30、皇妃の政策?
◆皇妃セレンによる政策
── 皇帝にとっての長年の仇である大公を追い詰めるための証拠をやっと集めていた時、セレンが誘拐された ──
大公の逮捕は、帝国に大きな波紋を広げた。
「私はお前の叔父だろう? なあ、子供の頃は病床のお前の面倒を ──」
「黙れ!
病床の頃。帝王学だと言ってはムチ打ち、皇族は毒殺の危機によく合うから身体を慣らすためだと、致死量に近い毒を食事に盛っただけでなく、犬も食わぬ残飯を食べさせたではないか! おかげで貴方の邸で世話になっている間は、食事が喉を通らず、吐き出すことを覚えさせられたよ……
もういい、戯言は沢山だ……
落とせ!」
ザンッ!
さすがに皇族でもあるセレンに手を出したばかりでなく、長年にもかけて皇帝を暗殺しようとしようとしていたのだ。死罪は免れなかった。
「……長かった……父上、兄上……これでやっと……」
シルバー自身も、少年時代に何度も暗殺の危機に陥らせた叔父ではあったが、前皇帝である父親と、皇太子だった兄の敵討ちがやっと叶ったのだ。
*****
しかし、大公が築き上げた闇のネットワークは広大であった。
もちろん、シルバーの影たちが集めた資料と照らし合わせた上での情報だが。
さらにセレンがネズミや鳥たちからの詳しい情報もまとめると、疫病が発生する原因となった奴隷たちは、大公である皇帝の叔父が経営する闇商人が発端だと。
元公爵家を通したあのビスマスを買い取った奴隷商などから、孤児院の子供たちを誘拐したり、時には買い取ったりして、奴隷として使役したり、暗殺者として育成し、周辺諸国へも売り飛ばして手に入れた資金で、更に奴隷や暗殺者を育成して人材を増やしてきたのだと。
また、貧困街の住人たちから、女性は奴隷や娼館に売り払っていた。
さらに、屋台の兄妹のような親や大人の男たちの中に、傭兵上がりや元冒険者たちや戦闘能力や経験があったり、知識や教養があって奴隷にするよりも手元に置いて使えると判断された人材は、子供や恋人、妻や両親や病気の身内などを人質として監視していると脅迫した。
そうして身動きできなくさせた上で、割りのいい仕事があると騙し、低賃金で長時間働かせられる重労働者として雇っていたのだ。
彼らは、大公付きの傭兵や奴隷商人の手伝いをさせられたり、それでも逃げ出そうとしたり逆らう者には、容赦なく奴隷として虐げ、周辺国の採掘場などに送り込み、資源を盗み出すために使い潰してさえいた。
こうして、救わなければならない人々がまだ大勢いることも明らかになった。
奴隷として売られた孤児院から消えた子供たちや貧困街の人々、脅迫されていた働かされていた大人たち……それらすべてを救い、帝国を真の平和へ導く道は、まだ長く険しかった。
皇帝と皇妃の戦いは、ようやく本当の意味で始まろうとしていた ──
*****
大公の悪事が露見し、帝国の闇が一掃されてから数ヶ月が経った。
セレンは、離宮の書斎で羊皮紙に細かな計画を書き連ねていた。
窓の外では春の陽射しが庭園を照らし、彼女の黒髪に柔らかな光を落としている。ベールを外して過ごせるようになった今、彼女の赤い瞳は真摯な決意に輝いていた。
「3年」 ── その言葉が心の中で繰り返される。
*****
大公に連れ去られ、奴隷同然の生活を強いられていた人々の救出から、シルバーだけでなく、セレンの新たな活動が始まった。
シルバーの政策では、危険な鉱山に携わるのは実質上の罪人に加え、希望者限定で石工や技術者などを募り、早番・日勤・遅番・週2日の休日を徹底さた4交代制で、無理のない労働ができるように改善した。
一方。
セレンの政策は単なる救済ではなく、持続可能な自立の道を模索した。
先ず手がけたのは、職業訓練校の設立である。
「技能を持たない者たちは、いつまでも貧困から抜け出せないわ」
セレンはそう考えると、宰相リード公爵に直談判してみた。
当初は
「皇妃殿下のやることではないでしょうに」
と反対されたが、彼女の熱意と具体性のある計画書、更にジンク老師やジョー先生までもが、口添えしてくれたおかげで、ついに宰相を始め、皇帝陛下の心までをも動かした。
「儂は医者などとっくに辞めて引退しておるが、今では、この皇妃殿下のような生徒を受け持ち、時にはあの疫病の時の様に、経験と知識を後進を育てるために役に立てるのだと実感した。
それと同じように、他の職業や技術者たちにも、専門的な知識や技能を持ちながら、後進に引き継げずに泣く泣く引退した者がまだまだ大勢おる。そういう彼らを活かす場を、再び作れる良い機会ではないかな」
