2.猛る灰燼
黒き炎の燃える音が周囲に広がる中、金属音が鋭く響く。
その中心にいるのは魔族の王、魔王エルナ。
対するは異世界の狂人、狂王グリアノスだ。
「『灰燼に帰せ』!」
エルナの使う灰燼魔法は権能の力を抜きにすればこの世界でもトップクラスの高火力。
灰と同色の炎がグリアノスを包むように展開され、グリアノスの逃げ場を塞ぐ。
「この世界にしては中々の火力だな!」
エルナは相手として想定以上の手応えがあったのか、グリアノスの口角が上がる。
「『害過の狂獣』」
グリアノスは炎に包まれる前に自分の周囲に紫色の獣を召喚。
魔法で構成された獣は周囲の炎を噛み砕く。
(実体のない灰炎を噛み砕く……?何かしら特殊な力があるのでしょうか……)
とはいえ、獣が特殊なのはその口だけのようで、食いきれなかった炎に焼かれてその全てがただの魔力となって消滅した。
「狂獣を屠るか……やはりお前はこの世界には勿体ない程の強者のようだな」
「ッ!?」
唐突に背後からかけられた言葉に、エルナは咄嗟に後ろを向く。
そこには当然の如く無傷のグリアノスがいた。
(逃げ場はなかったはず。それなのに無傷ということは……やはりあの獣は口に含んだものを消滅させる力か、それに近いものがあるようですね……)
エルナは瞬時に獣の特徴を解析し、次の手を考える。
その間にもエルナは灰によって構成された剣を高速で振るった。
だがその全てはグリアノスの狂槍によって涼しい顔で弾かれる。
(全く、異世界人というのは……!)
グリアノスが生まれた世界の方がこの世界よりも格上であることは間違いない。
それ故の、圧倒的な地力の差がある。
「『万象の掌握』」
「……!?」
それはかつてデュランが使用した魔法。
魔力によって構成された不可視の腕によって物質に干渉する魔法だ。
「ぐッ……!」
その腕はエルナの左腕を万力すらも生温い程の力で締め上げ、両足が宙に浮く。
普通の人間や魔族ならこの半分の力も必要とせず圧力によって腕が引き千切られているだろう。
だが良くも悪くもエルナは頑丈だ。
神程ではないとはいえ、この世界の人類基準で見れば他の追随を許さぬ程に。
「───くッ!」
決断まではたった数瞬。
このまま拘束され続けるのはまずいと悟り、エルナは灰剣で左腕を肩口から切断する選択を取る。
そして切断した箇所を焼き、出血を最小限にまで抑えた。
「ふむ、良い判断だ」
当然グリアノスも黙って見ていたわけではなく、狂槍のを穂先エルナの胸目掛けて突き出していた。
「『灰燼』ッ!」
それは魔法ではなく、グリアノスに僅かに付着させていた灰への命令。
エルナは撒いていた灰を自由に燃やすことができる。
魔法程の火力は出ないとはいえ、この世界基準ならどんな炎よりも強い炎だ。
例えグリアノスが相手であったとしても一秒弱程度は時間を稼げる。
「なるほどなるほど、灰を付着させていればほぼ必中となる炎か……悪くない」
グリアノスはまるで痛がった様子もなく槍を一振り。
それだけでまとわりついていた灰炎が消し飛び、またもや無傷の姿が現れる。
「また無傷ですか……少しは期待していたのですが」
この世界の人間なら触れただけで炭化し、灰となって崩れ落ちる程の炎だ。
それを全身に受けておきながら無傷という事実に、エルナは悪い夢を見ているようだと考えていた。
(確かに今のは灰燼属性の中でなら私の最低火力ですが……この調子だと、本気の魔法をぶつけても精々火傷する程度かもしれませんね……)
