14.ありがとう
アルテマとジェラルドがクレスを呼びに行ったり、会議室の手配をしに行く。
その間にノアとエルナは近くの空いている一つの部屋へと入っていた。
「……」
ノアは口を開かない。
言葉を選ぼうとしているかのように、エルナの顔を見ることもなくただただ考え続けている。
「……それで、ノア様。話とは……?」
しばらく黙っていたノアに不安になったのか、エルナが顔を覗き込むようにしてノアへと聞いた。
「……はぁ」
発する言葉を考えついたのか、選ぶのを辞めたのかは定かではないが、ようやく口を開く気になったノアは小さく呟く。
「……エルナ」
「は、はい」
そうして少しだけ間を置き、エルナへと告げた。
「……俺はきっと、次の戦いで滅びる」
「っ……!」
近くにいるノアにさえ聞こえるかどうかといった程小さく息を呑むエルナ。
「そう……ですか……」
驚くでもなく、聞き返すでもなく、エルナはノア本人から告げられたその事実を受け止める。
彼女自身も覚悟していたことではあったのだ。
そもそも最初にノアがヴァンデラへとやってきて、会えたこと自体が奇跡のようなものだった。
ノアは二万年前、自身はこの世界にとっての異物であると認識し、記憶と力を封印して自らその命を絶っている。
滅びはしていなかったようだが、蘇る気もなかったのだろう。
その気があるのなら、実の娘のようにも思っていたエルナを置いて死になどしないはずだ。
そんなノアが神々の願いによって蘇り、この世界の為に奔走してくれていた……再会した当初はノアの方に記憶がなかったが、それでも会えたのだ。エルナからすればこれ以上に嬉しいことなどなかっただろう。
そんなノアが、今度こそ自身は滅びると言っている……
「解っては、いました……ノア様はきっと、その魂をかけてでもこの世界を救おうとしてくれると……」
エルナの瞳に涙が溜まる。
理解していたとしてもそれを事実として受け止めるのには勇気がいる。
それ故の、涙だ。
「……でも」
これは四王が一角、魔王エルナとしてではなく、ノアのたった一人の娘としての言葉。
「……それでも私は、ノア様に……お父様に生きていて欲しいです……!あの時救ってくれた恩も、まだ何も返せてないのにっ!」
「エルナ……」
それは我儘だった。
ノアに拾われて以来、一度たりともしたことのない我儘……
それを二万年経って、初めてしてくれたのだ。それも、自身の命を大事にして欲しいという父親を憂た願い。
親として、これ程嬉しいこともない。
「っ……」
だが、ノアは───
「───ありがとう、エルナ」
「っ!」
ノアは静かに、エルナの頭を撫でる。
「心配してくれているのは嬉しいし、何よりあのエルナの初めての我儘なんだ、叶えてやりたいとも思う……でもな、これだけは駄目なんだ」
王として、世界を救おうとしてくれている救世主への願い。
娘として、死地へ向かおうとしている父親への願い。
エルナは今、その二つの感情に板挟みにされている。
ノアはその願いのどちらかを切り捨てなければならないのだ。
「アルファルドを止められるのは俺だけだ」
「そ、それはそうですがっ……」
「誰かがやらなければならない。そして、それが可能なのは俺しかいない。ならばもう道は決まっている」
ノアとて可能ならば滅びたくはない。
だがアルファルドの強さは本物。かつてと比べ衰えてしまった今のノアであれば、アルファルドの壊滅で完全に滅ぼすことも可能だ。
(ヴァディア相手に苦戦を強いられたことを考えると、勝率は二割あるかどうかといったところか……)
勝ち目がないというわけではない。
だからこそ向かわなければならないのだ。
「お前の俺に対する最初で最後の我儘かもしれないのに……叶えてやれなくてごめんな」
「そんなこと……っ!」
言葉を詰まらせるエルナ。
彼女も解っている。
アルファルドの件はノアに全てを託すことが最善であると。
少なくとも王として、世界や人類への被害を最小限にとどめる為には間違いなくその選択が正しい。
だが……娘としての想いがその正しさを歪ませていた。
大切な人に死んでほしくない。できるならば生きて、笑い合いながら暮らしたい。
そんな願いを抱かずにはいられなかった。
