第15話 駆け引き
二人は何も言わずに地下鉄に乗り、目的地に着くギリギリまで手を離そうとしなかった。
「じゃあね」
退魔師協会本部の自動ドアは、この世でもっとも忌み嫌う存在にも分け隔て無く接した。
湊はこの後何が起こるのか分かっていながら、その顔は張り付いた笑顔を離さない。
受付を通り越し、エレベーターに乗り込む。
チーンとベルが鳴り響く。中から出てきたのは、機関銃を構え、武装した兵士達。
「…。ファイア!!!」
部隊のリーダーらしき女が命令を下す。
(銃弾を斬る練習はしていなかったな)
「来い、相棒」
時間の流れなど関係ない。すでに鞘から抜かれた神凪を用いて、湊は弾丸を弾き始めていた。
その間、約一分半。長篠合戦の様に絶え間なく浴びせられる弾丸は、湊をより高みを目指す鍵となる。
(俺に師匠はいないが、居るとしたら間違いなくそれは敵だろうな)
相手も、みすみす栄養剤を敵にあげてやるようなタマでは無いことも分かっている。様子見か、それとも…。
(来るなら、概念系統だろうな)
弾丸が怪しく煌めいている。だが、仕掛けてくる様子は見当たらない。
それを確認した後、湊は掌を握る要領で別働隊が潜んでいると思われる空間を握りつぶした。
「大丈夫だよ。彼女達なら生きているからね」
「化け物め…」
床に這いつくばりながらも、恨み言を言える。流石、特殊部隊上がりの人達だ。だが、何も考えずにただ命令を聞いている姿に湊は怒りを覚えていた。彼らにもメンツはあるのだろうが、それでもこの現状を可笑しいとは思わないのだろうか?
いや、それは野暮というものだ。勝手に首を突っ込むのは俺の悪い癖だ。俺は、相手の事など何も知りはしないのだから。
「当たり前だ。君らが僕を敵と認識するのならば、それに相応しい振る舞いをするだけだ」
闇を帯びた目で湊はその女に尋ねた。
「工藤環奈は何処にいる?」
「私を通して彼を脅しても、彼には通用しないぞ」
「いいや、通じるさ。彼には心があるからね。上が言ったとおりだ。彼は失敗作。全くもってその通りだ」
部隊からの報告を受け、スーツに身を包んだ金髪碧眼の男は怒るどころかむしろ喜びに震えていた。
退魔師協会の6階に位置する会議室で、環奈はイギリス本国からの使者によって囚われていた。いきなり特殊部隊を用いて館内を制圧したかと思うと、悪びれもなく彼女の前に現れたのだ。それにしても、何故世界最強とも有ろう人がこんな男に囚われているのか。
「私の部下達を人質にするぐらいなら、質問するぐらいは良いよね?おおよそ見当は付いているけど、敢えて問うわ。奴、とは誰のこと?」
魔法によって拘束された上に服を剥ぎ取られ、下着姿になっても彼女は抵抗を続けていた。
「分かっているくせに。敵の敵は友。我々は異端者を排除するのならば、悪魔の力だって借りるさ」
(やはりカオスルミナスか…)
「はっ。そういうのは映画の中だけにしとくのね。フィクションと現実の境界すらも区別できなくない人では、交渉が心配だわ?」
環奈の言い分は、口撃のやりとりから再び実体を伴う物へと変化するには十分だった。
彼女の美しい頬に痣が積み重なっていく。
「あの失敗作はまだガキでしたよね。そういう事もまだ見れないお年頃だ。大切な物も守れず、だからといって力を振るえば、孤独は深まる。貴様の貞操を汚せば、彼はどれほど絶望するのかな?」
「…。私を汚したところで、彼には関係ない。その時はあなたが死ぬだけだ」
「またまた。あなたはどうやら自分の価値という物がまるで分かってないらしい」
男はそう言うと、クツクツと笑いながら環奈の美しい肉体を視姦し始めた。
「はは。流石は世界最強。一筋縄ではいかないな。あなたの頼みの綱の彼は人類の希望では無い。人類の最高到達点に若くして至ったあなただけが、人類の希望なんだ。そんなあなたの貞操には、とてつもない価値がある。処女を失うと言うことは、現実を知ると言うことだ。童貞もそうだが…。まあ、それはどうでも良い。とにかく、異能の力を扱う物に取っては多大な損失だ。物理法則などを無視するには、一旦現実を歪める必要がある。そして、その力は加齢によって段々と衰えてゆく。まあ、そう言う人に限って、経験で何とかするのだろうが。頭では否定しても、体は変化してしまっている。それは決して避けられない。処女の喪失というのは年を経るよりもよっぽど強烈で、即効性がある!!幻想に体がついてこられない、という事実に!!まあ、散々ここまで言っておいてそんなのは私の妄想ですけどね。あなたならば何とかしてしまいそうですし。でも、仮説にしては良い線行ってると思いませんか?この傷は結果的にあなたを一生苦しめることになるのですから!!!戦いって言うのは、こうやるんですよ!!!」
下卑た笑い声が部屋中に響き渡る。男は下着を剥ごうとするが、すかさず環奈は抵抗する。男は力に物を言わせて押さえつけるのではなく、まるで前戯とばかりに楽しそうにその反撃を受け入れた。
