27、貴族の子弟には抗いがたいもの
エズメが驚いたのも無理はなかった。パットが釣り餌として出したものは、連合帝国の君主が貴族の子弟や功労者に対して伯爵以上の爵位と共に授与する印章指輪。昨夜の夜会では、公爵たるオシアンと伯爵たるマグナスだけが身に付けていたものだったのだから。
風精霊は歌うように言った。
「連合帝国の貴族の息子なら誰もが食い付くこと請け合い。これ以上の餌はないだろう?」
連合帝国の君主が授ける印章指輪は、連合帝国貴族の一員となり、その地位に相応しい数々の特権を持つという証だ。
その特権の最たるものは、皇位継承権を持つ者の正式な結婚相手を選出する際に、自らの子女を推薦する権利だった。
エズメはマグナスから以前聞いた話を思い出した。
連合帝国の貴族の子弟ならば必ず一度は見る夢、それは、いつか自分の血を引く者が、太陽の沈まぬ連合帝国の皇帝、或いは女帝として即位することなのだ、と。
エズメが思わず指輪に見入ったことに気を良くしたのか、風精霊はそれを、彼女の掌にそっと乗せてくれた。
エズメは指輪の持つ魔力に気圧されそうになりながらも、慎重に印章部分を確かめた。
「……よりにもよってカーバンクル侯爵の印章指輪だなんて。まさか本物なの?」
風精霊は頷いた。
「勿論。そうでないと意味がないからね」
エズメは、記憶の引き出しから、カーバンクル侯爵について知っていることを引っ張り出した。ここ百年ほど、カーバンクル侯爵の位は、継承者不在で空位となっている。そのため連合帝国の女帝は、即位して以来、定期的に「比類なき功を立てた者に、カーバンクル侯爵の地位と印章指輪を授ける」という声明を出していたのではなかったか。
侯爵の子弟とはいえ自身の地位は高くないピットヴァイパー男爵にとって、この指輪はこの上なく魅力的な物だろう。しかしエズメは風精霊に向かって、こう問わずにはいられなかった。
「でも、ピットヴァイパー男爵は既に死亡しているのよ。このシグネットリングがあったところで……」
風精霊がふふんと笑った。明らかに自分が優位だと見せつける表情で。
「それが、案外有効なんだよね。大概の悪霊は肝心なことに気付かないか、自分に都合の良いようにしか物を考えないかのどちらかだからさ」
彼の言い方に少しばかり苛立ったエズメは、一度だけ静かに深呼吸した。
「貴方、わざと私を怒らせようとしているのね?」
「……どうせ奥さんを持つなら、とびきり気が強くて綺麗な魂の持ち主が良いからね。君みたいなさ」
思いのほか切実な、声の響き。エズメは一瞬、心臓が止まるかと思った。
しかし、彼女はどうにか自分を落ち着かせた。この程度のことで狼狽してはロイドの名が泣く、と。
「私は、お行儀の悪い殿方を旦那様にはしたくないの。それよりも、釣りを始めましょう。幾らヒルダがアデレード嬢に付いているからといって、悠長にはしていられないわ」
* *
一方アデレード嬢の寝室には、髪を燃やした時のような何とも言えない臭いが漂っていた。
令嬢に二杯目の茶を差し出した年配の侍女の手首を、ヒルダが護り指輪を嵌めた利き手で強く掴んでいるうちにそうなったのだ。
「どうかお放しくださいませ。このような乱暴なお振る舞いは、とても騎士様のなさることではございません」
苦痛に顔を歪め、哀れっぽい声を上げる侍女に、ヒルダは険しい表情で問うた。
「上手く化けたつもりらしいが、お前は昨日までのアデレード嬢付きの侍女とは別人だな。そもそも人間ですらないだろう。何者だ?」
〈用語解説〉
連合帝国女帝:ブリジット一世。この頃既に五十五年以上の長きに渡り、連合帝国に君臨していた。
印章指輪:連合帝国の高位貴族の証。ただならぬ魔力が込められているのは偽造や盗難防止のためとされている。