「私も還俗したとはいえ、神殿で仕えた時に覚えた歴史や史実などの知識を、皇妃殿下のおかげで無駄にせずに済んでおります。必要ならば、神殿の伝手を通して人材を依頼することもできます。
いいえ、もちろん。偽善と思われようとも、神殿の為にどうこうしようとか癒着など考えておりませんよ? 純粋な奉仕の気持ちです」
もちろん、教師の候補には、動物たちの情報も助けになった。誰かに教えられるだけの知識はあるのに、貧困や家族の病気や事故、親戚による嫌がらせや幽閉や監禁、財産の横領などで希望の職に就けない状態でいる者の情報などが。
もちろん彼らを保護し救済するためには、以前よりも近くなった陛下に進言して後ろ盾を作り、迷惑な自称親類たちは排除され、悪質な場合は容赦なく危険な鉱山送りか処刑された。
「確かに自分は皇妃に何もするなと最初こそは言ったが、今では信頼する伴侶だからな。ここまで説得力のある資料までそろえたのだ。いいだろう。皇帝である私が許可する。後はリードの采配で調整してやれ」
「── なるほど。確かに……妃殿下の案は面白い考えかと存じます。しかし陛下の許可は下りましたが、私からは実験的に許可を出すことにしましょう。ただし、成果がなければ即中止しますからね?」
リードの桃色の瞳が興味深そうに輝いた。しかし彼はもちろん、シルバーもすでに、この「お飾り皇妃」が並々ならぬ才覚の持ち主であることを気づき始めていた。
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訓練校の教師には、年齢的に引退した者、戦傷や事故で引退せざるを得なくなった元騎士たちなどが志願した。ニオブ老兵や、クリプトン士爵のように片足に大傷を負いながらも、豊富な経験を持つ者たちだ。彼らは自警団や町の治安部隊の訓練を担当し、街の安全を守る術を若者たちに教えることになった。
「老い先短い自分にも、後継を育てる栄誉を授かれるとは思わなかったよ」
「俺たちのような者にも、まだ役目があると……皇妃殿下に感謝したい」
ニオブとクリプトンは、訓練校の庭で木製の剣を手にした少年たちを指導しながら、そう呟いた。
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最大の問題は資金だけだ。国庫からの援助は限られている上に、セレン個人の財産も乏しい。
そこで彼女が最初に着想したのは、気候による地域差での食材の高騰と下落だ。これらの土地や地域差、気候や災害による情報も、渡り鳥や動物たちがもたらしてくれた。
《あの地域の食糧は豊富だぜ》
《その土地は災害で食糧難だよ》
洪水や不作などに悩まされる地域と、逆に作物が過剰に実り物価が暴落する地域 ── 帝国の気候と地形が生むこの不均衡に目を付けた。
洪水や不作に悩む地域には、食材以外の鉱石や布などの特産物か、技術や職人や貴族だが次男以下の爵位を継げない男子たちなどがいないか探した。逆に、豊作な地域では食材以外の物資や人材が不足していることに気付いた。
そこで、洪水などの支援が必要な地域には、元公爵や大公に捕まっていた職に炙れた者を国の助成金で雇って川幅を拡げる工事など、次の洪水に備えた工事を行わせるために派遣できるようにした。
不作な土地の物資や人材を、豊作な土地との物流売買で、高騰や暴落を抑えた。
もちろんこれらの事業は、さすがに領地を治める貴族達との交渉や大規模な政策として必要となるため、宰相を通して陛下からの勅命で国ぐるみで数年かけての政策となった。
次に目を付けたのが「ロスト食材」の活用だ。
「形が歪な野菜、小さすぎて市場に出せない作物、傷がついた食材、肉の端切れ……味は変わらないのに捨てられる運命にある食材たち」
《味は同じなのに、人間って大きさなどで区別して変だね》
セレンは街娘「リン」として市場を歩きながら、鳥や猫や鼠の情報から、見つけた農家や肉屋と交渉した。前世の日本で見た「フードロス」の問題は、この世界でも同じように存在していたからだ。
彼女の提案は単純明快だ。
貧困街の住人や孤児たちが、これらのロスト食材を回収し整理するための労働力を提供する。対価として、回収した食材の一部を受け取れる。食材は彼ら自身の食料となるだけでなく、訓練校や託児所の食事にも活用されるようになった。
「これで今日の夕飯が……!」
屋台の兄妹、ニッケルとクロムは、歪な形の根菜に虫食いや色あせた葉物野菜と焦げて形が小さいパンやパンの端切れなどを抱えて笑顔を見せた。彼らの父親のアイアンは、大公の手下としてセレン誘拐に関わったが、セレンの脱出時や大公の悪行を暴くことに協力して貢献したので、子供たちの下に戻ることが許されていた。家族はまだ貧しいが、少なくとも飢えることはなくなったのだ。
