26、皇帝は気付く?
◆皇帝シルバーが気付いた真実
── リンとして侍女の姿で城内で働き始めたセレン。一方、皇帝たちが間者の調査の中、リンとセレンの事を調べ始めた。セレンが小屋で暮らしていたことが、やっと判明した ──
翌朝。
謁見の間は重い空気に包まれていた。
皇帝は玉座に座り、その横には宰相が立っている。
下には、神妙な面持ちの影の長と近衛騎士団長。緊張して震えているセレンの護衛騎士として付けていたはずの4人の騎士達。そして昨夜の兵士たちが顔を白くして恐々と跪いていた。さらに、以前セレンに不埒な行為をしようとしていた、あの兵士も呼び寄せられて真っ青な顔をして俯いていた。
「説明せよ」
皇帝の声は冷たく響いた。
影の長はうつむいたまま答えた。
「陛下、確かに以前、夜這いを駆けようとしていた酔っぱらった兵士の報告はしておりませんでしたが、まさかそれを真に受けて、他の兵士たちまでもが夜這いをかけるとは ──」
「何だ?」
皇帝が遮った。
「お前たちは、正式な皇妃であるセレンの生命や貞操が脅かされたとき、姿を見せて護衛する義務があった。それすら怠ったではないか」
宰相が口を添えた。
「はあ~……影の任務は監視だけでなく、護衛も兼ねているはずなのですよ。報告の怠慢はもとより、現場判断の欠如は看過できません」
皇帝はゆっくりと立ち上がると、以前虚偽の弁明をした青ざめている兵士と、今回の騒ぎを起こした兵士たちに向かって言い放った。
「先ず貴様だ。改めて調査した影の詳細な報告の通りなら、最早言い逃れはできぬぞ。罪を逃れるために、皇帝の私に向かって、虚偽の弁明をしたのだ。しかも、その罪を皇妃になすりつけてまで命乞いをしたな。減俸だけでは生ぬるい。今緊張状態にある、国境の辺境の砦に配属させる。1からやり直して参れ!
それと、今回の騒ぎを起こしたお前たちは、軍の名誉を汚した。階級は見習い兵に降格、俸給は3分の1に減額だ。改心する機会は与えよう」
次に皇帝は影の長と、護衛騎士に任じた4人を見つめた。
「お前たちも同様だ。任務を怠った以上、処罰は免れない」
老兵士ニオブ、中年のクリプトン、怠け者のスズ、新人のブローミン。皆、悔恨の表情を浮かべていた。
「次の新たな部署と、処遇が決まるまで、謹慎処分とする。だが、皇妃の護衛には、もっとましで優秀な騎士に交代となるだろう。覚悟はしておくように」
しかし最も厳しい言葉は、皇帝自身に向けられたものだった。
「しかし、真の責任は私にもある」
皇帝の声には初めて感情のゆらぎがあった。
「私がセレン皇妃を無視し、『お飾り』として扱ったことで、城内の者たちが彼女を軽んじる風潮を作り出してしまった。昨夜の事件だけでなく、以前の時も、一方的に部下の言だけを信じ込んでしまった、私の態度が招いた結果でもある」
宰相も深くうなずいた。
「陛下のお言葉の通りです。我々の態度が、皇妃様に対する敬意を城内から奪ってしまいました……」
皇帝はセレンがいる小屋の方を見た。
「私は自ら謝罪し、態度を改めなければならないな」
*****
結果。
皇妃に支給されるべき品格維持費が、元側妃クローリンや使用人たちのせいだけでなく、財務官金庫番のシリコン・ホルミュム・シーボーギュム伯爵によっても着服されていたのが判明した。伯爵は大公家派の人間でもある。
蜂蜜色髪と蜂蜜色目の持ち主の40代半ばにもなろうとしているシリコン伯爵は、他の大臣や官僚たちが立ち並ぶ中、陛下の前に引き立てられた時は真っ青な顔でぶるぶるとふるえていた。が、大公の姿を見つけると、途端に態度を変えた。
「わ……私が着服をしていたのは、だ……誰かに……ええ。きっと誰かに陥れられたのでございます、陛下!」
シリコン伯爵は、大公と目が合うと、きっと助けてくれるのに違いないと、他人に罪をなすり付ける証言をし始めたのだ……が。
「陛下。そこの金庫番は、身分を笠に着て、縁も所縁もない赤の他人に罪をなすり付けようとしておりますぞ。即刻首になさって、全私産没収の上、着服した分の補填にするのがよろしいかと」
