7.共に
「……お前のことはアスティリアと呼んでいいのか?」
しばらくの間が空き、ノアが口を開く。
それは今の戦況などではなく、界律神をどう呼べばいいかというものだった。
「ええ、構いませんよ……それにしても、最初に気になったのがそれなのですね」
「ああ、状況に関してはこれ以上ない程理解しているつもりだ。解りきっていることを聞いてもどうにもならないだろう?」
魂の殆どを削られるという常人なら一発で廃人になる程の傷を負ったのだ。自分がどのような状態にあるかなど、ノアからすれば簡単なことだった。
「この場はお前の精神世界であって、神域とは違う。俺の身体が直接ここに入ったわけじゃない。精神世界だから、時間の流れも外界と隔絶されている……間違ってないだろう?」
状況を寸分違わず言い当てるノアに、アスティリアは目を見開いて驚いていた。
「……流石ですね。ええ、その通りです。ここは私の精神世界。この場に貴方の意識を招き、この時間を設けました。ここで経つ時間は外界とは異なり、完全にゼロ。どれだけ話しても、一切世界が動くことはありません」
「っ……想定はしていたが、完全にないのか」
少し戦慄したような反応をするノアの言葉に、アスティリアは首肯する。
「貴方はある程度察しているようですが、改めて説明を……私は界律神アスティリア。この世界を創造した神であり、創造神アスティリアの大元となった人格です。彼女は私が創り出した、偽装の為の人格に過ぎません」
本人の口から語られるこの世界の真実に、ノアは耳を傾ける。
「かつて……それこそ、この世界が誕生して間もない頃、この世界に上位の存在が干渉してきました。私はそれを確認した瞬間、この世界を守る為に創造神としての人格を創り、私自身は世界を滅ぼす神を演じました……もう一人の私でもある、創造神の人格にも悟られないように」
干渉してきた上位の存在……それが何かは解りきっている。
「───空王レノン、だろう。奴は実験と称して世界を好き勝手に改造し、滅ぼす。俺の産まれた世界も、この世界もその対象に選ばれたんだ」
その証拠となるのが、一つだけある。
「……本来、界律神装というのは世界を律する為の武具に過ぎない。使い手を選ぶ程度の意思能力はあれど、明確な人格が宿ることなど、おかしい話なんだ」
そう、ユキの存在だ。
本来は白雪という名の刀だけであったはずなのだ。
それなのに白雪に自我が宿り、人間の身体すら得てしまった。
「そうです……だから私は、創造神にも、空王にも秘匿して地下に遺跡を創りました。そこに私の持つ力のうち、武力に直結するものを偽神として残しました」
「それが、朱天偽神ガロン……」
創造神の方のアスティリアはガロンは自身が創造したものだと思っている。
つまり、そこの記憶なども書き換えられていたのだろう。
「創造神は私の人格が神に相応しいものではないと信じて疑わず、ガロンに与えた力以外の権能を八つに分断しました。それこそが三億年間、この世界の調停を保っていた八神です」
「ああ……正直、神域試練の途中からその辺りは察してたんだ。いくら権能を俺に集めても、邪悪な感情が力に宿らなかった……お前が本当に世界を滅ぼすような神だったら、最低でも八神の誰か一人はその性質を受け継いでいるはずだ。だが、そんなことは一切なかった。だから、お前が本当は心優しい存在なんじゃないか……ってな」
そう考えるようになった……否、確信するまでに至った理由はもう一つあった。
「お前、権能が全て集まっても俺に干渉してこなかっただろ。俺の今の状況を知って、エルナを救うことを優先してくれた……優しさが滲み出すぎて、解り易かったぞ」
それに加え、ノアが滅びそうになったこのタイミングでの干渉……
ノアでなくとも察することはできてもおかしくはないだろう。
「まあ、それはそうですね……本来なら狂王を片付けた後に貴方と話すつもりだったのですが」
ノアが滅びてしまっては元も子もない。
だからこそのこの時間だ。
「……私は今、ヴァリディギウスが存在することによって起きる世界の崩壊を食い止めています。貴方が八神の権能を使えなくなっているのは、私がそれら全てを全力で稼働させているからです」
ヴァリディギウスの破壊と終焉は絶大であり、存在するだけでこの世界が滅びの一途を辿る。
アスティリアはその脅威から世界をどうにか繋ぎ止めている状態なのだ。
「ああ、そんなところだろうと思ってたよ。使おうとした時に感じた……一切使えなくなったわけではなく、これ以上の力は引き出せないという感じだったからな」
ノアも当然、そのことは理解している。
