17、 暴れ馬との出会い?
◆ 暴れ馬との出会い
── 側妃のネックレスを盗んだ泥棒疑惑で更なる軟禁で引きこもったセレンは、護衛騎士たちは信頼できないと黒豹と街に脱出した ──
セレンは気分転換にと、いつものように透明になった黒豹と市井に脱出してきたはいいが、思ったよりも商品の中にハーブがないせいで、あまり高い値段で換金できなかった。
落胆しながら町を歩いていると、突然大きな騒ぎが起きた。
市場の一角で、1頭の黒い馬が暴れている。
手綱を握る男 ── 飼い主らしい男 ── はムチを振り回し、怒鳴り立てている。
「この畜生め! 大人しくしろ!」
馬は悲鳴のような嘶きを上げ、後ろ足で蹴り上げようとする。周りの人々は慌てて距離を取った。
(あの馬、苦しんでいるわ)
セレンは直感的に感じた。
《助けるつもりかい》
しかしマーキュリーは、初めてセレンに出会った時の、優しい彼女のまま変わっていないなら、そうするだろうなと期待していた。
彼女は近づき、そっと心を開いた。馬の感情を受け止めようとした。
痛み。恐怖。怒り。絶望 ── 感情の洪水がセレンに押し寄せてきた。
《飼い主は、意味もなくムシャクシャするたびに、私に鞭を振るう。そのせいで太腿に傷ができて痛むのに、手当てしてくれない。
餌も変な味がする。わざと興奮する草を混ぜられている。
逃げ出したい。どうしても逃げ出したい。だから逃げ出したくて暴れているのだ》
と憤慨して訴える馬の叫びが、セレンの心に直接響いた。
「おい、小娘、近づくんじゃねえ!」
飼い主がセレンに向かって怒鳴った。
「こいつは、本当に飼い主である俺様の言うことすら聞かない暴れ馬なんだ。迂闊に近づかない方がいい、危ないぞ!」
セレンは飼い主を無視し、馬にゆっくりと近づいた。
(大丈夫、もう痛い目に合わせたりしないから)
彼女の声は穏やかで、慈愛に満ちていた。馬は少し落ち着き、茶色い瞳でセレンを見つめた。
「お前、もしかして馬の扱いを知ってるのか?」
飼い主が嘲るように言った。
「だったら試してみろ。この暴れ馬を乗りこなせたら、無料でくれてやるぜ」
周囲から笑い声が上がった。誰もが、このみすぼらしい町娘にそんなことができるわけがないと思っていた。
セレンは静かに微笑んだ。前世の記憶 ── 地球の日本で、乗馬クラブに通っていた日々 ── が蘇った。護身術と縄抜けと並んで、騎乗も幼い頃から習っていた。もちろん祖国の王女としても、どんな状況でも生き延びるための技術の一つとして。
「では、お言葉に甘えて」
彼女はそっと手を伸ばし、馬の鼻先に触れた。馬は最初は警戒したが、セレンの手の温もりと、心から伝わる優しさに、次第に緊張を解いていった。
(私があなたを乗りこなせたら、私があなたの持ち主になるから協力しない? 約束するわ。もちろん傷の手当に薬を塗ってあげるし、変な草も解毒してあげるから)
馬は深く息を吸い、吐いた。まるで同意の証のように。
セレンは軽やかにすとんと馬に飛び乗った。周囲からは驚きの声が上がった。馬は一瞬、驚いたように体を震わせたが、セレンが優しくたてがみを撫でると、落ち着きを取り戻した。
「さあ、行こうか」
軽く踵を入れると、馬はゆっくりと歩き出した。最初は小走り、次第に駆け足に。セレンは馬の動きに完璧に同調し、まるで1体であるかのように動いた。
「ありえない……!」
飼い主が目を丸くした。
馬はもう暴れなかった。むしろ、セレンの指示に喜んで従っているように見えた。
*****
数分後、セレンは無事に馬を止めると、軽やかにひらりと降り立つ。
周囲から拍手喝采が沸き起こった。数分前まで嘲笑っていた人々の表情は驚嘆に変わった。
「約束通り、この子をいただきますね」
セレンは飼い主に向いて対応した。
飼い主は悔しそうに顔を歪めるが、衆人環視の中で約束を破るわけにはいかない。
「……ああ、約束だからな。いいだろう、持って行け」
「ただし」
セレンは腕から【セレンを証明する黄金の腕輪】を外した。
「ただで受け取るわけにはいかないから。これで買い取るのはダメですか? これは純金でできてます。これを売れば、別の馬に買い替えるための足しになると思うのですが。代金として受け取ってください」
腕輪は精巧な細工が施され、明らかに高価なものだ。飼い主の目が貪欲に輝く。
「……わ、分かった。それでいい」
こうしてセレンは黒い馬、その場で
(ん~……そうだねえ……ビスマスなんて名前はどうかな?)
