28、漁(すなど)る者たち
ヒルダは偽物の侍女を睨みつけ、その腕をしっかりと掴んだまま、アデレード嬢に声をかけた。
「アデレード嬢、貴女の本当の侍女は無事です。貴女がこのまま、お気を確かにお持ちでいらっしゃるならば、すぐに助けることも出来るでしょう」
その言葉は気休めのつもりで発したのではない。ヒルダの使い魔は猫型妖精の王オシアンだ。死の気配に敏感な彼が何も言わなかったのだから、アデレード嬢の侍女は生きているはずだ。
それよりもヒルダが恐れていたのは、ショックを受けたアデレード嬢が失神することだった。気を失った状態の人間は、悪霊どもにとっては死体の次に扱い易いものだから。
そして、もう一つの心配といえば。
(出来れば、この偽の侍女は生け捕りにしたいんだよな。ボンボンショコラが、死せる海の女神の魔法を広めている奴の狙いを知りたがっているから……)
だが、これ以上破魔の力を相手に流し込めば、誤って消滅させてしまいそうだった。まるで、水を吸ってしまった薄い紙を、破らぬようにそっと摘み上げた時のような気分。
なお悪いことには、先程のピットヴァイパー男爵の霊が、再び近付いて来る気配もしていた。
(私の片手が塞がったのを見ていたな。狡猾な奴だ)
令嬢の前でなければ、舌打ちしていたかもしれない。
さて、そろそろ誰かが加勢してくれそうなものだがな、とヒルダが思っていると、純白の長い毛並みを持つ大きな猫が、寝室のドアの隙間からするりと駆け込んで来た。
「ヒルダ様。王命により、加勢に参りました」
* *
朝食の間では、風精霊が暖炉に置かれた鏡の前に、魔力の糸を結び付けた印章指輪を置いたところだった。
「釣り竿は僕自身だ。これで、すぐに釣れるよ」
しかしエズメには、気になることがあった。それは、鏡の大きさが朝食の皿ほどしかないことだった。
「風精霊さん。これほど小さな鏡で大丈夫なの?」
風精霊は首を傾げた。
「何か心配でも?」
「釣り上げる時に、悪霊の身体が鏡の縁につかえてしまわないかしら?」
エズメは至って大真面目にそう尋ねたのだが、風精霊は軽やかな笑い声を立てた。
「君って、そういう面白いことも言うんだね。……鏡の縁につっかえる悪霊か。想像すると笑いが止まらなくなりそうだよ」
その反応に、エズメは少しばかり気を悪くした。すると、風精霊は彼女の表情に気付いたらしい。すぐに笑うのをやめ、申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、何か怒らせたなら謝るよ。……お願いだから、僕のことを嫌いにならないで」
捨てられた仔犬のような顔を向けられたエズメは、一つため息をついた。全く、彼の顔が少しも好みではなくて、おまけに平手打ちで結婚が決まるような慣習など持っていなければ良いのに。
「とにかく、鏡の縁に悪霊がつかえる心配がないのなら結構ですわ」
エズメが冷ややかにそう言うと、風精霊は慌てた様子を見せた。
「ごめん、まさか本気で言ってるとは思わなかった。大丈夫、もっと小さな鏡でも問題なく釣れるんだから。……どうしたら良いかな。そうだ――」
風精霊が何か言いかけた時、暖炉の上の鏡から、白い男の手が伸びて来た。
「風精霊さん――!」
エズメが声を上げると、風精霊は、くすっと不敵に笑った。
「見ていて」
彼は、男の手が指輪を掴んだ瞬間に糸を引いた。そして見事に男の霊そのものを鏡から引きずり出し、そのまま釣り糸で雁字搦めに縛り上げてしまった。
縛り上げられた亡霊は、紛うことなきピットヴァイパー男爵だった。




