6.無意
何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない───
そんな、闇の中。
その中で、闇に呑まれることのない存在が二つ。
ノアとガロンである。
ここはガロンの展開した闇滅領域、『葬星闇球』の内部。
闇色の球体が空間を根本から分断し、闇の恒星として世界に顕現させたものだ。
だが、おかしな点も複数ある。
そもそもとして、ガロンが領域を使える理由───
神域というのは神が展開する心象の概念的な具現化であり、自身と対象をその世界に幽閉するというもの。
当然、ガロンも神なので神域は使えるはず。
しかし、領域は違う。
領域は神域と違い、神としての力を宿していない。
そして空間そのものを分断してその内部を攻撃する、空間魔法に近い特性を持つ。
最も問題なのは、この領域という術はつい先日、ノアが開発したものであるという点だ。
ノアが全ての世界、全ての宇宙内で初めて得た、『意志の権能』の最初の一つ……殺意の権能。
それによって展開させることのできるのが、天殺領域『裂殺侵空』。
この短時間で、ガロンが己の持つ星と常闇の権能から領域を会得したというのは考えづらい。
そもそもとして、ノアが領域を使ったことを知っているのかどうかも怪しい。
領域は神の力を必要としない分、様々な要素に左右される。
端的に言うのなら、才能だ。
権能と呼べる程深化した力を持つ者の中でも領域を使えるだけの才能が必要……
つまり、才能がなければどれだけ権能が強力であろうとも領域を使うことは永久的にできないのだ。
ガロンはその才能を持っていたということになる。
それはいい。問題はそこではない。
領域という術はノアが使うまで全次元において存在していなかった。
ノアがノアであるからこそ、領域という新たな道を開拓できたのだ。
それを直接見たわけでもないのに、ガロンはそれを使えてしまっている。
本来ならば、それは有り得ないはず。
(な、ぜ……)
闇に呑まれる瞬間、ノアの疑問がガロンにまで届く。
「───」
だが屍となったガロンがそれに答えることはない。
(ガロン……ッ!)
───そこで、ノアの意識は闇に消えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「───」
常闇の中、それを操っているガロンは、闇に呑まれて思考能力が完全に途絶えたノアを見る。
ノアはその存在まで消滅したわけではなく、あくまでも意識が途絶えただけ。
故にガロンは警戒を怠っていなかった。
それなのに───
「───!?」
それなのに、ガロンは有り得てはならない状況に驚愕する。
「───『───』」
ノアの口が、動く。
言語化すらできていないような、解読不可能な言葉だ。
それでもそれは確かに魔法として起動し、同時にノアが開眼した。
「『───』!」
その瞬間、色彩のない常闇が動き出す。
闇一色だったこの空間内をノアの瞳が───魔法が掻き乱す。
完全静止していた常闇が次第に渦巻いていき、その本流は領域の術者であるガロン本人すらも飲み込みかけた。
「───ッ!」
それを本能的に危険だと感じたのか、ガロンは領域を解く。
崩壊する結界と、世界に溢れ出す常闇……その開放された常闇は、文字通り世界を蹂躙し始める。
「『───』」
だが、それすらもノアの言葉とその瞳による一瞥で虚無の彼方へと消え去った。
「───ッ!?」
次のノアの行動に、ガロンの本能が警鐘を鳴らす。
左手をガロンに向けて突き出し、魔力を───否、理力を結晶化し始めたのだ。
「『是正星線・葬滅剣』ッ!」
それは『葬星闇球』の闇を纏った星剣を、『是正星線』によって繋いだ星線によって強制的に必中させる複合魔法。
剣という一点に常闇を集中させる分、個を相手にするなら領域よりも殺傷能力が高い。
それを前にしたノアは───
「───『静滅銀刀』」
完全に意識が途絶えた状態で、それを顕現させる。
「───?」
依然として刀身は不完全であり、無意識下のノアはそれを僅かに眺める。
だがそれも一瞬のこと。
ガロンが『是正星線・葬滅剣』を振りぬこうと近づいてくることにノアも気づく。
そして、その瞬間───静滅銀刀に光が宿る。
「───『原初之太刀』」
星線が───切断された。
「───ッ!?」
ガロンにとっては予測不可能の事態。
星線の切断などそこらの神ですら不可能だ。
それをノアは、虚無の権能すら使わない完全なる物理のみでそれを実現した。
いくら『光の剣戟』を使ったのが静滅銀刀だといっても、誰が存在しないはずの星線が切断されることを予想できただろうか。
「───ッ!?」
ガロンにとっては予測不可能の事態。
星線の切断などそこらの神ですら不可能だ。
