11、継がれる血?
◆母の遺言と受け継がれる特殊な血脈
── 小屋で暮らすセレンとアーサニクは、側妃達の嫌がらせで食糧危機に陥り内職で金策することにしたが、市井でもセレンの悪評を信じる大人が多く、皇妃には食材を提供しないことを知り衝撃を受けた ──
矛盾した思いを抱えながら、セレンは小屋に戻ってきた。
彼女は再び法律書を開く。
そして、ある条文に目が留まる。
「世の王族や皇族たる者は、慈善事業を行う権利と義務を有する」
彼女はその条文を何度も読み返してみた。
「慈善事業……これなら、目立ちすぎずに、何かできるかもしれないじゃない? ……あ~、でもそれには、自分自身に誰か慈善事業してくれないかな……」
そういえば……前世で、大金持ちより、貧しい人の方が他人に優しいって話があったな。確か……全財産を500円しか持ってない人が、250円を他人の為に施したと言う話だったかな?
彼女の目に、静かな決意の光が灯る。3年後の自由を待ちながら、ただ消えていくのを待つのではなく、少しずつ、静かに、自分の存在意義を見出していこう。毒殺される運命を変えるために、そして、誰にも看取られずに死ぬ運命を変えるために。
夜が更け、月が中天に昇った時、セレンはベールを外すと、鏡に映る自分の顔を見つめてみた。黒い髪、赤い瞳 ── 故郷では「不吉」と忌み嫌われた色だ。しかし今、彼女はその色を受け入れ始めていた。
「これが私なんだよね。前世の記憶を持つ、セレン・フレロビュム・マイトネリュム。私は消えたりしない。静かに、しかし確かに、生き延びてみせるんだ」
窓の外では、1匹の黒豹が月明かりに照らされ、金色の瞳を輝かせている。黒豹マーキュリーは、遠く離れた皇帝の元から、なぜかこの小屋に訪れるようになった。そして今夜も、彼はベールを外した皇妃の姿を一瞬目にし、何かを感じ取ったように、静かに闇の中に消えていった。
物語はまだ始まったばかりなのだ。誤解に満ちた婚姻、交錯する思惑、そして1人の女性の静かな決意 ── すべてが、これからゆっくりと動き始めようとしていた。
*****
小屋での食生活が多少落ち着いてきた頃、セレンはある決意をした。
「せめて離縁されるまでの間、この国のことを学んでおかないとだよね。それに、逃げる時に地理も知らないと、何処に逃げようか決めれないじゃない」
彼女は、掘っ立て小屋や品質維持費の事を把握しているのか信頼できないと思いつつも、思い切って宰相リードに、家庭教師を付けてもらえないかと相談してみた。
帝国の言葉、歴史、貴族や領主が治める領地、各地の地形や気候 ── どれも、もし離縁後に自由な身となった時、生きていくために必要な知識になるから。
(3年後には円満に離婚してみせる……それまでに、1人で生きていけるだけの力を身につけておかないとね)
宰相の元を訪れたセレンは、黒いベールを被ったまま、丁寧に願い出た。
「宰相閣下。私は皇帝陛下より、仕事も外交も何もしなくていいとは言われましたが、この国のことを本当にほとんど何も知りません。せめて言葉や習慣だけでも学ばせていただけませんでしょうか」
リードは意外そうにセレンを見た。
なぜなら、彼が聞いてきた悪評とはまったく違う ── 悲しみも怒りもなく、むしろ前向きに学びを求める真摯な態度の女性しか、そこにいないからだ。
ほお? お飾りだと言われたのにも関わらず、随分と勤勉で健気な女性だったのでしょうか。リードは内心で感心し、要求を快諾することにした。
「そういうことでしたら、家庭教師を手配いたしましょう。図書室への出入りも許可しましょう。ただし、護衛を必ず伴うこと。そして後宮の主要区域には立ち入らないことを、お約束いただければ」
「閣下! ありがとうございます!」
ベールの下から、初めて心からの笑顔が漏れた。セレンは嬉しさに胸を躍らせた。学ぶ機会 ── それは祖国では決して与えられなかったものだから。
こうして、帝国の歴史学の教師として、22歳と言う若さであるが家督を継ぐために還俗した元司祭のアメリシュム伯爵ことジョー・プラセオジム・アメリシュムが。帝国と周辺諸国の地理と言語学の教師として、70歳を越えたために引退した元医者と言う変わった経歴のジンク・プロメチュム・バークリュム元侯爵が。家庭教師として派遣されることになった。
*****
セレンは、ベールの隙間から差し込む朝の光に目を覚ました。
「セレン様、おはようございます」
護衛騎士でもあるアーサニクが、粗末な木製の机に朝食を運んできた。
離宮とは名ばかりのこの掘っ立て小屋は、確かに多少の隙間風が吹き抜けるが、セレンにとっては王国の馬小屋よりはるかにましな住まいだった。
「今日も自由な1日が始まるわね、アーサ」
セレンはベールを整えながら微笑んだ。皇帝からの伝言通り、彼女には何の義務も課されていない。社交も、政務も、そして最も重要なこと ── 夫婦の営みさえも要求されない。
アーサニクは焦茶色の髪を短く切りそろえた男みたいな姿で、橙の瞳に心配の色を浮かべた。
「それにしても、この小屋での環境は本当にひどすぎます。側妃たちの意地悪でしょう」
「アーサのせいではないのだから、気にしないで」
セレンは軽く手をふりふりと振る。
