28、ベールに隠れた真実?
◆黒いベールに隠された真実
── 王国から異母姉がやってきた ──
そこに現れたのは、確かに美しい顔立ちだ。
しかし ── それはセレンの顔ではない。赤い髪、紫の瞳、豊満な体つき。すべてが、セレンとは違う。
「……お前は誰だ?」
シルバーの声は低く、危険な響きを帯びていた。
「わ、私はセレンですわ!」
ナイトラジェンは必死に主張する。
「この腕輪が証拠です!」
その時、シルバーの目がナイトラジェンの胸元で止まる。彼女の首から下がっているペンダント ── あの「銀龍の涙」のペンダントだ。
「そのペンダントはどこで手に入れた?」
声の温度がさらに下がる。
「こ、これは……妹 ── いえ、侍女から頂いたものです」
ナイトラジェンは慌てて言い訳する。
「彼女が盗んだものだと思い、没収しました」
「嘘をつけ」
シルバーが1歩踏み出す。その威圧感に、ナイトラジェンが後ずさる。
「そのペンダントは、ある商人の男が自ら作り、ある1人の女性に贈ったものだ。その女性以外が持っているはずがない」
「で、でも……」
「そしてもう1つ」
シルバーはナイトラジェンを睨みつける。
「私が知っているその女性は、お前のような豊満な体つきではない。もっと細身のはずだぞ」
部屋中が静まり返る。
ナイトラジェンの顔から血の気が引く。
「そ、それは……」
その瞬間、広間の扉が開いた。
乱れた黒髪、簡素なドレス、何も飾られていないが、背筋はピンと伸びた1人の女性が立っていた。アーサニクと黒豹が彼女を守るように背後に控えている。
「セレンは私です」
その声は静かだが、広間の隅々まで届いた。
ナイトラジェンは絶叫した。
「嘘つき! セレンは私よ! この卑しい女はただの侍女で偽物だ!」
しかし、シルバーはもう彼女を見ていなかった。彼の碧眼は、扉際に立つ本物のセレンに注がれていた。
「セレン。来るのが遅かったな」
シルバーがセレンの前に立ち止まる。
「ベールを外せ」
その声は、今度は驚くほど柔らかかった。
セレンは震える手で、黒いベールに触れる。長年、彼女を縛り続けてきたこの布が、今、外されようとしている。
ベールがゆっくりと滑り落ちる。
黒い髪が解き放たれ、赤い瞳がゆっくりと開かれる。そこに現れたのは、町娘リンそのものの顔 ── しかし、それ以上に気高く、美しい皇妃の顔でもある。
「……リン?」
シルバーが息をのむ。
「いや……セレン」
彼女はうつむく。
「申し訳ありません、陛下。私は……」
言葉が続かない。すべてがばれてしまった。彼女は2つの顔を使い分け、皇帝を騙し続けてきたのだと。
しかし、シルバーの手が彼女の肩に伸びる。驚いて顔を上げると、そこには怒りの表情はなく、ただ深い理解と ── 優しさがあった。
「私は……私は町娘のリンに会った」
シルバーの言葉が続く。
「彼女は黒い髪に赤い瞳を持ち、薬草の知識に長け、異国の言葉も流暢に扱う。そして ── 私が昔出会った少年と、あまりにも似ていた」
セレンの心臓が高鳴る。彼は気付いていた? リンとセレンが同一人物だと?