「あいつが……アルファルドが他の世界を侵略したのは、俺のせいでもある」
真実を伝えずに行方をくらませたこと。
界間移動によって世界同士の繋がりを生み出し、アルファルドでもこの世界に来れるようにしてしまったこと。
どちらかがなければ、アルファルドがこの世界に来ることはまずなかったはずだ。
「俺はきっと滅びるが、そうなった場合でも確実にアルファルドのことは道連れにする。だからこの世界は、とりあえずは存続できるはずだ」
「っ……!」
エルナが言いたいのはそういうことではない。
いや……ノアもきっとそのことは解っているはずだ。
「だから……その後のことは頼む」
「それは……」
「アルファルドは俺が滅ぼす……それだけは絶対に為す。でもきっと、俺とあいつの戦いでこの世界は滅びかけるだろう」
ガロンやヴァディアとの戦いでさえ、グラエムと穿界の魔手以外の大半が消し飛び、更地になった。
仮に死の概念がなくなって人類が結界の外に出られるようになったとしても、そこから世界全土を甦らせるのには相応の時間がかかるはずだ。
ノアが滅べば八神が復活するため、まだどうにかはなるだろうが……
「お前は、人類の要だ」
それでも所詮八神と界律神は神でしかない。
人類という生命を先導し、支えていくのは指導者の役割だ。
そして、その役割を担うのが四王……その中でも最も力を持ち、最も長く生きているエルナこそが、人類の中心となって生命を導いていくのだ。
「お前は、俺の娘だ」
「……っ!」
「俺だって前の世界じゃ世界を統一して、三百年間人類を導いてきたんだ……お前にできないとは言わせない」
強さの違いは当然ある。
だが、より民に寄り添い、同じ視点で皆を引っ張っていくのはノアにはできない。
ノアはそれをするには些か強すぎたのだ。
「……お前ならできるさ」
ノアにはできない……それでも、エルナにならばできる。
この二万年間、魔王として種を先導してきたエルナであれば、必ず。
「……生きて戻れる確率は、どのくらいですか……?」
エルナはもう、ノアを止めることはない。
行ってほしくないという気持ちは当然あるが、後のことを託されたのだ。エルナとしても、できる限りその願いを叶えてやらなければ、娘として失格だと思ったのだろう。
その問いにノアは───
「……どうだろうな」
アルファルドの力の上限は概ね把握している。
ノアの考える通りならば……勝率は低かった。
ただもし……もしもアルファルドの力が、ノアの考えているよりも弱かったのなら。
そうであったのなら、今のノアでも十分に滅ぼした上で戻ってこれる。
故に、賭けだ。
アルファルドの力の上限がどの程度か、という全てをアルファルドに委ねた賭け。
そんなものを前提として勝率を語るなど烏滸がましいだろう。
(少なくともあいつはデネスよりは弱いはず。デネスが元凶だと考えた上で奴を滅ぼす為に力を得ようとしているのだから、デネスよりも強かったのなら他の世界を侵略する意味がない)
アルファルドの力の幅は今のノア以上、デネス未満ということになる。
とはいえこれは幅がかなり広い。
ノアと同程度の力だったのなら、虚無は壊滅に負けることはない。
だがデネスに近ければ……
「……低い、と思っておいてくれ」
「そう、ですか……」
しばらくの沈黙。
それを破ったのは、部屋の扉がノックされた音だった。
「……時間みたいですね」
「ああ……二人で話せる時間は、もうないかもしれないな」
ノアは遠くない内に穿界の魔手へと向かってしまう。
そうなればもう、エルナと話せなくなるだろう。
「……約束してくださいますか」
「何をだ?」
だからこそ、最後に繋ぎ止めるための言葉を発する。
「必ず、とまでは言いません……でも、どうしようもない場合でないのなら、生きて帰る道を探してください……絶対に、道連れを前提とした策を取らないでください」
「それは……」
結果的にそうしなければならなかった、という場合はエルナには止めようもない。
それ故に、生きて帰れそうな状況なら、どう足掻いてでも生きて帰れ……ということだ。
「……はは、そうだな。それについては約束しよう」
これは安心させるための嘘ではない。
