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10.殺意による殺意の浄化

アスティリアはその一部始終を見ており、グリアノスの末路に戦慄していた。


(何という、終わり方……)


殺すわけでも、滅ぼすわけでもなく、確実に精神が壊れない状態で無の中に放り込む……


(確かに、グリアノスにとってはこれ以上ない地獄でしょう……ですが)


アスティリアが最も心配していたのは、ノアの心だ。


(ノア……貴方は、それで良いのですか……?)


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「終わった、か……」


再生の権能で抉られた胸を元に戻し、ノアは天を見上げる。


ノアにとって、この戦いで失ったものは途轍もなく大きかった。


(街の中心部は再起不能レベルで壊れ、滅びた人は数十万人規模。そして何より───)


目を瞑り、小さく呟く。


「───エルナ」


その声は震えていた。


普通なら、耐え切れるはずがない。


大切な存在を失ったのだ。それも、あんな形で。


「───」


しばらくして、ノアは大破して原型もないヴァンデラへと向かう。


その地下……エルナが拘束されていたあの場所へと、再度足を踏み入れた。


「っ───」


そこにあったのは血の海。


肉も骨も臓物も、その一片すら喰われてなくなっている。


残っていたのは血だけ。


魂がない故にもう蘇らせることは不可能で、肉体がない故に埋葬して弔うことすらもできない。


もう、エルナがこの世界で生きていたと証明できるものが、何一つなかった。


「う……あああああッ!!」


膝をつき、叫ぶ。


喪失の悲しみと、守れなかった自分への怒りが大きくなりすぎている。


今回はユキやガロンの時とは違い、届かない相手というわけではなかったのも大きい。


ガロンを滅ぼしたヴァディアも、ユキを滅ぼしたアルファルドも、当時のノアからすれば逆立ちしても勝てない相手。


故に救えなかったと、そう言い訳することはできる。


だが今回の場合は、そんな逃げ道などなかった。


ヴァリディギウスは強かったが殺意の権能を以てすれば必ず勝てていた。


そしてグリアノスに至ってはそれを抜きにしたノアよりも弱い。


だからこそ『守ることができたはずなのに、守れなかった』という事実がノアの心に突き刺さる。


【ノア……】


アスティリアも、どう声をかけるか迷っていた。


今のノアに慰めの言葉は意味がないだろう。最悪の場合、逆効果になりかねない。


アスティリアも優しい心を持つが、『大切な個』というものはない。


ただ平等に、世界を愛しているが故に。


だから、大切な人を喪うという感情を真の意味で理解することはできないのだ。


「ノア、君……?」


そんな時に、第三者から声がかけられる。


「───アルテマか」


そこにいたのは、戦闘が終わったことを確認して戻ってきたアルテマだった。


「エルナは何処に……その、血……まさか」

「───」


アルテマは誰よりも聡かった。


広がっている血痕と、絶望しているノア……この情報でその全てを察する。


「エル、ナ……?」


アルテマはまるで力が抜けたように座り込み、呆然とする。


「嘘、だよね……?だってノア君は、グリアノスが相手なら間違いなく勝てるって、言って……」


確かに、ノアはアルテマにそう言った。


だがそれはグリアノスだけが相手だった時の話だ。


ヴァリディギウスのことは含まれていないし、そもそもエルナが滅ぼされたのはグリアノスの目的が達成されてしまったから。


グリアノス本人の強さは最早関係ない。


「エルナ……エルナぁっ……!」


アルテマの慟哭が響く。


「君は、私よりも強かった……何で、強い君が弱い私よりも先に滅びるんだ……!」


アルテマにとって、エルナは対等な立場の仲間であり、友人であり、憧れだった。


エルナは二万年の時を生きた、現状生き残っている最古の魔族───魔王として、霊王のアルテマと同じ立場だった。


だがアルテマとエルナは霊王と魔王という立場こそあれど、二人の間には明確な友情があった。


そして、誰にでも優しく、手を差し伸べるその姿に……憧れていた。


そんなエルナが、滅びた。


アルテマはこの世界の強者であり、頭脳に至っては他の追随を許さない程だ。


そんなアルテマでも、その情報を処理することはできない。


彼女もまた、人と同じ意思を持つから。


【……】


アスティリアは更に黙りこくる。


かける言葉が見つからなかった。


アスティリアとエルナは直接的な面識など当然なく、それどころかエルナはアスティリアの存在さえ知らないだろう。


