24.失敗
『終滅殴殺』───文字通り終焉の権能を拳に纏い、殴ったものに終焉を与える魔法だ。
魔法としての強さだけで考えるなら『崩壊神撃』と同程度。
だが破壊と終焉の性質の違い故の能力差があった。
それは───
「ッ!?」
『光の剣戟』を纏った白雪と『終滅殴殺』を纏ったヴェレイドの拳が衝突し、神域を大きく震撼させる。
その事実にノアは驚愕していた。
(……何故だ?リオエスタと戦った時はともかく、今の俺は前世と同レベルで『光の剣戟』を使える。あの時とは違い、いくら権能の力を帯びているとはいえ魔法如き切断できるはずだ……何故、斬れない……?)
『光の剣戟』は練度によっては概念や権能すらも容易く切断する程の技術。
そして今のノアの練度は破壊の試練の時とは比べ物にならない程に上がっている。
記憶を取り戻し、技術だけは戻ったからだ。
それですら切断できていないというのは───
「チィッ……!結構強めにやったんだけどなッ!」
だがヴェレイドもまた苦悶の表情を浮かべている。
(……どうやら完全に効かなかったわけではなさそうだ。効力は薄そうだが……ダメージがゼロでないのなら、これを続ければ……)
そう思っていた矢先、ノアの危惧していたことが起こる。
ガコン───
「ぐッ!?」
鈍い音が響いた瞬間、ノアが大量に吐血する。
終華燈車輪のギアチェンジ───それによって、ノアの右の肺が一瞬で潰されたのだ。
(……まずいッ!?)
唐突な攻撃に白雪を持つ力が一瞬だけ弱まる。
その隙にヴェレイドは白雪を受け流し、ノアの反応すら遅らせる。
そしてそのまま、『終滅殴殺』を纏う左手がノアの脇腹を突き刺し───
「『無の混沌』ァッ!」
「……ッ!」
寸前でヴェレイドは危機を察知し、横に大きく跳ぶ。
その瞬間、ヴェレイドが先程までいた場所を灰色の光が覆った。
(……今のは……?)
ヴェレイドは眉を顰めつつ、思考に入る。
ヴェレイドとて『無の混沌』を一切知らないわけではない。
少なくとも使用したのは数回見ている。
(今のは俺の知ってる『無の混沌』じゃねーみたいだな……追憶の試練で記憶を取り戻したからか……?)
まだ試練を終えていない神は神域試練を見ることができる。
それによりこれまでの試練の内容を見てきたヴェレイドだが、追憶の試練だけは見ていなかった。
今二人が戦っている特殊な神域……終焉の力の宿る斑点が多くある場所を準備していたのである。
何故そんなことをしていたのかというと───
「……まあお前の力について考えていても仕方ねーよな。虚無を知るのは不可能なんだから」
虚無を観測することはハーティアが未来を見れなかったことからも不可能であることがよく解る。
故にヴェレイドはノアの能力を探ることを諦め、ただ自分の力をぶつけることへと方針を変える。
対するノアは───
(……300秒。関係あるかは解らないが、終華燈車輪の攻撃間隔は300秒だった。これが固定なのか、細かな条件で変動するのかも不明……ブラフの可能性もある。この秒数を信じるのは早計だが、他に情報がない。一種の基準にするしかなさそうだ)
ノアは終華燈車輪の攻撃間隔を正確に数えていた。
あらゆる可能性が考えられる現状において、この300秒というのは信じるには情報が足りない。
「もう少し、情報開示をして欲しいところだが……まあそれはお互い様か」
ノアは右肺のあった位置を虚無で埋め尽くす。
「……おい」
「何だ?」
その行動にヴェレイドが疑問を持ったようだ。
「何で再生させねーんだ?虚無で終焉を取り除いたんなら再生できるだろ?」
ヴェレイドの疑問もまた当然と言えば当然だ。
だがそれをやってしまえば───
「どうせ終華燈車輪の攻撃対象はお前が決定してるんだろう?少なくともこれで右肺はもう終焉に至らせることはできない。虚無があるとはいえ、もうそこに肺はないんだからな」
破壊の権能が壊した後のものに干渉できないように、終焉も終に至らせたものを終わらせることはできない。
破壊よりもより深層に干渉できるとはいえ、限度はある。
