第3話 水
「湊君っ!!!」
睦の叫ぶ声が聞こえてきた。アイツがそんな声を上げるのは久しぶりだ。
水は湊を貫きつつ、その視線はすでに睦の方へと向かっていた。
「事の顛末を知って居るはずのオマエが、なぜ心を揺らがせちまったんだ?」
「こ、高坂君。わ、私…」
「それは、俺が三度あの時を思い出したからだ」
血は、水に混じってはいなかった。猛然とした殺気に当てられ、水が人間の体へと変化する。
「オマエ、もう少しは痛がれよ。せっかくの洋服が泣いてるぜ?」
肋骨を貫いた手応えは本物だった。血液もしっかりと地面を濡らしている。勿論、さっきの攻撃で奴を殺せるとは思ってはいない。ますます向こうの体が不思議に思えてくる。
血濡れたシャツをそのままに、湊は距離を取りながら黙って二人をまじまじと観察し始めた。
突然の行動に、高坂達は戸惑いを隠せなかった。
「ね、ねぇ。何アレ…。あなたまさか変な薬でも注入したんじゃ無いでしょうね!!!」
ただ見つめるならまだしも、何処か正気を失ったかのような気配を二人は感じ取っていた。
「いや、アイツの体は普通の人間と変わらなかった。血液も神経伝達物質も普通にあった。いやまあ、神経伝達物質の量が尋常では無かったけどな」
あの一瞬でそこまで分かるとは、流石にこの場を負かされただけの事はあると睦は感じた。だが、よりによって高坂君が来たのも考え物であった。
「じゃあ、あの様は何なのよ!!私と一緒に居たときだって、私の大事な所に目もくれなかったのに!!」
「そんなのだから、お前は…」
あっ、と高坂は何かを理解した。この事実は放っては置けない。直感がそう告げている。
「なぁ、アイツは何故自分語りをしたと思う?」
湊から目を離さずに、少ししんみりとした表情で睦は答えた。
「遺言」
「それはそうなんだが…。答えは、脳内麻薬を分泌するためだろう」
その答えに睦は訝しんだが、高坂の話を遮るまでの度胸は無かった。
「わざわざ聞き手が知っている話でも、人は何度でもしたがる。お前の親父も俺に対してそうだった。奴は、自分語りによって感情に関係なく発生させたアドレナリンやエンドルフィンといった脳内麻薬を増幅させ、麻酔代わりにしたんだ。そうで無きゃ、俺の狂水の乱舞を食らってピンピンしていられる筈がねぇんだよ」
それぐらい、神様なら出来るだろと高坂は心の中でぼやいた。
これまで彼の技を受けて耐えた者は居たにしても、あそこまで涼しい顔をされてしまった事は無かった。
「そこは”化け物”で片付けるとこでは無いのか?高坂結人」
少し遅めの挨拶代わりに、高坂の右腕を湊は手刀手打ちによる風圧によって消し飛ばした。
「さっきと明らかに動きが違うなぁ。もしかして、俺に何かしたか?」
右腕が水へと変化したのも束の間、右腕は元通りになっていた。
「だとしたら?」
「お前に罪はねぇが、世界の為、退魔師の一人としてお前を処刑する」
睦も慌てて参戦しようとしたが、それは高坂が制止した。
「お前は本部に報告しろ。高坂結人は現在、《人造神》八代湊と交戦中だってな。今度は、期待してるぞ」
少しだけ、高坂の表情が緩んだ気がした。はい、と神妙な顔に切り替わって返事をした睦は、最期に湊を見た。
「さよなら」
彼女はそう言った。そう、湊にも聞こえた。だが、湊にはとてもそうは思えなかった。
「戦闘中に余所見はいけねぇな」
無から水が発生した。それは個であり、全であった。
湊は元々戦闘を避けると言うよりかは、一般人への被害を嫌っている。
例え戦いの相手を殺そうが、その罪と罰は一人で抱え込めば済む話だ。ヤツらは死ぬ覚悟がある分、此方もまだ耐えられる方だ。
だが、当たり前の日常を、死という概念と無縁だと思っている人達は決して巻き込みたくなかった。それは自らの覚悟よりも、ついて回る責任を取る事の方が怖さから来ているに違いなかった。
「場所を移そう。一般人への被害を出したくも無いのはそちらも同じだろう」