「ですが、一切手を貸せないという程ではありません。直接的な戦闘は任せきりになってしまうでしょうが、サポート程度なら世界を気にかけながらでも可能です」
それはきっと界律神アスティリアだからこそできる芸当なのだろう。
八神の誰かだったとしても、あまりに力不足だ。
「サポートというと?」
「簡単に言えば、貴方の負った傷を再生させたりなどですね。権能からなる魔法を使う余裕まではないと思いますが、破壊の力を飛ばしてヴァリディギウスの影を僅かに削ったりというのは可能だと思います」
「……そう、か。ちなみに俺とお前の意思疎通は可能なのか?」
正直、魔法ですらない権能の力ではヴァリディギウスに大したダメージは期待できない。
再生などに関しても、死を拒絶する殺意の権能でやった方がヴァリディギウスの破壊に対し、相殺させずに使えるだろう。
一切意味がないという程ではないとはいえ、これだけならそう大差はない。
だがノアとアスティリアの間で意思疎通が可能であるのなら話は変わってくる。
直接戦闘しているわけではないアスティリアは、持つ力の全てを世界を守ることに使えばいい。
そして権能以外に残ったもの……アスティリアの視界などを含めた五感による情報。
これをノアに伝えることができるかどうかが重要なのだ。
「視覚情報、聴覚情報は貴方と共有します。その上で、私は魔力を用いて周辺の魔力の起伏などを逐一調べましょう。異変があればすぐに報告します」
「そういうことか。それはありがたいな」
ノアが本気で戦えば周りが見えなくなってしまう。
これこそが感情の爆発によって力を得る『意志の権能』の欠点でもある。
周囲のことを考えずに戦えるのならノアとしても願ってもない提案だ。
「それでは戻りましょうか。失った貴方の魂は、私の方でどうにかしてみましょう」
「……できるのか?」
ノアの魂は虚無で構成されている。
再生や創造を使ったとしてもどうこうできるようなものではないはずだが……
「今から八神の権能を統合し、本来の私の力……界律の権能へと変化させます。その力なら虚無だろうと再生できるでしょう……まあ、一時的なものですが」
「ああ、そういうことか」
何かしらの手段で削られたという事実を一時的になかったことにできるのだろう。
確かにそれならノアも全力を出せる。
「世界への傷は全て私が引き受けます。なので、貴方はただ全力を以てヴァリディギウスを」
他のことは気にしなくてもいいと、アスティリアは宣言する。
その言葉を受け、ノアは───
「ああ、請け負った」
ノアの意識が純白の精神世界から現実へと引き戻される。
状況は一切変わらず、狂槍は頭部を貫通して後ろから右目を潰している。
ヴァリディギウスの爪はノアの魂を深く抉り、その殆どを滅ぼしていた。
(……改めて見てもとんでもない状況だな)
ゆっくりとノアの思考が流れる。
そんなノアの脳内だけに、その声が響いた。
【深層羅神───『界律曲乱』】
それは、界律神アスティリアの持つ深層羅神。
発動した瞬間、狂槍と爪が屈折したように折れ曲がり、その状態のまま世界が固定。
そしてそのまま屈折が正常に戻り、折れ曲がっていた箇所が無抵抗に爆ぜた。
「ッ!?」
グリアノスの息を飲む音がノアの耳に届く。
「これは───」
狂槍を折ったのはまだいい。
だがヴァリディギウスの爪まで破壊したというのは普通なら有り得ないはずだ。
「───はは、流石だな」
【いえ、今のはすでにされていた攻撃を壊しただけです。本当の勝負はここからなのですから】
アスティリアの声がノアの脳内に響く。
ノアの頭部から槍の破片は完全に消滅し、傷は初めからなかったかのように元に戻った。
魂までは完全には再生できていないが、これに関しては仕方がないと言えるだろう。
「魔法を使う余裕がないとか言ってたが……まさか深層羅神を使えるとは」
【界律の権能に統合したことによって、幾分か余裕が生まれました。とはいえ、世界のことを考えても二度は使えないでしょう】
アスティリアのその発言に、ノアは小さく笑って言葉を返す。
「───十分だ」
身体的な傷はもうない。こちらはノアが新たに傷を負わない限りは大丈夫だろう。
魂の傷が問題となるが……
「───戦闘への支障はない」
ノアは瞬時にヴァリディギウスへと肉薄し、斬撃ではなく虚無の権能による衝撃を放つ。
それにより吹き飛ばされたヴァリディギウスは地に落ち、影がまるで血のように周囲に飛散した。
「お前……一体何があった」
グリアノスが余裕もなさそうに言葉をかける。
グリアノスからしてみれば、ノアは一瞬で雰囲気も能力も、何もかも変わったように見えていた。
