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31、3年後の円満離婚?

 ◆3年後の円満離婚


 ── 大公の陰謀を暴いた皇帝たちだったが、皇帝は本来の国内の復興と発展のために、セレンは3年間の白い結婚後の円満離婚の為に奮闘した ──






 セレンの活動は着実に成果を上げていった。


 訓練校を卒業した若者たちは職に就き、経済は活性化し始めた。


 最初はロスト食材だけだった対価も、やがて少額の賃金が支払われるようになり、さらに卒業生たちからの寄付が集まるようになった。


 貧困街も、少しずつだが確実に変化していた。下水の整備が進み、洪水の被害は減り、子供たちの笑い声が街に響くようになった。


 最初は単なる政略結婚の道具に過ぎなかったセレンだったが、今や帝国に欠かせない存在になりつつあることに、シルバーも気づいていた。彼女の才覚、民への慈愛、そして何より彼女自身が ── いつの間にか、彼の心の大部分を占めるようになっていた。






 ある夕暮れ、離宮の庭でシルバーはセレンを見ていた。


 彼女はマーキュリーと静かに会話しており、その横顔は夕日に照らされて柔らかな輝きを放っていた。


「セレン」


 声をかけられて彼女が振り向くと、赤い瞳がシルバーを捉えた。


「陛……シルバー様、何か急用でも?」


「いや……ただ、私は」


 言葉が詰まった。伝えたいことは山ほどある。謝罪したいこと、感謝したいこと、そしてこれからも側にいてほしいという願い。だが、それらはすべて喉の奥で絡み合い、一言も出てこない。


 代わりにシルバーは、小さな箱を取り出していた。


「セレン。これは……私の母が大切にしていた指輪だ。これを、セレンに受け取ってほしい」


 箱を開くと、銀細工の繊細な台座と、碧く輝く宝石が現れた。


 セレンは目を見開いた。


「ですが、このような……」


「受け取ってくれ。私の気持ちとして」


 シルバーの碧眼には、これまでに見たことのない真摯な光が宿って見えた。


 セレンは戸惑いながらも、そっと指輪を受け取っていた。宝石の冷たい感触が、彼女の指先に伝わってくる。


「3年……」


 彼女は呟くように言った。


「え?」


「いいえ、何でもございません」


 セレンは首を振ると、指輪をしっかり握りしめた。彼女の心には、複雑な感情が渦巻いていた。皇帝の優しさに胸が温かくなる一方で、3年間の離婚という目標が、なぜか少し曇って見えるのを感じていた。






 *****






 月日は流れ、セレンの取り組みは帝国中に知れ渡っていった。


 辺境の農地は開墾が進み、河川の拡張と堤防の建設は洪水の被害を激減させた。


 職業訓練校は帝国の主要都市にまで拡大し、かつての貧困層から多くの人材が輩出され始めた。


 宰相リードは、セレンの才覚を帝国の財産と認め、正式な支援を約束した。


 近衛騎士団長モリブデンや副団長キセノンも、訓練校の武術指導に積極的に関わるようになった。


「あの皇妃殿下のおかげで、街が生き返った」


「聖獣に守られ動物達が懐き慕われる聖女だって噂だ」


 民衆のセレンへの評価は一変した。


 かつて悪女と囁かれたベールの皇妃は、今や慈愛に満ちた改革者として称えられていたのだ。


 しかしセレン自身は、街娘「リン」として時折離宮を抜け出しては、市井の生活を観察していた。彼女はまだ、3年間の離婚の後、庶民として生きていくための基盤を築こうとしていたからだ。