本気で、そうしようと決心した。
ガロンの言葉が……『自分自身を救え』という想いが伝わったのかもしれない。
「さて、行くか」
「はい」
ここからは、人類の存亡を賭けた会議の時間だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「次が最後の戦い……というわけだね?ノア君」
グラエムを統治する四王や重鎮達が集まる会議室。
その進行役を務めるアルテマからノアに、その質問が投げかけられた。
「真の元凶は別だが、この世界の現状的にはそうなるな」
ノアのその言葉に周囲が騒つく。
これまでノアはアルファルドさえ倒せばどうにかなると言っていた。
確かにそれは正しいのだが、『真の元凶』という不吉な言葉に不信感を抱いているのだろう。
「……その言葉の真意について聞いてもいいかい?」
それについてはアルテマもまた同じだった。
「ああ、そろそろ明かすべきだとも考えていたしな」
ノアの発言に周囲は一瞬で静かになり、次の言葉を待った。
数秒後、無音の空間の中でノアが口を開く。
「この世界を含め、いくつもの世界がより上位の存在に干渉されている……そいつの名は、空王レノン。かつて別の世界の神だった存在で、現在はあらゆる世界を対象に実験という名の非人道的行為を繰り返す……怪物だ」
再度……否、先程よりも大きく動揺する重鎮達。
かく言う四王も目を見開き、驚愕しているが……
「……静かに。今は話を聞く時間だ」
アルテマの一言で驚く程静かになった。
アルテマはまだ実年齢九歳のはずだが、大人よりもなお深い思考力と落ち着いた雰囲気もあり、誰も逆らうことはない。
そもそもアルテマに勝てるのもエルナだけであるというのもあるだろうが……
「……次の戦闘の相手であるアルファルドの世界は、かつて俺がいた世界でもある。その世界はここと同様、滅びの危機に瀕しているんだが、それの元凶がレノンだ。アルファルドもそれがなければ他の世界を侵略するなんてことは絶対にしない。あいつの性格はよく知っているからな」
「では、そのレノンとやらをどうにかしなければ……」
「とりあえずこの世界の直面している危機についてはアルファルドを滅ぼすことで解決可能だ。とはいえ数千年、数万年後の未来に、かつての俺の世界のようになってしまったとしても不思議はない。レノンを滅ぼさない限り、それは無限に続いていく」
「……アルファルドはレノンという存在を知っているのかい?」
「それについては俺が悪い。レノンの存在を感知できたのは俺だけなのに、誰にも教えることはなかった……アルファルドは俺たちの世界の神、邪印デネスを滅ぼせば解決すると考えているんだろうが、レノンがいる以上、本質的な解決にはならない」
「ふむ……」
ノアとアルテマ、二人の問答は続いていく。
「つまり纏めると、とりあえずアルファルドを滅ぼすことで目前の危機は回避できる。だがレノンを滅ぼさない限り、外的要因での世界の危機は間違いなく続いていく。ということで合っているかい?」
「その認識で結構だ」
「なるほどな……元々スケール感がデケェと思ってたが、こりゃ想像以上かもしれん」
アルテマが纏めることでようやく理解できたのか、獣王ジェラルドがその大きすぎる規模感に戦慄し始めた。
「……とりあえずお前達はレノンのことは考えなくていい。アルファルド相手でもそうだが、レノンはそれと比べても別格だ……何せ、前世の俺ですら絶対に勝てないと確信した相手だからな」
その言葉に目を見開いたのはエルナとアルテマの二人。
エルナは前世のノアを知るが故に、アルテマは前世の方が今よりも圧倒的に強かったと聞いているが故に。
「……確かに、それならばアルファルドの相手すらも務まらない私達ではどうすることもできないでしょうね……そのレノンという存在の観測すらもできていないのでは土台にすらも立てない」
「それに関しては俺も人のことを言えないがな。俺だって観測こそできたが、勝負の土台に立つことが可能だったとは思えない」
前世のノアとレノンでは文字通り存在する次元が異なる。
最低でも同レベルの次元に上り詰めなければ一方的に干渉されて滅ぼされるだけだ。
(……いや、虚無なら、あるいは……?)