それに今、ノアの右肺は虚無で埋め尽くされている。
ヴェレイドの力であろうともノアの虚無には干渉できない。
故に、もう右肺への攻撃は効かないのだ。
(とはいっても、攻撃対象をどの程度細分化できるかが未知数な以上無意味かもしれないが……攻撃対象を絞るのは重要だ。一つ減ったと考えるべきだろう)
終華燈車輪の対象が仮に細胞ひとつひとつまで対象として数えるのなら対象を一つ絞ったところであまり意味はない。
とはいえ、ノアは魔力循環により呼吸せずとも全身に酸素を行き渡らせることができる。
基本的に肺でやっている作業を魔力によって補えるのだ。
故に肺が片方潰れていようとも戦闘に支障はない。
全身となると流石に不可能だが、このように身体の一部の器官程度なら潰されても再生なしに戦闘を続行することができる。
「お前……本当に人間辞めてきたな。もう実質神なんじゃねーの?」
「……さあな」
未だに深層羅神は使えそうもない。
つまりまだ神ではないということだが……
「ッ!」
次の瞬間にはヴェレイドが一気に距離を詰める。
その右手には当然『終滅殴殺』が纏われており、ノアの力を確実に封じようとしていた。
ノアは『光の剣戟』でその手を受けるが、先程と同様二つの力は拮抗する。
先程と違うのは、攻撃を受けるのではなく弾いたこと。
ノアは強引にヴェレイドの右手を弾き、光速にも等しい速度で次の攻撃を叩き込む。
ヴェレイドの速度は光速には届かない。
目で追える速度ではあるが、どうあってもヴェレイドの最高速度は光速の七割程度だ。
つまり、この攻撃は防げない───
「な……」
───はずだった。
ノアの背に突如として大きな衝撃が発生する。
それによってノアの攻撃は位置がずれ、ヴェレイドはそれを容易く回避。
その上で、隙だらけになったノアを目の前にしてヴェレイドは『終滅殴殺』を解除する。
(何故、このタイミングで……?)
ヴェレイドからすれば絶好の機会のはず。
それなのにその攻撃を叩き込まなかったということは───
「……悪いな」
ニヤリと笑ったヴェレイドの右手がノアの右肩に触れた。
そして───
「───深層羅神、『崩終奈落』」
終焉の権能の真髄を、ノアへと放った。
(ここで深層羅神……だ、と……)
ノアの意識は……そこで途切れた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さてさて……あいつは戻ってこられるかな?」
ヴェレイドは一人になった神域内で呟く。
「俺の深層羅神、『崩終奈落』……発動した瞬間に触れていた存在の意識を、その存在ごと遥かな終焉の果てへと飛ばす……終焉から現界へ干渉することは例え俺自身の権能であっても不可能であり、一度入ると絶対に戻って来れない不可逆性を持っている……」
ヴェレイドの持つ深層羅神は存在そのものを不可逆の終焉へと至らせるもの。
一度その奈落に飲み込まれると八神や界律神どころかヴェレイド本人でさえも戻すことはできない。
絶対的に詰んでいる状況……それでも、ヴェレイドは期待しながら笑う。
「信じてるぜ。どんな手段であろうとも、お前は絶対に戻ってくる。終焉すら覆す虚無を、俺に見せてくれ───」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「───」
上下左右の感覚がない世界。
まるでこの世の全てが漆黒に染まったかのように何もなく、どこまでいっても黒、黒、黒。
そんな空間で、ノアは落ち続けていた。
「───」
相変わらずノアの意識はない。
だが、ノアは例え意識がなかろうとも目的の為に身体が動くようになっている。
これこそが『無意識の意識的な支配』だ。
故に『混沌災禍』は発動し続けているし、幾度となく空間を『光の剣戟』で斬り裂いている。
それでも、この奈落から出られる様子はなかった。
そんな状態の時に、ノアの意識が覚醒する。
「……ここは」
常に落下し続ける感覚。
終焉に染まった漆黒の世界で、ノアの虚無は滅ぼされ続けていた。