今のが最弱であるとはいえ、無傷であるなら話は変わる。
「いやはや、素直に賞賛しよう。この世界内の存在としてはお前が最強であるということは誰も異論はあるまい……とはいえ、ちと温いな」
「……今のは魔法ではありませんからね」
事実ではあるが、苦しい言い訳でもある。
グリアノスにも通用する高火力の魔法を発動させてもらえる程の隙はない。
一体どうしたものか……とエルナが考えていた時、それは起こった。
「……む?」
グリアノスが唐突にその場を飛び退いたのだ。
そして次の瞬間、その場を抉るような暴風が発生した。
「……ッ!?今のは……!?」
これ程の威力の魔法……一般人やヴァンデラを守る兵士達に使えるはずもない。
であるならば、一体誰が───
「───ははは、不意打ちを躱されるのは堪えるね」
それはエルナもよく知っている幼女の声だ。
その声の正体は───
「───アルテマ様!」
「やあ、エルナ……どうにか復活したよ」
エルナの背後に二本の脚でしっかりと立っていたのは、先程心臓を貫かれて死んだはずのアルテマだった。
「……蘇生魔法の気配はなかったはずだが」
戦力的にではなく、不可解な出来事に訝しんでいるようでグリアノスから余裕の笑みが消える。
エルナも三人は死んだものだと思っていたので、喜びはするものの疑問にも感じていた。
「簡単な話だよ。私の属性は循環……今回は不意打ちではなかったからね。心臓を潰されても、血液と酸素を循環させていれば、失血しない限りは死にはしない。簡素ではあるけれど再生もできるから、失血しない内に心臓と両腕を再生させたのさ」
エルナが灰燼の属性を持つように、アルテマは循環の属性を所持している。
再生神の権能に近いこの能力は物質が循環することを手助けする。
アルテマの意思でしか発動しない上にかなりの魔力を消費するので、普段は発動させていないが故に不意打ちされた場合は機能しないが、攻撃が来ると解っていれば延命や再生ができる。
不意打ちでなくとも脳を潰されれば発動は不可能だが……それに関しては賭けだった。
「私は君に比べれば弱いけれど……サポートはさせてもらうよ」
「ありがとうございます、アルテマ様……では、参ります!」
エルナが特攻し、アルテマは次の魔法を展開する。
これまで二人が共に戦ったことはなかった。
だが、その連携は上手く取れており、グリアノスにとっては相乗的に脅威度が増していく。
(蘇生魔法どころか、魔力すら凪いでいなかったはずだが……隠蔽でもしたか?)
だが、それでもグリアノスが焦ることはない。
それどころか、自分のすぐ横でそのような魔法を使っていたことに対して驚いている様子だった。
アルテマの風魔法が支援したことによって速度の跳ね上がったエルナの灰剣による猛攻を軽く捌き、グリアノスは左手を空ける。
「……『狂黒支配』」
グリアノスは周囲に漂っていた黒煙を自身の左手の中に収め、それを全て狂気に変換。
今度はそれを周囲に撒き散らすことで周辺を狂気で支配しようとする。
「くぅッ!?」
「な、に……!?」
当然その狂気はエルナとアルテマにも影響し、二人の脳内に金切り音に近い狂気じみた幻聴が聞こえ始めた。
最早これは精神攻撃だ。常人ならすでに意識を刈り取られているだろう。
だがここにいるのはこの世界の人類の中でもトップクラスの強さを誇る二人。
その精神力もまた他を圧倒する。
(無視できる程ではないけれど……!)
(この程度なら……!)