アスティリアの方も、『この世界に生きている住人』という程度の認識しかなかったはずだ。


エルナのことも、アルテマのことも……完全に同列に『愛すべき対象』でしかない。


だから、彼女は何も言えない。


ノアを、アルテマを、傷つけてしまうから。


「───なあ、アスティリア」


突然、ノアがアスティリアに向かって声をかけた。


【……何でしょうか?】


アスティリアからすれば、エルナもまた『今回の事件で滅びてしまった存在の一人』でしかない。


ヴァリディギウスに滅ぼされた数十万人と同じだ。


だからこそ、可能な限りノアを傷つけないように言葉に気をつける。


だが、それも次の瞬間には徒労に終わった。


ノアの言葉によって。


「───蘇らせる方法は、ないのか?」


【───はい?】


突拍子のない発言に、傷つけまいとしたアスティリアの努力は一瞬で無に帰す。


(あ、貴方は一体何を……)


戸惑っている間にも、ノアの言葉は続いた。


「俺が完全に理解しているのは虚無と殺意だけ……界律の権能の中に、使えそうなのはないのか……?」


その声色は、まるで藁にも縋るかのよう。


【っ……】


だが、アスティリアはこのこと……世界の理のことについて、嘘をつくことができない。


神とはそういうものだ。


【……申し訳ありません】


それしか言えない。


「そう、か……そうだよな」


ノアとて八神の権能については嫌という程理解している。


それを複合させた界律の権能に使えるものがないというのはノアも知っていた。


それでも、それを聞かずにはいられなかったのだ。


(どうにか、できる方法はないのでしょうか……)


アスティリアは世界を愛するが故に個別の誰かに肩入れするということはない。


ノアの味方についているのは、ノアがこの世界を救う希望であるからだ。


だが、そんなアスティリアが目の前のノアとアルテマの叫びを前にして二人の為に行動しようとしている。


それは本来なら有り得ない現象だ。


もし仮にエルナを蘇らせることが可能だとしても、この状況では代償なしにそれを為すのはまず間違いなく不可能だろう。


滅んだ魂に作用するというのは権能ですらできないのだから。


世界の理を根本から変える……代償があるとするならば、それはきっとアスティリアやノアの魂そのものに違いない。


アスティリアはこの世界の神として、その行動を取るわけにはいかないのだ。


もう蘇る見込みはない。


それをノアは本当の意味で悟ってしまう。


(俺の……俺のせいだ。俺が守れなかったから、俺が悪いんだ。腹を裂かれ、身体が真っ二つになって死んだ。魂を貪り喰われ、その力を悪用され……俺が、俺が間に合わなかったからこうなった。神域試練で、創造神との会話で時間を取りすぎた。もっと早く帰っていれば、エルナは助かったはずだ。俺ならグリアノス程度すぐに滅ぼせたし、影として受肉する前のヴァリディギウスならどうにでもなった……いや、そもそも一度グラエムを離れたのがいけなかった。あの時俺がここに残っていればエルナの胎内に権能を植え付けられることすらも起きなかったはずだ。それにここを出るにしても、もっと強い分身を残していけば良かった。その時点でグリアノスを倒す、あるいは拮抗さえできていればもっと多くの時間は稼げたはずなんだ。それどころか二万年前、世界から去ろうとして俺自身を封印したのがいけなかった。あの時からずっと生きていたら、穿界の魔手が現れても俺一人で全て終わらせることができたはずだ。そうなれば、グリアノスもその場で滅ぼせていた。いや、もっと前か?俺がそもそもこの世界にやって来なければエルナが滅びる可能性は万一にも有り得なかったんじゃないか?俺が世界間を移動しなければグリアノスもこの世界に来る機会がなく、エルナと関わることは絶対的に起こりえなかったはずだ。つまり、俺があの時レノンという上位存在から逃げなければ全て上手くいっていた?いや、理由なんてなんでもいい。どうせ俺が全部悪いんだ。そこが変わることはないだろう。俺という存在が生まれてきたことも、俺がレノンから逃げて世界間を移動したことも、俺が二万年前に己を封印したことも、このグラエムから一度離れてしまったことも、グリアノスを倒せるぐらいもっと強い分身を残していかなかったことも、試練を早く終わらせて戻ってこなかったことも……その全ての責任は俺のものだ。全部俺が悪いんだ。だから、もう、俺が生きていていい理由なんてない。もう戦いたくない。守りたいものはもう全部なくなってしまった。ユキも、ガロンも、エルナも。俺の大切な人達はいつだって滅んでしまう。俺と関わるからいけないんだ。俺と関わった存在はその魂が滅びるんだ。だから、もう、俺という存在は消えていい。消えた方がいい。もう滅びたい。無だとか、殺意だとかはもう知らん。ただ、俺は俺を殺したい……)