「……なるほど、これがヴェレイドの深層羅神……一度落ちると二度と戻れない不可逆の奈落か」
ノアは『光の剣戟』による空間断裂からの脱出を諦め、『壊獄之太刀』による空間の破壊をしようとする。
しかし───
「……やはりな」
虚無の権能は良かったが、破壊の権能が一切機能しなかった。
それもノアは想定していたようで、特に驚きもしていない。
「ここでは虚無と終焉以外は使えない」
それどころか虚無と終焉以外の力は空間に放出することすらできない。
「これが終焉の侵食領域か……」
八神最強の力というのはやはり伊達ではない。
少なくとも他の神の権能は終焉と同じ舞台にも上がれない程、終焉の力は広く、深すぎる。
今この空間内において、終焉の権能以外で使えるのは他の影響の一切を無視できる虚無の権能のみ。
この力だけは周囲の環境に左右されることなく、弱化もしなければ強化もされないのだ。
故にこの奈落であろうとも『混沌災禍』は稼働できている。
「『光の剣戟』は魔力とも権能とも乖離した完全なる技術の粋故に使えたが……普通にやっていてはここを出ることは不可能だな」
少なくとも通常の『光の剣戟』で出られないことは確認済み。
後は『光の剣戟』による技だが……
(『黄昏之刃』は……違うな。あれは剣技の中でも強い部類には入るが、特性が噛み合っていない)
『黄昏之刃』の本質……それは物理的な切断だ。
物質として確立されているものなら『黄昏之刃』で斬れないものはまずない。
界律神装である白雪を使うのなら尚更だ。
故に破壊の試練ではリオエスタの神体を切断できたり、破滅災牙の威力を減衰させることができていた。
だがこの深層羅神はどうだ。
『崩終奈落』はあくまでも空間だ。
対象を永遠の終焉へと導く奈落。
そうなるように生成された空間。
(神域でもないのに空間生成って……つくづく化け物だな、あの神は)
前世も含め、ノアの知る限り深層羅神で神域と同じように空間を生成するというのは初見だった。
その神の持つ固有の神域というのは敵だけをその世界に誘うことはできない。
あくまでも自身もその中に入ることで初めて成立する。
それこそが神域の絶対的かつ不変的な特性だ。
だからこそ、その神にとって圧倒的に有利なフィールドを展開するという暴挙とも取れる力が許される。
だが、深層羅神は神によって形態から根本的に違う。
リオエスタの『破滅災牙』のように、神域内でのみ許された超高火力の龍の生成。
レイシェルの『命廻覇潰』のように、自身の生命を犠牲にすることで存在の根源的な部分にすら裂傷を与える大爆発。
ハーティアの『限局未来』のように、望んだ未来を確定させる権能。
オルストの『界律反転』のように、世界から完全に脱却できるようになる権能。
ガルヴェイムの『現消有定』のように、自身にとって都合の悪い現実を発動させた段階でなかったことにできる権能。
アルゼルスの『縁記追想』のように、自身や他者の記憶に第三者として入り込める権能。
どれも能力や単純な力として圧倒的だ。
だが、そのどれもが神域の特性を有してはいない。
アルゼルスのものが一番それに近いが、あれは精神世界であって現実の世界に影響があるわけではない。
故に、空間生成でありながらも対象のみをその空間に閉じ込めることのできるヴェレイドの『崩終奈落』は本来有り得てはならない程の力なのだ。
(いや、ただ空間生成できるだけならまだいい。それだけならいくらでも突破口はある……でも、『崩終奈落』はヤバい。全盛期ならともかく、今の俺が使える虚無の権能だけでは脱出することなど実質的に不可能だ)
この空間は完全なる一方通行。
ヴェレイドによってぶち込まれたが最後、自力であろうと他力であろうと、この空間から脱出することはできない。
(全く……一体どんな使い方をすればこうなるんだ)
上限が定められた力というのはその能力値にズレが生じてしまう。
つまり、どこかを強化すれば別のどこかが脆くなるのだ。
リオエスタの神域、『死海』が解りやすいだろう。
『死海』は空間そのものに破壊の概念が宿っており、普通の人間程度なら神域内に誘われた時点で生命活動が停止する。
