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16、再び市井へ脱出?

 ◆再び市井への脱出



 ── 不貞を疑われ、激怒した皇帝に打ち据えられて謹慎1か月を言い渡されたセレン。しかし皇帝はやり過ぎたと贈り物を送ったのだが…そうと知らないセレンの謹慎が溶けた途端、今度は側妃のネックレスを盗んだと泥棒扱いされた ──






 側妃の部屋へ連れて行かれると


「まあ! 盗人猛々しいとは、まさにこのことよね!」


 その時、開いたドアからづかづかと数人の足音と大きな声が。


「何の騒ぎだ?」


 皇帝シルバーが、宰相リードと近衛騎士団長モリブデンを従えて現れた。彼の碧眼は、部屋の中を一巡し、皇妃のベッドの下から発見されたという、側妃が手に持っているネックレスに止まる。


「陛下!」


 側妃クローリンは、淑女の仮面を脱ぎ捨てて感情を露わに瞳をうるうると潤ませながら駆け寄った。


「このネックレスは、母上からずうっと以前に、私にくれた大切な年代物の真珠のネックレスなのです!  皇妃殿下がお盗みになっていたんですわ……!」


 皇帝の目が細くなった。彼は皇妃を見た。黒いベールに覆われたその姿は、微動だにしない。


「……説明せよ」


 皇帝の声はとても冷ややかだ。


 皇妃は深々と頭を下げた。


「陛下、私はそのような物、1度も見た覚えもございませんし、ましてや盗んでなどおりません。誰かが、私の部屋にそれを隠したのではないでしょうか」


「証拠は?」


「……ございません……」


 皇妃の声は自信がなくか細かった。


 クローリンがしくしくとすすり泣きをあげた。


「陛下、どうか私のために……そこの泥棒に罰を!」


 皇帝はため息をつく。彼の頭の中では、政治的な計算が巡った。皇妃を罰すれば、王国との関係が悪化する。かといって、貴族派閥筆頭であり、父の叔母の娘でもあり又従妹でもある側妃を、無下にもできない。


「……皇妃は、離宮から出ることを一切禁ず。護衛騎士以外、誰も面会を許さない」


「陛下!」


 アーサニクが叫んだ。


「これ以上異議を唱えるなら、護衛騎士の任を解かせ、祖国へ帰ってもらうが?」


 皇帝の一言に、アーサニクは唇をぐっと噛みしめた。


 皇帝は皇妃をもう1度見た。ベールの向こうに、いったいどんな顔があるのか ── その瞬間、初めて彼は疑問を抱いた。


「……皇妃、とりあえず、側妃の部屋から出て自室で謹慎せよ」


 皇帝はそう言うと、側妃の部屋を出ていく。


 (いい気味だわね)


 クローリンは袖口で口元を隠しながら、にんまりと笑った。


「さあ、陛下が仰ったでしょう、この泥棒を私の前から見えない場所へ連れて行って!」


 女官達に腕を掴まれそうになるのを、アーサニクと、後から駆けつけたニオブたちが小屋へと連れ戻してくれた。






 *****






 小屋のドアが閉ざされ、再び静寂が訪れた。


 皇妃はとすんと崩れ折れる様に、ゆっくりと床に膝と腰をついた。


「セレン様……!」


 アーサが駆け寄った。


 ベールの下から、かすかな声が漏れる。


「……大丈夫よ、アーサ。これも……たった3年のうちの試練の1つだと思えばいいのだから」


 しかし、その声には、初めて深い悲しみがにじんでいた。






 *****






 皇帝の執務室では、3人が向き合っていた。


「陛下、皇妃殿下をあのように扱うのは、あまりに厳しすぎませんか?」


 モリブデンが意見を述べた。


「厳しい?  盗みの嫌疑がかかっているのだ。これでも十分寛大だろうが」


 皇帝は書類に目を落としたまま答えた。


「ですが、証拠も不充分です。皇妃殿下の言うように、誰かが皇妃を陥れようとした可能性も……」


「モリブデン、お前は優しすぎるな」


 皇帝はようやく顔を上げた。


「あの女は王国からの捨て駒だ。たとえ無実だとしても、宮廷で生きていくにはあまりに無力すぎる。あの離宮で静かに暮らす方が、彼女のためでもあるのだ」


 リードが口を開いた。


「陛下、2点気になることがございます」


「何だ?」


「1つは……皇妃殿下のベールについてです。なぜ、あれほどまでに顔を隠すのでしょうか?」


 皇帝の眉が動いた。


「……醜いからだ、と聞いている」


「ですが」


 リードは眼鏡を押し上げた。


「もし本当に醜いのであれば、王国はなぜ、わざわざそのような女性を政略結婚に差し出したのでしょうか?  むしろ、美しい女性を送り込み、陛下の心を捉えさせようとするはずです」


 執務室に沈黙が流れた。


 皇帝は窓の外を見つめた。


「……影に命じろ。皇妃の監視を続けさせよ。特に、ベールの下について、何か分かることがあれば報告するようにとな」


「かしこまりました。すぐに影たちに命じておきます」


「……ん? 2点あると言ってなかったか?」


「陛下……それはわざとでしょうか? それとも、頭に血が上り過ぎて見逃していらしたのでしょうか?」


「何の話だ?」


「あの盗まれたと言っていた、ネックレスのことでございますよ。


 以前、打ち据えたお詫びにと、皇妃殿下の為にと、わざわざ選んだ贈り物の中に入っていたネックレスとそっくりだったとお思いになられませんでしたか? たまたま公爵家で似た物が作られていただけなのか、イミテーションだったのか。


 しかし、プライドの高いクローリン側妃殿下は、自分が知る限りでは、1度もイミテーションをお使いになったことはございません。ですからまがい物を用意することなどはなさそうです。


