16.Aleph
「……ノア様」
「エルナか」
ノアの様子を見に来ていたエルナだけがその呟きを聞いていた。
「……行くのですね」
ノアはこの戦いで自身は滅びると言った。
仮に滅びなくとも、ノアはレノンを討ち滅ぼす為にこの世界からいなくなってしまう。
どちらにせよ、この世界での戦いに関しては最後となるだろう。
「アルファルドはここで滅ぼさなければならない」
「……」
「それがこの世界を……そして、俺がかつていた世界を救う唯一の手段だからだ」
対立したままではどちらの世界も救えない。
だからといって手を取り合う道はもう残されていない。
それをするにはあまりにも遅く───そして人が死に過ぎた。
「できるのは……いや、この責任を取らなくてはならないのは、間違いなく俺だ」
「それは、そうかもしれませんが……」
アルファルドがこの世界にまでやってきたのは、ノアが界間移動の残滓を残したのが原因。
エルナもそのことはとうに解っている。
「……前にも言っただろう。滅びるつもりは、もうない」
「では……」
「道連れは最後の手段……頭の片隅には置いておくが、それを使う気はないさ」
それだけ言うとノアは会議室を後にしようとする。
そして、そのドアを開ける直前───
「じゃあな、エルナ……滅びることなく生きて会えることを願っている」
「……ええ、私も願っています」
その言葉を交わすのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さて、どうやったら出てきてくれるものか……」
数分後、ノアはすでに穿界の魔手の目の前にいた。
指を四本失っても未だに圧倒的な存在感を放つ漆黒の異物は、文字通りこの世界には本来はなかった物質だ。
(初めて見た時は解らなかったが、今になって思えばこの外殻にもアルファルドの魔力が込められているな)
当時は何かあるとしか感じ取れなかったが、前世の記憶を取り戻した今であればこれがどういった力で成り立っているのかがよく解る。
「……」
魔手に触れ、その力を再度認識する。
「……なるほど。となれば強硬手段が手っ取り早いか」
以前よりも込められている力が大きい。
それはつまりアルファルドがこの魔手を安定させようと尽力しているということ。
だとすれば一部にせよ破壊してしまうのが最も早いだろう。
そう考えた瞬間、すでにノアは上空へと飛翔しており、握った右拳に魔力を流していた。
「───『神撃』」
ノアがこれを本来の効力を発揮する打撃で使用するのは初めてだが、技量によって威力が左右するこの魔法はノアと相性が良い。
少なくとも───魔手の残った一本指を跡形もなく消滅させてしまう程度には。
一撃で時空ごと消し飛ばして界滅爪を滅ぼしたノアはゆっくりと魔手の手の平の上に降り立つ。
それと同時に、魔手がまるで憤るように震撼した。
「よし……そのまま出て来い、アルファルド」
その呼びかけを知ってか知らずか、残った魔手の一部分が崩壊してそのまま永久に滅びた。
「───貴様」
その瓦礫を滅ぼしながら現れる一つの人影。
漆黒の軍服を纏った赤い双眸の男───アルファルドがそこにいた。
「……やってくれたな」
「お前を引きずり出す為だ。許容しろ」
ノアにとっては今世で二度目の邂逅……いくら記憶があるといっても、力を失った今ではアルファルドを前にして防衛本能が警鐘を鳴らす。
(前々から思っていたが……こいつはやばい。ヴァディアとも一線を画す強さなのは間違いないが、文字通り生物としての格が違う)
雷という事象の力を持っていたヴァディアと、壊滅という概念の力を持ったアルファルド……
どちらが強いかなど明白だが、本人を目の前にしてその違いを実感する。
「……記憶を取り戻したのだろう?何故私の邪魔をする」
全てではないものの、アルファルドとてノアの状態をある程度把握している。
以前会った時は記憶を失っており、今は全てを思い出したことも。
「お前はあの世界を救う為ならば他の世界……この世界を滅ぼすことも厭わないんだろう……それが、俺のやり方とは合わないだけだ」
ノアの言葉にアルファルドは無言で黒死銃を顕現させ、その銃口を向けた。
「異なことを……世界を捨てたのは貴様だろう。今更何を口出しすると言うのだ」
確かにノアは二万年前、世界から逃げた。
全てはレノンという存在に絶望したが故に。
だが、アルファルドはそのことを知らないはずだ。
「お前にも、エレンにも教えていなかったことがある……あの世界はより上位の存在によって……ッ!?」
事情を話そうとした瞬間、アルファルドの発砲音が響く。
放たれたのは『壊滅の散弾』。
光速を遥かに超える速度で飛来した弾数は一発の魔法だけでも数万。
しかもその威力はノアの知っている比ではなかった。
(話すら聞かないのかッ!)