「あなた、本当に聖職者?」
攻防の中で少しでも情報を手に入れようと彼女は質問の手を緩めない。
「いいえ。只のしがないスパイです」
そこで、彼女の心は揺らいでしまった。何処までカオスルミナスの手が届いているのだろう、と。
(私は弱い。守るべき物も守れずに、逆に私が皆を困らせている。私が弱かったら、こうはならなかったのかな?いいえ、それは皆を馬鹿にしすぎだわ。でも…)
私が折れない限り、彼らは解放されることは無いだろう。彼は、それぐらいには強い。でも、自己犠牲なんて彼らは何も望まない。
「ごめんなさい。私、何にも出来なかった。皆、ごめんね」
涙を流せば、何かが変わるわけでも無い。だが、涙を流さなければ自分の気持ちを相手に伝えることは出来なかった。
「よく出来ました」
その声は、目の前の男の声では無かった。
「助けを求めることが出来たあなたは、より強くなれますよ」
会議室のドアが開いていた。声の主の瞳から光は見当たらない。
私の神様となる少年は世にも美しい剣技をあの男に向かって繰り出した。
「ああ、あと少しだったのに」
無数の切り傷を付けられて、男は酷く残念そうに笑った。対して、湊は笑えなかった。代わりに、メラメラと目の奥が闇の炎で燃えていた。
「本当にお前は退魔師協会の一員なのか?疑いたくは無いが、ここまで腐っているとは。原罪を洗い流してくれたからと言ってここまでして良いわけでは無いだろ」
両者、睨み合いが続く。
「神は、私達に何もしてくれなかった。そう言う不届き者の願いを私が代行しているにすぎない。彼らは、身の程を知らないのです」
「そうか。スパイにしては随分過激だが」
「ええ、そうですね。私はやり過ぎました。だからこそ、此処で死ぬのです」
湊の心に焦りは無かった。
「そうか。では、お前に一つ聞きたいことがあるから聞いても良いか?」
「結構です」
「お前は、俺がヤツらを殺したことをどう思う?」
男はひとしきり考えた後にこう言った。
「何も?あのクズ共は現実を知ったからああなっただけです。現実を知っても尚、進み続けた人達が異常なだけですよ」
(まあ、こっちの方が世界最強の貞操の危機より効きそうですしね)
男は、心の中で嫌な笑みを浮かべていた。
「そうか」
湊はひとしきり沈黙を貫いた後、環奈の手を繋いだ。
「人質は?」
「分かっているくせに。解放済みですよ」
彼は、湊が解放しないことの用心深さに感嘆した。だが、感情の揺らぎももうすぐ無くなる。
「私は本国へ戻ります。こんな能力でも受け入れてくれる本国に、ね?お会いできて楽しかったです。ミスター、八代。失敗作なりにせいぜい足掻いて下さい。ボスはそれをお望みです。それではまたお会いしましょう」
ポケットから取り出されたナイフが、無慈悲に喉を掻き切った。
湊は落ち着いて結界を展開した。
「悪いが、俺はまだそこにはいけないんだ。まだやるべき事が残って居るのでね」
血は誰にも付着しなかった。死体は、突如出てきた闇に飲まれ、そして消えた。
「湊、君?」
怖かった。下着姿など関係なかった。環奈は思わず湊に抱きついた。
彼女が湊に触れる直前、彼女の体に服が身に着けられた。
「あなたは強い人ですね。襲われかけたというのに、今は逆に僕を襲おうとしている」
女の人のそのような表情を、湊は始めて見た。
「仕方が無いじゃ無い。あんなことがあれば、睦さんがあなたに惚れた理由が分かるわ。ああ、結ばれない恋って辛いわね」
「ふふ。やっぱりあなたは面白い人ですよ。大丈夫です。また、会えますから。それに、皆さんがやって来ますよ。こういうときに悪者にされるのは大抵男なので、僕はそろそろ退散しようと思います」
そう言って、前回と同じように窓から飛び降りようとしたが、彼女に手を捕まれた。
「待って!!手を、握っててくれる?私が、皆を説得するから。皆を守るから。アイツの供養もするから。だから、今だけは私の隣に居て?」
ああ、ずるい人だ。これは、彼女なりのケジメなのだろう。覚悟の決まった顔は、月明かりに照らされてより一層美しい。
「分かりました。一緒に待っていましょう」
その後、怒濤の勢いで彼女の部下達が会議室に押しかけ、俺はなんとも言えない気持ちになった。
環奈さんの仲間達や、特殊部隊の面々とも話を付けた。話してみると、その人達の色々な面を知ることが出来た。
これからは、どうなっていくのだろう。ただ、自らの運を占うだけでは前には進めない。それを下地にどうしていくかが、一番大事なんだ。人と関わることは、強さでもあり弱さにもなる。その強さを天秤に賭けられるほど、俺はまだ人と関わっていない。
「もう少し、人との出会いを大切にしていこうと思う。それが最高であれ、最悪であれ、俺は前に進み続けようと思う」
帰り道。湊は、その思いを声に出して強く自分自身に誓った。