 では本物だとしたら。


 宝石商の話では、あれは最新のデザインな上、使われている黒真珠もつい最近発見されたばかりの希少品で、1点ものだとの説明でお選びになったはずですから。


 ですが側妃殿下は、公爵夫人が使っていた年代物を譲り受けたのだと言ったのです。だとしたら、最新のデザインで最近発見されたばかりの希少な黒真珠だと説明した宝石商は、嘘をついたことになります。


 ですがもしも、もしも皇妃殿下に贈ったネックレスそのものだったとしたら。


 どうして側妃殿下はご自分の物だと主張なさったのでしょうか。それとも、皇妃殿下が親睦の為にと譲り渡しでもしたのでしょうか。ですが、皇妃殿下はそれを本当に1度も見た覚えがなく、知らない物だと言っておりました。


 ですから、盗んだと言う話自体は、そもそもおかしいと気になったのです。逆ならともかくですがね」


「!……くっ……確かに。私としたことが、興奮しすぎて肝心なことを見落としていたな……そのことを弁明しておれば泥棒呼ばわりされずに済んだものを。皇妃の贈り物がどうなっているのか、調査し直せ!」


「かしこまりました」


 リードがうなずいた。


 皇帝の心に、かすかな疑問が芽生え始めていた。黒いベールの下に隠された真実、皇妃の贈り物の行方について……






 *****






 小屋では、夜が更けていた。


 皇妃はそっとベールを外すと、月明かりの中で窓辺に立っていた。黒檀のような髪が微かに輝き、赤眼には月の光が映る。


「セレン様、お風邪をひきます。窓を閉めましょう」


 アーサニクが毛布を抱えて近づいた。


「アーサ……私、考えているの」


 アーサニクは、セレンの肩に毛布をかけながら答える。


「何をですか?」


「このまま何もせず、3年を待つべきかどうかを」


 皇妃の声には、初めて迷いが宿った。


「今までは、ただ耐えればいいだけだと思っていたのよ。でも……今回のことで分かったわ。たとえ何もせず、じっとしていても、私を狙う矢は避けられないのだなってね」


 彼女は窓の外の闇をじっと見つめた。


「王国でも、私は忌み嫌われる存在だったわ。ここでも、同じなんだよね。


 ただ……ここでの嫌われ方は、王国とは違うのよ。王国では、私の存在そのものが嫌われていたわ。でもここでは……私が『皇妃』であることで嫌われているのよね」


「セレン様……」


「もし……もし私が皇妃でさえなければ」


 皇妃はゆっくりとアーサニクの方に向き直った。


「もし私が、ただの1人の女性としてここにいれば、もっと静かに暮らせていたかもしれないじゃない」


 アーサニクは皇妃の手を握った。


「セレン様は何も悪くない。悪いのは、セレン様をこんな目に合わせている人たちです」


「分かっているわ。でもね……」


 皇妃の言葉が途切れた。彼女は再び窓の外を見つめ、深く息を吸った。


「アーサ、私……もう少しだけ強くなりたいのよ。ただ耐えるだけじゃなくて……自分の身を守れるくらいにね」


 月明かりが、彼女の決意を固めるように照らしていた。






 一方、離宮の外の影で、影がその会話を聞いていた。彼の瞳は、驚きに大きく見開かれていた。


 ベールの下から見えた、一瞬の黒色の髪と瞳 ── それを、彼は確かに目撃していた。


「これは……陛下に報告?……いや、ただ監視しろといわただけだ」


 影は暗闇に消えた。彼が報告を怠ったことで、お飾り皇妃はさらに過酷な環境に追いやられることになるのだが、その不穏な気配が静かに近づいていた。






 *****






 更なる謹慎処分の追加をされたセレンだが、ハーブの売り上げが実入りが良かっただけに庭に出ることを禁じられ、秋が深まりつつある気候の中でのハーブの成長の調整をセレン自らが出来なくなったために、ハーブを売って得られる収入は激減した。


 ただ、アーサニク以外の護衛騎士達は、前回の不埒者からセレンを守れなかった後ろめたさと女官達の横暴を許してしまったことを恥じて、ハーブの世話をアーサニクと話し合いながら面倒見てくれたことだけが幸いした。


 それと、動物達にも、簡単な囲いを作ったハーブ畑の中の物は餌ではないので食べないように言い包めてあるおかげと、大事な植物だからと伝えてあるので、彼らなりに見守ってくれているようだ。


 それでも再びアーサニクとの極貧生活と、食事事情の問題は浮上してきた。


 アクセサリーの内職と、アーサニクが選んで摘み取ってくるハーブと木彫り細工の動物達の置物を売買しても、食材を揃えるためには足りないだろう。


 黒豹や動物たちも時折り食べ物を調達してきては、小屋の中まで入り込んできてセレンを心配そうに見上げてくる。


「セレン様。護衛騎士達の面会は許可されておりますが、彼らもここ最近は、2つの事件でセレン様を守れなかったことが響いたのか、幸い、小屋の中まで踏み込んでくる無粋なことはしたことがございません。


 よろしければ、また仮病を使いませんか」


 仮病 ── アーサニクのその単語は、セレンの寝込んだ幻影か、もしくはアーサニク自身が休憩して、黒豹の幻影でアーサニクが看病してるように見せかけるから、市井で気分転換してこいとの合図だ。


「アーサ……そうだよね。くよくよしたって仕方がない。


 幸いにも黒豹様のおかげで、未だに隠し通路のことは監視者たちにはバレてないし。ついでにこの謹慎と軟禁……と言う名の引きこもりでたまった商品を食材にかえてくるね」






 *****


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