そんな世界であの血の海を浴びれば、いくらノアとて無事では済まない。
だからこそ、『壊獄之太刀』の一振りで神域の空間そのものに傷がついたのだ。
神域を消滅させる方法は通常二つだ。
一つは神域を展開している神を倒すこと。
その神が倒れれば自ずと神域も解除される。
二つは後出しで神域を展開し、空間を塗り変えること。
神域は力に大差がない限りは後出しした方が優先される。
権能の力の深奥を半強制的に引き出すため、神域は連続使用不可。
できないこともないが、無視できない程に魂が疲弊することになる。
戦闘中の疲弊は致命的だ。
だからこそ、『壊獄之太刀』如きで傷がつく破壊神域は強度があまりにもなさすぎるのである。
『死海』は持ちうる力のリソースの大半を攻撃や火力に割り振った結果、相対的に世界そのものが脆くなってしまった。
そんな状態で『破滅災牙』を出せば神域が内側から自壊してしまいかねないのも当然と言えるだろう。
実際、ノアが耐え続けていれば破滅災牙の力に神域が耐えきれず、いつかは神域が崩壊していた。
故に神域や深層羅神には力の上限があり、どこかを強化すれば別のどこかが弱化するのが常なのだが……
(……『崩終奈落』の弱化した点……ウィークポイントか……そんなものあるか?)
前世では持っていなかった左眼の世界眼をフルで使い、深層羅神の根源を見ようとする。
だが見えるのは永遠なる終焉のみ。
隙などどこにもなかった。
「この終焉に隙を作り出す方法か……」
『混沌災禍』を展開していながらも無条件に終焉に呑まれたのだから、この魔法でどうにかできるものではない。
望みがあるとすれば二つだ。
「一つはガルヴェイムの見た灰色の球体……あれが魔法なのか深層羅神なのかは定かではないが、整合神域を抵抗もなく消滅させたのならこの空間も無傷で済む程度の力ではないはずだ」
問題があるとするなら、それを今会得することは限りなく不可能に近いということ。
破滅災牙の時のようにあえて魂を終焉に晒して滅びの瀬戸際で会得することもできなくはないかもしれないが……
「……流石に望み薄か」
そうなれば、残された手段は一つ。
「もう一つは、『光の剣戟』の技を使うかだが……少なくともこれは前世の技量。前世ですら会得できていない灰色の球体と比べれば確実に弱い。この空間の強度も解らない以上、それだけで抜け出せるかどうか……」
失敗した場合にどのような事象が起こりうるかも解らないのだ。
慎重になるのも当然と言える。
「……とはいえ、やってみなければ解らないな」
それで脱出できればそれでいい。
ならばやることは一つ。
それを決めた瞬間、ノアはゆっくりと眼を閉じた。
「すぅ───はぁ───」
ノアは白雪を両手で握り、呼吸を整える。
そして───開眼する。
(───『刻赫羅閃』)
純白の刃がまるで夕暮れの太陽のように赫く染まり、その刃はゆっくりと円を描く。
剣閃は決して速くはなく、これまでの戦闘から考えるならむしろ欠伸が出るほど遅い。
だが、その刃には紛れもなく空間そのものを切断する力があった。
『刻赫羅閃』……物質のみを対象とする『黄昏之刃』とは異なり、この剣技はその空間のみを斬る。
空間を切断したことによる世界のズレ……そしてそれを修復しようとする整合の強制力をあえて利用し、刹那よりも短いほんの一瞬だけ世界という概念から脱却できる技だ。
この技によって起こるズレは世界にとって致命的であり、世界に現存するリソースの大半を使用してでも修復しにかかる。
その瞬間だけ、剣技の使用者は世界から存在しないのと同義になるのだ。
今回、ノアがこの技を使用した理由はそこにある。
ヴェレイドの深層羅神である『崩終奈落』も、空間が分けられているだけであって世界の一部であるということには変わりない。
つまり、ノアが世界から存在しなくなれば、一瞬だけとはいえ『崩終奈落』の対象から外れるのだ。
ノアが元から持つ虚無の権能も同じことができるが、今の力の上限では『刻赫羅閃』の方が影響力が大きい。
故の選択。
(これなら───!)