咄嗟に白雪を抜き、ノアはその全てを斬り捨てた。
「まあ、貴様ならば力の大半を失っていてもそうなるだろうな」
全て防がれるということは予想できていたのだろう。アルファルドは一切驚いた様子もなく、次弾の為の魔力を装填していた。
「……お前と解り合えないということは解っている。だが、話すらも聞けないのか?住人に世界の未来を託された皇帝として、それがどういう意味なのかは知っているだろう」
ノアはあえてアルファルドの逆鱗に触れる発言をする。
アルファルドはどのような場合も冷静だが、世界の未来のこととなると沸点が低くなる……それは二万年前から変わっていない。
この世界で初めて会った時でさえ変わっていなかったのだから、それから一年も経っていない今、変わっているはずもなかった。
「それを言う資格は貴様にはない。当時の貴様ならばデネス程度なら一方的に滅ぼせただろう?何故しなかった?それさえすれば……それができれば、私も他の世界を侵略することなどなかった……ッ!」
……だが、激怒したとしても武力行使に出るだけの男ではない。
それも踏まえての挑発だった。
「その理由を話すと言っている……戦うのは間違いないが、その前に真実を知れ」
「……何が、あった」
銃口と魔力、そして構築されている魔法については解かない。
ノアもアルファルドも狡猾だ。警戒を解き、隙を見せれば話の途中でも滅ぼしにかかってくる可能性が互いにある。
故にノアもまた、無言で『混沌災禍』を発動させていた。
「この世界も、あの世界も……より上位の次元から干渉されている。世界の滅びはその存在によって仕組まれている……仮にデネスを滅ぼしても何も変わらない。そもそもそのデネスに干渉したのは上位存在だ。あの世界の神が理を介して直接滅ぼそうとする状態から、上位存在が滅ぼそうとする状態に変わるだけ……本質は解決しない」
「───」
警戒を解くことなく、アルファルドは無言でその言葉を聞く。
「───その存在の名は、空王レノン。奴はかつての俺でも、そもそも干渉することのできなかった、より高次元の存在だ。あの時の俺であれば確かにデネスならば片手間でも滅ぼせただろうが、レノンが相手では勝負は一方的……何の抵抗もできず、俺が滅ぼされる」
「……だから、逃げたのか」
「……そうだ」
それは口外に『お前のやってきたことは無駄だ』と言っているようなもの。
アルファルドのこれまでの二万年前……その全てを否定する、最大限の侮辱とも取れる。
だが、それを受けてアルファルドは───
「───ふっ、は、はは、そうか。なるほどな」
笑っていた───
「……貴様の言っていることが真実ならば、確かに私のやってきた全ては無意味なのだろう……救う為とはいえ、あの世界を三千年も放置してしまっていることも、この世界を侵略したことも……」
アルファルドは、その真実を受け入れる。
無意味を無意味としてしっかりと受け取り、それをこれからに活かすことのできる器の持ち主だ。
その姿勢は、ノアよりも余程皇帝に向いているのかもしれない───
「───だが、それを知るにはもう遅すぎた」
そう、もう何もかもが遅かった。
「私の無知故に、一体どれだけの人々を殺し、滅ぼした……?この三千年間、この世界を侵略してまで、どれだけの人々を……」
自分の無知が、この三千年間で数十億人殺した……
少なくともアルファルドはそう考えてしまっている。
「私とて、救えるものならば全てを救いたい……!だが、力が及ばない!本当は他の世界であろうとも滅ぼしたいわけではないのに、私は……ッ!」
アルファルドは自己嫌悪に顔を歪める。
自分の世界の為ならば冷徹になれる反面、できる限り『そうしない為の方法』を探る……アルファルドとは、そういう男だった。
「……」
その様子を見ていたノアは、小さく言葉を呟く。
「……本当にそうか?」
「なに……?」
「そもそもとして、それを誰にも話さなかった責任は俺にある。お前の無知も、俺が話していればなかったことだ……それに」
そこでノアは言葉を切り、僅かに言い淀む。
アルファルドならばこうする……そういう印象はあるが、本人が自覚しているかはまた別問題であるが故に。
