1.狂い始めた都市
4章、開始です
時はノアがグラエムを出たその日まで遡る。
「行ってしまったね……彼が帰ってくるまでどのくらいかかるのやら」
アルテマが椅子に深く腰掛けながら溜息を吐くように言葉を零した。
四王はグリアノスに襲撃された後、ヴァンデラ内部においてこの四人しか知らない区画に集まっていた。
他の区画から隔離されたこの場所へは正式な手順を踏まなければ来ることはできない。
グリアノスなら入口部分を破壊して入ることは可能かもしれないが、その場所は内部からノアの分身が見張っていた。
分身はグリアノスより強くはないだろうが、四人が逃げる時間程度は稼げるはずだ。
「……」
空気が重い。
四人とも、きっと死んだのは初めての経験だっただろう。
ノアに蘇生されたとはいえ、死というのは生物にとって根源的な恐怖である事実は揺るがない。
それ故の精神的ダメージはかなり大きいと言える。
「……そういえば、彼の強さを私達はよく知らないね。あの時感じられた程度のものでしかない。エルナ、君はどの程度知っているのかな?」
重い空気を察してか、アルテマが気遣うように話を振る。
クレスもジェラルドも気になることではあったのか、無言でエルナの方を見た。
「……そうですね……僅かにですが、知っています。ノア様が持つのが虚無の権能であるという話はしましたが、単純な戦闘能力だけで見てもこの世界の次元を超えていました。当時、私は世界で五本の指に入る程度には強かったのですが、そんな私をまるで赤子の手を捻るように圧倒していましたよ」
エルナは過去を思い出しながら目を細める。
それはまるで思い出に耽るように。
当時……ノアが己を封印して眠りについたのはエルナが18歳の時だった。
この時にはすでに魔族の最強格としてエルナの名が世界に知れ渡っていた頃である。
それこそ、当時の魔王と同等以上の力を持つのではないか、と言われる程には。
「そうか……まあ不意を突かれたとはいえ、オレ達を瞬殺した奴を相手にオレ達を庇いながら戦ってたんだもんなぁ……そりゃ強いか」
「今は当時の記憶をなくしているらしいから、かなり弱化はしていると思うよ。それでもなおあの力があるのだから、きっと神よりも強くはあるんだろうね」
アルテマの予想は正しいといえば正しい。
この時、ノアはまだ追憶の試練を超えていないので記憶はまだ戻っていないのだ。
つまりその力は八神に匹敵するか、あるいは上回っている程度。
この世界の本来の神である界律神や、ノアが元々いた世界の神である邪陰デネスと比べると大幅に弱かった。
「……記憶が戻った後、ゆっくりと話す時間が取れると良いですね」
「ええ……ノア様は私にとって、師でもあり、父親のような存在でもあるんです。二万年も待ちました。話したいことは沢山あります」
クレスの気遣いにエルナは大きく頷く。
「ふふっ……」
その様子を見ていたアルテマは小さく笑い、順に三人に視線を向けた。
「どうやら恐怖的な感情はある程度誤魔化せたみたいだね。当然、私を含めてではあるけれど」
「そうだな……死んだのは初めての経験だったし、人生の終わりに来るものだと思ってたから今生きてるのが不思議で堪らねぇが……」
「彼はこの世界の神達の権能を継承している……我々の命を蘇らせる術もそこにあったのでしょうね」
三人は気が解れたのか、笑い合いながら会話をする。
だが、エルナだけはそこに入っていなかった。
「どうしたんだい?エルナ。君も死んだのは初めてだろうが……」
「いえ、そうではなく……灰の動きがおかしいのです」
「……それは本当かい?」
「はい、間違いなく」
エルナの属性は灰燼。
単純な炎ではなく、それが燃え尽きた後の灰そのものである。
意味合いこそ異なれど、結局は炎属性の上位互換である。
そしてその能力の一部として、自身の周囲に粒子レベルの灰を空間に撒くことができる。
完全に燃え尽きてはいないその灰を利用して任意の対象を燃やすことができたり、灰に触れたものを感知したりすることも可能なのだ。
驚くべきは灰を撒くことのできる範囲。
それはこの部屋や区画に留まらず、広大なグラエムの総面積……その十分の一もあった。
故にヴァンデラ周辺のものの動きは基本的にエルナに筒抜けなのである。
まあ問題として、軽い粒子状の灰であるため風などの影響を大きく受けてしまうという点はあるが。
「貴女の灰に普通ではない動きがあったと……?どのようなものか解りますか?」
「少しお待ちを……これは……そうですね……」
エルナは目を瞑り、撒いておいた灰の流れを掴む。
十数秒後、目を開いたエルナは深刻な表情をした。
「多くの上昇気流……それも、かなりの速度です。これはきっと……ヴァンデラ周辺の街が炎に包まれているかと」
「ッ!?」
エルナの発言にアルテマが大きく息を呑む。
エルナも数分前は感知していなかったはずだ。
つまり事が起こったのはこの数分以内。
更にヴァンデラ周辺の全てがそうなっているのだとするならかなりの広範囲だ。
とても単独での犯行には思えないが、そんなことをする人物など一人しか思い当たらない。
そして───その人物なら、この速度で周辺を燃やすことなど造作もないだろう。
「犯人は、きっと……」
「……グリアノス、だろうね……全く、どこまでもふざけた男だ……!」
四人は急いで隔離された区画を出て都市へと向かう。
すると、その目の前には───
