19、謎の男?
◆謎の金持ち商人の男
── セレンは誰も素顔を知らないのをいいことに町娘「リン」として市井を出歩く。そこで出会った「アイアン商会」屋台の兄妹の保護者として親戚の叔母「リン」と偽って働くようになったセレン ──
翌日。
皇妃セレンとして、アーサニクを護衛として孤児院を訪れた。
ただし、ビスマスを預けられるかどうかという話は、まだ時期早々だと考えたことと、リンと結び合わせる人がいないとも限らないため、今回はビスマスは連れてきていない。
対応してくれたアルゴン・サマリュム・フェルミュムと名乗る院長は、一見、温和な老人のように見えた。
ただ、黒いベールをかぶった皇妃セレンという権威の前に、猫を被り本心を隠している表面的な態度だけだとも感じた。
しかし、庭で育てられている植物は明らかに危険な薬草 ── あるいは麻薬の原料の様に見えた。
しかも、窓から覗いた寝室では、動物たちの情報の通り、痩せた子供たちが狭いベッドに5人も押し込められて昼寝をしている。
「公爵家が経営していると、お聞きしておりますが……」
セレンが探りを入れると、院長の目が一瞬曇った。
「はい、ですが、寄付はなかなか届かず……」
*****
帰り道、アーサニクが低い声で言った。
「あの植物、危険なものですよね?」
「そうね。私達が子供の頃いた森で、よく似た植物を見たことがあるでしょ? 傷の痛みを忘れさせるけど、依存性が強くなる種類の植物に良く似ている気がしたわ。それに、ビスマスと出会った時に、商人が食べさせていた草と同じような草にも見えた……」
セレンは暗い気持ちになった。帝国の闇は、王宮の奥だけではないようだ。
「でもだからって……だめね。私達で調べるには、これが限界だわ……」
「では、誰かもっと権力のある立場の者に?」
「う~ん……悪評のある私の言葉など、誰も信用してくれないかも……ごめんなさい、アーサ。とりあえず、金策と食事を何とかしてからだよね。腹が減っては戦はできぬってね」
「セレン様……」
自分の食事事情の改善も未だなのに、他人のために悩んでいる場合ではないでしょうに……と。アーサニクは心の中で毒づいていたが、それがセレンなのだと諦めた。
*****
それから数日後。
セレンがいつものように屋台で働いていると、3人のならず者風の男たちが近づいてきた。
「おい、小娘、いい野菜ないか?」
「──でもな、値段が高すぎるんじゃねえか?」
男たちは明らかに因縁をつけに来ている。この値段が、高いわけないだろうが! と反論したいところをぐっと我慢した。
マーキュリーも見えないながらも、グルル……と威嚇の声を上げた。
ああ、いけない。ニッケルとクロムが怯えているじゃない。
セレンは冷静に対応しようとしたが、男たちはますますエスカレートする。
その時、颯爽と1人の男が現れた。
「その子供たちに、何か用事でもあるのかな?」
声の主は、質素だが上質の良い服を着た金持ちの商人風の男だった。茶色の髪が帽子の下から少し見え、碧眼が鋭く光っている。髭をつけているが、年齢は20代半ばくらいか。
「あ、いえ……」
ならず者たちはその男の威圧感に押され、しぶしぶ去っていった。
男はセレンに向き直ると子供たちの為にしゃがんで声をかけた。
「大丈夫だったか?」
「「「はい、ありがとうございます」」」
セレン達は礼を言った。
何かこの男、見覚えがあるような……いや、そんなはずない。それに今は平民のリンなのだと首を軽く振った。
男は少し間を置くと、屋台の商品を見ていた。
「……そこの野菜、新鮮そうで質が良いな。どこで仕入れている?」
「はい、近郊の農家から直接仕入れています」
ニッケルはいつものように丁寧に対応すると、男は満足そうにうなずいた。
「では、これを全部買おう」
兄妹もセレンも目を見開いた。
「全部ですか?」
「ああ。うちの使用人たちに配るのだ」
男はいくつかの野菜を選びながら、ふと尋ねた。
「この辺りで、質屋を探しているのだが、良い店を知らないか?」
彼の碧眼が鋭くセレンを観察している。
セレンは少し警戒した。しかし、マーキュリーが足下でキュンキュンと甘えた声を出すので、信用してもいいのかもしれないと思い直した。
「質屋なら、中央広場の近くに何件かありますが……」
「そうか、ありがとう」
男は充分な代金を銀貨で多めに払い、野菜や果物を持ち帰った。ニッケルとクロムは大喜びだったが、セレンは何か引っかかるものを感じた。
後で雀から聞いた話では、その男は複数の質屋を訪れ、特定の宝飾品を探していたという。
セレンは自分の腕から売り払った腕輪の事を思い出した。もしかすると……
*****
その夜。
セレンはネズミたちから驚くべき情報を得た。
皇帝からの贈り物が、側妃クローリンの手で隠され、時にはガラス玉やがらくた、ボロキレなどにすり替えられていたという。使用人たちは脅され、口封じをされていたとも。
セレンはアーサニクに小屋で話した。
「そうそう。今日ね、変な男に助けられたの」
セレンは日中の出来事を話した。
アーサニクは眉をひそめる。
「庶民に多い茶色の髪に髭、それに碧眼ですか?……それは……」
「でもなんかね……髭はもしかして付け髭だったのかも。それにもしも、髪の色が空色で、髭がなかったとしたら……皇帝陛下に似ている気がしたのよね」
セレンは呟くような声でしゃべった。
「でも、そんなはずないわよね。陛下がわざわざ街に出てくるわけないだろうし」
アーサニクは何か考え込むような表情をしていた。
「……碧眼は、皇族特有の色では……」
しかしセレンがすぐに話題を変えた。
「ところで、アーサ。ネズミたちから面白い情報を聞いたわ」
「どのような話でしょうか?」
「宮殿の女官たちが質屋に、女官や侍女の給料では購入できないような高価な宝飾品やドレスを持ち込んでいるのだって」
アーサニクの目が輝いた。
「それは、本当の話でしょうか?」
「ええ。それと、質屋で発見された物の中に、皇妃の身分を明かす黄金の腕輪に似たものがあったって……」
セレンは思わず自分の手首を見た。
彼女が売った腕輪は、確かに皇妃としての証だ。でもあれは、彼女が自らビスマスとの交換のために、商人の手に渡したものだったが……それ以外での他の宝飾品やドレスが質屋に出回っているというのは……
「陛下が送っていたらしい贈り物が、セレン様の手元に届いていないという話でしょうか?」
アーサニクが呟いた。
「それは……側妃殿下や女官たちが横領しているのでは?」
セレンはうなずく。
「そう考えるのが自然よね」
アーサニクが言った。
「質屋で、贈ったはずの品を探していた、という話なのでしたなら──」
アーサニクの指摘に、セレンは複雑な思いだった。皇帝は彼女を嫌っているはずなのに、なぜ贈り物を送り、その行方を気にするのだろう?