『刻赫羅閃』が世界を切り裂き、ノアは世界からその存在を除外される。
そうして、ノアは『崩終奈落』を───
パリィン───
「なッ!?」
───抜け出せなかった。
(今、何が起こった!?)
両目を見開き、ノアは唖然とする。
ノアの使った『刻赫羅閃』の赫き刃は紛れもなく世界を切断し、確かにノアは世界から外れた。
それなのに『崩終奈落』の対象から外れることはなく、それどころか『刻赫羅閃』すらも空間に弾かれたのだ。
(───おかしい。いくらヴェレイドが八神最強でも、こんな細部まで干渉できるはずがない。仮にできたとしても、『刻赫羅閃』を弾くことなどまず不可能のはずだ)
『刻赫羅閃』が世界を斬る斬撃である以上、世界の範疇の存在であるヴェレイドに防げる類のものではない。
それならば一体何がノアを邪魔したのか……
「───まさか」
ノアは一つの結論を導き出す。
有り得ないと……否、そうであって欲しくないと思いつつ、もう頭の中にはそれしか浮かばなかった。
「まさか、奴が干渉してきて……?それなら確かに『刻赫羅閃』如き防げるだろう。だが奴がそんなことをするか……?」
ノアの頭の中を埋め尽くしていたのはかつてノアが絶対に勝てないと悟ってしまった存在。
空間と位階を支配する絶対者。
それを彷彿とさせる力だった。
「……いや、待て」
そこでノアはつい先程のことを思い出す。
───『敵の手が届かない場所から一方的に攻撃をする……まさか、あの存在に近しい力をこのような場所で見るとは』
「───そうだ。終華燈車輪。擬似的とはいえ奴に近い力が使えるのなら、この結果もないわけではない」
ヴェレイドの力の上限からして、その可能性は低い。
だが能力的には不可能というわけでもないのだ。
まあその場合はヴェレイドの擬似神装の力が強すぎて八神のバランスが本当に保てているのかどうかが不安になってはくるが……
(奴ではないと信じたいが故の思い違いの可能性もある。だが今はそれを考えている余裕はない。どちらにしても、今の状況が悪いことに違いはないんだから)
だが終華燈車輪だった場合はまだどうにかできる可能性が残されている。
少なくともあの灰色の球体の力を会得できればまず間違いなく突破可能だろう。
再度『刻赫羅閃』を使うよりも確実だ。
「問題になるのは灰色の球体を会得できるか否かだが……」
魂を終焉に晒すのはあくまでも方法の一つだ。
破滅災牙の時はそれで上手くいったが、失敗すればノアは己の虚無ごと永遠の終焉に呑まれるだろう。
方法はもう一つある。
それは意識を魂の深層へと潜らせること。
今世でノアが虚無の権能を覚醒させたのがその方法だ。
だがあの時は『惨死の魔弾』という魂に繋がる痕跡があったからこそ、その道を辿ることで魂の深層へと行き着くことができた。
現状ノアは魂にまでは傷を負っていない。
痕跡がないのなら辿る道もなく、魂の表層ならともかく深奥にまで行き着くのは困難を極める。
それに、この方法には重大な欠点がある。
「潜りすぎれば……帰って来れなくなる」
普通の人間ならともかく、ノアの魂は表層から深層まで全てが虚無で構成されている。
浅い場所ならまだ戻ってくることができるが、深くに行けば行く程戻るのが困難になる。
