23、海月と金目鯛①
〈前回までの内容〉
何者かがかけた「死せる女神の魔法」により、ミルメコレオ子爵の娘アデレード嬢は、偽りの恋心を植え付けられていた。魔法自体はヒルダが解いたのだが、相手はまだ諦めていない。
ミルメコレオ子爵家での夜会の最中、エズメは、アデレード嬢を保護する為の魔法の網に細工をするよう、マグナスに頼んだ。
夜が更けて間もなく。招待客が舞踏と歓談の時を過ごしている間に、怪我人が出た。アルフォンシーノ男爵夫人という老婦人の両腕を包んでいた長いシルクの手袋に、突如として、じっとりと赤く血が滲んだのだ。アルフォンシーノ男爵夫人が痛みに声を上げたことで、それを目にした婦人の中には、危うく失神しそうになる者もいた。
アルフォンシーノ男爵が夫人の怪我に青褪め、救護を求めた。
エズメとマグナスは顔を見合わせ、すぐにアルフォンシーノ男爵夫人の元に駆けつけた。
マグナスが至極穏やかな物腰で、腕に治癒魔法をかけようと申し出たところ、アルフォンシーノ男爵夫人は何故か怯えた顔で固辞した。
「いいえ、恐れ多いことですわ。どうぞお気遣いなく。酷い傷に見えるかもしれませんが、痛みはそれほどでもありませんの。少し休ませて頂きましたら、すぐにも屋敷に帰るつもりでございますから」
マグナスは笑顔でアルフォンシーノ男爵夫人の手を取った。
「遠慮はご無用ですよ。今夜は休暇を利用してこちらの夜会に出席しましたが、私も聖騎士団の一員ですので、お怪我をなさった御婦人を見捨てることなど、到底出来ません」
アルフォンシーノ男爵夫人は突然大きな声を上げた。
「どうか手をお離しくださいませ」
まるで無体を働かれたかのようなその叫びに、招待客が皆、二人に注目した。
しかし、マグナスも伊達に高位貴族の嫡男ではない。彼は声を張り上げはしなかったが、よく通る声でこう言った。
「さて、おかしなことですね。貴女の傷はどうやら魔法によるもの、それも破魔の魔法による傷ですよ。御婦人。貴女は本当にアルフォンシーノ男爵夫人なのですか。いえ、そもそも人でいらっしゃるのですか?」
彼は、おろおろするばかりのアルフォンシーノ男爵に尋ねた。
「この御婦人は、本当に卿の御妻女ですか?」
「その御婦人は、私の大叔母、アルフォンシーノ男爵夫人で間違いありませんよ」
美しいテノールの声が響いた。声を上げたのはメロウ子爵だった。彼は皆の前に進み出た。
「アルフォンシーノ男爵夫人ではないなどと、言いがかりはお止めください」
その芝居がかった様子は実に不快だったが、どうやら、他の招待客はそう思わなかったらしい。
その場にいた、年の頃六十と思われる男性がゆったりと歩み出て来た。
「メロウ子爵の言うとおりです、閣下。傷付いた御婦人に酷い真似をなさるのは、上流階級に属する方のなさりようではございませんぞ」
いつの間にか、招待客の間にメロウ子爵の言葉に同調する空気が流れていた。誰もがマグナスに非難の目を向け、ひそひそと囁き出す。
なるほど、メロウ子爵は魅了持ちか、とエズメは思った。いつも嵌めている護り指輪の防御をすり抜けるほどの強さではないが、少々厄介な相手だ。
しかし次の瞬間、麗しいバリトンの声がホールを支配した。
「その婦人はアルフォンシーノ男爵夫人ではあるまい。彼女は、昨年亡くなったばかりで、アルフォンシーノ男爵はまだ再婚してもいないのだから」
オシアンがメロウ子爵に対抗し、自らの声に魅了の力を乗せて発言したのだ。
「お言葉ですが、閣下はあまり社交にはおいでにならないのですから、誤った知らせがお耳に入ったり、新しい情報がお耳に入らなかったり、ということもありましょう」
メロウ子爵の抗弁に、オシアンは声を上げて笑った。
「随分と滑稽なことをいうのだな、エアリアル伯爵家の継嗣は。死を司る我が一族の耳に、死に関する誤報が入って、それが訂正されないままということがあり得ると思っているのかね?」
招待客たちは、今度はメロウ子爵に疑いの眼を向けた。オシアン公が弔事に疎いはずがないことを、誰もが知っていたからだ。
〈登場人物紹介〉
メロウ子爵︰エアリアル伯爵の継嗣。金髪の巻き毛を持ち、そこそこ整った顔をしているが、良くない噂が多い。いつもピットヴァイパー男爵と行動を共にしている。
アルフォンシーノ男爵夫人︰メロウ子爵の大叔母だというが……?
アルフォンシーノ男爵︰エアリアル伯爵の叔父にあたる。