「むしろ、誰も近づかないからこそ、私たちは好きなことができるのよ」
彼女が窓辺に近づくと、小鳥たちがぱたぱたと近くの木の枝や窓枠に集まって止まる。
《おはよう、セレン》
《今日は元気?》
《林の奥で美味しい木の実が見つかったよ》
動物たちの声が、心の中に直接響いてくる。これはダームスタチュム王国の血筋のおかげ ── 正確には、母方の滅びた小国フレロビュムの王族に伝わる能力なのだ。
*****
セレンは時折、おぼろげになりつつある前世の記憶と、今世の記憶が混ざり合う感覚に襲われることがある。地球の日本で平凡な人生を送っていた女性の記憶と、この世界で虐げられてきた王女の記憶だ。
乳母のウランから聞いた話によると、セレンの母親のアイアダインも、王国内においては、黒髪赤眼という禁忌の容姿ゆえに「悪魔の申し子」などと呼ばれ、ダームスタチュム王宮では、普段はできるだけベールで顔を隠しながら身分の低い平民上がりのお針子としてこき使われていたと言う。
母が生まれた祖国からは、2度と帰ってくるなと言われていたために、帰れる国がないのだと言って、王国で虐げられながらも、他に居場所がないからと耐え忍ぶしかなかったそうだ。
しかしセレンが知る真実では違った。
母親の祖国が、数十年前にマイトネリュム帝国の属国となった元小国のフレロビュムではあったのだが、その国の元王族である末の王女だったのだ。
その小国は、無血開城という賢明な選択をし、王族は爵位を返上して平民となり、民は戦火を免れたと。
しかし実際には、藩国との小競り合いの戦で負けて吸収併呑されて属国となった国となる時に、王と王妃、宰相だった王弟と戦争の指揮を執った軍の総責任者の騎士団長の4人が首を差し出していた。
『たった4人の首で済むのなら、今後恐怖と血塗られた御業で顰蹙を買う必要もなかろう。国は無くなっても民が生き残る方法があるなら、その方が勝者となった国側も周囲に受け入れられやすかろう』
と宣言して。
さらに、立太子前の王太子予定だったまだ幼い王子以下、幼い弟妹王子達や貴族たちのほとんどの爵位も返上させて平民となり、無血開城をさせて、早い段階で併合されることを了承した最後の王は、正に賢君だったのだ。
そして、セレンの母親はその時の末娘だった。いわば、併合されて属国となった元小国の民たちに愛された王族を受け入れさせることで、民からの憎悪を無くさせ、治めやすくすると言う目的もあったようだ。
「乳母のウランがよく話して聞かせてくれたわよね」
セレンは窓の外の森を見つめながら呟いた。
「『真の勇気とは、剣を取ることではなく、剣を置くこと』だって」
アーサニクがそっと肩に手を置いた。
「実はそのお言葉は、母のウランが、セレン様のお母上様から聞かされた言葉なのだそうですよ。それほどに、セレン様のお母上様は立派な方だったのです。でも、なぜその話を?」
しかし噂の域を出なかったが、この小国の王族たちには動物や妖精と言葉を交わす能力があるらしい? という伝承が、口伝で密やかにあったことだ。
それが王国内においては、黒い髪や紅い瞳は禁忌であり、「悪魔の申し子」だなどと根も葉もない流言が根強く蔓延らせる噂となったようだ。
セレンが1歳の時から、その気持ち悪い姿を見せるなと、いつも黒いベールをかぶらせられ、釣り書きもベールで顔を隠したままのものだったらしいのも、そういう理由からだ。
しかし実際には、元小国の国民たちや平民になった王子以下の元王族たちからの故国感情をいつしか呼び起こさせ、内乱や反旗を起こさせるかもしれないと言う疑心暗鬼がどこかにあったらしい。母親が生前の時はもちろん、その母親の元小国の王女の血筋を引くセレンの姿をも隠したかったようである。いらぬ心配ではあったみたいだが。
「王国側は、母が元王女だったという正体を知れば、元フレロビュムの民の心が動くことを恐れたのではないかしら?」
セレンはため息をついた。
そんな何十年も以前の出来事を根に持つような恥知らずは、最早1人もいない元小国の者達は、毎日を未来に向けて生きるために奔走しているというのに。
「それに、私を生んだ時の肥立ちが悪くて、母はとっくに亡くなっていると言うのに。
いいえ、それだけでなく、まったくの杞憂だったと言うのにね。人々は過去に縛られるより、未来を生きることを選んでいるというのにね」
しかし、母親や元小国民たちの事情がそのようなことになっているのに。セレンは母が自分を生んだ時に他界していた上に、幼児だったからとは言え、何も知ろうとせず、考えもしてこなかった。
それどころか、子供の時は少年の格好をして、乳姉とともに離宮とか別邸とは名ばかりの、寂れて隙間風が入り込むのは当たり前の、庶民ですら人間の住める場所とは到底思えない忘れ去られていた林の中の納屋兼厩舎から脱け出しては、2人でよく野山を駆け回っていたのだから。
「それなのに、幼少時は、そんな元小国の事情や、周辺国の思惑何て、何も考えずにいた上に、素顔まで晒して飛び回ってた私は、本当に子供だったんだなって」
「……セレン様……」
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