ノアが思考が深く沈もうとする。
「コホン……まあレノンについてはいいだろう。私達にできることはないのだから……で、ノア君」
「あ、ああ……どうした?」
アルテマがノアの思考を止めさせ、再度会話に引き上げた。
「アルファルドと直接戦うのは君しかいないし、それは名乗り出てくれているという認識で良いんだろう?」
「そうだ」
「ありがとう……そこで聞きたいのだけれど、私達にできることはあるかい?君に比べれば私も含めて烏合の衆でしかないが、できることがひとつもないとは思いたくなくてね……せめて君の口から、何か私達にもできることがあれば教えてほしい」
ノアはこの世界の神々に託された、文字通りこの世界の命運を握る特異点だ。
それでもやはり元はと言えば部外者……この世界の出身ではない。
アルテマはそれを知った上で、自分の世界を自分の手で守りたいのだろう。
だからこそ、自分の手に余るのならばせめてその手伝いだけでも、できることがあるならやりたい……と。
「……仮に、俺が勝ち切ることができず、更に道連れにも失敗した場合……その時はアルファルドだけが生き残ることになる」
「……」
ノアだけが滅びる……これはそうなった時の話だ。
「その時、俺にもうできることはない……お前の、お前達の意志を尊重する。覆すのが絶望的な運命だとしても、抗いたいのなら本気で抗え。俺も、そうならないように努力する」
その時はどうせ滅びる運命なのだ。全人類で最期にやりたいことをやれ……これはそういった意図の発言。
ノアは過剰に希望を抱くことはしない。少なくともこの世界の全人類とアルファルドでは、どう足掻いてもアルファルドが勝ってしまう。
それはきっと、八神と界律神を加えても結果は変わらない。
だからこそ、『やりたいようにやれ』と、『抗うのなら抗ってみせろ』と言うのだ。
「……それは、最早自己満足の領域だね……」
「ああ。静かに滅びを待つか、最期に立ち向かって滅びるかの違いでしかない。決定権は個々人にある。俺はそれを強要しないし、四王であろうともその権利はない」
あくまでも自己完結させた決意の話。
エルナも、アルテマも、ジェラルドも、クレスもそうだ。
自分自身が立ち向かうかどうかは自由だが、他にどれだけ賛同者がいるか───
「わ、私は戦いますぞ!王よッ!」
「……ふむ?」
精霊の重鎮の一人が声を上げる。
「お、俺もやってやる!」
「どうせ滅びるなら、無理かもしれないけど一泡吹かせてやりてぇ……!」
「力では勝てなくても、この意志だけは負けてたまるものか……っ!」
最初一人を皮切りに、四種族の重鎮達が次第に立ち上がっていく。
「お前ら……!」
「これは我々も乗るしかありませんね……!」
その熱気はジェラルドとクレスにも伝染し、二人も立ち上がった。
「……これはあくまでも俺が一方的に滅ぼされたらの話だ。そうならないよう、俺も奴を全力で滅ぼしにかかる。でも、そうなってしまった時はせめて奴に一泡吹かせてやれッ!アルファルドの虚を突かれた顔を拝んでやれッ!この世界の危機を招いた張本人の間抜け面だ、これ以上に滑稽なものもないよなッ!?」
『おうッ!』
ノアのその姿はまるで扇動者のよう。
だが、滅びが確定してしまった未来を想定した場合はむしろこのやり方の方が士気を保てるというものだ。
「まったく……やってくれたね、ノア君。これじゃあ他の人々も乗せられて大軍勢になってしまうよ」
「いいじゃねぇか、そん時はどうせ滅びるんだからよ」
「そうですよ。我々に残された道はもうこれしかないんですから」
「いや、まあ異存があるわけではないんだけどね……」
ジェラルドとクレスの乗り気の言葉にやれやれと肩を竦めるアルテマだったが、不思議と絶望した表情はなかった。
「アルテマ」
「ああ、解っているよ。無意味を承知で軍を編成しておく……エルナもそれでいいね?」
しばらく黙っていたエルナを心配してか、アルテマが話を振る。
「……」
それにエルナはゆっくりと反応して、改めてノアの方を見た。
「……私は希望を捨てませんよ」
「エルナ……?」
「ノア様が一方的に負け、滅ぼされる……まずこれを信じません。次に、私達がアルファルドに勝てないということも信じません」
それは見方によっては相手の力量を把握できていないとも取れる。
だがそれはエルナに限って起こり得ない。
つまり、これは───
「無謀なのは百も承知です。それでも、私にはノア様に希望を捨てるなと言った責任がある……」
「……」
ガロンとの死闘の前、ノアがエルナに言われた言葉だ。
「私の言葉が原因で貴方が希望を捨てないのなら、私も希望を捨てません。この気持ちは、最期までノア様と一緒です」
「……っ!」
ノアに思うところがあったのは間違いない。
だが、やはり再度希望を持てたのはエルナの言葉によるものが大きかった。
それは一種の呪い。
希望を捨ててはならない……全てを救わなければならないという呪い。
不可能を諦めてはならない、どんな絶望的な状況でも諦めることを許さない呪いだ。
「───なので、決着をつけてきてください。もちろん、生きて帰ってきて」
それは先程二人で話した時の内容の復唱でもあった。
「……それについてはさっき約束しただろ?」
「ええ、そうですね……ではもう一度、約束してください」
「二重か……解ったよ」
以前に比べてエルナが図太くなったように感じるノア。
ノアからすればそれは嬉しいことなのだろう。これから滅びるであろう戦いに向かうというのに、その顔は明るかった。
「少なくとも道連れを前提とした策を取ることはしない。それだけは確約する」
「本当は生きて帰ることも確約してほしかったですが……それはまあ仕方ないですね」
ノアもこのことについて嘘はつけない。
下手に安心させることは先程の扇動を否定することにも繋がる。
「さあ……最後の準備だ」
ノアはそう言って、久々に不敵な笑みを浮かべた。
人類の覚悟は───
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