「そ……そんな……大公殿下! これは全て貴方の指示で ──」
シリコンは大公に縋りつくような格好をしてきたが、大公の私兵達に阻まれた。
「黙れ! 貴様と私の間に、何か特別な関係や、まして証拠があるわけでもあるまい! みっともない言い訳をするなら、もう少しましな嘘を吐け!」
「しょ……証拠……は……」
シリコンは大公に切られたのだと、ここで気付いて顔を白くした。実際には大公の指示で行っていた部分も確かにあるのだが、いい気になって自分の懐を潤す真似をし出したのも確かである。大公はシリコンのような人間を、蛇のような感で見つけ出し、唆すのが得意なのだから。
しかし、大公は決して自分自身の手を汚さず、また証拠を残したことがなかった。今回も口約束の上だけでの関係だったから。
シルバーは、黒幕が叔父であるのは明白だと気付きながらも、今回も蜥蜴の尻尾切りよろしく、シリンを差し出して、まんまと逃げおおせた叔父にいつか煮え湯を飲ませてやると、ぐっと堪えた。
それでも、大公家や貴族派など、皇帝に敵対する派閥から送り込まれた使用人や財務官たちの一部が城内から一掃され、一新されることになった。
*****
その夜。
シルバーは改めて小屋を訪れた。
訪れた客人のためにドアを開けたセレンは驚き、少し後ずさりした。マーキュリーは皇帝とセレンの間に立ちはだかるようにして、低く唸った。
《やっと、気付いたのか。この愚か者め》
「怖がらせてすまない」
皇帝は手を上げ、無害であることを示した。
「私は……その……謝りに来たのだ」
セレンは黙ってうなずくと、皇帝を中へ招き入れ、椅子を勧めた。
質素な室内には使い込まれた本がいくつか並び、窓辺には枯れかけた花が一輪挿してあるだけ。
シルバーが勧められた丸椅子にかたりと着くと、彼の横をするりと抜けたマーキュリーは、当然のようにセレンの椅子の傍にどっかりと寝そべった。
「長い間、私は其方を無視してきた」
がたつく丸いテーブルを挟んで、皇帝は言葉を選びながら話し始めた。
「政治的な理由で妃に迎えながら、其方自身には興味を持とうとしなかった。その結果、城内でこんなひどい噂が広まり、其方が危険にさらされることさえ許してしまった」
セレンは静かに聞いていた。彼女の目には、長年溜め込んだ孤独と傷つきが映っていた。
「影たちの処分は既に行った」
皇帝は続けた。
「それと、許されるなら、本来の離宮「月影の館」への移動をしてほしい。気付かなかったこととは言え、このような小屋に其方を住まわせてしまった事が、私の間違いであったのだから。
私は……私は其方を疑い、傷つけ、孤独にさせた。頬を打ったこと、離宮ではなく掘っ立て小屋に住まわせたこと、贈り物が届かなかったこと ── すべて私の過ちだった。
それに、護衛騎士も。もっと腕が立つ優秀な者たちと入れ替えよう。彼らも監視だけだと思い込み、其方の身を護衛し、命を脅かす者から守ると言う、本来の役目を放棄していたことを謝罪したいと言っていた」
彼は深く頭を下げる ── 皇帝が、妃に。
しかし、護衛騎士については、セレンはそれを断った。
「陛下……頭をお上げください。私も、実は陛下が知った上で、私をこの小屋に追いやっていたのだと思い込んでおりました。
ですが、今現在。こうして誤解が解けたのですから。それと、あの4人の騎士達には、このまま私の護衛騎士として付けたままにしておいてください。そして、彼らに伝えてください。
『これからは監視だけでなく、護衛としての職務を全うして真面目に働くこと。それが謝罪を受け入れる条件です』
と。それに、4人とも実は孤立しているだけで実力もありますし、新人騎士のブローミンだけが確かに実力はまだまだみたいですが、彼はとても真摯ですし、真面目に努力すればきっといい騎士になれます。ですから、彼らの居場所をなくさないであげてください」
その時、マーキュリーがゆっくりと皇帝に近づいた。警戒しながらも、唸り声は止んでいた。
皇帝はためらいながら手を差し出すと、黒豹の頭をそっと撫でた。