それでも、数秒後に口を開く。
「……それに、お前ならば真実を知っていても救おうとしただろう……それこそ、この世界のみならず更に別の世界までも滅ぼして」
「それ、は……」
アルファルドにとって最優先すべきなのはあくまでも自分の世界。
それ以外も救いたいが、不可能ならば切り捨てる……その判断ができる精神がある。
(ああ───なんて、皇帝らしいんだろうな)
全てを救うという理想論しか掲げられず、それが絶対的に不可能と知った後に逃げ出したノアよりも、遥かに皇帝らしい。
ノアはそのことに、僅かに羨んでいた。
「───そう、かもしれないな」
自分の性格を客観視し、アルファルドはノアの考えを肯定する。
意見の交わることのなかった二人の考えが、初めて合った瞬間だった。
だが、それでも───
「───どちらにせよ、もう遅いんだ」
「───アルファルド」
「ああ、そうだ。私が悪かった……それは認めよう。だが、奪った命の分、私は止まれない」
良くも悪くも、アルファルドは真面目だった。
自分の無知故に奪ってしまった命……その業を全て背負い、己の間違いを自覚し、間違えたままそれを正当化させる……
並の人間にできる思考ではない。
「私は私のやり方で救う……これまで奪った命、そしてこれから奪う命を無駄にするわけにはいかないが故に」
ここでその道を諦めれば、奪われた命が本当の意味で無駄になる。
自己否定は許せても、それだけは許せなかった。
「……やっぱり、世界の皇帝にはお前こそが相応しいよ」
ノアからアルファルドに向けられるのは純粋なる敬意だ。
だが同時に───
「それでも、俺はお前に殺意を向ける」
「……あの界律神装の……いや、彼女のことか」
ノアがユキのことを大切に想っているということはアルファルドにも察せられた。
その殺意がどうして向けられるのかも、全て。
「お前は正しい。そして、俺が間違っている」
「貴様は正しい。そして、私が間違っていた」
互いが互いを正しいと肯定する。
それは間違いなく、その思想への敬意だった。
「貴様は私が唯一羨んだ男だ」
「そう思ってもらえたなら光栄だな」
「ああ、だからこそ、これは貴様にだけ伝えよう」
二万年以上、アルファルドが誰にも言っていなかったこと。
それは───
「私の真名は、アレフ───」
「───」
アルファルドというのは本当の名ではなかった。
ノアもエレンも、ヴァディアでさえも知らなかったその名。
「私は人の子として生まれてはいない……この姿のまま、気づいた時にはあの世界にいた。何者かの陰謀なのだろう……もしかすると、貴様の言うレノンとやらが絡んでいるのかもしれない」
「じゃあ、お前は……」
「───だが、私は私だ」
固い意志を保とうとするかのように、アルファルドの語気が強まる。
「誰が何と言おうとも、私の行動は、私の決定は私の意志。だからこそ、私はアルファルドと名乗った。他者の干渉など知ったことか」
アルファルドにはヴァディアという、彼を敬愛する部下がいた。
そういう意味では孤独ではなかった。
だが、これはそういう意味ではない。
「他者の干渉からの独立……それ故の、『孤独なもの』か……良い名だ」
他者からの干渉、企み、宿命から独立した個としての決意……それら全てがアルファルドという名に込められている。
「確かに、私の真名はアレフだ。だが私の意志は決して他の干渉を受けるものではない」
伝えることは伝えきったと言わんばかりに、アルファルドはその銃身に込める魔力を増幅させていく。
「悪いが、お前の道はここで終わらせる」
それに呼応するように、ノアの魔力もまた、流れ方を変えていった。
「これが───」
「最期の───」
アルファルドの構築していた魔法は『壊滅の源弾』。
対して、ノアの構築した魔法は『矛盾概渦』。
その二つの魔法から発せられた魔力が空間を埋め尽くし、たったそれだけで世界が揺れ動いた。
『───決着だッ!』
世界の命運は、如何に───
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