「私は調査を命じた」
シルバーはセレンをじっと見つめる。
「そして知った。私の妃は、町でリンと名乗り、貧しい者たちを助け、時には疫病の治療に自ら当たり、動物たちに愛されていると」
彼はゆっくりとセレンに歩み寄る。
「悪女の評判はすべて、妬みと陰謀から生まれたものだろう。
盗み癖? 彼女は貧しいながらも、決して盗みなどしなかった。
傲慢で我が儘? 彼女は誰よりも謙虚で、人のために尽くした。
浮気性? 彼女はただ、助けを必要とする者たちの元へ足を運んだだけだ」
彼が囁く。
「町で会ったリンが、どうしても頭から離れない。彼女の瞳が、私の記憶の中の少年の瞳と重なる。そして、妃のセレンがリンとあまりにも似ていることに、次第に気付き始めた」
シルバーはそっとセレンの手を取る。彼女の手首には、黄金の腕輪はない。
「私は愚かだった。外見だけで判断し、噂だけを信じ、真実を見ようとしなかった」
彼は振り返ると、ナイトラジェンを見る。彼女の顔は青ざめ、震えていた。
「ナイトラジェン王女」
シルバーの声は再び冷たくなる。
「其方の罪は重い。皇妃への冒涜、帝国への欺瞞、そして ── 私への偽り」
「で、でも陛下! 私は……!」
セレンの目に涙が光った。彼女はゆっくりと歩み寄り、ナイトラジェンの前に立った。
「義姉さん、母の腕輪と、私のペンダントを返してください」
「わ、渡すものか! これらは全て私のものよ!」
ナイトラジェンは必死に叫んだが、シルバーが手を挙げると、衛兵たちがすぐに彼女を取り囲んだ。
「ダームスタチュム王国のナイトラジェン王女。あなたは我が妃に対する窃盗、および身分詐称の罪で拘束される」
「陛下! どうかお許しを! 私は……」
「外交官ハッシュム伯爵」
シルバーはナイトラジェンを無視し、王国の実直な外交官に向き直る。
「この件についてダームスタチュム王国には厳重な抗議を行う。また、ナイトラジェン王女のこれまでの行いについて、徹底的な調査を要求する。その後、ナイトラジェン王女は、即座に王国へ送還する。彼女の今後の処遇については、王国の判断に委ねるが ──」
皇帝の目が鋭く光る。
「私の妃に対する侮辱行為に対して、何らかの償いが必要だろう。王国は、帝国との条約において、より不利な条件を受け入れることになるかもしれぬな」
ボーラン伯爵は蒼白になり、深々と頭を下げた。
「謹んでお受けします、陛下」
「ま、待ってください!」
ナイトラジェンが必死に叫ぶ。
「私は王国の第一王女です! こんな扱い……!」
「第一王女だから、何だと?」
シルバーが冷たく笑う。
「ならば、王国の代表として、周辺国との外交の駒として相応しいだろう。私は聞いている ── 北の藩国には、年齢の離れた国王が妃を求めていると。其方は、王国の利益のためには、そこへ嫁ぐのがよいのではないのか?」
ナイトラジェンの顔から最後の色が消える。それは、政治的な結婚というより、実質的な追放 ── いや、懲罰に近い。
「モリブデン」
「はっ!」
「ナイトラジェン王女を丁重に連行し、我が帝国内で行ってきた徹底的な調査と、王国への送還の準備をせよ。護衛は厳重に」
「承知しました!」
モリブデンが騎士たちに合図する。
ナイトラジェンは泣き叫びながら連れ去られていった。
奪われた腕輪とペンダントは、近衛兵によって丁寧にセレンの元に返された。
*****
部屋が再び静かになる。重臣たちも、この劇的な展開に言葉を失っている。
シルバーはセレンに歩み寄った。
「傷はないか?」
その声は、町で出会った商人のそれと同じくらい柔らかかった。
セレンはうなずくと、ペンダントを握りしめた。
「……なぜ、私がリンだと?」
「この石は……宝石とするには、確かに小粒すぎて売り物にならないほど歪だったからな。私自身が覚えていないわけはなかろう。
それに……それにだ。町で其方に渡した時、
『どんな形の物であろうとも、贈る人を想って作るのなら、人によっては宝物になるんです』
と言って受け取ってくれたのは確かにリンという女性だったはずだ」
シルバーは1歩近づいた。
セレンの頬がぽっと赤らむ。
「あなたは……ずっと知っていたのですか?」
「疑っていた。確信したのは今日だ」
シルバーの手がそっとセレンの頬に触れた。かつて彼女を打ち据えた時の痣があったはずの箇所を。そして、ベールがない彼女の顔は、本当に美しかった。黒髪は絹のように滑らかで、赤い瞳はシャンデリアの明かりに宝石のように輝いていた。
「なぜ、もっと早く打ち明けなかった?」
「……あなたが、あの悪評を信じていると思っていたからです」
「私は再調査を始めていた。時間がかかったが、真実にたどり着くところだった」
シルバーの目には、後悔の色が浮かぶ。
「そして私は……再度、其方に謝罪しなければならないな」
彼は深く頭を下げる、皇帝なのに。