それに加え、『界律曲乱』───
(先程の力は明らかに普通ではなかった。まるで空間そのものが歪み、歪んだ部分が弾けるように破壊された……何の力だ?あれは……)
グリアノスはノアの攻撃を虚無と相手を殺すものだけだとばかり考えていた。
故にアスティリアの使った深層羅神は完全に初見だ。
グリアノスはこれまで見たことがないこの能力を自分なりに解釈しようとする。
だが、辿り着くことはできない。
グリアノスはアスティリアの存在を知覚できないから。
とはいえ、能力すら予測できないというわけではない。
(空間を歪ませ、それを正常に戻す瞬間に歪んでいた部分を破壊する……そういった類の力のようだ。狂槍だけならまだしも、ヴァリディギウスの爪まで壊されるとは思っていなかったが……)
しかしヴァリディギウスはその身体の全てが影で構成されている。
爪とてそうだ。
だから『界律曲乱』で粉々にしようと、結局は元に戻ってしまう。
依然としてヴァリディギウスを滅ぼす条件は『全身を一撃で消滅させる』という点に変わりなかった。
「チッ……やはり頼れるのは殺意か」
ノアがこの力を本気で使えば、周囲の空間どころかこの世界やアスティアそのものさえ殺してしまいかねない。
虚無による無意識的なセーブが効いていたからこそ、そうならずに済んでいるだけなのだ。
【───ノア】
故に、アスティリアはそれを解く。
【貴方は世界への影響など考えず、ただ全力を。それら全ては私が引き受けると……そう言ったはずです】
【だが、それはヴァリディギウスの……!】
【貴方のものも含めて、ですよ。任せてください。私とて、この世界の神です。何があっても守ってみせます】
世界が負う傷は全て自身で引き受けると、アスティリアはそう宣言する。
【っ……良いんだな?】
【当然です】
その覚悟を改めて認識したノアは虚無によってセーブしていた殺意を完全に解放する。
「───!」
「これはッ!?」
それに反応したのはヴァリディギウスとグリアノス。
圧倒的なまでの濃密な『死』の気配に、両者は僅かに後退った。
「───はは」
グリアノスが乾いた笑い声を上げる。
ノアのその力に、グリアノスの魂は歓喜していた。
グリアノスは面白いと思ったものを最後まで確認しなければならないという信念があった。
「それが───それが全力というわけだな、ノアァッ!」
ヴァリディギウスよりも先にグリアノスが動く。
これまでにない程狂気を爆発させ、周囲の全てを狂わせる。
グリアノスも今この瞬間、全力を出すと決断したのだ。
「───それが、お前の本気か?」
「ああ、私の狂気はこれまでの比ではないぞッ!」
確かに、グリアノスの纏う狂気はこれまでと比べても圧倒的だ。
おそらくはヴェレイドでも敵わないだろう。
だが、今この瞬間───ノアは“ 成った”のだ。
本当の意味での、殺意の化身に。
「───『強制的な死』」
ノアが言葉を発する。
次の瞬間には周囲の存在、非存在も含めて全ての概念に死が強制された。
「───は?」
グリアノスは範囲外にいたようでその効果を受けてはいなかったが、ヴァリディギウスはそうではなかった。
「───!?」
ヴァリディギウスから驚愕の鳴き声が上がる。
ヴァリディギウスは影で構成された獣である為、普通の攻撃などは一切無意味だ。
だからこそ、概念すら殺し尽くす『強制的な死』は特効となる。
【ッ……!】
だが、それは同時に世界にも影響を与えるということ。
概念が殺されるならば、今世界を維持しているアスティリアに負担がかかる。
【アスティリア?】
【大丈夫、です……!】
アスティリアはノアが全力を出せるようにと、世界が受けるはずだった『強制的な死』を自身の魂で受ける。
界律の権能によってどうにか誤魔化せているが、そうしていなければ問答無用で魂諸共殺されていてもおかしくなかった。
【貴方の力の余波は、私が受けきってみせます……!】
【……解った。ここからは本気で行くぞ】
【はい!】
ダメージは与えられた。
しかし、ヴァリディギウスは未だに健在だ。
「───!」
しかも初めて致命的な傷を受けたからか、明らかに先程よりも獰猛になっていた。
(能力に創意工夫があるわけではないが……素の能力が高すぎる。やはりあちらの世界はこの世界よりも数段上だ)
それに加え、ヴァリディギウスは獣としての本能まで持ち合わせている。
瞬間的な火力を比較するならリオエスタやヴェレイドの比ではない可能性が高い。
「───まあ、それは別にどうでもいいか」
ノアは『死閃の陣』を白雪に纏わせつつ、『死殺の強要』の斬撃を自身の周囲に展開させる。
