14、冤罪?
◆誤解による無実の罪
── 皇帝は、14歳の時に出会った少年を探し続けていた ──
その数日後。
今度は王宮の馬小屋でセレンは偶然、近衛騎士団副団長のキセノン・ロシュム・レニュム辺境伯に出会った。深緑の髪を高い位置で結い、同じく深緑の瞳を持つ女性騎士は、愛馬の手入れをしていた。
「おや、これは皇妃殿下」
キセノンは驚いた様子でぴっと挨拶をしてきた。
セレンはマーキュリーと散歩がてら馬小屋を訪れただけなのだが、そこで飼葉桶の配置が非効率的だと指摘した。
「あの飼葉桶の位置ですが、奥の馬が充分に餌にありつけないのではないでしょうか。斜めに配置すれば、すべての馬が平等に食べられるのでは?」
セレンは臆することなく提案する。彼女は幼少期を馬小屋で過ごしていたから、馬の習性を誰よりも理解していた。
キセノンは一瞬眉を上げたが、すぐに真剣な表情でセレンの指摘を検討することにした。
「……いわれてみれば確かに。最近、奥の馬の餌の減りが遅く、体重も減ってきていました。試してみますね」
そのまま2人で馬小屋の改装についてなどを話し合い、次第に会話は馬具についての話に移った。
しかし、これが影の目に留まった。そして、
「皇妃が近衛騎士団副団長と親しく会話した」
という事実だけが報告された。
それから更に別の日。
近衛騎士団長のモリブデン・ルテニュム・オスミュムが、ほとんど誰も使わない離れた訓練場の一角で鍛錬しているアーサニクと、傍で話をするセレンと出会った。
セレンはたまに前世の日本の武道の知識を少しだけ披露して見せながら、アーサニクの剣筋で偏っている部分を治すため、鍛錬の手助けをしていた。
それを見かけたモリブデンも、アーサニクの王国流の剣術と、セレンの武術が気になり、帝国騎士団の剣術の基本を説明して見せた。純粋な知識の交換をしただけだ。
しかし、これもまた影の目に留まる。そして、これもまた
「皇妃が近衛騎士団長と親しく会話した」
という事実だけが報告された。
*****
皇帝シルバーは、執務室で次々と届く報告に眉をひそめていた。
「またか」
彼は書類を机に投げ出し、空色の髪をかき上げた。碧眼には疲労と苛立ちの色が浮かぶ。
宰相のリード公爵が、桃金色の髪を整えながら近づいた。眼鏡の奥の桃色の瞳は冷静だ。
「陛下、また何か問題でも?」
「皇妃のことだ」
シルバーはため息をつく。
「先々週はボーラン伯爵と長時間にわたって密室で会話。先週はレニュム副団長と馬小屋で親しく談笑。今週はオスミュム騎士団長と訓練場で偶然出会い話をしていたそうだ」
リードは少し考え込むような表情を見せた。
「会話の内容については、何か報告されていますか?」
「内容? そんなものは報告されていない。『会話した』という事実だけだ」
「それは……随分とまあ不充分な報告では」
リードは低くつぶやくが、皇帝は聞き流した。
シルバーの頭には、皇妃について聞かされた悪評ばかりが渦巻く。傲慢で我が儘、男を見境なく誘惑するあばずれ女 ── そんな女が、自分の部下たちに近づいた。そう考えるだけで、腹立たしさがこみ上げてきた。
「あの女、私が相手にしないからといって、私の部下に手を出すつもりか」
「陛下、確証のない推測は──」
「黙れ、リード」
シルバーの声には冷たさが込められた。
「私は知っているんだぞ。あの女がどんな女かを。王国からもたらされた報告ではすべて一致している。彼女は信用ならないとな」
リードは口を閉ざした。賢明な宰相は、この時点でさらに意見を述べても無駄だと悟った。皇帝の偏見はすでに固まってしまっている。
「よし、対策を講じよう」
シルバーは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
「皇妃の護衛を刷新する。現在の護衛たちをつけるのではあまりにも……まともすぎる。あの女の誘惑に負けない者を配属せねばな」
「それでは……どのような者を想定されますか?」
リードは慎重に尋ねる。