だが、その答えは湊の予想とは違った。
「いや、被害はどうでも良い。我々は、お前を殺せればそれで良い。何千何万と人が死のうが、私達はその覚悟が出来て居る。場所を移したとして人は死ななくても、動物や環境が死ぬことは変わらないだろう?」
「抜かせ!!そんな事で退魔師が務まるわけ無いだろう!!!人はそこまで落ちては無いはずだ!!!」
「お前の体をそうやった奴を見て、まだそんな事を言っているのかテメェは。お前に居場所なんて無い。生まれた事に罪はねぇと言いたいが、お前の運命はここで終わるんだよ」
「睦さんは、あの人はどうなる…」
「あァ??まさか惚れたとか言わねぇよなぁっ!!!」
高坂が一瞬の内に間合いを詰めてくる。後ろは行き止まりである事は先程確認している。上空に飛べば、また串刺しにされるだろう。
だが、それは先程までの話だ。
今度は高坂の両手が吹き飛ばされた。すぐに水溜まりから水が抜き取られる。
「チッ。何か言ってくれねぇと対処の仕様が無いんだが!!!」
高坂は苛立ちを隠しもせずに吐き出した。
この野郎・・・。俺の水を切ってやがる。こんなことは生まれて初めてだ!!!
「もっと見せてくれよ!!お前の進化を!!!」
二人の拳が激突する。
湊が高坂と互角に戦えているのは、何も種としての優位性では無く、数刻前に発生させた円環の盾によるものであった。
円環の盾は通常の用法とは違い、割らせる為のバリアだ。バリアを割った対象の情報、術、感覚を記憶し、脳へと送り込む。
今回の狙いは、魔力を使う際の感覚を得ること。漫画やアニメで使うイメージが出来上がっていたとしても、実際の感覚が分からなければそれは使い物にならない。例え、使いこなすのに時間が掛かるとしても、情報を得る事だけで今日は万々歳であった。
高坂の得意属性が、水であると言うことも幸いした。無機物と有機物を魔力によって切り替えている。無機物を無機物に変えたことは有っても、前者はまだ無い。
「俺は、強くなる」
なんだ? コイツのスピードが更に増してっ・・・。
神力を帯びた金色の拳が、高坂の腕を粉々に粉砕する。高坂の腕が元に戻ることは無かった。
「なんで・・・再生しねぇ」
戦闘を諦めてない事は湊にも分かったが、湊は高坂から一度間合いを取った。
「俺は、負けない。それが、俺としての決意だ」
高坂に一瞥もくれず、湊は行き止まりの方へと向かったかと思うと、姿を消した。
どれくらい時間が経ったのだろう。ぴちょん、と水が零れた音で、高坂は我を取り戻した。
「はい。この水があれば治るでしょ?」
ペットボトルを片手に、眼前に泣き腫らした睦の顔が映っている。いつもならこれを笑ってやる所だが、今のコイツに突っかかる気力は高坂には無かった。
「睦…。連絡はどうした?他の仲間は…んぐっ。テメェ!!!急に水を飲ませるんじゃねぇ!!」
「だって、その腕早く治した方が良いでしょ。ほらっ」
今度は腕にかけてきた。
「うおっ。ったく、、、ありがとな」
今度こそ、腕は再生した。
「ほら、行くよっ!!!今度こそ湊君に勝つんでしょ!!!」
「名前呼びか…。惚れたのはこっちの方だったか」
「え?何か言った?」
「いいや、何も?あ、夜飯代はもちろんお前の奢りだぞ」
私、お金無いわよと言ったのを聞かないふりをして、高坂達は帰路についた。
「免疫反応か?異物を取り込むにも人の体では限度があるもんな」
亜空間で一人湊は、先程の反省会を行っていた。
最初に攻撃してきた水は、水溜まりのものであった。魔力で作られた水以外には、基本的に不純物が混じっている。ただ、能力を使い、他の水とも混じり合う内に耐性が付いたのだろう。ただ、今回はそれを上回ってしまった。
「こんな所かな」
いそいそと、湊はベッドで横になった。記憶を整理するためにも湊は寝ることにした。
「おやすみなさい」
誰も居ないはずの部屋だが、今日はそれでも寂しくは無かった。




