15、贈り物の行方?
◆贈り物の行方
── セレンに専属護衛騎士が付いた。しかし、影同様、監視だけの無能で、悪評を信じた兵士に襲われても黒豹が撃退し、兵士の嘘を信じた皇帝は、誘惑したのかと激怒した ──
翌朝。
セレンは図書室の近くにある談話室で、アメリシュム伯爵と勉強していた。
紫髪の若き元司祭は、熱心に歴史書の1幕を解説していた。
アーサニクは隅で静かに、格闘指南書を読みながら待機している。
「ここでその科学者は、洞窟での経験を通して──」
突然、扉が力任せに開かれた。
皇帝シルバーだ。空色の髪は乱れ、碧眼には怒りと失望の色が満ちている。
背後には数人の近衛騎士と、冷たい表情のリード宰相が立っている。
「陛下……?」
セレンはゆっくりと立ち上がるとカーテシーをした。
これが嫁いで以来、初めて夫である皇帝と直接対面する瞬間である。
彼女は黒いベールの下から、初めて皇帝の姿をしっかりと見た。確かに美しい男性だが、その表情は歪み、目にはセレンに対する憎悪に近い感情が燃えて見える。
アメリシュム伯爵とアーサニクも立ち上がると、慌ててお辞儀をする中、シルバーはセレンの前に歩み寄った。
「よくもだな……私の部下を誘惑するとは」
シルバーの声は低く、震えている。
「……何のことをおっしゃっているのですか、陛下?」
セレンの声は冷静だが、内心では動揺が走った。何が起きているのか、全く理解できないからだ。
「知らないふりをするな! 昨夜、お前が騎士を閨に招き入れたのだろう? 私に相手にされなくて寂しいからだとな!」
「! そのようなことは、断じてしておりません!」
セレンの声に初めて力が込められた。
「あの騎士のほうこそが私を襲ってきたのです! 黒豹様が阻止してくれなければ、その後、陛下のところへ連れて行ってくれたはずで──」
「この、大嘘つきめが!」
シルバーの手が閃いた。
パンッ!
という鋭い音が図書室に響き渡った。
セレンの頬に皇帝の平手打ちが炸裂したのだ。力は強く、セレンはよろめいてテーブルに手をついた。ベールが少しずれ、ちらりと黒髪が覗く。
「陛下! おやめください!」
「皇妃殿下!」
ジョーやアーサニクが間に入ろうとしたが、近衛騎士たちに制止された。
「私の大事な部下を誘惑するとは……本当にとんだあばずれだな!」
シルバーの目には、もはや理性の光はなかった。長い間積もりに積もった偏見と、誤った報告に基づく誤解が、彼を盲目にしていた。
セレンはゆっくりと顔を上げた。頬には鮮明な掌の跡が浮かび、熱く疼いた。しかし、彼女の赤い瞳には涙はなかった。ただ、深い失望と理解が宿っただけだ。
「……そうですか。陛下にはもう、私の言う言葉など何も入らないし、お信じにもならないのですね」
その声の静けさに、シルバーは一瞬たじろいだ。彼が期待したのは、泣き叫ぶか、逆上するか、あるいは色仕掛けで許しを請うような反応だったからだ。しかし、セレンの態度は、そのどれにも当てはまらない。
「これから1ヶ月だ」
しかしシルバーは毅然と言葉を続け、声を荒げて罰を言い渡した。
「庭への散歩と、図書室の使用を禁止する! 教師との勉強時間も半分に減らす! これで少しは反省できるだろう!」
ジョーはもちろん、アーサニクも抗議しようとしたが、セレンはそっと手を挙げて止めさせた。
「かしこまりました、陛下」
その従順な態度が、かえってシルバーの怒りを煽った。彼は荒々しく踵を返すと、談話室を出て行った。
リード宰相は一瞬セレンを見つめたが、何も言わずに皇帝の後を追う。
ドアが閉ざされ、談話室には重い沈黙が流れた。
「皇妃殿下」