それをノアは、虚無の権能すら使わない完全なる物理のみでそれを実現した。
いくら『光の剣戟』を使ったのが静滅銀刀だといっても、誰が存在しないはずの星線が切断されることを予想できただろうか。
「『───』」
有り得るはずのない事態に動きを止めたガロンとは対照的に、ノアは無意識的に魔法を使う。
灰色の理力が集い、静滅銀刀の失われた刀身を新たに形作った。
その瞬間、世界に矛盾が生じる。
たった今ノアが使った魔法は───『虚構斬』。
かつて……前世のノアが、近接戦闘をする時に最も多用していた魔法である。
虚構という嘘をノアの虚無によって現実とし、それによって生じた矛盾を以て対象を滅ぼす……
滅びる対象に例外は───ない。
「───ッ!!」
屍でありながら、ガロンは恐怖すら感じていた。
何故ならあれは、この世界……否、あらゆる次元において有り得てはならない存在だ。
そして、それを自身に向けられている───
その事実が、何よりも恐ろしいと感じたのだ。
「『理編の醒星』ッ!」
危機を感じたガロンが使ったのは星線に繋がれた存在に課そうとしていた理の強制を、強引に今この瞬間に発生させるという魔法。
これにより、ノアの周囲の空間に亀裂が迸る。
「───」
それを一瞥したノアは───
「『───』」
これまでとは異なる魔法を使っていた。
自身を中心に渦を展開……これだけなら、『混沌災禍』と同じだ。
問題なのはその出力……明らかに、『混沌災禍』の力の範疇を逸脱していた。
「───」
そこでノアはようやくガロンを『自身を害そうとする存在』と認識したのか、その渦を纏ったままガロンに近づいた。
───光速の、数十倍の速度で。
「───ッ!!?」
屍でありながら自身の滅びを垣間見るガロン。
───だが、ノアがガロンを滅ぼすことなど、あの存在が絶対に許さない。
そう───ノア自身が。
「───?」
渦とガロンが触れる直前、ノアの身体が完全に静止する。
ノアの光速を遥かに超える移動によって乱れた周囲の空間が、一瞬の時を経て爆ぜ散った。
発生した空間の歪みにノアとガロンは呑まれかける。
それに対してガロンは咄嗟に自身と遠くの空間を星線で繋ぎ、『理編の醒星』を使ってノータイムで離脱。
ノアはその空間を睨み、現象そのものを無に帰させた。
「───」
そこから、ノアの行動が完全に停止する。
発動させていた渦も解き、魔法も『光の剣戟』も何も使用していない状態になった。
「───」
無防備な状態で宙に浮くノアとは対照的に、ガロンは警戒をより一層強める。
ガロンも迂闊には攻撃できない。
いつノアが無意識のまま再起するか解らないからだ。
下手に干渉すれば今度こそ滅ぼされる……それを理解していたガロンは、ノアが動き出した時に備えてノアの周囲の空間のみに星線を張り巡らせた。
「───っ」
対して、ノアは己の中で戦っていた。
別に自分自身と戦っているわけではない。
無意識のノアもまたノア自身なのだから。
では、ノアは何と戦っているのか───
答えは単純だ。
「───ッ!!」
己の防衛本能を抑え込む……ただそれだけ。
無意識のまま身体が動くというのは、ノアが滅ぼされない為に表層に出てきた防衛本能でしかない。
熱いものに触れた時にすぐに手を引っ込めるあの感覚に近い。
あの現象が大規模に起こっているだけなのだ。
だからこそ今のノアをあの感覚に例えるなら、熱くても触れ続けようとしているようなもの。
故に、理性さえあれば───意志が勝つ。
「───が、あぁッ!!」
これまでになかったノアの叫び声。
それは身体の主導権を本能から取り返した証だ。
「はぁ、はぁ……」
そしてそれと同時に静滅銀刀が役目を終えたように消え失せる。
意識のあるノアでは静滅銀刀を顕現させ続けることなど不可能だ。
(はぁ、はぁ……全く、かなり厄介なものだな、本能というのは……)
そうしてノアが息を整えて───
「ッ!?」
その瞬間に感じる圧倒的存在感と熱。
その出処は───
(……上かッ!?)
咄嗟に頭上を見上げたノアはそれを見る。
───巨大な隕石が、ノア目掛けて迫っているのを。
「おいおい……」
ノアはただの物理攻撃である隕石程度では魂が滅びるどころか死ぬことすらもない。
問題となるのは、今ノアのいる位置だ。
(このままじゃあいつらに……!)
───そう、今ノアがいるのはグラエムの遥か上空。
受けるにしろ躱すにしろ、グラエムに降りかかる災厄は覆せない。
(星と常闇の権能の力か……?星の……いや、星線の……?いや、それどころじゃないな)
力の出処など今はどうでもいい。
とにかくノアはこの隕石を消滅させなくてはならないが……
「───『常闇宿りし星の剣』!」
「そうなるよなッ!」
ノアはガロンの攻撃もいなさなくてはならない。
(どうする……どうすればいい!?)