ユキとガロンが滅ぼされた時から考えていた本音が遂にノアの心の内で吐露される。


それは滅多に見せることのない、ノアの弱さだ。


(ノア……)


アスティリアだけはその心の声を聞くことができていた。


彼女も、また世界の大切な住人を守れなかった苦しみを抱えている。


(でも、私のこれと貴方のそれは違う……貴方は、『守れたはずなのに守れなかった』……そう、思い込んでしまっている)


起きたことは覆せない。


界律に含まれる追憶の力でも、ノアという虚無に関係する過去は弄れない。


(……方法……完全にゼロというわけではありません……でも、いくらなんでも可能性が低すぎる。それに、この方法は成功した場合でも蘇るかどうかすら怪しい)


アスティリアは一つの方法を思いついていた。


理論的には絶対に不可能というわけではない。


だが、その方法は───


(ノア……後は頼みますよ)


アスティリアは、人知れず覚悟を決める。


この方法での成功確率は万に一つもない程低い。


そもそも理論が間違っていて、成功するという幻想を見ているだけなのかもしれない。


それでも、アスティリアはノアの為にそれを言う。


【……ノア、一つ考えがあります】

【……何だ。方法などないと言ったのはお前だろう】

【ええ、ですがこれは貴方の殺意を利用するもの。意志の権能は貴方が生み出した形態……ほぼ不可能に近いとはいえ、結局は未知数なのです】


ノアの殺意を、滅んだエルナを蘇らせるのにどう使うというのか。


【───殺意を、反転させるのです。あなたの殺意は無条件で対象を殺せる。ならば、反転させれば蘇らせることもできるはず】

【ッ……!?】


ノアは小さく息を呑む。


殺意は殺意で、どうやっても他の何かになることはないと考えていた。


だからこそ、その発想そのものがなかったのだ。


【……だが、それは……お前はそれでいいのか……?】

【……正直、この世界の神として褒められた行いではありません。特定の誰かに肩入れし蘇らせるというのは……】


確かにそんなことができるのなら、アスティリアはヴァリディギウスに滅ぼされた数十万人のことも蘇らせなければならないだろう。


だが彼女はそれを知った上で、エルナを優先的に蘇らせようとしている。


【私は……確かに、神です。この世界の生命を守る義務があり、個の命に執着するのは本来ならばあってはならないこと。ですが───】


アスティリアの声色が柔らかく、慈愛に満ちたものとなる。


ノアからは声しか聞こえないが、アスティリアが優しく微笑んでいる……ような気がした。


【───ですが、『救えるだけを救う』というのは、何もおかしな話ではありません。私は、それを貴方から学びました】


ノアのこれまでの行動、八神の前で取った言動───


それら全てが、アスティリアの背中を押す。


【救いましょう、ノア。彼女は……エルナは、貴方の大切な人なのでしょう?】


アスティリアのその『救う』という言葉は、果たしてエルナに向けられたものか、あるいは───


【───ああ、やろう】


ノアは覚悟を決めて血の海の中から立ち上がる。


殺意を少しずつ空間に解放していき、この空間の限界を見極める。


「ノア君……?何を……」


その場で座り込んで泣いていたアルテマが、突如として立ち上がって周囲に殺意を解放したノアの行動を訝しむ。


ノアはアルテマの方をちらりと振り返り、少しだけ微笑んでみせた。


「離れてろ、アルテマ」


ノアはそれだけを言い、再度殺意の操作に集中する。


「何で笑って……いや、解ったよ……」


何か策があるのかもしれないと、希望的観測だけでアルテマはノアを信じて下がる。


それを確認したノアは小さく頷いた。


【ノア、反転は私がやります。ですから貴方は殺意に集中してください】