《セレンを本当の意味で守れるのは、シルバーだけなのに。何でもっと早く気付かなかったのだ》
「忠実な友を持っているようだな」
シルバーは、初めてほのかに微笑んだ。
「黒豹様は……マーキュリーは、私が心を許せる存在でもあり、味方の内の1人ですから」
「そうか……この子の名前がマーキュリーだと知っているのだな……
護衛騎士については、今は未だ彼らの新たな部署への変更など、処遇を決め兼ねていた所だ。ただ減俸は免れないが、其方の言は伝えておこう」
*****
皇帝が去った後、セレンは窓辺に戻り、暗い庭を見下ろした。マーキュリーが彼女の足元に座り、温かい体を寄せてきた。
月明かりの中、セレンの唇に微かな笑みが浮かんだ。長い夜はまだ終わっていないが、初めて、ほのかな曙光が見え始めたのかもしれない。
皇城の噂は少しだけ変わった。少なくとも、男好きで閨に誘い込んでは漁りまくるという噂は小さくなり、代わりに「黒豹に守られる皇妃」という話が広まっていった。
*****
翌日。
セレンとアーサニク達は掘っ立て小屋から、離宮「月影の館」の小さな邸に引っ越しすることになった。
日当たりのいい庭が付いており、本来の皇妃に与えられるべき場所である。
「まだお飾りの皇妃のままだけどね」
セレンはマーキュリーの頭を撫でながら呟いた。
「セレン様。ですが陛下の殊勝な態度や、セレン様を追い出そうとする者達から擁護するために尽力していたこともわかったのですから、少しなら許して差し上げていいと思いますけどね」
「う~ん。でも陛下が思い出の少年と私が同一人物だと気付くのは、まだ先の話なのかな?」
黒豹は満足げにゴロゴロと喉を鳴らした。もちろん、マーキュリーもセレンやアーサニクと一緒に部屋に入り浸りながら、新たな結界を張ってくれた。
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その様子を執務室から見える景色で確認したシルバーは、複雑な表情を浮かべた。
「町娘のリン、皇妃のセレン、そしてあの少年……すべてが繋がっている」
彼はリードに命じた。
「本格的に調査せよ。すべてを」
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一方、大公チタンの元にも報告が届いていた。
「皇妃が侍女に変装して城内を動き回っていた? 面白い。ならば次の手を打つとしよう」
陰謀の網は、まだ解けていなかった。大公の野望は、むしろ新たな段階に入ろうとしていた。
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帝国の離宮「月影の館」に、ようやく平穏が訪れたかのように見えた。
セレンは、皇帝シルバーから贈られた薬草の本を、小さな書斎で広げていた。
窓の外では、マーキュリーが日向ぼっこをしている。
ビスマスは環境が改善された孤児院で、今頃のんびりと草でも食べたり、孤児達と楽しくすごせていることだろうか。
すべてが穏やかで、彼女がこれまで知らなかった「安らぎ」というものを、少しずつ感じ始めていた。
「でも……」
彼女はそっと胸元に手をやる。
そこには、髭の商人の男が「リン」に贈った手作りのペンダントが揺れていた。
銀細工の繊細な枠に、まるで晴れた空のような希少な空色の宝石がはめ込まれている。帝国で「銀龍の涙」と呼ばれる、数十年に1度しか採掘されない宝石の中でもかなり小粒な上に、本来なら売り物になりそうにない歪な形の石だが。
商人の男は、町娘のリンに、何の気兼ねもなくこれを贈ってくれた。
「あの商人は……リンに気があるのかしら」
そう思うと、なんだか胸がきゅうっと締め付けられるような感覚になる。彼女はお飾り皇妃セレンであり、町娘のリンでもある。2つの顔を持つことが、いつか大きな問題を引き起こすのではないかと、ひそかに恐れていた。
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