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食材の循環が軌道に乗ると、次は教育の拡充に着手した。
アメリシュム伯爵ことジョー先生 ── 還俗した元司祭は、低貴族の家の次女や三女以下の女性たちを教師として募った。
「学があるのに、女性が活躍できる場が少なすぎる。この訓練校が、彼女たちの才能を開花させる場になれば」
紫髪の若き教師は熱心に人材を探した。
また、老教師のジンク元侯爵は、医者としての経験を活かし、衛生教育や簡単な手当ての方法を教えるクラスを設けた。
アーサニクも、剣術の基礎を教えることで参加した。彼女の焦茶色の髪を短く切り、男装した姿で少年少女に構え方を指導する様子は、かつて「セレンの愛人」と誤解されていた頃を思い起こさせた。
「お前、そうやって肘が下がっているから力が伝わらないんだ」
アーサニクは優しく、しかし厳しく指導した。彼女の橙の瞳には、セレンを見守る時と同じ温かさがあった。
皇帝シルバーも、この動きを陰から支援していた。彼はセレンが街に出る時、皇帝特有の空色の髪色を隠すために、いつもの様に茶髪と髭をつけた商人に変装して後を追い、時には直接手伝いさえした。
「陛下、そのようなことをなさっては……」
近衛騎士団長のモリブデン侯爵がたしなめると、シルバーは空色の髪を揺らして笑った。
「私も帝国の皇帝だ。民の幸せを願わない皇帝などいるのか?」
しかし彼の碧眼の奥には、セレンへの複雑な想いが渦巻いていた。あの日、誘拐された彼女を救出した時、自分がどれほど恐怖したか。彼女を失うかもしれないという想像が、胸を締め付けたのだから。
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ある日、訓練校を視察に訪れたジョー先生が、セレンが街のカラスや小鳥たち、猫などに囲まれているだけでなく、彼らに混ざって傍らにいる黒豹に目を留めた。
マーキュリーはこの頃にはシルバーとセレンの誤解が解けていたし、大公はいなくなったが、姿を現していた方が暴漢や敵対派閥の貴族が雇った暗殺者や誘拐犯たちへの牽制にもなるとシルバーに説得されて、堂々とセレンの護衛として姿を晒していたから。
それに加え、セレンが大公に誘拐されたのは己の油断があったせいもあるので、2度とセレンを危険な目に合わせないとマーキュリー自身が誓ったからでもある。
「これは……もしかして」
元司祭としての知識が、彼に閃きをもたらした。ジョーは慎重に黒豹に近づくと、その金の瞳を覗き込んだ。
「多くの動物たちに好かれるだけでなく、銀龍の神子に仕える聖獣……帝国やフレロビュムなどに伝わる、伝承の生き物ではございませんか?」
セレンはひゅっと息を呑んだ。
マーキュリーは平静を保っていたが、その尾先がわずかに震えた。
「先生、どうして……」
「私はかつて聖典の研究をしていました。特に異教や古い伝承に興味がございまして」
ジョーは紫髪をかき上げると、真剣な表情で続ける。
「この黒豹が聖獣であるなら、リンさん……いえ、セレン様こそが、銀龍の神子の末裔ではないのでしょうか? それに、町中のどのような野性の動物でさえ、このように良くあなたの傍に寄ってきて平然と過ごしておられる。もしかして、動物と心を通わせる能力でも、お持ちなのではありませんか?」
セレンは黙っていたが、うなずくことはできなかった。確かに、彼女の特殊能力は、母方の血筋によるものだ。
「……アメリシュム先生。申し訳ありませんが、動物たちは、ただ単に私に懐いてくるだけだと思いますよ。怪我をした時に、よく薬草を使って手当してあげたので、きっとその恩を覚えているだけなのかも。
それにしてもこの黒豹が、そんなにすごい聖獣だなんて。貴方、実はもっと何か隠してるんじゃないの?」
そう言って黒豹の頭を優しくなでた。
「……そうですか。いえ、それもそうですよね。もしそのような力があると知られたら、周囲が大騒ぎして、黙ってはいられなくなりますよね」
ジョー先生は、この時は、それで引き下がってくれた。
しかし、その噂は密かに広がっていった。
かつては悪女と呼ばれていたはずの皇妃が、実は聖女の末裔であり、動物たちや聖獣に愛され守られている ── 人々のセレンを見る目は、尊敬と畏敬の念に変わっていった。
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