「───これは」
黒い炎。
黒い爆発。
立ち上ることなく、その場で漂い続ける黒煙。
近辺にいた住人は炎に焼かれて死に、爆発に巻き込まれて死に、黒煙で呼吸が続かずに死んだ。
そこには、地獄絵図があった。
「───酷い」
「最悪だな……」
「……できるだけ、多く助けないと……!」
状況が状況だ。
アルテマがノアから貰った石を砕こうとする。
だが───
「なっ───」
突如として、その両腕が切断されたように消し飛んだ。
「───それが奴との連絡手段か。悪いが絶たせてもらうぞ」
四王にとって、一番聞きたくなかった声がそこに響く。
その現実に、四王は全員が固まってしまった。
そう、そこにいたのは───間違いなく、狂王グリアノス本人であった。
「てめぇは、まさかっ───」
ジェラルドが声を発した瞬間、その首が切断される。
たった今、ジェラルドは二度目の死を迎えてしまった。
「ッ!?」
「ふむ……やはりこの中では貴様が別格か」
次に攻撃の対象になったのはクレス。
その喉元に向けて光速クラスの速度を持つ槍が放たれる。
だがそれをエルナがどうにか食い止める。
「くぅっ……!?」
攻撃の速度は威力に直結する。
いくらエルナがこの世界内で最強格であろうと、光速に近しいその攻撃を受け止めるのは至難の業であった。
それに、エルナ本人はどうにか耐えられても武器はその限りではない。
エルナが持つのはあくまでもただの剣。
より硬く、より速く、より鋭いグリアノスの槍をまともに受けて破損しない方がおかしい。
故に剣は殆ど拮抗することもなく粉々に破壊され、エルナはその槍で右肩を貫かれる。
だがクレスまでは攻撃は及んでいない。
どうにかこの一撃だけは凌いだのだ。
……とはいえ、それだけでどうにかなる相手であるはずがない。
「がっ───」
次の瞬間にはクレスの頭部が爆ぜ、絶命した。
(反応……できなかった……)
エルナはその圧倒的なまでの力の差に絶望する。
この状況では首から下げている石を砕くこともさせてもらえないだろう。
「───来い!」
両腕を失ったアルテマが力の限り叫ぶ。
それによって現れたのは一つの影。
ノアの分身が、グリアノスに攻撃をしかけていた。
「ほう?」
だがその速度はグリアノスからすればあまりにも遅い。
それも当然だ。
この分身に与えられている力はそう多くはない。
精々四王を相手に圧倒できる程度。
そして、それはグリアノスの方が容易く行える。
「手応えのない……まあ偽物であればこの程度か」
分身とはいえ、これはノアの一部。
破壊してしまってはノアへと伝わると危惧したのか、グリアノスは一つの魔法を発動させた。
「『狂鎖の悪夢』」
「───」
紫色の鎖がどこからか出現し、分身のノアを拘束する。
拘束された瞬間は抜け出そうと藻掻いていた分身だったが、数秒も経たない内にまるで機能を停止したかのように動きを止めた。
「これで良かろう。さて───」
グリアノスはアルテマに近づき、その槍で心臓を貫く。
以前同様、またしてもエルナだけが生き残ってしまった。
「何が……目的ですか……」
治癒魔法で右肩を癒しつつ、エルナはできうる限りの鋭い眼光でグリアノスを睨みつける。
同時に周囲の空間に魔力を広げ、攻撃する隙を伺っていた。
「なに、私の目的など取るに足らないものでしかない。前回も今回も、私はお前だけを殺さずに生かしている……その意味が解らぬ程愚かでもあるまい」
「……貴方の計画に、私が必要だと?」
「別にお前でなくても良いのだがな。最も効率が良いのがお前だという話だ」
エルナは自身が何かしらの道具として使い潰される存在であることを察する。
本当にそれだけだったなら受け入れる選択をしていたかもしれない。
だが───
「……貴方は罪のない民を多く殺した。魔族の王として、許せる行為ではありません」
周囲を見渡すエルナ。
ヴァンデラの周囲を囲うようにして巻き上がっている黒炎はかなり広大であり、この範囲にいた住人が全て死んだのならその数は数万人に及ぶ。
罪を犯したわけではない民が大量に殺された……その事実に、エルナは血が出る程唇を噛み締めた。
「四王が一角、魔王エルナ……本気で相手をさせていただきます」
その言葉を発した途端に、周囲の黒煙と同等の量の灰が舞う。
その灰に触れた空気は一切が燃え尽き、また新たな灰を連鎖的に生み出していった。
更には折れた剣を手に取り、周囲に展開された灰で新たな刀身を生成。
そこに込められた魔力は最早擬似神装とも遜色ないレベルだった。
「なるほど……少しは楽しめそうだ」
その能力に対し、グリアノスは不敵な笑みを浮かべながら左手に魔力を集中させる。
それを槍に流し込み、物質構造そのものを爆発的に強化。
周囲の空間を狂わせる程の異質な魔力を放つその槍は、実質的な擬似神装にまでなっていた。
「『狂槍』───擬似神装の、更に模倣したものといった具合だが、まあお前にはこれで良かろう」
まるで舐め腐ったその態度。
エルナはそれが気に入らないと思いつつも、圧倒的な力の差を前に少しばかり足が竦んでいた。
(何をされるか、解ったものではありませんが───ノア様、どうかわたしのことは気になさらず、世界を救ってください───)
エルナが最後の覚悟を決めたその瞬間、両者が動き、剣と槍が交錯した。
エルナの、最期の決死の覚悟───
4章『狂王編』、スタートです




