正法眼蔵 転法輪
先師、天童古仏、上、堂、挙、
世尊、道、
一人、発、真、帰、源、十方虚空、悉皆、消殞。
師、拈、云、
既、是、世尊、所説。
未免、尽作、奇特商量。
天童、則、不然。
一人、発、真、帰、源、乞児、打破、飯椀。
五祖山、法演和尚、道、
一人、発、真、帰、源、十方虚空、築著磕著。
仏性法泰和尚、道、
一人、発、真、帰、源、十方虚空、只、是、十方虚空。
夾山、圜悟禅師、克勤和尚、道、
一人、発、真、帰、源、十方虚空、錦上、添、華。
大仏、道、
一人、発、真、帰、源、十方虚空、発、真、帰、源。
いま、挙するところの一人、発、真、帰、源、十方虚空、悉皆、消殞は、首楞厳経のなかの道なり。
この句、かつて数位の仏祖、おなじく、挙しきたれり。
いまより、この句、まことに、仏祖、骨髄なり、仏祖、眼睛なり。
しか、いうこころは、首楞厳経、一部、十軸、あるいは、これを偽経という、あるいは、偽経にあらずという。
両説、すでに、往往より、いまにいたれり。
旧訳あり、新訳ありといえども、疑著するところ、神龍年中の訳をうたがうなり。
しかあれども、いま、すでに五祖演和尚、仏性泰和尚、先師、天童古仏、ともに、この句を挙しきたれり。
ゆえに、この句、すでに仏祖の法輪に転ぜられたり、仏祖、法輪、転なり。
このゆえに、この句、すでに仏祖を転じ、この句、すでに仏祖をとく。
仏祖に転ぜられ、仏祖を転ずるがゆえに、たとえ偽経なりとも、仏祖もし転挙しきたらば、真箇の仏経祖経なり、親曾の仏祖、法輪なり。
たとえ瓦礫なりとも、たとえ黄葉なりとも、たとえ優曇華なりとも、たとえ金襴衣なりとも、仏祖、すでに拈来すれば、仏法輪なり、仏正法眼蔵なり。
しるべし。
衆生もし超出、成、正覚すれば、仏祖なり、仏祖の師資なり、仏祖の皮肉骨髄なり。
さらに、従来の兄弟衆生を兄弟とせず。
仏祖、これ、兄弟なるがごとく、十軸の文句、たとえ偽なりとも、而今の句は、超出の句なり、仏句祖句なり、余文余句に群すべからず。
たとえ、この句は超越の句なりとも、一部の文句、性、相を仏言祖語に擬すべからず、参学眼睛とすべからず。
而今の句を諸句に比論すべからざる道理、おおかる。
そのなかに、一端を挙拈すべし。
いわゆる、転法輪は、仏祖儀なり。
仏祖、いまだ不転、法輪あらず。
その転法輪の様子、
あるいは、声、色を挙拈して声、色を打失す。
あるいは、声、色を跳脱して転法輪す。
あるいは、眼睛を抉出して転法輪す。
あるいは、拳頭を挙起して転法輪す。
あるいは、鼻孔をとり、あるいは、虚空をとるところに、法輪、自転なり。
而今の句をとる、いまし、これ、明星をとり、鼻孔をとり、桃華をとり、虚空をとる、すなわちなり。
仏祖をとり、法輪をとる、すなわちなり。
この宗旨、あきらかに転法輪なり。
転法輪というは、功夫、参学して一生、不離、叢林なり、長連牀上に請益、弁道するをいう。
正法眼蔵 転法輪
于、時、寛元二年甲辰、二月二十七日、在、越宇、吉峰精舎、示、衆。