 ある日、市場でニッケルとクロムに会ったセレンは、兄妹の成長に目を細めた。


「リン姉さん!  僕、鍛冶屋の見習いになったんだ!」


「わたしはさいほうをならってるの。いつかじぶんのみせをもちたいとおもって」


 2人の瞳は希望に輝いていた。彼らの父親も、正当な仕事に就き、家族はようやく安定した生活を取り戻しつつあった。


「よかったじゃない」


 セレンは心から微笑んだ。これが、彼女が望んだ光景なのだと。






 *****






 その夜。


 離宮でシルバーと食事を共にしたセレンは、ふと尋ねた。


「シルバー様は……将来、どのような帝国をお望みですか?」


 シルバーはフォークを置くと、真剣に彼女を見つめた。


「私が望むのは、誰もが希望を持てる帝国だ。貧困に苦しむ者も、生まれによる差別もない国。セレンが今、作り上げようとしているような国だ」


 彼の言葉に、セレンの胸が熱くなった。


「でも、それは簡単なことではありませんよね。長い時間と、多くの努力が必要でしょう」


「私には時間がある。そして……」


 シルバーは少し間を置いた。


「セレンのような協力者がいれば、不可能ではない」


 2人の視線が静かに交差した。蝋燭の灯りが揺らめき、影が壁に踊る。


 セレンは突然、この瞬間が永遠に続いてほしいと思った。そしてその想いが、自分自身を驚かせた。


 いけない……私は約束の白い結婚での3年間を過ごしたら、ここを離れなければならないのに……


 彼女は目を伏せ、スープのスプーンを握りしめた。指輪が左手の指の付け根で微かに温もり、まるでシルバーの想いを伝えてくるかのように感じた。






 *****






 その夜、セレンは離宮の屋上に立ち、街の明かりを見下ろしていた。彼女の改革で灯った光が、かつての貧困街にもちらほらと見える。


 アーサニクがそっと近づくと、彼女の肩に外套をかけた。


「お体を冷やしますよ、セレン様」


「アーサ……どうすればいいの?  私は……自由になりたかった。王国でのあの惨めな生活から逃れ、自分の力で生きていく場所を作りたかった。でも……」


「でも、皇帝陛下のことも気になっている?」


 アーサニクの直球な質問に、セレンはひゅっと息を呑んだ。彼女はゆっくりとうなずいた。


「わからないのよ。陛下の事を知れば知るほど、実は優しい人なのだと。民を想い、帝国を良くしようと努力もしている。でも……私はただの政略結婚の道具だったはずなんだよ。陛下が本当の気持ちで接してくれているのか、それとも妃としての役割を期待しているだけなのかしら……」


「それなら、時間をかけて確かめればいいんじゃない?」


 アーサニクはセレンの肩に手を置いた。


 セレンは深く息を吸い、夜空の星を見上げた。


「白い結婚が成立するまで後2年……」


 彼女は呟いた。


「私が20歳になるまで、あと2年。その間に、本当の気持ちを見極めようと思うの。陛下のことも、私自身の気持ちも」


 アーサニクは微笑み、そっとセレンを抱きしめた。


「どんな道を選んでも、私はずっとセレン様の……セレンの味方だよ」


 その時、階段から足音が聞こえ、シルバーが現れた。彼は少し離れたところで立ち止まり、遠慮がちに言った。


「邪魔をしたか?」


「いえ」


 セレンはアーサニクの抱擁から離れると、シルバーに向き直った。


「シルバー様、お話がございます」


 シルバーは真剣な面持ちでうなずいた。


 セレンは1歩踏み出すと、赤い瞳をシルバーの碧眼にしっかりと合わせた。


「では、お願いがございます。これから2年、私はシルバー様の妃として、帝国のために尽力します。その間に、お互いの気持ちを確かめ合いましょう。そして2年後、私が20歳になった時 ──」