行きすぎれば帰ってくることができなくなり、廃人と同じ状況になるだろう。
ノアの場合はその状況でも無意識を制御することで活動そのものはできるが、まだ力を完全に解放できていない状態でそうなるのは可能な限り避けたい。
今のままではアルファルドに勝てるかどうかも怪しいのだから。
「……方法は一つか」
ノアは方法を思いつくが、それを実践することを躊躇っていた。
何故なら……
「俺自身の傷なんかはどうでもいい。でも、これを白雪に……ユキにやらせるのは、正直嫌ではある」
ノアの思いついた方法とは───
「───痕跡がないのなら、自分で道を作ってしまえばいい」
かつての『惨死の魔弾』の役割を、自身で果たすのだ。
とはいえ、仮に魔法を使ったところで自分の腕や生成した武器程度では魂の表層までしか傷をつけることができない。
それどころかノアの魂の強度に武器の方が負ける可能性すらある。
静滅銀刀も今は使えないとなれば、ノアの魂の深層にまで傷をつけることができる武具はたった一つ。
そう、白雪だ。
だがノアは白雪にユキの意識がまだ残っているのではないかと考えている。
それが本当だった場合、ノアはユキ自身に自分を傷つけさせようとしているのだ。
ユキはノアが傷つくことを望んでいない。
自分の手で傷つけることなど以ての外だろう。
だが、それでも───
「───許してくれ、ユキ」
ノアは覚悟を決め、白雪に灰色の魔力を纏わせる。
それは武具に虚無の権能を纏わせ、その力を斬撃に持たせる魔法。
「───『空虚斬滅』」
その状態の白雪を逆手に持ち、ノアは自身の心臓の位置へと突き刺す。
終焉の空間に鮮血が飛び散り、『混沌災禍』の対象から外れた大量の血は『崩終奈落』の力によって全て終焉へと導かれた。
そして白雪の刀身は寸分違わずノアの魂を貫き、虚無の権能が荒れ狂うように迸る。
「ぐッ!?」
前世込みでもここまで魂の深層まで傷を負ったことはない。
痛みではなく、荒れ狂う力を制御しきれずにノアは歯を食いしばっていた。
(失敗した……!)
ノアは重要な事実を忘れていたのだ。
ノアの魂の深層に潜んでいる力は前世のものだ。
つまりは全盛期の、これ以上ないとノア自身が思っていた己の最強の状態。
だが今はどうだ。
今のノアの力はそれに比べて遥かに劣っている。
制御の効く力の上限も、当然そこに縛られる。
現状のノアの制御できる力の上限を10とするなら、制御の効かない深層の力は数万単位。
その力が溢れ出したのだから荒れ狂う虚無は『崩終奈落』ごとノア自身すら侵食する。
(まずい……ッ!)
もしこの状態が続けば、ノアの虚無はやがて『崩終奈落』を無に帰させるだろう。
つまり、この空間から脱出はできる。
だがそれだけは……その方法だけは取ってはならないのだ。
(この空間を滅ぼせば出られるかもしれない……!だが、ここから出たところでこの力が暴れる場所が変わるだけだッ!つまり……次は世界を侵食してしまう!)
アルファルドの思惑によって世界が滅ぼされる前に、ノアの荒れ狂う虚無によって世界が無に帰す。
そうなってしまってはノアが八神に託された全てを無駄にしてしまうことになる。
(どうにか、この力の行く先を俺自身に向けろッ!)