一瞬だけ足を止めてしまったエルナはその狂気を振り切り、再度グリアノスへ向けて剣を振る。
それを槍で受けながら、グリアノスは二人に感心していた。
「狂気による支配は恐怖によるそれすらも凌駕し得るというのに……それすらも抜け出すとは、真に驚嘆すべきはその精神力であったというべきか」
「貴方に褒められても嬉しくないですねッ……!」
エルナは予測されないように不規則に剣を振るう。
その度に風魔法による速度支援がかかり、エルナの剣は常にその最速を更新していた。
(徐々に速くなる剣か……限界はあるだろうが、それはこちらもまた同じ。早々に剣を砕いた方が得策だな)
グリアノスは『狂黒支配』によって再度黒煙を狂気に変換。
今度は周囲に撒き散らすのではなく、狂槍の穂先に一点集中させた。
「───『狂気武装・改』」
狂気によって擬似神装の模倣にまで成ったその槍を、狂気によって更に武装する。
最早この槍を防げるのは明確な擬似神装以上しかないだろう。
少なくとも、エルナの持つ灰剣では太刀打ち不可能だ。
【エルナ……】
【ええ……あの槍はかなりまずいですね。打ち合っても、私の剣が一方的に破壊されるのが目に見えています】
エルナとアルテマは『念話』を使用して口にせずとも意思疎通をする。
「さあ───私を本気にさせてみろ」
狂気武装状態の狂槍が横薙ぎに振るわれ、それによって発生した衝撃波が二人を襲う。
「……くッ!」
狂気武装は衝撃波にも付与されており、迎え撃ったエルナの灰剣に罅が入る。
その僅かな隙にもグリアノスは動いていた。
「狂黎槍術───『壊苦』」
エルナが衝撃波を灰剣で相殺している間に左横に回り込んでいたグリアノスは自身が磨き上げた槍術をエルナに向けて振るう。
穂先がまるで周囲の光を飲み込むように暗い光を放つ。
エルナはこの攻撃を灰剣で受けたとしても、一瞬の拮抗もできずに剣を砕かれ、自身が貫かれるということを直感で察知していた。
取れる手はいくつかあるが、どれも確実性に欠ける。
であるならば───
「───『共に灰燼の先へ』」
エルナは───自身にその魔法をかけた。
「ッ!?」
今までなかった行動に不信感を覚えたのか、グリアノスは攻撃を直前で止めて大きく後ろへ下がった。
「……なんだ、止めてしまうのですか……私の使える中で、貴方を確実に殺せる唯一の方法だったのに」
「……やはり、道連れの類の魔法だったか」
『共に灰燼の先へ』───
自身が殺されることを発動条件とし、灰を付着させてある任意の相手を最高火力の灰炎で焼き尽くす魔法だ。
その火力はいくらグリアノスとて無事では済まない。
この場で殺し切ることはできなかったとしても、最低でも後遺症は残るレベルだ。
「……そのまま攻撃すれば良かったのに」
エルナは目標を変更した。
ここでグリアノスを殺すのは絶望的だ。
ならば、確実に訪れるノアとの戦いの役に立つ。
自身の命……魂を引き換えにしたとしても、ノアと戦闘する前に少しでもダメージを稼げるように。
「アルテマ様……損な役回りになってしまうことをお詫びします」
「いや、構わないさ。君も私も、彼へと繋ぐための駒でしかない。少しでも大きなダメージを残す……それができれば及第点だろう?」
「ええ、最期まで付き合っていただけますか?」
「当然だとも」
二人は最後の意思確認をする。
エルナが『共に灰燼の先へ』を発動し続けている以上、グリアノスは下手にエルナに攻撃できない。
それ故にできたこの時間。
その間にエルナは再度剣を灰で覆い、灰剣を完璧な状態に戻す。
(……なるほど、灰剣は修復可能か。であるなら破壊しても無意味だろうな。多少時間は稼げるかもしれんが、魔王には下手に攻撃はできん。霊王はその類の魔法を使っている様子はないが……)
アルテマは未だに循環魔法と再生魔法、そして風魔法の一部しか使用していなかった。
つまり、どのような手が残っているのかが未知数なのだ。
グリアノスにとってアルテマはこれ以上ない不確定因子なのである。
「……だが、やはり面白い」
見た事のない能力に見た事のない魔法。
連携を組んで双方の力を何倍にも底上げする相互理解と、それに完璧に合わせられる技術。
どれを取っても中々見ない逸材だ。
(特に魔王……お前のその力は、この世界で終わらせるにはあまりにも勿体ない)
二万年前なら解らなかったが、少なくともこの世界でノアが斬った時のデュランが相手なら単独でも勝てたであろう強さ。
より上位の世界の存在を圧倒し得る力。
灰燼はあくまでもただの属性であり、概念ではない。
死の概念の力を持つデュランを相手に勝てる可能性を見出だせる時点で普通ではないのだ。
「魔王、お前はこの世界の存在にしては強すぎる。本来なら生かしておくべき人材だ……とはいえ、私の目的の為にお前の犠牲は必須。故に、もう容赦はせんぞ」
グリアノスの目的はエルナを殺すことではなく、権能を宿らせた獣の母体として利用すること。
つまり、『共に灰燼の先へ』に引っかからないような弱い攻撃ならいくら与えても問題ないのだ。
「今この場で最も邪魔なのは───」
エルナとアルテマの視界からグリアノスが掻き消える。
「ッ!?」
灰を付着させている為、エルナはグリアノスがどのように動いたかは解る。
だが、そのあまりの速さに反応が遅れてしまった。
グリアノスはエルナが気づいた頃にはアルテマの背後におり、冷たい双眸でその小さな背中を見つめていた。
「───お前だな」
「な───」
背後から声が聞こえたことで、アルテマもようやくグリアノスがそこにいることを認識する。
振り返って魔法攻撃を放とうとするが、その前に狂気を帯びたグリアノスの槍が空間に迸った。
「狂黎槍術───『神狂』」
狙いは頭部。
循環の力を使っている状態のアルテマですら即死するその箇所。
穂先は寸分違わずアルテマの後頭部を突き抜け、次の瞬間には頭部が爆ぜ散った。
「ッ……!『灰すら残さぬ灰炎』ッ!」
アルテマが本当の意味で殺されたことを一瞬で判断したエルナは高火力の灰炎でグリアノスを焼く。
その瞬間に、エルナは自身のミスを悟った。
(しまった……!『灰すら残さぬ灰炎』は文字通り灰すらも燃やし尽くす……当然、私が付着させた灰ですらも……!)