先程まで飛ばしていた斬撃を自身と一定の距離に固定させ、ヴァリディギウスの攻撃を迎え撃つつもりなのだ。
「それは先程見た……手が尽きたのか?」
グリアノスが面白くなさそうに問いかける。
「……」
確かに、これだけなら出力が上がっただけで爆発的な強化には繋がっていない。
だが、ノアは脳内をフル回転させていた。
(ヴァリディギウスは影の獣。故に『光の剣戟』を含めた物理的な攻撃は殆ど意味がない。概念切断であろうが、それはただ斬るだけ。影を失っても無限に補充可能なヴァリディギウス相手では効果が見込めない。虚無の権能もまた同じ。整合の試練内で無意識状態の俺が使っていたとされる灰色の球体の魔法ならばまだ解らないが、『無の混沌』をはじめとする通常の魔法では威力が足りず、決定打にはなり得ない。影を消滅させるだけなら可能でも、一度で全ては滅ぼしきれない。神域、深層羅神は静滅銀刀がなければ使えない。完全な神ではない俺が使う場合、神だとか神ではないだとかを無視できなければならないが、それをするには理力を扱わなければならない。だが、肝心の理力を扱うには静滅銀刀が必須となる。つまり、神域、深層羅神、静滅銀刀……決定打になり得るこの三つは使えない。つまり、使えるのは殺意の権能のみ。現状、殺意の権能から使える魔法の中で最も強いのは『強制的な死』。ただこれだけではヴァリディギウスを滅ぼしきれないことは確認済み。となると、これ以上の魔法などの力が必要だ……)
今までのノアでさえ有り得ないほどの思考速度。
あまりの速さに、ノアの脳細胞でさえ壊れ始める。
思考速度にノアの肉体がついていけないのだ。
こんなことを続ければノアは簡単に死ぬだろう。
だが、それを許さない神がいる。
【っ……】
アスティリアが界律の権能の中から、再生の権能に近しい力を世界だけでなく、ノアの脳にも行使し続けていた。
(なんという思考速度……これは、極度の集中状態……?いえ、だとしても、これ程までに……)
ノアの力はすでに神の領域を逸脱している。
思考速度を含めたあらゆるステータスが最早神の領域ですらないのだ。
だがそれは同時に『ノアは神ではない』ということ。
ノアの思考ではすでに流れ去ったが、神ではないノアが神域や深層羅神を使うことは絶対的に不可能な事象でしかない。
それなのに、ノアは終焉の試練でそれらを使ってみせた。
そんなこと、本来ならばできるはずがないのに。
では、何故あの時はそれができたのか。
答えは単純───ノアはあの瞬間、理力を使えるようになっていたから。
神でなければそれらを使えないという絶対的な理を、理力を以て捻じ曲げる……そんなことを、意識せずともやっていたのだ。
だがあの時……特に深層羅神を使った時はまだ静滅銀刀を持っていなかった。
(あの時、俺が深層羅神を……『灰零無尽』を使えた理由、か……いや、それが解ったとしても、今の俺が使うならばどちらにせよ不完全なものにしかならない。使えても、決定打になるかどうか……)
あの時でさえ、『灰零無尽』は不完全だった。
いや、むしろ不完全だったからこそ『灰零無尽』になったとも言える。
虚無の権能を持つノアが神に成ったならば、その力の底が『灰零無尽』の延長線上であるはずがない。
本来の力があれの強化版だったとすれば、ノアの虚無はあまりにも弱すぎる。
現状理力を扱うことができないと解っている以上、どちらにせよ使えないのだ。
今考えていても無駄だろう。
「───!」
ヴァリディギウスがノアへと特攻してくる。
爪に内包された力は先程よりも遥かに高く、殺意によって周囲を常に殺しているノアからしても驚異となるレベルだ。
だが、ノアはそれを避けはしない。
己の殺意で以て迎え撃つ。
「『死閃の陣』、『死殺の強要』───」
二つの殺意の魔法を合成させ、新たな魔法とする。
「───『凄絶なる殺傷』」
白雪が纏った殺意はこれまでにない程濃く、黒く感じる程度だった殺意が明確な色を帯びる。
漆黒に染まった斬撃がヴァリディギウスの爪と交錯し、世界が震えた。
【くぅッ!?】
そのダメージは、全てアスティリアが肩代わりしている。
彼女自身はおそらく世界そのものよりも頑丈ではあるだろうが、ノアとヴァリディギウスの衝突からすればこの世界とそう大差はない。
余波だけで、彼女の魂は悲鳴を上げていた。
「ッ……!」
「───!」
ノアにはアスティリアを心配している余裕などない。
殺意の刃と破滅の爪がギチギチと音を立て、その音さえもが世界を終焉に導く。
(う、ぐッ……!絶対に……絶対に負けません……!)