魂に突き刺したままだった白雪から『空虚斬滅』だけを解除し、ずっと発動し続けていた『混沌災禍』の力の行く先を自分自身に向ける。
それによって今まで相殺されていた『崩終奈落』の力までもがノアへと突き刺さった。
「がぁッ!」
その力に痛みはなかった。
だが、まるで圧殺するかのような終焉の力に押し潰されそうになる。
己の虚無を全て一身に背負いながらその終焉すらも受けているのだ。
すでに魂の受けきれるキャパシティは遥かにオーバーしている。
「ぐ……あぁ……」
このままでは世界と同時にノアも滅んでしまう。
(まだだ……まだ、耐えるんだ……)
魂に刺さったままの白雪は抜かない。
白雪は一種のストッパーだ。
抜いてしまえば魂の最奥から溢れ出る力が爆発的に多くなり、この空間は瞬時に消し飛ぶだろう。
これはまさに自分自身との戦いだった。
故に───外からの干渉で、状況の全てが変わる。
─────
どこかから、鈍い音が響く。
それと同時に、それは起こった。
「ぁ……?」
現状、ノアの魂から溢れ出している虚無の奔流の一部が終焉へと消え去ったのだ。
(今の、は……ヴェレイド……?)
この空間で唯一、ノア以外へと向いた終焉の力があった。
ノアの制御できていなかった力へと向けられたその力はノア自身もよく知っている。
(今の力は……終華燈車輪か……?まさか、ヴェレイドもこの状況を……?)
自身へと向けていた力の一部が消えたことで、ある程度思考能力が復活したノア。
その頭の中に声が響く。
【おいノアッ!その中はどーなってやがる!?】
ヴェレイドだった。
ヴェレイドは『崩終奈落』の中を見ることができ、ある程度なら干渉する権限も持っている。
その空間に送った対象を戻すことはできないが、終華燈車輪での干渉や『念話』での通信は可能だった。
故に気づいたのだ。
『崩終奈落』内部で虚無が荒れ狂っていることに。
それを確認した瞬間、終華燈車輪を稼働させて虚無の一部を終焉へと導いた。
だが、その時にヴェレイドはとある事実に気づいてしまった。
(これは……ヤバいな。終華燈車輪は理屈上その世界の全てを終焉に至らせることができるってのに……あの虚無に関してはあの程度しか消し去れなかったのか……?)
終華燈車輪は厳密な条件が揃った時、ありとあらゆる存在を終焉に至らすことができるこの世界最強の擬似神装だ。
内包する力こそ白雪に劣るが、条件さえ揃えば白雪ですらも滅ぼすことができるという異次元さ。
対象の内包する力が増えれば増える程条件が厳しくなるという点はあるが、原理だけで言うならばノアの魂も消し去ることができる。
いくら即席だったとはいえ、ヴェレイドが本気で条件指定したにもかかわらず虚無のほんの一部しか滅ぼせなかった。
【ヴェレイド……悪い。ここから出る為に魂に穴を開けたんだが、溢れた力を制御できなくなった。完全に俺のミスだ】
【そう、なのか……解った。こっちからも終華燈車輪で援護してやる!だからとっとと出てこい!】
ヴェレイドは空中にあった終華燈車輪を手元に戻し、両手で挟み込むようにして終焉の力を流していく。
(終華燈車輪の対象を滅ぼす条件……それは歯車の組み合わせと回転速度、そこに内包される終焉の権能の強度……そして最も重要なのはそれを維持する時間だ。時間さえかければノアの虚無だって完全に滅ぼせる)
だが問題なのはノアと『崩終奈落』の空間がその時間までもつかどうか。
(できるのか……?三千年かけても穿界の魔手を滅ぼすには至らなかった俺の力で)
ヴェレイドは一瞬だけそんなことを考えてしまう。
「───いや、違う。やるんだ。ここで滅ぼせなきゃノアも世界も全部終わるんだッ!俺のせいで世界を終わらせてたまるかッ!」
ヴェレイドは全力で終焉の権能を歯車に流し込み、限界まで回転速度を上げる。
終華燈車輪の内部にある歯車は大小含めて50以上。
歯車の組み合わせは億や兆どころか那由他すらも超える。
ヴェレイドは歯車を超高速で組み替えていき、その中のたった一つの最適解を模索していた。
(これも……これも違う。クソッ!)
