第25話 思い出
「響子ちゃん、おはようございます」
私は見覚えのある声で起こされた。
「うーん?霞さん?」
「はい。高校生アイドルにして湊君の友人の白鳥霞さんでーすっ!!あなたを励まして欲しいって連絡をされたから、来ちゃいました!!」
「あ、え、えっ?」
突然の事に頭が追いつかない。目の前に人がメイド服に身を包んでいるのもきっと見間違いなのだろう。
「まあまあ。取り敢えず顔洗ってきちゃいなYO!!湊君が朝ご飯作ってくれるらしいからさ」
出来たよー!!と声がする。私は、彼の配慮に精一杯甘えることにした。
出された朝ご飯に、霞はどこか懐かしい感情が呼び起こされた。
「それにしても、随分変わったよねぇ。前は大和撫子って感じだったのに」
メイド服姿の霞がトーストの上に目玉焼きを乗せながら言う。
「それを言えば霞さんもですよ。あんなに空回りしているあなたを始めて見ました」
「し、仕方ないじゃ無い。私、彼のこと好きだし」
唐突な告白に、響子は牛乳を吹き出した。
「えええっ!!そういうの言っちゃいます!!しかも本人の目の前で!!」
女子校に通っていたからそうなのか、響子はそういう話題に対する興味が強いようだった。
こんな美少女が目の前にいても、湊は黙々と朝ご飯を食べていた。そして、その顔は響子が見た中で一番暗い瞬間だった。
「…?」
余りの雰囲気の暗さに、響子は少し不思議がっていた。霞はそんな彼女を見てぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。
「彼は本当の意味で人と結ばれることは無いわ。そして、それでも彼に思いを向ける人に全力で応えようとしている。一番辛いのは彼よ。一人は全。全は一人。人一人という意味で彼は、相手を愛せない。でも、彼の背中を押すように言ったのは私。いつの日か、誰かを決めても良いときが来た場合、それに向き合えるように。だから、悪いのは私なの」
彼女は、それを言ったと思うと少し体を震わせた。
「私の、私のお父さんのせいで!!!この人に出会ってしまった。彼の事を好きになって、心底恨んだわ。彼が私だけを優先してくれることも、私がこの恋を綺麗さっぱり諦める事も出来ない。でも、それで良いの。そうなっちゃったんだから」
私も、私もこうなるのかな…。この人が、怖い。一番辛いのは彼の筈なのに、どうしようも無い怒りが響子の胸の内に湧いてくる。
私は椅子から立ち上がったかと思うと、湊さんの前に立った。
「私は、あなたの事をどう思えば良いんですか?私は今、あなたが怖い」
そんな事を出会ったばかりの少女に言われても、湊は揺るがなかった。
「君が俺に何を言おうが、俺は君の命を優先する。君のしたいことを優先する。そもそも君はまだ俺の事をそんなに知らないでしょ。まあ、第一印象が大きいのは分かるけどさ」
正直、今が異常なんだよと少年は少し悲しそうに言った。
「取り敢えず、ご飯を食べてしまおう。俺はその間に予定を確認してくるから」
よく見ると、湊の分の朝食はすでに無くなっていた。
どうしたものかなぁ、と湊は自分の部屋で頭を悩ます。
霞と響子は二人で何処かへ行ってしまった。女の子同士積もる話もあるだろうし快く送り出した湊であったが、出かける直前にこんなことを言ってきた。
「私にメイド服を買ってくれませんか」
響子がハニートラップを仕掛けに来たスパイに見えてきた。
(此処をメイドカフェにでもするつもりか…?)
まあ、食品衛生責任者の資格も校長先生の後ろ盾があれば取れないことも無いが…。
彼女の話を信じるならば、鳳凰院家は彼女の動向を知らないと言うことになる。それにしても、跡継ぎの娘をメイドにする(彼女の意思)となっては目を付けられかねない。
もう、全部霞のせいと言うことにしておこう。慎重に審議を重ねた結果、結論はこうなった。
「あー、こうなりゃもうやけくそだーっ!!!メイド服でも、着物でも、水着でも、何でも買ってやらぁっ!!!食品衛生責任者の資格も俺が取るから、あなたは好き勝手おやりなさいっ!!!」
買い物袋を両手に提げて帰ってきた響子に対する第一声はそんなものだった。
「ええ…。なんでそんなに乗り気なんです…」
「あなたが始めたお話でしょ」
何故か冷めた視線で此方を見てくるオンナノコに湊は呆れるしか無かった。
「まあ、良いですけど」
頬を赤らめ、何処か恋する乙女のような響子。その心の中は────。
(やった…!!これで文化祭の予算が浮きますわ!!)
「オイ」
「ひゃいっ」
優しい怒りだった。彼女は罰として、湊の社会的死を免れる為に作られた契約書にサインを書かせられることとなった。
夜六時、事務所にあるキッチンで料理の特訓が行われていた。
「うぅ。こんなのってあんまりですぅ」
エプロン姿に三角巾を頭に被った響子は、オムレツを作るのに悪戦苦闘していた。
「卵の様子から目を離さない!!響子さんが女子校で舐められないようにするためには、実力を付けることだ。顔やスタイルは問題無い。後は中身だ。俺のとこに居て何にも成長しなかったら、俺が存在している意味が無い。俺も手伝うから死ぬ気で頑張れ」
「絶対にあなたをメロメロにさせてやる」
呪うような声でそんな事を言われた。
「ああ、その意気だ。お客さんを死ぬほどメロメロにさせてやれ。それは、此処から去ってもだ。お前という存在がもたらす魅力で敵すらも味方に引き込むんだ。お、終わったか。じゃあ、俺はチキンライスの方をやるからよく見ておくんだぞ」
そういって湊が作り、皿に盛り付けられたチキンライスに彼女は震える腕でオムレツを乗せた。
「どう?」
「まだ油断はするな。燃え萌えキュンまでの道のりは遠いんだぞ」
そう言って目の前に出されたのは一本のナイフ。
慎重に切っていくと、とろりとした様子の黄身がチキンライスの上を覆っていく。
「最後だな。何を書くのかはもう決めたのか?」
「うん。もう決まってるよ」
紡がれていく赤い文字に、湊は思わず声を上げそうになった。
“ありがとう”
ああ、こちらこそだ。
二人で分かち合うオムライスは、湊の記憶にきっと残り続けるだろう。
結局、響子の反対もあってメイド服を着る案も、メイドカフェの話も無くなった。しかし、湊は食品衛生責任者の資格は取ることにした。
(出来る事は、今のうちにやっておこう)
校長の尽力もあり、湊は無事に食品衛生責任者の資格を取ることが出来た。多分、これも彼女との思い出の一つとなるはずだ。例え買った服が日の目を見なくても、それは記憶に残る。
彼女に幸せを与えよう。しっかりと働いたらその分を。働かなくても、存在してくれて居るだけで嬉しいという分を。俺が与えたいからと思った分を────。
彼女の幸せが続くうちにやってしまおう。俺にはそれをする義務がある。
少年は別れの時を前に、覚悟を決めた。




