしいことなのでしょうなぁ」
悪びれもせずに彼らは言う。
「貴様らぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
こんなのが、こんなヤツらがどうして上に居るのだ。私もコイツらを殺して、二人と同じ場所を目指すとしよう。どうか待っていてくれ。
彼女が彼らを手にかけようとした時、湊が窓を壊して現れた。
「その必要は無い」
「なっ、お前は!!!」
高度な結界など怒りに燃えた彼の前では無意味に等しかった。
「まずはその汚い口を閉じろ。話はそれからだ」
言う前から、彼らは湊の持つ神力に圧倒されていた。
「まさか、我々に偶像崇拝でもさせる気か?」
突然の来訪者に驚き、動く気力が無くなってしまった環奈が冗談交じりに答えた。
「どうだか?俺はコイツらがどうなろうと関係ない。この組織が、正しく人を導く存在になっていればそれで良い」
湊は環奈が涙をこぼした所を見た。首が六個、宙に舞った。
ろくでなし共を切り終わると、湊は素早く刀の血をハンカチで拭った。そのまま何も言わずに鍵のような物を環奈に渡して湊は何処かへと消えていった。ここが六階だというのは問題では無かった。何にも出来なかった。ただ、それはもうどうでも良い。ただ、振り出しに戻っただけなのだから。
結局、俺は人を殺した。忘却の刹那で二人が生きている状態を保管したのは良いが、それは所詮幻想だ。俺はしっかりと二人がいない世界を歩んでいる。
「俺がアイツらに顔を合わせることは無い。あっちに行くのは、俺がけじめを付けてからだ」
自分の大切な人達の為だけに、人を生き返らせるようなことはしたくなかった。俺の周りだけ救われて、全部は救えなかったなんて御免だ。神ならば、全てを救えよ。俺にはその義務がある。
少年は二人であり、一人になった。