「陛下、そんな……」
セレンは慌てて皇帝を起こそうとするが、シルバーは首を振る。
「私は誓う。2度と其方を疑わない。2度と其方を傷つけない。そして ──」
セレンはうつむくと、拾い上げた黒いベールを被って整えようとした。しかし皇帝の手が、そのベールに触れた。
マーキュリーが滑り込むように2人の側に寄ってきた。黒豹はセレンの足元に寄り添い、シルバーを見上げて、満足そうにぐるぐると喉を鳴らす。
《このヘタレが。自分の気持ちに未だ気づかないのか?》
「マーキュリーも……ずっと知っていたんだろう?」
シルバーが感慨深そうに言う。
「十年前……森で傷ついた子供の黒豹の、マーキュリーと名付けた黒豹の子を助けてくれたのは……其方だったのだな?」
セレンの目がわずかに見開かれた。彼女もまた、あの時のことを思い出していた。傷ついた小さな黒豹を、必死に手当てしたこと。その時一緒にいた少年が、実は今いる皇帝だったのだと……
「あの時いた彼は……本当に、陛下だったのですか?」
「平民の子供の格好をしていた上に、成長も普通の14歳より小さく思われたようだが……そうだ」
シルバーは1歩近づくと、セレンの手を取った。その手には、侍女として働いた時の擦り傷や、薬草を摘んだ時の小さな傷がいくつもある。
「なぜ……なぜそれを言わなかった?」
「はい……言える立場ではありませんでした。私はただの、お飾りの皇妃ですから」
その言葉に、シルバーの胸が締め付けられた。彼は今まで、どれほどこの女性を誤解し、傷つけてきたのだろうか。悪評を信じ、彼女が街で小物や薬草を売り、内職をし、自ら侍女の真似事をしなければ生きていけなかったことを知らなかったのだから。
セレンはうなずく。
「……あの時、陛下は私をたぶん少年だと思い込んでいましたよね。でも、マーキュリーは最初からすべて知っていたようです」
シルバーはマーキュリーの頭を撫でる。
「だが今、私もすべてを知った。其方が私の探し求めていた人だということを」
彼の手がセレンの手を包んだ。銀龍の涙のペンダントが2人の間で微かに光った。
「セレン……」
皇帝は思わず、彼女を抱きしめていた。周囲の者たちが驚くのも構わず。セレンの身体は小さく、しかしその中には、これまで彼が知らなかった強さと優しさが宿っていた。
「もう2度と……こんな目に合わせたくない。私は誓う」
「陛下……」
セレンの声はわずかに震えていた。これまで誰にも抱きしめられたことのない彼女は、この温もりにどう反応していいかわからなかったから。
「お前は、もうただのお飾りではない。私の……」
皇帝は言葉を切った。自分の感情が何なのか、まだはっきりとはわからない。しかし、この女性を失いたくないという思いだけは、確かである。
しかし、その光の中にも、小さな影は潜んでいた。ナイトラジェンが連れ去られる際、投げかけた憎しみに満ちた視線 ── そして、遠くでそれを監視する、何者かの気配。
セレンはシルバーの腕の中で、ふと震える。この幸せが、永遠に続くとは限らない。彼女を狙う者たちは、まだ諦めていない。
「大公……」
彼女は囁く。かつてシルバーの命を狙った皇帝の弟、大公の影が、まだ帝国を覆っている。
「怖がるな。私がいる。もう2度と、其方を1人にはしない」
その言葉に、セレンはそっと目を閉じた。今この瞬間だけは、安心してこの温もりに身を委せよう ── そう信じられた。
「これからは、ベールを外しても良いのではないか? あなたの顔を、もっと見ていたい」
シルバーはそっと囁く。
「そのベールは……もう被らなくていい。少なくとも、私の前では」
セレンは目を見開き、そしてゆっくりとうなずいた。涙が一筋、頬を伝って落ちてきた。
「……はい……」
彼女の赤い瞳には、初めて本物の笑みが浮かんでいた。長い闇の後には、必ず夜明けが来る。彼女の人生にも、ようやく光が差し始めたのかもしれない。
「はい。かしこまりました、陛下の御心のままに」
広間の外では、満月が静かに2人を見守っていた。銀龍の涙は、歪な形ながら、月明かりを受けて優しい空色の輝きを放っている。
ナイトラジェンの使用人や私兵達は近衛に連行してもらい、アーサニクと後から駆けつけたセレンの護衛騎士の4人らは、少し離れた場所で、ほっとしたように微笑み合った。
ふとアーサニクがそっと窓辺に目をやると、1羽の梟が月に向かって飛び立つのを見た。動物たちも、この変化を祝福しているのか。
しかし、運命は残酷にも、すぐに次の試練を準備しているようだ。平和は長くは続かず、新たな陰謀がすでに動き始めている。次なる危機は、セレン自身を標的とし、帝国を揺るがす大きな波となって押し寄せようとしていた。
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