「皇妃殿下……」
ジョーとアーサニクが心配そうに近づいた。
「お顔が……医者を呼びましょう」
「それよりも私が医務室に──」
「結構ですわ。大丈夫だから、アーサも」
セレンは静かに言い、ずれたベールを直す。
「先生、今日の授業はここまでにいたしましょう。陛下のご命令ですから」
「しかし──」
「お願いいたします」
セレンの声には、それ以上議論を許さない決意が込められていた。
ジョーはうなずくと、手早く資料をまとめ始めた。
アーサニクはぎゅっと強く握りしめた拳が白くなるほど悔しがった。
*****
小屋に戻ったセレンは、中に入る前に1度庭へ立ち寄り、庭の周囲を見渡した。そこには、彼女が世話をしていたハーブ園が広がっていた。
1ヶ月間。もうこの庭には出られなくなるのね。図書室にも行けなくなる。教師との勉強時間も減らされた。ハーブが全て駄目になるのは悲しいけれど、また1から育てる楽しみが増えるわ……
しかし、彼女の心に湧き上がってきたのは、悲しみよりも覚悟である。
「セレン様。氷嚢と、教えていただいた薬草です」
アーサニクが頬を冷やせる大きさの氷嚢と、痣を治す薬草を採ってきた。
「ありがとう、アーサ」
セレンは薬草と、棚にあるその他のいくつかの材料をささっと調合すると、出来上がった塗り薬を痣になった頬に塗りつけた。べたつきがなくなったのを確認すると、そこに氷嚢を当てる。
「……アーサ」
「はい、セレン様」
談話室では、皇帝の所業にじっと耐えてくれたアーサニクが、すぐ側に立つ。彼女の橙色の瞳には怒りと無念の色が燃えている。
「私たち、もう頼れる人は誰もいないのね」
「……そのようですね。陛下も、護衛騎士たちも、宰相閣下も」
セレンは深く息を吸い込んだ。
「ならば、自分たちで生きていくしかないわ」
彼女は窓から森を見つめた。
動物たちがいる森。彼女だけが心を通わせることができる生き物たちがいる。
しかし、ハーブ園に関しては、不埒な兵士からセレンを守れなかったと悔やむ護衛騎士達が、実は交代で世話をしてくれるのだが……
今現在の護衛騎士達は、セレンの信頼を失墜したために、談話室から予定より早く切り上げて戻ってきたセレンを、遠巻きに見ることしかできなかった。
ハーブ園の世話については特に、香草の香りが気に入ったと言うスズは、美容に効く植物もあると教えてもらったからと言うのもあった。
それに、彼女が元々ギャンブルや下らない遊びにはまって怠ける様になったのは、1度目の結婚で、自分が綺麗な物や可愛い物を集めているのを、贅沢でくだらないと攻めてきた夫と結局うまくいかず、結婚生活に失敗してバツイチになった傷を癒すための逃避のせいでもあった。
本来は真面目だし、綺麗な物や可愛い物を集めるのも、下級騎士でも買える程度のささやかな値段の物だけだ。セレンの内職商品の値段を決める時に、庶民でも買える価格を教えてくれたのもスズだった。
もう1人。
熱心にハーブ園の様子を見に来てくれるようになったのが、ブローミンだ。
彼は、新妻と夫婦喧嘩して、仲直りするために贈り物でも買っていこうかと悩んだ時に、手作りの贈り物の方が真心がこもっていそうだとセレンが呟いたおかげで、夫婦の危機が去ったことがあった。
もしもあの時、彼の給料でおざなりに安い物を買っただけで渡していたら、1ヶ月は口をきかなかったかも、と妻にいわれたのだ。
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うから、セレンとしては下手なアドバイスができないと思っただけなのに。