更に問題となるのは歯車を組み替えた瞬間に回転速度がゼロに戻ること。
つまり、終華燈車輪において最も重要である回転を維持する時間がリセットされてしまうということだ。
(だが、だからといって歯車の組み方を無視はできない……可能な限り短時間で最大威力を発揮するには組み方が一番必要なんだ……!)
そして、終華燈車輪の条件はこれだけではなかった。
(対象の属性に応じて組み方の威力も違ってくる……そして、俺はまだ虚無に対して一番効果のある組み方を見つけられてねーんだ……!どうする!?どうすればいい……!?)
ただの物質に対して使うなら組み方による威力は統一だ。
だが概念……破壊や創造、虚無などが相手ではその前提が全て意味を為さなくなる。
「───ッ!」
これまでにない程、ヴェレイドは集中していた。
ガガガガガガ───
超高速で組み替えられる終焉の歯車。
その速度は秒間に数十回。
普通の歯車なら瞬時に壊れてしまう程荒々しい扱い方だ。
いくら『終なき運命』を使っているとはいえ、こうも雑に扱っていては終焉の歯車さえも摩耗していく。
時間をかければ修復可能とはいえ、今この瞬間にも壊れてしまってもおかしくはなかった。
だがヴェレイドもそんなところにまで気を遣っている余裕はない。
「───」
ヴェレイドの漆黒の瞳は歯車の全てを、そして終華燈車輪の構造そのものを俯瞰し、虚無に対して最も効果的な組み方を探る。
そして───
「即席だが……これでどうだッ!」
ガコン───
全てのピースが嵌るように、歯車が組み替えられる。
そのまま超高速で回転し、その力を発揮した。
その時、ノアは───
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ッ!?」
ノアは自身に向いていた虚無の三分の一が消し飛んだことに驚く。
(今のはヴェレイドの終華燈車輪であることは間違いない……だが、あれからまだ三分……180秒も経っていないんだぞ……?)
ヴェレイドはたった三分足らずでこの『崩終奈落』内にある虚無の三分の一を消滅させたのだ。
そして、それが連続する。
ガガガガガ───
遠くから高速で組み替えられる歯車の音がする。
その度に虚無の一部が消えていった。
(そうか……一回で消滅させるのではなく、連続で細かく消滅させるようにしたのか)
効率はあまり変わらない。
ただ、短時間ならこちらの方がまだ可能性がある。
(俺のミスをカバーする為にそこまで……)
これはどうあってもノアのミスだ。
深く考えずに魂を深層まで傷つけてしまったのが悪い。
(俺自身もこの虚無を覆す方法を探らなければ……)
終華燈車輪という特殊な存在を除き、虚無は八神の権能よりも上位の存在だ。
つまりノアの持つ権能程度でどうこうできるものではない。
ならばこの虚無を覆せるのは虚無だけとなる。
(溢れ出る力を流用して魔法を使えれば……)
ノアは溢れる力のほんの一部を制御し、一つの球体とする。
それは灰色の球体だが、ガルヴェイムの見たあの時のものとも、『無の混沌』とも違う。
そして、ノアはこの力の形態に覚えがあった。
「これが、俺の───?」
属性は虚無。
そして、その形態は───
「───深層羅神、『灰零無尽』」
これこそが、ノアの持つ深層羅神。
遂にノアは神にまで昇華したのだ。
灰色の球体はこの空間を覆うように爆ぜ、ノアの魂から溢れる虚無、『崩終奈落』の空間、そしてノアの魂の傷すらも無に帰させていく。
そして───
「───あ」
長く感じていた落下の感覚が消えた。
白雪もいつの間にか抜けており、黒い斑点のある神域の地面に抜き身の状態のまま転がっている。
「まったく、お前ってやつは手間をかけさせやがって……」
仰向けで倒れていたノアに声がかけられる。
「……ヴェレイド」
ノアの気づかぬ間に、ヴェレイドが隣に座っていた。
ノアが視線をそちらに向けると胡座をかいていたヴェレイドと目が合う。
その時、心底安心しきったようにヴェレイドが笑った。
「おかえり、ノア」
ノアの失敗とヴェレイドの優しさ───