《ビスマスか……悪くない。私の名前はビスマスだ》
と名付けた彼を手に入れた。
《よかったなビスマス。このご主人様は本当にいい人だぞ。たまにお人好し過ぎて、心配になるくらい悪人に騙されるのではないかと、気が気ではないけどね》
早速マーキュリーは、ビスマスに先輩風を吹かせた。
(なっ! ちょっとお、マーキュリー? 私そんなにお人好しすぎるかなあ)
マーキュリーは興味深そうにビスマスを眺め、やがてうなずいた。
《あはは。ごめん、セレン。ところでビスマス……君も苦労してきたようだね》
ビスマスは、姿が見えないマーキュリーの存在を判っているのか、嬉しそうにセレンと彼の話を聞いていた。
*****
セレンはビスマスを連れて、マーキュリーに安全を確認してもらうと、人混みから離れた場所へ移動した。
町の外れにある小さな広場までやって来ると、古い井戸を見つけた。周囲には数本の木が影を作っている。
(ここで手当てをするね)
彼女はビスマスの太腿を調べた。
確かに無数の鞭の跡が残り、いくつかは化膿しかけている。前世と今世の薬草の知識が役に立つ。セレンは懐から小さな巾着を取り出すと、中から自分で作った傷薬を探し出した。
(少し痛いかもしれないけど、我慢してね)
薬を塗りながら、セレンは優しく囁きかける。
ビスマスは痛みに体を震わせたが、逃げようとはしない。セレンの手の温もりが、痛みを和らげているのを感じているようだ。
次に、飼い主から渡された「餌」を調べて見た。
確かに、興奮作用のある毒にもなる草が混ぜられている。セレンは別の薬包みから解毒剤を探し出すと、水桶に汲んだ水に薬を混ぜてビスマスに飲ませた。
(これで大丈夫かな。もうあの変な草の影響は受けなくなるはずだよ)
ビスマスは嬉しそうに首を振ると、セレンの肩に鼻面をすりすりとこすりつけてきた。
《ありがとう。ありがとう。ムシャクシャしたりイライラしてたのがなくなった。足の傷もかなり傷みがひいた》
(そう、よかったわ)
セレンはビスマスの首を優しくそっと抱きしめると、首から背をなでてあげた。
(これからは私があなたを守るからね。もう誰にも鞭で打たせないよ)
《よかったな、ビスマス。それにしても……あの商人の男からは、なんだか嫌な匂いがした》
マーキュリーの声は本当に不快そうだ。
その時、セレンは気づいた。
広場の向こう側に、小さな屋台の出店が1軒あることに。看板には「アイアン商会」と書かれていたが、今は閉められていて、どうやら営業していないようだと。
*****
日が傾き始めた頃、セレンはビスマスを連れて隠し通路へと戻った。
アーサニクが出迎えてくれた。
「ご無事でございましたか」
アーサニクは心配して尋ねる。
「ええ、大丈夫よ。それに、新しい友達もできたの」
セレンはビスマスを紹介してあげた。
「── なるほど……そのようなひどい扱いをしていたなどと。飼い主とは思えない所業ですね。ですが、セレン様、まさか腕輪と引き替えにしてまで購入なされなくとも」
「それはそうなのだけど。でも、これからは私が……アーサなら反対しないと思ったから。私たちで守ってあげればいいと思って、連れてきちゃったんだもの」
「セレン様らしいと言いますか。しかし護衛騎士達には、突然増えたこの馬の事を、どのように説明したら……」
《僕が一度幻影と透明の魔法で、森に迷い込んできた野性の馬に見せかける》
「── って黒豹様が提案してくれたわ。じゃあ、そう言うことで」
黒豹の提案で、黒馬の装身具を全て外すと、アーサニクが小屋を出たのと同時に、透明になった黒馬を1度外に出した。
アーサニクは気分転換のふりをしているように見せかけて、黒豹と共に、黒馬の見えない鬣に優しく手を添えて森の奥に入った。
それから森の奥の誰にも見られない位置で透明化を解かれた黒馬を、さも迷い込んだ野性の馬であるかの様に扱う。そのまま、黒豹とアーサニクに懐いた黒馬を、小屋へと連れ帰った。
「ネプツニュムさん。その馬、どうしたんです?」
黒馬を見た護衛騎士達には、
「ああ、それがな。森の奥に迷い込んできたみたいなんだが、この野性の馬、なぜだか懐いて離れてくれないのだ。
それに、この脚を見なよ。治りかけてはいるが、酷い怪我をしているだろう? 気の毒で、せめて傷が癒えるまででもいいからと思い、連れてきたのだよ。何しろ、皇妃殿下は傷や薬草に詳しいからね。
それに、外出できない皇妃殿下には、いい慰みにもなるだろうと思ってさ。黒馬を世話するのは私たちでやるから、他の護衛騎士のみんなには迷惑かけないようにする。だから、暫く黒馬を置いて上げてもよいだろうか」
と、声をかけた。
「ネプツニュムさんが世話するって言うのなら、構いませんが……それに、うん。確かにずっと小屋の中に閉じ込められている皇妃殿下にとってみれば、この黒馬は確かにいい慰みになりそうですね」
その間セレンは、質素な平民風の服を脱ぐと、再び皇妃のドレスに着替える。ベールで髪と顔を覆うと、アーサニク以外の護衛騎士たちや、黒豹と動物たちが教えてくれた監視役の誰にも見られないように、いつもの姿に戻ったのだ。
アーサニクが夕食を厨房から持ってくる時間になる頃には、セレンはベッドで本を読み始めていた。幻影術はとっくに解かれており、すべてが元通りだ。
「セレン様、今日は少し野菜が入っていますよ」
アーサニクは嬉しそうに報告したが、その目には疲労の色が濃くにじんでいた。
「ありがとう、アーサ。でも、もうそんなに無理をしなくてもいいのに」
セレンは優しく微笑む。
「私も、これからは自分でできることを、もう少しづつでも増やしていくつもりだから」
「でも、セレン様がそう何度も町に出るのは危険です。今はまだ発覚しておりませんが、いつかもし見つかったらと思うと──」
「大丈夫。黒豹様がしっかり守ってくれてるから。それに……」
セレンは窓の外を見つめた。
「このまま何もしなければ、冬が来たら確実に飢えてしまうでしょう。もっと色々手を打たなければ」
アーサニクは沈黙せざるを得なかった。彼女もその現実を痛いほど理解していたからだ。
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