ノアの殺意と、ヴァリディギウスの破壊を魂で受けきっているアスティリア……
(……な、あれはッ!?)
その時に気づく。
───紫の狂気が、これまでとは比にならない程練り上げられていることに。
【ノアッ!右です!】
「まさかッ!?」
グリアノスはこの瞬間を……ノアが完全にヴァリディギウスだけを敵と認識する、この一瞬を狙っていたのだ。
「狂黎槍術───」
グリアノスの扱う狂黎槍術……その、真髄が放たれる。
「───『狂月白蓮』」
ノアの右横で濃縮された狂気が爆ぜる。
それはまるで煙のように周囲ごと巻き込み、狂気を蔓延させた。
ヴァリディギウスの爪を相手にしていたノアは、その攻撃に対応できない。
アスティリアも世界のことで手一杯だった。
「間に合わな───」
狂気に空間が呑まれ、ノアの言葉が途切れる。
【ノア……ノアッ!?】
アスティリアの魂から声が響くが、それはノアまで届かない。
「これで───終わりだ!」
グリアノスの勝ち誇ったような笑みをアスティリアが見る。
それにより、彼女の絶望が加速した。
【そんな……ノアっ……!】
ノアの意識が途絶えたことでアスティリアの声は誰にも届かない。
それは、この戦いの終結を意味している───
そう、誰もが思っていた。
「───『───』」
言葉にすらならない声が世界に木霊する。
それはただの言葉のようでもあり、魔法のようでもあった。
そして、次の瞬間───
「───!?」
ヴァリディギウスの影の半身が───消滅していた。
【ぇ……?】
狂気に呑まれたノアの意識はもう戻らないと、アスティリアは考えていた。
それなのに、その攻撃は───
【───虚無?】
ヴァリディギウスの半分が滅びる瞬間、灰色の光が見えたような気がしていた。
「───共に戦うと、そう約束しただろう?」
男の声がアスティリアだけに聞こえる。
【ノ、ア……?】
紫色に染まった空間を丸ごと消滅させ、男が姿を現す。
ノアとアスティリアの魂が再度接続され、互いの声が魂に共鳴するようになった。
【……ノアなんですよね……?】
【当然だろう。俺が俺以外になることがあると思うのか?】
【た、だって、髪が……】
アスティリアは魂を知覚してその男がノアであると確信したが、外見は先程とは異なっていた。
髪は黒から灰色へと変化し、紅と蒼のオッドアイだった瞳はその両方が紫色になっている。
アスティリアはこの外見のノアを知らなかった。
【ああ、これか】
だが、ノアからすれば慣れ親しんだ外見だ。
【別に力が戻ったわけじゃないが……外見だけは前世のものに戻ったみたいだ】
【前世……別の世界にいた時の……】
【まあ何でもいいだろう?それよりも、策を思いついたんだ。通用するかどうかは別として、やってみる価値はある】
ノアの根幹は善性だ。
こんな状況でも、自身のことよりも世界のために行動する。
【エルナを喰ったヴァリディギウスも、その状況を作り出したグリアノスも……俺が全部殺し尽くす。異論はないはずだ】
だが、同時に私怨も忘れることはない。
【……ええ、そうですね。最後まで、共に戦い抜きましょう】
ノアは言葉は返さず、虚無を周囲に展開することで応えた。
「『混沌災禍』ッ!」
殺意と狂気の渦巻く戦い……その後半戦が始まった。
ノアの編み出す、意志の真髄───