この魔法は威力こそ高いが、同時に欠点もある。
その威力の高さが故にエルナが付着させていた灰も燃やしてしまうのだ。
これでは再び灰を付着させるまでの数秒間、『共に灰燼の先へ』の対象にグリアノスを選ぶことができない。
「……ッ!奴は……!?」
グリアノスが立っていた場所は巨大な灰炎が渦巻いている。
だが、この程度で狂王が止まるはずがなかった。
「隙が大きすぎるぞ」
灰炎の中から現れたのは『害過の狂獣』。
獣が灰炎を噛み砕き、その内の数匹を葬られつつもグリアノスはほぼ無傷でその中から抜け出した。
「狂黎槍術───」
エルナが再び灰を付着させるまでにかかる時間はあと三秒。
それさえ間に合えば道連れのようにグリアノスにもダメージが及ぶ。
だからこそ、エルナの取るべき行動はその三秒間だけ致命傷を受けないこと。
だが……それの相手はグリアノス。
エルナからすれば、圧倒的な強者だった。
「───『乱狂・魔喰』」
それは狂槍による連撃。
今この瞬間のエルナが、最も恐れていた攻撃。
「がッ……」
一撃目はただの槍による攻撃だ。
そこには攻撃系の効果は付与されていない。
問題となるのは二撃目から。
一撃目は狂槍が対象の魔力を大きく喰らう。
そして二撃目の前に喰った莫大な魔力を爆発的な狂気に変換。
「ぁ───」
一撃目をもろに受け、目の前で膨れ上がる狂気にエルナは自身がどう足掻いても勝ち目がないということを悟ってしまう。
(ノア、様───)
その願いは───届かない。
狂気を孕んだ穂先がエルナの全身を幾度となく貫き、それと同時にエルナの思考が狂気に染まる。
これこそが狂槍の持つ能力。
生きたまま槍の攻撃を受けるとその狂気が伝染し、思考回路が狂気によってまともに機能しなくなるという精神攻撃だ。
狂気に染まった思考では魔法の行使などできるはずもなく、エルナは『共に灰燼の先へ』を解いてしまう。
同時に思考能力のほぼ全てを狂気に奪われ、立つこともままならなくなってエルナは地面に伏した。
命こそ奪われていないものの、その魂はもろに受けてしまった狂気によって殆ど廃人となってしまっていた。
「……ふん」
グリアノスは倒れたエルナを『狂鎖の悪夢』で縛り上げ、ヴァンデラの中へと入っていく。
「───これで、必要なものは全て揃った」
グリアノスは懐から小指の先程度しかない大きさの立方体の箱を取り出す。
その箱の名は『封狂枷柩』。
グリアノスが数千年かけて狂気を練り、神の権能さえも封印できるようになった代物だ。
「くくくっ……さあ、お前はこの絶望を前に、どのような感情を抱く?」
グリアノスの狂気的な含み笑いが、ヴァンデラの中に響いていた。
グリアノスの目的が達成される───