アスティリアの言葉にノアは反応しなかった。


だが届いてはいる。


だからこそ、アスティリアが反転をしやすいように、今のこの『対象のいない殺意』を魔法や術として体系化しようとしているのだ。


(反転させるんだ、余計な感情は不要。必要なのは純然たる殺意であって、憎悪や怨念ではない)


ノアは一度、追憶の権能まで行使してグリアノスのことを忘れる。


そうしなければ殺意は憎悪の方向へと傾いてしまうから。


だからこそノアは殺意の理由を消失し、ただエルナを救う為にこの力を使っているのだという記憶だけが残った。


(殺意を魔法に……いや、それじゃ足りない。俺はあの時、神域の代わりとして領域を生み出しただろう。なら今度は、深層羅神のッ……!)


それがどれだけ大変なことなのか……それはノアが一番よく解っている。


(もっとだ……もっと深く!)


ノアの意識は殺意の底に沈んでいく。


否、それに底などなく、ただただ永遠に沈むだけ───


(……っ!)


───だが、底がないからといって何も掴めないわけではない。


【……アスティリア】

【どうかしましたかっ、ノアっ!】


アスティリアもその殺意に呑まれないよう、必死に自身の魂を繋ぎ止めていた。


そんなアスティリアにノアは淡々と告げる。


【俺は今から、魂を削る】

【それは……】


先程のように穴を開ける……という程度の話ではないようだ。


【……滅ぶ気はないのですね?】

【ああ……これが、近道のはずだ】


死や滅び……その直前こそが、魂が最も輝く瞬間。


ノアの場合は滅びへの防衛反応として虚無がより一層深くなり、殺意の波が黒い衝撃となって周囲を襲うだろう。


その殺意の衝撃すらもノアが受け止めれば、更に魂は滅びに近づく。


その死に際で、新たな力を掴もうとしているのだ。


【───どうか、気をつけて】

【───ああ】


ノアの意識は自身の虚無……そして殺意の中へと沈んでいく。


(っ……)


そこに入った瞬間から魂一つで圧倒的すぎる殺意を受け続けるが、ノアはそれでも怯むことなく潜る。


その過程で殺意によって魂が大きくすり減っていく。


(この程度の殺意……エルナの痛みに比べれば大したことはないはずだ……!)


エルナは腹を喰い破られて真っ二つに引き裂かれ、その後に魂の残る死体を貪り食われた。


どれだけの痛みだっただろう。


一つだけ解るのは、常人には決して耐えられるものではないということ。


そんなのと比べれば、今ノア自身に向いている殺意や削られている魂など可愛いものだろう。


実際にどうかというのはともかく、ノアからすればそれが真実なのだ。


だからこそ、ノアは止まらない。


止まってしまえば、もうエルナを救う術はないから。


(深く……深く、深く)


潜る、潜る、潜る。


そうして、その先で───


(───見つ、けた)


ノアが見つけたのは、黒い水晶のような、綺麗な殺意の結晶。


(これを……)


ノアの意識が一気に浮上する。


【……ノア?】


数分経っていたようで、アスティリアの心配した声が聞こえてくる。


【……全て解った。もう、いつでもいける】


それに対し、ノアはもう大丈夫だと微笑んでみせた。


【さて、やるぞ】


ノアは精神内でその黒い水晶に殺意を流し込む。


すると水晶は黒い光を放ち、あまりにも純粋すぎる殺意によってノアの内部に残っていた憎悪の殺意を根本から殺し去った。


殺意の権能の中から抽出された、憎悪も怨念もない純然たる殺意。


それは───


「魂源深火───『純殺霊玖(じゅんさつれいく)』」


───新たな力として、この世界を塗り替えた。


憎悪を殺す、純然たる殺意───

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