しかし、1ヶ月の謹慎後に、ハーブが萎れたり枯れたり駄目にもならず、反省した護衛騎士達の厚意を知ったセレンは、信頼はできないが、少しだけなら信用してもいいと思えるようになるのだが……
今現在の時点では、護衛騎士の4人のことは、念頭に置いていなかった。
*****
その頃、本宮では皇帝シルバーが、宰相のリード公爵と向き合っていた。
「陛下、先日お命じになった贈り物は、離宮に届けられました」
リードは眼鏡の奥で鋭い目を光らせながら報告する。
シルバーは窓辺に立つと、遠く離宮の方向を見つめた。空色の髪が朝日に照らされ、碧眼には複雑な感情が渦巻いている。
「あの時……打ち据えたのはやり過ぎだったかもしれないからな」
あの日。
黒豹マーキュリーが連れてきた兵士 ── セレンを襲おうとした男 ── を見た時の怒り。そして、何も知らずにただ黒豹を庇おうとしたセレンの頬を叩いてしまった自分への後悔。皇帝としての威厳と、人間としての良心の間で揺れていた。
「希少な黒真珠や宝石を使った1点物のネックレスとイヤリングや指輪セットなどを治めた宝石箱と、冬用の毛皮の外套、それに図書館の特別閲覧許可証を送ってはみたが」
シルバーはゆっくりと言った。
「彼女が勉強を望んでいるのなら、せめてそれくらいはだな」
リードはわずかに首を傾げた。
「しかし陛下、皇妃殿下はあの離宮に満足しているようです。女官長や侍女からの報告によれば、不平1つ言わず、静かに暮らしているとか」
「……そうか」
シルバーは知らなかった。彼が送った贈り物は、「月影の館」の離宮の扉を開けることさえなく、側妃クローリンの侍女たちの手に渡り、隠され、すり替えられ、横領されたことを。
宝石箱はガラス玉の入った粗末な箱に、毛皮の外套は虫食いだらけの古いマントに、閲覧許可証はただの白紙に ── すべてが闇に葬られたことに。
*****
それから、やっとセレンの謹慎が終わる1ヶ月後。
今度は違う事件が起きた。
側妃クローリンの宝石箱から、高価で希少な黒真珠を使ったネックレスが消えたと言うのだ。
宮廷中が騒然となった。
女官たちが皇妃の小屋に、いきなりどすどすと押しかけると、強引に部屋をごちゃごちゃと捜索し始めた。
「いったい、何を……!」
アーサニクが剣に手をかけたが、皇妃がそれを制した。
「やめなさい、アーサ。彼女たちの好きな様にさせてあげなさい」
ベールを被った皇妃は、部屋の隅でじっと立っていた。彼女の声は震えていない。むしろ、どこか達観した響きだ。
「でも、皇妃殿下! これは明らかな侮辱です!」
「分かっているわ。でも……抵抗すれば、余計に疑われるだけだわ」
皇妃の言葉通り、女官の一人が叫んだ。
「ございました! 皇妃殿下のベッドの下から見つけました!」
その女官が手にしていたのは、紛れもなくクローリンが盗まれたと騒いでいた、黒真珠のネックレスらしい。
部屋の中に重い沈黙が流れた。
皇妃はゆっくりと首を振った。
「……私が盗んだわけではありませんわ」
「では、なぜこちらにあるのでしょうか?」
女官長が冷たく問い詰めた。
「とにかく、取調官と側妃様のところへ連れて行きますから、逃げようと思わないことね?」
女官長はさも可笑しそうに顔を歪めると、子飼いの侍女や下男たちに命じて、皇妃を無理矢理引きづって行った。
*****
orz あれ?悪意のある者はマーキュリーの結界で弾かれるんじゃ?…
マーキュリー「常時張り続けられないし、危険だろう夜しか張ってないせいだ面目ない…それに、セレンが小屋内に侵入を許可した人間に対しては、悪意を持った使用人たちだろうと結界内に入り込める…」
…なるほど?さもありなん…