*****
数日後。
セレンは街の質屋を訪れた。
ネズミたちから教えてもらった店だ。彼女は平民の服を着て、ベールも外している。
店内には様々な品物が並んでいた。
その中に、確かに宮殿で使われそうな高級なドレスや宝飾品もある。セレンは1つ1つを注意深く見ていった。
「おや、また会ったな」
聞き覚えのある声が背後から聞こえる。
振り返ると、先日屋台で助けてくれた金持ちの商人が立っているではないか。
「あ、こんにちは」
セレンは少し緊張した。
男は彼女が眺めていた品物を見た。
「興味があるのか?」
「いえ、ただ見ているだけです」
セレンは素早く答えた。
「でも、こんな田舎街の質屋に、なぜこんな高価な品物が?」
男の目が鋭くなった。
「……私もだ。同じことを考えていた」
2人はしばらく質屋の品物を見て回った。男は時折、品物を手に取り、細かく観察する。
セレンは彼の動きから、この男が単なる商人ではないと確信した。
「実は」
男が突然口を開いた。
「私は、宮殿から盗まれた品物を探している」
セレンの心臓が高鳴った。
「宮殿から、ですか?」
「ああ。陛下が誰かに贈ったはずの品物が、なぜか質屋に流れている。これは横領か窃盗だ」
セレンは深呼吸をした。今ここで正体を明かすべきか? いや、まだ時期尚早だ。彼女は平民のリンを演じ続けることにした。
「それは大変なことですね。お役に立てることがあれば……」
男は彼女をじっと見た。
「君はなぜこんなことを気にしている?」
「……私も……私にも贈り物が届かない経験があるからです……そもそも、何か贈り物を渡してもらえるとは思っていませんでしたが……」
セレンは本当のことを少しだけ話した。
男の表情がわずかに緩んだ。
「そうか。では、もし何か情報があれば、この質屋の主人に伝えてくれ。私に届くようにしておく」
それから男は店の店主に話しかけた。
「先日頼んだあの腕輪についてだが……」
セレンは息を飲んだ。彼女がビスマスを買い取った時に使った、まさにあの黄金の腕輪の話だったからだ。
ただ、有益な情報が得らないと判ると、男は名乗らずに去っていった。
セレンは彼の後姿を見送りながら、複雑な思いに駆られた。
*****
皇帝シルバーは、宰相リードと共に調査を進めていた。
質屋で見つかった品々は、確かに彼がセレンに贈ったものばかりだったからだ。
それから1週間後。
宮殿で小さな騒動が起きた。
宰相のリード公爵が、側妃のクローリン公爵令嬢の部屋から、本来セレンに贈られるはずだった贈り物を発見したからだ。
皇帝シルバーは激怒した。
「これは一体? どういうことなのだ!」
宮殿の広間で、皇帝の声が響き渡る。
側妃クローリンと彼女に仕える女官たちは跪く。
「陛下、お怒りをお沈め下さい。これは……これは、ただの誤解なのでございます」
クローリンが必死に言い訳しようとしたが、証拠は明白だ。
宰相リードが冷静に報告した。
「陛下、調べたところ、これまでに少なくとも十回分の贈り物が横領されていました。その内のほとんどが、質屋で売却されていたようです」
「なぜ今まで気づかなかった!」
皇帝の声には怒りだけでなく、悔しさも込められ冷たく鋭い。
「申し訳しようもございません。皇妃殿下の離宮には誰も出入りしておらず、確認のしようがなかったのでございます」
その言葉に、皇帝ははっとした。確かに、彼はセレンに会って以来、離宮を訪れることは、1度たりとてなかったからだ。悪女だという先入観から、距離を置いていたせいもあるのだが。
皇帝は机を拳で叩いた。
「……皇妃は今、本当に「月影の館」に……離宮にいるのか?」
「皇妃殿下が実際にどこに住んでいるのか、今すぐ調べましょう」
側近たちが顔を見合わせた。誰も確かなことを知らなかった。
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