 彼女は一呼吸置いた。


「その時、本当の答えを見つけたいと存じます」


 シルバーの目に喜びの色が浮かんだ。彼は深くうなずくと、手を差し出した。


「約束しよう。私は其方を、1人の女性として、そして対等なパートナーとして尊重する」


 セレンは少し躊躇ったが、そっとその手を握り返した。


 2人の手の温もりは、夜の冷たい空気の中で1つになった。


 マーキュリーは満足そうにごろごろと喉を鳴らすと、星明かりの下で金の瞳を輝かせた。


 《もう2人とも、お互いに寂しくなさそうだね》


 シルバーは深く息を吸った。


「マーキュリーとは心を開いているようだな。私にも、少しずつ心を開いてもらえるのだろうか?」


 皇帝の目には真摯な色が浮かんでいた。


 セレンは長い間沈黙し、やがてかすかにうなずいた。


「時間はかかるかもしれませんよ」


「それでもいい」


 皇帝は立ち上がった。


「私には時間がある。これからは、私が君にそれを証明しよう」


 街の明かりは、1つまた1つと灯り、闇を優しく照らしていった。


 セレンの改革はまだまだ途中であり、解決すべき課題は山積みである。しかし確実に、帝国は変化し始めていた。


 そしてセレン自身も ── ただの「お飾り皇妃」から、帝国を変える女性へと変わりつつあった。


 2年後、彼女はどのような選択をするのだろうか。法律の壁を乗り越え、自由を手に入れるのか。それとも、芽生えた想いを育て、新たな絆を選ぶのか。


 答えはまだ、星明かりの向こうに隠れていた。


 果たして、無事に円満離婚できるのかしら?






 *****







 セレンが帝国に来てから3度目の春がやってきた。庭園の桜が淡いピンクの花を咲かせる季節。


 マイトネリュム帝国の皇妃セレンは、窓辺に立ちながら、そっと自分の胸に手を当てた。


 朝もやが立ち込める庭園には、早咲きの花がほのかな色を添えている。明後日で彼女は20歳を迎える。17歳でこの帝国に嫁いでから、ちょうど3年が経過する日だ。


「3年……」


 彼女は呟くように言った。


「約束の時が来てしまうのね」


 黒髪は絹のように滑らかで、赤い瞳には複雑な感情が渦巻いていた。前世の記憶、日本の薬剤師としての知識、そしてこの世で母の血筋から受け継いだ動物たちと会話できる能力。それらすべてが、彼女をここまで支えてきた。けれど、もっとも彼女を支えていたのは、いつか訪れる「終わりの日」への希望だった。


 宮廷内には、すでに様々な噂が飛び交っていた。


「おい聞いたか?」


「なにをだい?」


「どうやらリバモリュム皇国のフローリン皇女殿下のご婚姻が、ついに成立するそうなんだとよ」


「おお~、それは吉報ですね。確かあの皇国は……長らく災害後の復興や後始末に苦しんでいましたからな。とうとうお決めになられたか」


「そりゃあおめでたいな」


「それで帝国にご来訪なのですか?」


「国内でのごたごたが他にも色々あったようだからな」


「同盟を組む話もあるでしょうが……もしかするとご婚姻って、陛下とのご縁談?」


「なるほど、なるほど、それは確かに、1番の吉兆かもしれんな」


 使用人たちの囁きは、壁を伝わってセレンの耳にも届いていた。彼女は目を閉じた。もう聞きたくない。知りたくない。


 異母姉のナイトラジェンは、悪行から陛下との婚姻は失敗したけれど、陛下に一目惚れしたために大騒ぎした彼女も、こんな心境だったのかな……


 宰相の妹であるテルルを正式な側妃に迎える話も、貴族たちの間で囁かれていた。表向きは愛妾として宮廷に入っていたテルルだが、実は皇帝シルバーの影として働く密命を帯びていたのだが。しかしセレンには未だその真実を知らされていなかった。彼女にとってテルルは、ただ夫の寵愛を受ける女性の1人としか映っていないのだから。


「シルバー様は……1度も『愛している』とは仰ってくれたことがなかったわね……」


 セレンはそう思い込んでいた。


 政略結婚 ── 白い結婚。3年間、帝国の発展のために尽力し、周辺諸国との関係を改善し、国内の貧困問題に取り組んできた。すべては約束通り、3年後に円満に別れるため。そう信じてきた。


 彼女は机に向かうと、羊皮紙に整った字で書き始めた。


『神殿宛 離縁申請書』


 指先がわずかに震えた。これでいい。これが約束だから。彼女はそう自分に言い聞かせた。






 *****


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