「独身の騎士はもちろん駄目に決まっておるだろう。既婚者でも見目麗しい男性も、若い男性も近づけさせれないな。きちんと訓練をしている本来の近衛騎士や護衛騎士たちであろうとも、徹底的に避けさせねばならないだろうし……
そうだな……先ずは、引退間近の老兵だ。ニオブ・カドミュム・ポロニュム子爵が適任だろう。もう若い女に興味はあるまい」
シルバーは指を折りながら続ける。
「次に、片足に大傷を負っているという身体に故障はあるが、既婚者で。クリプトン・インジュム・ラジュム士爵。しかし愛妻家として有名だ」
さらにシルバーは兵士たちの資料を探す。
「女性兵士も1人入れよう。スズ・セシュム・トリュム男爵だ。彼女は職務より遊びを優先する怠け者だが、それゆえに皇妃の誘惑にも乗らないだろう」
それからシルバーは、下級兵士の資料まで引っ張り出す。
「そして最後に……訓練不足の新人の中からだが、平民出身の下級兵士。ブローミン・バリュム・プロトアクチニュム準士爵がいい。不器量で皇妃より年下の若造だし新婚だからな、新妻を大事にしていたはずだ。それに皇妃が好みそうなタイプではあるまい」
リードは内心でため息をついた。これでは護衛というより、監視役もしくは懲罰的な配置ではないかと。しかし、皇帝の決定に逆らうことはできない。
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
「もう1つ」
シルバーは振り返ると、冷たい目でリードを見る。
「影たちには、これまで通り監視を続けさせよ。ただし、会話の内容など細かいことまで報告する必要はない。『誰と会ったか』だけで充分だ」
「……仰せの通りに」
*****
今までもセレンには、専属の護衛騎士と言う者は存在せず、定期的な巡回や、小屋の近くまでの見回りの兵士や騎士が姿を見せる程度でしかなかった。
そこに、専属騎士をつけると女官からの通達があり、1週間が経った。
セレンは専属となったと言う護衛たちに少し戸惑いを覚えたが、彼らがそれぞれ事情を抱えていることを理解し、優しく接した。
ポロニュム子爵は白髪交じりの灰髪を持つ老兵で、藍色の瞳には長い軍歴で培われた知恵が宿っている。彼は常に距離を保ちながらも、必要とあらば助言を惜しまない博識な人でもある。
ラジュム士爵は50代で身長2メートルに近い大男で、黄緑色の髪と瞳を持つ。片足が不自由なようだが、その分観察眼は鋭く、周囲を常に警戒してくれる。
トリュム男爵はアーサニクと年齢は近く、金茶色の髪をだらりと結び、焦茶色の瞳にはいつも退屈そうな表情を浮かべていた。彼女は確かに勤務中によく居眠りをしたが、いざという時には素早く動くことができた。
ただ、綺麗な物や可愛いものが好きみたいで、たまに、セレンが作るアクセサリーが気になるらしく、彼女の意見を取り入れてみると、とてもガラクタでできているとは思えない良い品が出来るようになった。マーキュリーが姿を見せた時には、少しだけでも撫でてみたいと言ってきたが、彼が鬱陶しがるので、残念そうにしたのが、女性らしくて可愛い人だと、セレンは思った。
プロトアクチニュム準士爵は栗色の髪と瞳を持つセレンよりも年下の十代の若者で、新婚であることを時折り嬉しそうに話して聞かせてくれた。しかし剣の扱いは不器用で、訓練も充分とは言えなかった。
セレンは、そのような彼らを「護衛」というより、「同居人」として扱い、時折採ってきたハーブを分け与えたり、簡単な料理を振る舞った。彼女のそんな態度に、最初は警戒していた護衛たちも、次第に心を開き始めてくれた。
しかし、彼ら全員に共通していたのは、自分たちが「監視役」として配置されたという意識だったようだ。
皇帝自らが
「皇妃の行動を監視せよ」
と命じたと誤解したのだ。
そのため彼らは、セレンが誰かと会話するたびに詳細を記録し、定期的に報告した。しかし、その報告は常に
「皇妃殿下が何処の誰と会話した」
という事実のみに終始し、会話の内容が政治学習や学問的な議論であったことにはほとんど触れられなかった。
*****
そんなある夜、事件は起こる。