もう猶予はない。
何かしらの方法を考えなければ、『常闇宿りし星の剣』にノアが、隕石にグラエムが滅ぼされる。
静滅銀刀もノアの意識と引き換えに消えてしまった。
今のノアでは再顕現は不可能だ。
理力も根源神装も使えないこの状況でノアが全てを乗り越えるには、一撃で『常闇宿りし星の剣』も隕石も封じなくてはならない。
それをできる手段は───
(───ある。あの技なら、どちらも解決できる)
だが、どうにかできる技があるにもかかわらず、ノアは迷っていた。
その技は……その剣技は、強すぎるのだ。
故にこれまで使ってこなかった『光の剣戟』の技……
それをノアは今、この場で解禁しようとしていた。
「耐えてくれよ、世界───ッ!」
白雪にこれまでにない程の光が集う。
その光はノアが無意識に使った『原初之太刀』よりもなお強い。
「はぁ───」
巨大な隕石とガロンの星剣がノアの目の前にまで迫る。
ノアはその二つを限界まで引き付け、その刃を一閃した。
「───『終極之太刀』」
その一瞬、世界から音という概念が消失した。
無音で放たれた白雪による一閃。
その一撃は、決して速くはなかった。
ただの人間相手なら確かに視認するのも難しかっただろうが、ノア達のレベルの戦いであれば止まって見える程、その刃は遅かった。
それでも、その刃は振り抜かれる。
(耐えろ、耐えろ……!)
『終極之太刀』……それは、ノアの編み出した『光の剣戟』の剣技の中でも最上位のもの。
存在、非存在関係なく干渉できるその刃は、文字通り次元の因果すらも軽く捻じ曲げる。
だが、それができるのは技だけでなく、強大なる力をその身に宿した上でそれを使いこなしていた場合だ。
かつての……前世のノアならば、この一撃でガロンの身体を滅ぼさないように無力化させることができていただろう。
そう……つまり、今のノアにはその力がないのだ。
『終極之太刀』という剣技を発動させるというのはただの技量。故に力を失っていても感覚さえ覚えていたのならそれ自体は可能だ。
問題なのは因果を思うがままに捻じ曲げる力の方。
前世ならともかく、今のノアに次元の因果を自在に操るだけの力はない。
それでも『終極之太刀』を使ったからには少なからずその因果に影響が及ぶ。
影響が出るのにその操作ができない……そんな不安定かつ不確定すぎるこの剣技を、ノアは使わなくても済むように立ち回ってきた。
だが、それにも限界が来てしまったのだ。
因果の操作ができないのならば、事が悪い方向に運べば最悪世界が消滅しかねない。
これは世界の存亡を賭けた大博打……ノアはそれをする決断を、たった今下したのである。
「く……ッ!」
それはまるで出目の悪いサイコロを振ったようなもの。
グラエムもノアも無傷で済む結果になるというのは天文学的確率なのだ。
だからこそノアは可能な限りグラエムへの影響を抑える為、足りない力を総動員して因果が自身の方向を向くように曲げようとする。
(全部受け止めてやる……だから、何もかも俺に来いッ!)
『終極之太刀』によって物理的に隕石が切断される。
不安定となっていた因果は、それでもノアの意志に呼応する。
「───ッ!!」
一度真っ二つになった隕石は、ノアの元に辿り着く頃にはバラバラになっていた。
(これ、で……)
あの程度であればグラエムそのものが滅びることはないはずだ。
少なからず死傷者は出てしまうかもしれないが、ノアとしてもこれ以上の助けることはできない。
何故なら───
「がぁッ!」
───『常闇宿りし星の剣』が、ノアの魂を貫いたから。
「ぐ、ぁ───」
ノアは賭けには負けなかった。
『終極之太刀』の因果は世界を滅ぼすことはなく、ある程度はノアの想定通りの現象を引き起こしたのだ。
むしろ賭けには勝ったと言ってもいいかもしれない。
だが、そこにガロンは含まれなかった。
影響を一切受けなかったガロンは、なんの抵抗もなくノアの魂をその星剣で貫くことに成功したのである。
「っ……」
元々完治していなかった不完全な魂である上に、その魂を貫いたのは『常闇宿りし星の剣』を発動させていた宵の星剣。
強靭なノアの魂でさえも、限界が近かった。
「───」
───それでも。
(ガロン……お前を……!)
それでも、ノアが諦めることはない。
希望を持つ限り進み続ける……それがエルナとの、娘との約束だから。
だからこそ、ノアは土壇場でその魔法を覚醒させる。
「───『矛盾概渦』ァッ!!」
貫かれた魂が飛躍的に活性化し、これまでにない程濃密な灰色の渦が空間を侵食する。
先程の常闇とは対照的に、今度は二人はその渦に呑み込まれていった。
無意識が与える強さ───
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