セレンが寝入りばなを襲われたのは、真夜中過ぎのこと。
マーキュリーが張った結界により、常に寝室への侵入は防がれていたが、喉の渇きを覚えたセレンが井戸まで水を汲みに行った隙を狙われたのだ。
襲ってきたのは、下級騎士の一人。酒の臭いが立ち込め、目には邪な光が浮かんでいる。
「陛下に見捨てられた寂しさを、俺が癒してやりにきたぜ……」
騎士は不敵に笑いながらぐいぐい近づいてくる。
セレンは一瞬で状況を把握すると、冷静に対処していた。前世で学んだ護身術の動きが、身体に染みついていたおかげだ。
「離れてください」
「やだね、可愛くて麗しい皇妃殿下だ」
騎士が手を伸ばした瞬間、セレンはさっと素早く身をかわすと、相手の腕を掴んで逆に捻りあげる。同時に、鋭い口笛を1つ吹いた。
次の瞬間、闇からマーキュリーが飛び出し、騎士に襲いかかった。黄金の瞳が暗闇に光る。
さらに周囲からは、セレンと心を通わせる野生の狐や梟が集まり、騎士を取り囲んだ。
「ぎゃああっ! な、なんだこれは?」
騎士はパニックに陥り、もがくが、マーキュリーの爪や動物たちの攻撃の前に為す術もない。
セレンは冷たい目で彼を見下ろした。
「黒豹様、彼を拘束して。陛下のところへ連れて行きなさい」
黒豹は低く唸ると、騎士の襟首を咥えて引きずり始めた。
セレンはアーサニクを呼ぶと、事態を説明した。アーサニクの顔色が一気にさぁ~っと蒼白になる。
「セレン様、ご無事で? なんて言うことを……!」
「取り合えずは無事だから大丈夫よ、アーサ。でも、これは深刻な問題だわ。護衛の兵士たちはどこにいったのかしら?」
セレンの問いに、アーサニクは苦い表情を浮かべた。
彼女が確認したところ、ニオブは詰め所で居眠りをしており、クリプトンは足の痛みを癒やすために離れた温泉へ行っていて、スズは街の酒場に遊びに行ったまま戻っておらず、ブローミンは訓練不足からか、異常に気づかなかったというのだ。
「監視はしても、護衛はしない ── そういうことなのね」
セレンの声には、初めて怒りの色がじわりとにじんだ。
*****
明け方、マーキュリーは傷だらけの騎士を皇帝の執務室にどさりと引きずり込んだ。シルバーは深夜の執務中で、突然の闯入者に驚いて立ち上がる。
「な、なんだこれは!」
「陛下、この男が皇妃殿下を襲いました」
突然、室内に現れた影の1人が報告した。テルル公爵令嬢 ── 宰相の妹で、表向きは皇帝の愛妾、実は影の1員である彼女は、桃色の髪を揺らしながら冷たく報告する。
「何だと?」
シルバーが怒鳴る中、床に倒れている騎士が突然しがみつくようにして訴えた。
「違います! 陛下、違うんです! 皇妃殿下が……そう、そうだ、皇妃殿下の方から私を誘惑したんです! 陛下に相手にされなくて寂しいから、閨に招き入れてほしいといってきて……!」
嘘だ。完全な偽証だった。騎士は自分の行為が露見した恐怖から逃れるために、思いつく限りの嘘を並べ立てたのだ。
しかし、シルバーは彼が偽証を必死に誤魔化そうと焦る姿を、命乞いの為に必死になっていると見誤り、顔に怒りが爆発した。碧眼が険しく光る。
「皇妃が……よくも私の部下を……!」
「陛下、それは──」
テルルが止めようとしたが、遅かった。
「黙れ! 私はもう聞き飽きた! あの女の悪行は!」
シルバーは机を拳で叩き、震える声で命じた。
「明日の朝、私自らあの女のところへ行く。すべての真実を明らかにしてやる!」
テルルは口を結び、何も言うことができなかった。彼女の任務は情報収集と報告だけであり、皇帝の判断に介入することは許されていない。
しかし、彼女の桃色の瞳には、わずかな疑念が浮かんだ。
これまでの監視で、セレンが誰かを誘惑するような場面は1度も目撃していないからだ。むしろ、彼女は常に学問に熱心で、小さな庭で植物を育て静かに過ごす女性の姿だけしかない。
だが、テルルは沈黙を守るしかなかった。それが影としての役目だから。
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